第四十一話 王都への招待と、黒牙の将
一 イリアの頼み
霧の回廊から出た翌朝、イリアが出発の準備をしていた。
「王都に戻らなければなりません」イリアは言った。「父が回復しているとはいえ、まだ安定していない。それと——今日わかったことを、王都に報告しなければ」
「気をつけて」アルクは言った。
「あなたたちこそ」イリアは言った。「帝国は、装置を一つ壊されたことを知れば、より大きな手を打ってくる。——油断しないで」
「わかっています」
イリアが馬車に乗る直前、アルクを呼び止めた。
「一つ、お願いがあります」イリアは言った。
「父に会いに来ていただけませんか?」
「父王に?」
「はい」イリアは言った。
「父があなたに伝えたいことを、父から直接聞いてほしいのです」イリアは言った。
「王家にしか伝わっていない話が、あるようで。私も、まだ全部は聞いていません」
アルクは仲間たちを見た。
「王都に向かっていいか」
「もちろんだ」ガドルが言った。「方向的にも、悪くない」
「帝国の動きを把握するためにも、王都の情報は重要です」カインが言った。「父も、王都に伝手があります」
「わかった」アルクはイリアを見た。「王都へ向かいます。少し時間がかかりますが」
「待っています」イリアは言った。「父も、楽しみにしているはずです」
馬車が動き始めた。
「ネッサ、王都への費用は?」アルクは言った。
ネッサが素早く財布を確認した。
「大丈夫です! 霧の回廊の報酬と、ドルフさんのお礼も含めて、十分あります!」
「会計、完璧だな」ガドルが言った。
「任せてください!!」ネッサが胸を張った。
二 王都への道中で
王都クロシアへの道は、四日ほどかかる。
一日目の夕方、街道沿いの村に差しかかったとき、異変があった。
村が、静かすぎた。
「人の気配がない」ヴィナが言った。剣に手をかけた。
「逃げた?」ネッサが言った。
「何かから」カインが言った。「最近の村の出来事を調べましょう」
村の外れに、一人の老人が残っていた。足が不自由で逃げられなかったらしい。
「魔物が出た」老人は言った。「昨日から。北の山から降りてきて、村人を追い回している。まだ、誰かを食ったわけじゃないが——いつそうなるかわからないから、みんな逃げた」
「どんな魔物だ」ヴィナが言った。
「でかい。黒い。狼みたいだが——狼じゃない。足が六本あって、目が赤くて、頭に角がある」老人は震えた。「一体じゃない。五体いる。群れで動いていて——なんか、賢そうだった。囲んで追い詰めるような動き方をしていたから」
リィナが眉をひそめた。「黒い、六本足の狼型、角あり、群れで知性的に動く——《黒牙の将》だ」
「知ってるのか?」アルクは言った。
「文献で読んだことがあります」リィナは言った。
「Aランク上位の魔物です。普通の黒牙狼の上位種で、群れを指揮する将の個体。一体だけなら強敵、群れで動けばAランクパーティでも苦戦する。——それが、五体」
「操られているのか?」ヴィナが言った。
「わかりません。でも——この時期にこの場所に出るのは、自然ではない」
「行こう」アルクは言った。
三 黒牙の将との遭遇
村の北に向かうと、すぐに見つかった。
黒い体躯の、巨大な狼が五体。普通の狼の三倍はある。六本の脚がそれぞれ独立して動き、異様に安定した姿勢で移動している。頭に一本の黒い角。赤く光る目が、六つ。
五体が、すでにアルクたちを囲む動きを取り始めていた。
「賢い」ヴィナが言った。「最初から包囲しようとしている」
「散らばらるな」アルクは言った。「固まって、バルガを中心に動く」
バルガが大盾を構えた。アルクが付与をかけた。
「揺るがず、堅く」——バルガが中心となって、全員が背中を守り合う形を取る。
黒牙の将が、低く唸った。
その唸り声が——ただの唸り声ではなかった。
「っ」
ネッサが胸を押さえた。「なんか、心臓が重い」
「魔物の唸りに、魔力が込められている」リィナが言った。「威圧の魔法だ。精神を直接圧迫する」
「ルミ!」アルクは言った。「回復の光を、全員に」
「わかった」ルミが全員に光を纏わせた。心臓の重さが、和らいだ。
「——それでいい」アルクは言った。「バルガ、試してくれるか。《鉄壁の号令》を」
「ああ」バルガは言った。
「でも——昨日の話を聞いていて、音だけでは不十分だと思っていた。もう一つ、加えたい」
「何を」
「あの黒牙の将の唸りが、俺たちの心臓を揺らした」バルガは言った。「俺の盾の音も——あれと同じように、魂を揺らすことができないか」
「魂を揺らす?」
「あの唸りは、音ではなく——何か、もっと根源的なものに作用していた」バルガは言った。「俺の盾にも、それができるなら——音を無視する相手にも、効くはずだ」
「ルミ」アルクは言った。「盾に、回復の光と——もう一つ。何か、魂に届くものを」
ルミが少し考えた。
「……試してみる。回復の光は、生命力に作用する。それを——威圧の方向に変えるのではなく、存在の圧力として放てば」ルミは言った。「あたしの力は、癒す力。でも——存在の重さ、というものがある。それを、盾を通して放てるかもしれない」
「やってみてくれ」
ルミが、バルガの大盾に光を送った。今までとは違う光だった。白いが——深い。まるで、光の中に何か重いものが宿っているような。
「感じる」バルガは言った。「盾が、重くなった気がする。でも、持てないほどじゃない」
「行くぞ」
バルガが、大盾を前に構えて、叩いた。
四 魂に響く一撃
ゴォォォン——!!
