第三十六話 第四の気配と、新たな旅立ち
一 朝のルーエと、静かな予感
ルーエでの滞在が、一週間を超えた。
その朝、アルクは目を覚ましたとき、いつもと違う感覚があった。
体の奥に意識を向ける。ルミの温もり。アルファの熱さ。防御の守り手の静かな脈動。
そして——もう一つ。
今まで気づかなかった、かすかな気配。ルミよりもっと遠く、アルファよりも深いところに。まるで、深い海の底で何かがゆっくりと動いているような。
「ルミ」アルクは言った。「今朝、何か変わったか」
ルミが、枕元で目を開けた。小鳥の姿で、アルクを見た。
「……気づいた?」ルミは言った。
「何かいる。もう一人」
「うん」ルミは言った。「昨日の特訓のあと——少し、動いた気がしてた。でも、まだはっきりしない。今はただ、ゆっくりと、目覚めようとしている」
「防御の守り手ではないか」
「違う」ルミははっきりと言った。「あの子は、ずっとそこにいる。今動いたのは——四番目の子だと思う」
「四番目」
「うん」ルミは翼をぱたぱたさせた。「あたしが一人目。アルファが二人目。防御の子が三人目。——四番目の子が、少しだけ、目を覚まそうとしてる」
アルクは、手のひらを見た。
「どんな子だ」
「まだわからない」ルミは言った。「でも——何かを作る、または作り出す力を持っている気がする。あたしの回復、アルファの付与、あの子の防御。それとは、また違う種類の力」
「作り出す力……」アルクは呟いた。
「もう少し時間がかかる」ルミは言った。「焦らないで。その子も、ちゃんと来るから」
二 リィナの研究と、アルクへの質問
朝食の後、リィナがアルクを呼んだ。
「アルクさん、少し時間をもらえますか」リィナは手帳を持っていた。
「なんだ」
「昨日の特訓を観察していて、気になったことがあります」リィナは言った。「あなたの《賦与撃》——短剣に付与のエネルギーを込めて放出する技ですが」
「ああ」
「あれは、短剣じゃなくても使えると思います」リィナは言った。「エネルギーを込める対象が、短剣である必要はない。たとえば——拳でも。あるいは、空中に向かって放出することも、理論的には可能です」
「空中に向かって?」
「付与のエネルギーを、直接解放する」リィナは言った。「武器を通さずに。そうすれば、射程が変わります。遠距離から、付与のエネルギーを叩きつけることができる」
「試したことはない」アルクは言った。
「やってみましょう」リィナは言った。「私がデータを取ります」
アルクは頷いた。
広場に出て、アルクはアルファの力を借りた。付与のエネルギーを、短剣に込めるのではなく——手のひらから、直接解放する。
「……やってみる」
アルクが、掌を前に向けた。アルファの力を、一気に外へ解放した。
橙色の光が、アルクの掌から弾けた。
目の前の石が、吹き飛んだ。
「……おお」アルクは、自分の手を見た。
「できました!」リィナが手帳に書き込んだ。「射程は、短剣より長い。威力は——まだ低いですが、練習すれば上がるはずです。これは新しい技です」
『——うちのエネルギーを、そのまま解放したんやな!!』アルファが言った。『アルクが、砲台みたいになった!!』
「砲台という表現はどうかと思うが」アルクは言った。
『かっこええやろ!!』
「名前を決めよう」アルクは言った。「掌から付与のエネルギーを放つ——《賦与放》」
「《賦与撃》の遠距離版ですね」リィナが言った。「これで、アルクさんの攻撃の選択肢が増えました。近距離は《賦与撃》、遠距離は《賦与放》。それと、防御の守り手と連動した受け技」
「三種類か」アルクは言った。
「まだ増えると思います」リィナは言った。「あなたの力は、組み合わせ次第で無限に広がる。——それが、賦活師の本質です」
三 ネッサとヴィナのわちゃわちゃ稽古
昼過ぎ、ヴィナがネッサの短剣稽古をつけていた。
ネッサは、随分と動けるようになってきた。構えも、踏み込みも、基本は形になっている。
「今日は、実際に攻撃を受ける練習をする」ヴィナは言った。
「受ける!?」ネッサが言った。「ヴィナさんの攻撃を!?」
「木剣だ。心配するな」
「それでも! ヴィナさんの攻撃ですよ!? めちゃくちゃ速いじゃないですか!」
「だから、練習になる」ヴィナは言った。「本物の戦いで、Cランクの魔物の爪を避けるのと、あたしの木剣を避けるのは、難易度が違う。あたしの方が速い」
「それはそうかもしれないけど!」
「怖いか」
「怖いです!!」ネッサは正直に言った。「でも、やります!!」
「正直でいい」ヴィナは言った。「では、始めるぞ」
ヴィナが、ゆっくりと木剣を振った。
ネッサが、短剣で受けた。——手がしびれた。
「いてっ!」
「ちゃんと受けれた。手がしびれるのは、まだ腕の角度が悪いからだ。こう変える」ヴィナがネッサの腕の角度を直した。
