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底辺から始める、与えるだけの無双伝 ~知らないうちに守られていました!!♪!!?~  作者: わっぱるぅ


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第二話 血と剣と、ひとつの誓い

一 霧牙の森

 ヴォルタの東には《霧牙の森》が広がっている。

 昼でも白い霧が立ち込める鬱蒼とした森で、薬草の一大産地でもある。浅い領域はCランク冒険者でも入れるが、深部にはAランク以上の魔物が潜んでおり、Bランク未満の冒険者は立ち入りを禁じられていた。


 その日の夕刻、灰爪亭に帰ったアルクはギルドが騒然としているのに気づいた。

「どうした?」

 ネッサが青い顔で振り返った。

「……《赤牙隊》が、帰ってこないんです」

 赤牙隊。この街で最強と名高いAランクパーティだ。剣士・魔法使い・僧侶・盗賊・格闘士・弓使いの六人編成で、リーダーのゴウダは剣士として街の英雄と呼ばれていた。その精鋭たちが霧牙の森の深部調査に出て、約束の刻限を三時間過ぎても誰ひとり戻らない。

 もうひとつ、気になる情報があった。ゴウダたちとは別に、今朝から行方不明になっている者がいる。旅の剣士だ。名前はヴィナ。昨日の朝、ひとりで霧牙の森へ向かうのを見た者がいるという。腕は立つらしいが、パーティも組まず、この街に立ち寄ったばかりの流れ者だった。


「救援は?」

「……編成できません。この街にAランク以上の冒険者が、もういなくて」

 ギルドの中を見渡した。顔を背ける冒険者たち。Aランクが行って帰らなかったのだ。次に行きたい者など、いるはずがない。

 アルクは、荷物袋を地面に置いた。

「行ってくる」

「……え?」

 ネッサが目を見開いた。

「アルクさん、あなたはランク外で正式な冒険者にすらなれていない。武器も防具も――」

「誰かが行かないと、でしょ」

 アルクは振り返らずに扉を出た。

 ギルドが静まり返った。タークが舌打ちをした。「鑑定不能の馬鹿め。死にに行きやがった」

 Dランクの若い冒険者が小さく笑った。「まあ、どうせ逃げ帰ってくるだろ」

 ネッサだけが、立ち上がれなかった。胸がざわついている。あの人が心配だ。でも、それだけじゃない。なにか、もっと大きなものの予感が、した。


二 銀髪の剣士

 霧牙の森の霧は、日が落ちると濃さを増す。

 アルクは手元も見えないほどの白い霧の中を、慎重に進んだ。前世の記憶にある感覚が、血の匂いと足跡を読んでいた。

 点々と続く、赤い染み。

 (出血が多い。でも足跡が続いてる。少なくとも一人は、まだ動いている)

 そのとき、アルクの足元で、きらり、と何かが光った。

 ほんの一瞬。星のかけらのような、小さな輝き。気のせいかと思って見下ろしたが、もう何もない。

 ――また、あれか。

 アルクは首を傾けたが、先を急いだ。


 三十分ほど進んだところで、霧が薄くなった。開けた場所だった。

 砕けた武具。折れた剣。赤く染まった地面。赤牙隊が最後の戦いを繰り広げた跡だった。六人が倒れている。ゴウダ・魔法使い・僧侶・盗賊・格闘士・弓使い――息はある、かろうじて。

 そして、その傍らに、もうひとり。赤牙隊とは別の、見慣れない装備の女が倒れかけていた。おそらく、ひとりで森に入ってきた旅の剣士だ。彼女だけがまだ立っていた。

 銀色の髪の、若い女だった。年の頃は二十前後。全身を血に染め、左腕が明らかにおかしな角度に折れていた。手には折れた剣。もはや武器の体を成していない、ただの鉄の棒。


 彼女の前には――Sランク相当の魔物がいた。


 家ほどの体躯を持つ漆黒の異形。皮膚は岩のように硬く、目が六つ、腕が四本。この森では確認されたことのない、伝承にしか存在しないはずの最上位の魔物。Aランク六人がかりでも仕留めきれなかった、それほどの存在だった。

「……まだ、だ」

 少女の唇が、震えながら動いた。

「あたしが立ってるうちは。仲間に、指一本……触れさせない」

 声がかすれていた。もはや剣を振る力は残っていない。足が、小刻みに震えている。立っていること自体が奇跡だった。

 それでも彼女は、退かなかった。

 魔物が、大きく腕を振り上げた。


 アルクの体は、考えるより先に動いていた。前世から染みついた体だ。誰かが倒れそうなら、まず手を伸ばす。ランク外だとか、武器がないとか、そういうことを考える前に、足が出る。

