第三話 小さな光と、最初の朝
一 光の粒――ルミ
目が覚めたとき、アルクは自分の手のひらを見ていた。
いつもそうだった。眠りから覚めると、なぜか手のひらが気になる。今朝もそうしようとして――気づいた。
枕元に、光の粒が浮かんでいる。
砂粒ほどの大きさの、やわらかい白い光。ふわふわと、まるで息をするように揺れている。
アルクは、息を止めた。
(……昨夜も来たやつか。あの温もりが)
動かずに、じっと見つめた。光の粒は逃げなかった。むしろ、アルクが目を開けたことに気づいたように、ぴょこ、と上に跳ねた。
挨拶、みたいな動きだった。
「……お前、昨日のか」
声に出して言ったら、光の粒がまたぴょこ、と跳ねた。
アルクはゆっくりと手を伸ばした。光の粒は逃げなかった。手のひらの上に、ふわりと降りてきた。
温かかった。ちりちり、としたような、でも痛くない。じんわりと広がる熱。手のひらの奥の、あの温もりと、同じ質感だった。
「……お前が、俺の中の温もりなのか」
光の粒は答えなかった。ただ、手のひらの上で、ふるふると揺れた。
まだ言葉はわからない。でも、確かに、そこにいる。
「名前、つけた方がいいか」
光の粒が、ぴょこ、と跳ねた。
「……賛成、ってこと?」
また跳ねた。
アルクは少し笑った。十三年、誰にも言えなかった疑問の欠片が、ようやく形を持ち始めた気がした。
「とりあえず、ルミ、でどうだ。光の粒みたいだから」
光の粒――ルミが、今度は大きく、ぴょん、と跳ねた。
気に入ったらしい。
二 空間から取り出す力
それから、ルミはアルクの周りをふわふわと漂いながら、何かを伝えようとしているようだった。
きゅい、きゅい、と小さな音がする。言葉ではない。でも意図が、なんとなく伝わってくる。
「……何だ? 何かあるのか」
ルミがぴょん、と跳ねて、アルクの胸のあたりに寄ってきた。そして、そのまま、するりと――アルクの体の中に入った。
「っ」
痛くはない。むしろ、温かい。そしてアルクの頭の中に、ぼんやりとした「映像」が浮かんだ。
空間。暗い、でも広い空間。その中に、いくつかのものが浮かんでいる。布。器。瓶。見たことのない道具たち。
「……お前の、中?」
ルミがまた出てきて、きゅい、と鳴いた。
アルクはゆっくりと立ち上がった。頭の中の映像を、もう一度たどる。あの布は――薄い、普通の風呂敷のような布だった。
試しに、手を空中に伸ばした。
何もない。
でも「引っ張れる」気がした。
ゆっくりと、手を引いた。
するりと、布が出てきた。
薄い、何の変哲もない布地だった。でも手に取ると、不思議な温もりがある。
「……これ、どこから」
ルミがぴょこ、と跳ねた。「俺の中にあった」と言いたいらしい。
アルクは布を広げた。縦横一メートルほどの、なんでもない布。
眺めていたら、腹が鳴った。そういえば、昨夜は何も食べていなかった。
ふと、思った。何か出てくれたりしないか、と。
前世の記憶の中で、疲れた夜に食べたいものを思い浮かべた。
シンプルで、温かくて、落ち着くもの。白米。だし巻き玉子。豆腐の味噌汁。
布の上に、湯気が立った。
アルクは、しばらく、その前に立ち尽くしていた。
布の上に、三つの器が並んでいた。白米。だし巻き玉子。豆腐の味噌汁。
この世界には、存在しないはずの料理が。
「……マジか」
ルミが、器の縁にちょこんと座って、得意そうに(たぶん)ぴょこぴょこ跳ねた。
「お前、最初からこれを見せたかったのか」
ぴょん。
「じゃあなんで昨日言わなかった」
ぴょん、ぴょん。
「……まあいい」
アルクは箸を取った。この世界の食事とは全く違う、懐かしい味がした。前世の記憶がじんわりとよみがえる。家族が差し入れてくれたおにぎり。当直明けに飲んだ味噌汁。誰かのために動いた夜の後は、いつも腹が減っていた。
食べ終わると、器はすうっと消えた。布だけが残った。
「便利だな……」
ルミがまた跳ねた。どこか誇らしそうだった。
アルクは布を畳みながら思った。この力は――いったい、どこまであるのだろう。回復、防御、そしてこの空間から何かを取り出す力。まだ知らない何かが、眠っている気がした。
三 ルミの温もり
灰爪亭に着くと、ギルドの空気が昨日と違った。
受付に近づいたアルクを見て、冒険者たちがざわめいた。「あいつだ」「赤牙隊を助けたのか」「本当に?」
タークが、珍しく真剣な顔でアルクを呼んだ。
「お前、昨日の話、本当か。ゴウダたちを助けたのは」
「ゴウダさんたちが強かったから、俺は少し手を貸しただけで」
「嘘をつくな」タークは眉を寄せた。「ゴウダの野郎が、お前のことを直々にギルドマスターに報告したんだ」
アルクは何も言わなかった。
「お前、本当は何者なんだ」
「荷運びです」
タークは長い沈黙のあと、舌打ちをした。でも今回の舌打ちは、いつもと少し違う気がした。
受付でネッサが、帳簿から目を上げた。
「アルクさん」
「なに」
「……昨日、怪我はなかったですか」
「なかった。いつも通り」
「そうですか」ネッサは視線を帳簿に戻した。でもその頬が、わずかに赤い。「……よかった」
アルクは首を傾けて、いつもの雑用の依頼票を取った。今日も薬草の仕分け、荷運び、溝掃除。何も変わらない一日が始まる。
でも、肩のあたりで、ルミがふわふわと浮いている。
その温もりだけが、昨日と違った。
その日の昼過ぎ、ヴィナがギルドに現れた。
左腕に包帯を巻き、それでもいつもの鋭い目をしている。アルクが溝掃除から戻ったところで、ばったり顔を合わせた。
「調子はどうだ」アルクは言った。
「腕以外は問題ない」ヴィナはアルクを見た。「お前は?」
「いつも通り」
ヴィナはしばらく黙っていた。
「あの光のこと、考えてた」
「俺も」
「あれは、お前の中から出てきたものか?」
アルクは少し考えてから答えた。
「わからない。でも今朝、少し進展があった」
「進展?」
「……見せてもいいか。今夜」
ヴィナは一拍置いて、頷いた。
「わかった」
短い返事だった。でもその目が、かすかに輝いたのを、アルクは見た。
第四話予告
夜、宿の一室。アルクは空中から布を取り出してみせ、肩で跳ねる光の粒にヴィナは思わず「……かわいいな」。
布の上に現れた謎の赤いシチューを「毒か」と警戒したヴィナだが、ひとくちで停止。「……なんだこれ」。気づけば三回目の「なんだこれ」。鋭い剣士もこの世界にない味にすっかり陥落。
食後、ヴィナは申し出る。「お前のことを調べたい」――鑑定台のことも、ルミの正体も、“賦活師”の意味も。理由は命を救われたから。それと「あの料理をまた食べたいから」。正直すぎる。
不器用なタークの本音と、ネッサの「絶対、帰ってきてください」を背に、二人は王都へ。
だがその後ろ姿を、フードの男が見つめていた。「《賦活師》。この時代に」――眠れる守り手が、目を覚まし始めた。
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