「こうですか」
「そうだ」ヴィナが再び打ってきた。今度は、ネッサが上手く受けた。手がしびれなかった。
「あ! 今のはいけた!!」
「うまくなった」ヴィナは言った。
「ヴィナさんに褒めてもらった!!」ネッサが喜んだ。
「調子に乗るな。次、もう少し速くする」
「え、まだ速くするんですか!」
「まだまだだ」
ヴィナが速度を上げた。ネッサが必死に受ける。受けきれずに、ふらついた。
「あー! ぜんぜん駄目だ!!」
「最初からできる奴はいない」ヴィナは言った。「何度もやる」
ネッサが、何度も木剣を受けた。転んだり、ふらついたりしながら。
一時間後、ネッサは地面に座って息を切らしていた。
「……ヴィナさんって、鬼ですか」ネッサが言った。
「鬼じゃない」ヴィナは言った。「本番では、鬼より怖い魔物が来る。
「うう……」ネッサは額の汗を拭いた。「でも——なんか、楽しいのはなぜですか」
「鍛錬は、楽しいものだ」ヴィナは言った。「できなかったことができるようになる。それが、楽しい」
「ヴィナさんって、剣士でよかったですよね」ネッサは言った。「もし事務員だったら、怖すぎる上司になってますよ」
「……そうか」ヴィナは少し考えた。「それは、ご免だな」
「なんで笑うんですか!!」
「笑ってない」ヴィナは口の端を戻した。「行くぞ、もう一回」
「ええー!!!」
四 夜、セラン王との最後の会議
夜、セラン王に呼ばれた。
「明日、あなたたちは旅を続けるのだろう」セランは言った。
「はい」アルクは言った。「帝国の動きを、もっと詳しく知る必要があります。ルーエだけを守っていては、問題の根本が解決しない」
「わかった」セランは頷いた。「ルーエはいつでも、あなたたちの帰る場所だ。この国の門は、いつでも開いている」
「ありがとうございます」
「一つだけ」セランは言った。「頼みがある」
「なんでしょう」
「世界を救う必要はない」セランは静かに言った。「ただ——生き残ってくれ。あなたたちが生きていることが、この世界にとって大切だと、私は思っている」
アルクは、その言葉を、しばらく受け取っていた。
「……努力します」アルクは言った。
「それで十分だ」セランは微笑んだ。
宿に戻る道、ヴィナが隣を歩いた。
「セラン王は、いい人だな」ヴィナは言った。
「ああ」
「ルーエを守りたいと思う。本当に」
「俺も」アルクは言った。「この国は——戦わずに穏やかに生きている。それを、奪わせたくない」
ヴィナは少し間を置いた。「……アルク、一つ聞いていいか」
「なんだ」
「お前は——最後の守り手が目覚めたとき、どうなると思ってるか」
アルクは、しばらく黙った。「わからない」アルクは言った。「でも——怖くはない」
「なぜ」
「みんながいるから」アルクは言った。「ルミも、アルファも、まだ眠っている子も。お前たちも。——一人じゃないから、怖くない」
ヴィナは、前を向いたまま言った。「……あたしも、そばにいる」
「ああ」アルクは言った。「知ってる」
ルミが、アルクの肩でぱたぱたと翼を揺らした。
五 出発の朝と、ルミの報告
翌朝、全員が荷物をまとめた。
「次の目的地はどこです?」ネッサが言った。
「父が、一つ情報を持っている」カインが言った。「帝国が、大陸の西と北の間にある《霧の回廊》と呼ばれる地域に、大規模な魔物の集積地を作っているらしい。そこが、魔物を操る力の発信源かもしれない」
「そこへ向かうのか」ガドルが言った。
「まだ決めていない」アルクは言った。「でも、情報を集めながら、動く」
全員が、ルーエの門に向かった。
セラン王が、見送りに来てくれた。
「またいつか」セランは言った。「この国で、ゆっくりしてくれ。歓迎する」
「必ず」アルクは言った。
門を出た。ルーエの平原が、広がっている。朝の光が、黄色い花を照らしていた。
しばらく歩いたとき、ルミがアルクの肩でぱたぱたと翼を揺らした。
「アルク」ルミは言った。
「なに」
「さっきから、感じてた」ルミは言った。「四番目の子——少し、はっきりしてきた」
「どんな子だ」
「……まだはっきりわからない」ルミは言った。「でも——何かを作る、生み出す力を持ってる気がする。そして」
「そして?」
「あたしやアルファと、また違う性格だと思う」ルミは言った。「落ち着いてて、こだわりが強い感じ。——でも、温かい。
「どんな姿になるんだろうな」アルクは言った。
「わからない」ルミは言った。「でも——きっと、かわいい」
『先輩、全員かわいいって言いすぎや!!』アルファが言った。
「事実だから」ルミは言った。
『うちも?』
「……うん」ルミは少し間を置いた。「あなたも」
『先輩が褒めた!!』アルファが喜んだ。
「一回だけ言った」
『十分や!!』
全員が、前を向いて歩いた。
新しい旅が、始まった。