 霧を裂いて走り、少女と魔物の間に、自分の体を割り込ませた。

「っ、誰だ――!」

 少女が叫んだ。アルクは振り返らず、前を向いたまま言った。

「灰爪亭の荷運びだ。……あなた、限界を超えてる。俺の後ろへ」

「馬鹿か! お前、武器も魔力も――」

「俺のことはいいから」

 魔物の六つの目が、アルクを捉えた。四本の腕のうち二本が、同時に振り下ろされた。

 アルクは動けなかった。かわす術がない。武器もない。魔力の使い方も、まだよくわからない。


 ――終わった、と思った。


 その瞬間。

 アルクの体の周りで、きらきらきら、と、いくつもの光の粒が散った。

 まるで、夜空の星が一斉に瞬いたような、小さな輝きの群れ。次の瞬間には消えていたが。

 魔物の腕が、見えない壁に弾かれた。

 鈍い音がした。岩のような皮膚を持つ魔物の腕が、跳ね返されたのだ。魔物自身が、驚いたように動きを止めた。


 少女が、息を呑んだ。

 (……今のは、何だ?)


 アルクも、息を呑んだ。

 今のうちだ、とアルクは思った。考えるのは後でいい。今できることをやる。

 アルクはゆっくりと振り返り、倒れた五人を見渡した。全員、出血が多い。このままでは助からない者も出る。

 手のひらに意識を向けた。あの、奥の温もり。

 「届け」と、思った。

 光が灯った。今まで感じたことのない、強い光が。路地の子供の傷を塞いだときとは、比べ物にならない。まだ制御できていない。溢れそうになるのを、必死に絞った。

 倒れたゴウダの胸に、そっと手を当てた。

 光が、じわりと広がった。

 ゴウダの顔色が、みるみる変わった。荒く乱れていた呼吸が、少しずつ整っていく。

「……これは」少女が、かすれた声で呟いた。「治癒魔法……? でも、こんなの、見たことない。治癒師の治癒とも、薬草の効果とも……」


「静かにしてて」

 アルクは額に汗を浮かべながら、次の人へ手を移した。魔法使い・僧侶・盗賊・格闘士・弓使い。一人ずつ。光が、一人ずつに届いていく。

 完治には程遠い。出血は止まった。命の危機は遠のいた。でも、それ以上は今の自分には無理だった。

 六人目に手を当て終えたとき、アルクはどっと疲れを感じて、片膝をついた。

 背後で、魔物が再び動き始めた。


三 アルクとヴィナ

「立てるか?」

 少女が、震えながらアルクの隣に並んだ。折れた剣を、それでも構えて。

「……あんたが来てくれたから、みんな助かった。だから今度は、あたしが時間を稼ぐ」

「無理だろ。腕が折れてる」

「うるさい」

 きっぱりと言った。その横顔に、アルクは何も言えなかった。


 魔物が、低く唸った。四本腕が、今度はゆっくりと持ち上がる。さっき弾かれたことで慎重になっているのか、じりじりと間合いを詰めてくる。

 アルクは立ち上がった。倒れた六人に手を当てたことで、今の自分の限界がわかった。あの光は、使えば使うほど消耗する。魔物を直接どうにかする力は、今の自分にはない。

 でも。

 アルクは少女の折れた左腕を見た。

「……少し、いいか」

「何を――」

 アルクは少女の左腕にそっと手を添えた。手のひらの奥の温もりに、もう一度意識を向ける。さっきよりずっと薄い。底をついてきている。

 それでも、絞り出した。

 光が、細く、しかし確かに灯った。

 少女が小さく声を上げた。折れていた腕の痛みが、すっと引いていく。完全には治っていない。でも、剣を握れるくらいには。

「……なんで、あんたは」少女が自分の腕を見つめながら言った。「ランク外の荷運びが、こんな……」

「俺にもよくわからない」

 アルクは正直に答えた。「でも、できることはする。俺が時間を稼ぐ。あなたは仲間を連れて下がれ」

「馬鹿言うな。さっきの弾いた力、もう使えないだろ。見ればわかる、限界だ」

 見抜かれていた。アルクは苦笑した。

「まあ、そうだけど」

「だったら――」少女が、折れた剣をきつく握り直した。「二人で、時間を稼ぐ。それだけでいい。仲間が動けるようになるまで」

 アルクは少女を見た。全身血まみれで、腕も完全には治っていなくて、折れた剣しか持っていなくて。それでも目が、揺れていなかった。

「……名前は?」

「ヴィナ。あんたは?」

「アルク」

「そうか」ヴィナは、魔物を睨んだまま小さく笑った。「よろしく、アルク」


 魔物が、跳んだ。

 その瞬間――アルクの体の周りで、また光の粒が散った。今度は先ほどよりも多く、強く。きらきらきらきら、と、無数の輝きが弾けた。

 魔物の突進が、再び弾かれた。

 ヴィナが息を呑む。アルクも目を見張る。

 (また……。これは、俺がやってるんじゃない)

 そうだ。アルク自身は何もしていない。なのに、何かが守っている。さっきも、今も。

 ヴィナが隙を逃さず、折れた剣で魔物の目のひとつを突いた。

 ぐちゅ、という、聞きたくない音がした。

 次の瞬間――魔物が、吼えた。

 ただの咆哮ではなかった。腹の底から絞り出すような、怒りと痛みと、そして――恐怖が混じった叫びだった。霧牙の森全体が震えるような、地を這う低い轟音。遠くで眠っていた鳥たちが、一斉に飛び立つ気配がした。


 魔物は、後ずさった。

 信じられない光景だった。家ほどの体躯を持つ漆黒の異形が、Aランク六人を打ち倒したあの怪物が――二歩、三歩と、後ろへ下がったのだ。

 六つの目のうち、ヴィナに突かれた一つが、黒い体液を滲ませている。残る五つの目が、アルクとヴィナを、そして倒れていたはずなのに起き上がりつつある六人を、素早く見渡した。

 計算していた。

 この怪物は、本能だけで動く魔物ではなかった。あの目は、状況を読んでいる。Aランク六人を再起不能にしたのに、なぜか動き始めている。見えない何かに二度も弾かれた。目を一つ潰された。

 そして――こちらを見るその目に、初めて、迷いの色があった。

 ヴィナが、折れた剣の切っ先を真っ直ぐに向けたまま、一歩踏み出した。血まみれで、腕も万全ではない。折れた剣しかない。でもその目が、揺れていなかった。

 アルクも、隣に並んだ。武器も魔力も、もう底をついている。それでも、前を向いた。


 その後ろで、ゴウダがよろめきながら立ち上がった。魔法使いが、震える手で杖を構えた。盗賊が、短剣を抜いた。弓使いが、折れていない方の腕で弓を引いた。格闘士が、膝をつきながらも拳を握った。

