第二十三話 ネッサの答え
一 迷いの朝
朝のギルドは、いつも通り忙しかった。
依頼の受付、帳簿の整理、冒険者への連絡、薬草の在庫確認。ネッサは今日も休む暇なく動き回っていた。
でも、ふとした瞬間に——手が止まることがあった。
西の地、ルーエ。アルクたちが向かうかもしれない場所。昨夜の会議で出た話が、頭から離れない。
(あたしも、行きたい)
でも。
ネッサは帳簿に目を落とした。ギルドの仕事がある。タークが一人になる。依頼の管理が滞れば、冒険者たちが困る。
(あたしがいなくなったら、ここは——)
「ネッサ」
タークの声がした。振り返ると、タークがカウンターに肘をついて、こちらを見ていた。いつもの仏頂面だ。
「なんですか、タークさん」
「帳簿を閉じろ」
「え? でも今日の分が——」
「閉じろ」
ネッサは言われた通りに帳簿を閉じた。タークが椅子を引いて「座れ」と言った。
ネッサが座ると、タークはしばらく黙ってネッサを見た。
「何かを迷ってる顔をしてる」タークは言った。
「迷って……ないです」
「嘘をつくな。お前は考え事があるとき、帳簿の同じ行を三回書く癖がある」
「えっ」ネッサは帳簿を開いた。同じ行が、確かに三回書いてあった。「……気づいてたんですか」
「ずっとな」タークは言った。「アルクたちと行きたいんだろ」
ネッサは黙った。
「……行きたい、です」ネッサはゆっくり言った。「でも、ギルドが——タークさんが——」
「俺の心配か」タークは鼻を鳴らした。「お前がいなくなって困るのは確かだ。でも」
「でも?」
「ギルドのために、お前の人生を縛る権限は俺にはない」
ネッサは、しばらく黙っていた。
「……タークさん」
「なんだ」
「それって——行っていい、ってことですか」
「そうは言ってない」タークは言った。「ただ、聞いてるだけだ。お前が本当に行きたいのか、それとも後ろ髪を引かれてるのか。どっちだ」
ネッサは手を膝の上で重ねた。コレンのことを思った。アルクのことを。ヴィナのことを。あの夜、森まで走って行ったときの気持ち。怖かったけど——行くしかなかった、という確信。
「……行きたいです」ネッサははっきりと言った。「後ろ髪は、引かれてます。でも——行きたいです」
「そうか」タークは立ち上がった。それだけ言って、帳簿を取り上げた。
「タークさん?」
「お前がいない間の仕事は、俺がやる。ギルドマスターにも話を通す」タークは背を向けた。「以上だ」
「え——え!? それって——」
「うるさい、仕事しろ」
「でも——」
「今日中にやるべきことを全部終わらせておけ。明日からしばらくいないなら、引継ぎが要る」タークは奥に引っ込もうとして、立ち止まった。「……あと」
「はい?」
「死ぬな」
タークは、それだけ言って奥に消えた。
ネッサはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
それから——目が、じわっと熱くなった。
二 ギルドマスターの言葉
その日の昼、ギルドマスターのドーグがネッサを呼んだ。
ドーグは六十がらみの大柄な男だ。現役時代はSランクに迫る実力だったと言われるが、今は温和な顔で椅子に座っている。白髪が増えたが、目だけはいつも鋭い。
「座れ、ネッサ」
ネッサが座ると、ドーグはしばらく彼女を見た。
「タークから聞いた。旅に出たいんだそうだな」
「はい」
「アルクたちと一緒に」
「はい」
「あいつは——」ドーグは少し間を置いた。「アルクのことは、ずっと見ていた。十三年。誰にも認められずに、荷運びをしていた」
「……はい」
「ある日、Sランク相当の魔物を前にして、一人で森に入った。誰も頼んでいないのに。報酬もないのに」ドーグは窓の外を見た。「あれは——荷運りの行動じゃない。本物の冒険者の行動だ」
「そうだと、あたしも思います」
「お前は、あいつを信じているか」
「信じています」ネッサははっきりと言った。「アルクさんは——どんな状況でも、正しい方に向かう人だと思います。あたしには、その力はまだないけど——一緒にいることができるなら、できることをしたいです」
ドーグはネッサをしばらく見た。それから、大きく一度頷いた。
「わかった」ドーグは言った。「ギルドからの正式な許可を出す。ネッサ、お前はこれから冒険者として登録する」
「えっ」
「召喚師としての鑑定結果は出ているんだろ」
「は、はい。でも、あたしはギルドの事務員で——」
「事務員が旅に出るのはおかしい。でも冒険者が旅に出るのは当然だ」ドーグは立ち上がった。「明日の朝、登録証を出す。お前のランクは——Dランクから始めろ。腕が上がれば上がる」
「ドーグさん……」
「タークには、お前の席は取っておくよう言ってある」ドーグは言った。「旅が終わったら、いつでも戻ってこい。ここはお前の場所だ」
ネッサの目から、涙がこぼれた。
「ありがとう、ございます」
「礼はいらない」ドーグは言った。「——ただ、一つだけ言っておく」
「はい」
「アルクのことを、ちゃんと見ていてやれ。あいつは——自分のことを後回しにしすぎる。そういう人間には、隣に誰かが必要だ」
ネッサは頷いた。涙をぬぐって、もう一度頷いた。
「——はい。ちゃんと見てます」
三 夕方の報告
夕方、ネッサが食堂にやってきた。
アルクたち全員が揃っていた。ネッサは少し赤い目をしていたが、表情は明るかった。
「報告があります!」ネッサははっきりと言った。「あたし、正式に冒険者登録しました。Dランクですけど」
全員が、少し間を置いた。
「……本当か」アルクが言った。
「本当です! ドーグさんに登録証を出してもらいました!」
「ギルドはどうする」ヴィナが言った。
「タークさんとドーグさんが、許可してくれました」ネッサは少し声が揺れた。「タークさんが——『死ぬな』って言って、奥に行っちゃって」
「それがタークさんなりの、か」アルクが言った。
「そうだと思います」ネッサは笑った。「だから——あたし、行きます。一緒に、行かせてください」
誰も、すぐには何も言わなかった。
ヴィナが、静かに立ち上がった。そしてネッサの前に来て——手を差し出した。
「よろしく」
ネッサが目を丸くした。ヴィナが握手を求めている。
「……え、ヴィナさん?」
「正式な仲間になるなら、きちんとする」ヴィナは言った。「よろしく、ネッサ」
ネッサはその手を、両手で握った。
「よろしくお願いします……!!」
ガドルが笑った。「おめでとう、ネッサ」
「ありがとうございます!!」
「心強いです」カインが静かに言った。
「ありがとうございます、カインさん!!」
「リィナも」リィナが言った。「……これで、データが増える」
「そっちですか!!」
ルミが、ネッサの肩にひらりと降りた。光の粒の状態から、ふわりと小鳥の姿になった。
「ネッサ、よかった」ルミは言った。
「ルミ〜!!」ネッサがルミを見た。「ありがとう〜!!」
「あたしは何もしてない」
「でも、ありがとう!!」
ルミがぱたぱたと翼を揺らした。照れているらしい。
アルクは全員を見渡した。
「じゃあ——西へ行く準備を始めよう」