今回の音は、霧の回廊のときとは違った。
音の中に、何かが混じっていた。
リィナが後で言った言葉を借りれば——「音というより、存在の圧力」だった。空気を震わせるだけでなく、聞いた者の体の奥——心臓より深いところを、直接揺らすような何かだった。
五体の黒牙の将が、同時に足を止めた。
包囲の動きが、乱れた。
一体が、たじろいだ。二体が、互いを見た。三体目が、唸り声を上げようとして——上げられなかった。バルガの盾の圧力に、押し負けたように。
「これだ!!」ガドルが叫んだ。
「後ろから行く!!」ヴィナが動いた。
バルガが引きつけている間に、ヴィナとガドルが側面と後方から動いた。
「アルク!」ヴィナが叫んだ。
「かけてる!!」
アルクがヴィナとガドルに付与をかけた。アルファの力が乗る。
ヴィナが《閃光斬》を放った。一体の首を狙った一撃。光の軌跡が走り、黒牙の将の一体が倒れた。
ガドルが《豪風斬》の準備を始めた。バルガが盾の圧力で動きを止めている間に、回転を上げる。
「ガドル! 今だ!!」バルガが叫んだ。
「《豪風斬》!!」
ガドルの斧が解放された。引きつけていた三体が、同時に吹き飛んだ。
「……目が回った」ガドルが言った。
「慣れてきたんじゃなかったのですか!!」ネッサが言った。
「段々慣れてきてるんだ!! 今は七割回ってる!!」
「段階的に回ってる!!」
残り一体。その一体が——ヴィナではなく、アルクに向かってきた。
アルクは、一瞬だけ考えた。
ルミの防御光。防御の守り手。どちらかに任せることもできる。でも——今日は、自分で試す。
アルクは、短剣を抜いた。アルファの力を、刃に込めた。《賦与撃》の構え。
さらに——防御の守り手への意識。「俺も守る。一緒に」と思った。
薄い銀の光が、アルクの体を包んだ。
黒牙の将が跳んだ。牙が、アルクに向かった。
アルクが踏み込んだ。防御の光が衝撃を受け止め、同時に《賦与撃》を放った。
付与のエネルギーが、黒牙の将の胸に叩き込まれた。
黒牙の将が、吹き飛んだ。
「…………」
全員が、アルクを見た。
「……やった」ヴィナが言った。「お前が、前に出て倒した」
「初めてだ」アルクは言った。少し、手が震えていた。
「大丈夫か?」ヴィナが歩み寄ってきた。
「大丈夫。ただ——緊張した」
「当たり前だ」ヴィナは言った。でも、口の端が少し上がっていた。「よくやった」
「……ありがとう」
『——アルク!! かっこよかったで!!』アルファが叫んだ。
「ありがとう、アルファ」
『うちの力、ちゃんと使えたな!! 嬉しい!!』
ルミが、アルクの肩に降りた。「……防御の守り手も、応えてくれた」ルミは小さく言った。「あの子、また少しだけ、強く動いた」
「そうか」アルクは言った。「……ありがとう、あの子にも」
「ああ」
「……なら、あたしたちはもう、十分強い」
「そうかもしれない」アルクは言った。
「でも」ヴィナは続けた。「まだ足りない、とも思う。帝国を相手にするなら」
「もっと強くなる。みんなで」アルクは言った。
「ああ」ヴィナは言った。「一緒に、なろう」
ルミが、アルクの肩でぱたぱたと翼を揺らした。
四番目の守り手の気配が、かすかに、温かく脈打った。まるで、同意しているように。