 六人と、ランク外の荷運りと、ひとりの剣士。

 ぼろぼろで、血まみれで、限界を超えた八人が、その怪物と向き合っていた。


 魔物の喉の奥で、低い唸り声がした。

 それが――だんだんと、遠ざかっていった。

 後退している。一歩、また一歩。六つの目がアルクたちを捉えたまま、それでも体は、霧の奥へと引いていく。

 やがて、漆黒の体が霧に溶け始めた。

 最後にもう一度、低く吼えた。森全体を震わせる、威嚇の声。まるで「これが終わりではない」と告げるような。

 そして、消えた。

 霧が、静かに、元通りになった。

 誰も、しばらく動けなかった。

 最初に口を開いたのは、ヴィナだった。

「……逃げた」

 信じられない、という声だった。

「あれが、逃げた」

 ゴウダが、力の抜けた声で言った。「Sランク相当の魔物が……俺たちから」

 誰かが、膝をついた。誰かが、笑い出した。疲労と安堵が入り混じった、ひきつったような笑いだった。

 アルクは、その場にへたり込んだ。全身から力が抜けていた。


 そのとき、背後でゴウダが、うめき声とともに身を起こした。

「俺は……」

「動けるか?」

「……なんとか。他のやつらも……起きてる。あの光は、何だ……?」

 ヴィナが、アルクを一瞥した。アルクは静かに首を振った。

「俺にも、よくわからない」

 それは本当のことだった。

 ただ。

 アルクの足元で、もう一度、きらり、と光が瞬いた。それだけだった。でもその光は、なぜか、生き物のような温かさがあった。


四 回復の守り手、目覚めの前夜

 その夜、アルクは霧牙の森の入口近くの草地で、背中を木に預けて座っていた。

 赤牙隊の六人は全員、なんとか自力で動けるまでになっていた。重傷者の移送は明朝ということになり、今夜はここで野営だ。

 ゴウダたちは焚火を囲んで休んでいる。ヴィナだけが、アルクの隣に座っていた。

「眠れないのか?」アルクは聞いた。

「あんたこそ」

「……疲れすぎると、逆に眠れない」

 ヴィナはしばらく黙っていた。焚火の音だけが聞こえる。

「さっきの光」ヴィナが、静かに言った。「治癒も、あの防御も。あれ、あんたがやってたわけじゃないだろ」

 アルクは少し驚いた。「……なんでそう思う」

「治癒のときは、あんたの顔に集中してる表情があった。でも防御のときは、あんた自身も驚いてた。あの目は、演技じゃない」

 鋭い、とアルクは思った。

「……正直に言うと、俺にもわからない。十三年、ずっとそういうことがある。気づいたら助かってた、みたいなことが」

「鑑定不能だったんだろ」

「ああ」

「台座が壊れるほどの魔力があって、謎の防御があって、あの治癒ができて」ヴィナは横目でアルクを見た。「無能じゃないだろ、どう見ても」

「でも、制御できないんだ」アルクは手のひらを見た。「さっきの治癒も、うまくいったのか失敗したのかもよくわからない。あの光も、俺が出したのかどうか」

 ヴィナは少し考えてから言った。

「なあ、アルク。あんた、今、何か感じるか。手のひらとか、体のどこかとか」

 アルクは目を閉じた。

 ある。いつも、ある。手のひらの奥の、小さな温もり。今夜はそれが、いつもより少し……違う気がした。

 温もりが、揺れている。

 まるで、眠っていた何かが、寝返りを打つような。

「……なんか、いる気がする」アルクは言った。「ずっとそばにいる、何かが。でも見えない。触れない」

 ヴィナは黙って聞いていた。

「バカみたいだろ」

「バカじゃない」ヴィナはきっぱりと言った。「あたしはさっき、それを見た。光の粒が、あんたの周りを飛んでたのを」

 アルクは目を開けた。

「……見えたのか」

「一瞬だけ。きらきらって。まるで、小さな何かが動いてるみたいだった」

 二人は焚火を見つめながら、しばらく黙った。

 そのとき。

 アルクの手のひらの上に、ほんの一瞬、光の粒がひとつ、降りてきた。

 ふわり、と。

 温かかった。

 アルクは息を止めた。その光は、すぐに消えた。でも確かに、あった。

 (……お前が、さっきの?)

 返事はなかった。でも手のひらが、じんわりと温かいままだった。

 ヴィナが、それを見ていた。

「今、何か来たな」

「……ああ」

「かわいかった」

 アルクは少し笑った。「見えたのか」

「一瞬だけ。光の粒みたいなの。でも、なんか……生きてる感じがした」

 生きてる。アルクはその言葉を、心の中で繰り返した。


 翌朝、赤牙隊の六人とヴィナは全員でヴォルタへ帰還した。

 ギルドが騒然となった。全滅したと思われていた精鋭たちが揃って帰ってきた上に、行方不明だった旅の剣士まで一緒だったからだ。

 ゴウダはギルドマスターに事の顛末を話した。タークは口を開けたまま固まった。Dランクの冒険者たちがざわめいた。

 その中で、アルクだけが、いつも通り荷物袋を肩に掛けようとしていた。

「アルク」

 ゴウダの声に、アルクは振り返った。

 Aランクの剣士が、真剣な顔で立っていた。

「お前が来なければ、俺たちは全員死んでいた。礼を言う」

「たまたまです」

「たまたまじゃない」ゴウダは首を振った。「お前は何者だ?」

 アルクは少し考えた。


「荷運びです。ランク外の」


 ゴウダは、しばらくアルクの顔を見ていた。それから、深く息をついた。

「……そうか。だが、俺はお前のことを、絶対に忘れない」

 アルクはそれ以上何も言わず、荷物を担いで出ていこうとした。

 そのとき。

 アルクの肩の辺りで、きらり、と光が瞬いた。

 それを見ていたネッサが、帳簿を落とした。

 ヴィナが、静かに微笑んだ。


 その夜、アルクがひとりで眠りについたとき。

 手のひらの奥で、温もりが、ふわりと揺れた。

 今までとは違う揺れ方で。

 まるで、何かが、目を覚まそうとしているような…

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