第十九話 嵐の前夜
一 積み重なる日々
イリアが去ってから、十日が経った。
その間、アルクたちは毎日動いた。
朝はヴィナがネッサに短剣の稽古をつけた。最初は構え方すら危なっかしかったネッサが、十日でそれなりに形になってきた。ヴィナは口数少なく、でも丁寧に教えた。
「もっと腰を落として」
「こうですか!」
「違う。こう」ヴィナがネッサの腰を手で直した。
「わわっ! ヴィナさんの手、冷たいです!」
「剣を持て。集中しろ」
「は、はい! でも本当に冷たい!」
「……鍛錬中に余計なことを言うな」
「ヴィナさんって手が冷たいのに、なんか安心する温度ですよね!」
「なんだそれは」
「なんか、守られてる感じ!」
ヴィナは少し黙った。「……構えろ」
「はい!」
コレンが、二人のやりとりを眺めながら揺れていた。
夜はアルクが付与の稽古をした。ヴィナが相手を務め、ガドルが「俺にもかけてくれ」と参加するようになり、リィナが「データを取る」と言って記録し始めた。
「今日は何秒続いたかな」リィナが手帳を開いた。
「測っていたのか」
「もちろん。初日から。傾向が見えてきましたよ」
「どんな傾向だ」
「人に対してかけると効率がいい。物より人の方が、少ない集中で大きな効果が出ている。それと——複数人に同時にかけると、消耗が思ったより少ない」
「複数同時の方が効率がいいのか」
「おそらく。賦活師の付与は、一人に集中するより広く届ける方が本来の使い方なのかもしれません」リィナは手帳を閉じた。「理論的な話をすると、あなたの力は——与えれば与えるほど、効率が上がる構造なのかもしれない」
アルクはその言葉を、しばらく考えた。
与えれば与えるほど、効率が上がる。
それは、前世の自分のやり方と同じだった。一人の患者だけではなく、多くの患者に手を伸ばすことで、結果的に全員が良くなっていく。医師としての自分の在り方が、そのまま魔法の構造になっている。
「……なるほどな」
「わかりましたか、何か」リィナが少し目を輝かせた。
「前世の自分のやり方と、同じだということがわかった」
「前世……ああ、転生してきた、という話ですね」リィナはふむ、と言った。「賦活師は転生者なんですか」
「俺がそうなだけかもしれない」
「でも、それがあなたの力の根拠なら——あなたの前世の経験が、魔法の精度を上げているということになりますね」
アルクはルミを見た。ルミが、ふわりと揺れた。「そうだよ」と言っているような揺れ方だった。
二 カインからの報告
十日目の夜。
全員が食堂に集まっていたとき、カインが青い顔で飛び込んできた。
「父から、連絡が来ました」カインは息を切らしていた。「王都の魔法研究院が——一部、襲われた」
全員が静まった。
「けが人は」ガドルが聞いた。
「軽傷者が数人。幸い死者は出ていない。でも——研究院の中の古い文献室が、ターゲットにされた。賦活師関連の記録が保管されていた場所だ」
「記録が盗まれたのか」ヴィナが言った。
「壊されました。残っていた文献が、すべて」
重い沈黙が落ちた。
「……父は無事です」カインは続けた。「でも、身を隠すと言っていました。これ以上は危険だと判断したようです」
「盟主の動きが、速くなっている」アルクは言った。
「はい。そして——」カインは手帳を開いた。「父が最後に送ってきた情報があります。盟主の組織について、一つだけわかったことが」
「なんだ」
「彼らは、賦活師を恐れているのではなく——賦活師の守り手を恐れている、という記録が、壊される前に父が読んでいた。守り手が全て覚醒したとき、それが何かと対抗できる唯一の力になるらしいと」
アルクはルミを見た。ルミが、いつもより強く光っていた。
「……守り手が覚醒すると、どうなる」アルクは言った。
「記録には、それ以上は書かれていなかったそうです」カインは申し訳なさそうに言った。「でも——盟主が最も恐れていることは、確かなようです」
三 霧牙の森の異変
その夜遅く、ゴウダが青い顔でギルドに来た。
「アルク、外に来てくれ」
出てみると、霧牙の森の方角が、かすかに光っていた。青白い光が、霧の中から漏れている。
「あの光は何だ」
「わからない。でも一時間前から続いている。魔力の反応が、今まで見たことのない規模で出ている」
アルクはルミを見た。
ルミが——今まで見たことのない光り方をした。
強く。熱く。白い光が、まるで警告のように輝いた。それは「危険」ではなく——もっと複雑な光り方だった。「来る」と言っているような。「始まる」と言っているような。
「……来るぞ」アルクは言った。
「何が」ゴウダが聞いた。
「わからない。でも、大きいものが」
ルミが、かすかな声で言った。
「……アルク」
「聞こえてる」
「……みんな、そばに」
「呼ぶ」
アルクは中に戻った。全員を起こした。「今夜は眠れない。準備してくれ」
誰も理由を聞かなかった。全員が、静かに動き始めた。




