第十六話 王女イリア
一 来訪
翌朝、ヴォルタの街が少しだけ活気づいていた。
王家の紋章を持つ騎士団が街道を進んでくる。住民が道の端に立って眺めている。子どもたちが背伸びをしている。
アルクはギルドの前でゴウダと並んで立っていた。
「緊張するか」ゴウダが言った。
「どうだろう。王族に会うのは初めてだが」
「俺も初めてだ」ゴウダは苦笑した。「Aランクになってもこういう機会はなかなかない」
騎士団の中央に、一台の馬車があった。質素な造りだが、紋章が入っている。馬車が止まり、扉が開いた。
出てきたのは——思ったより若い女性だった。
年は二十前後か。栗色の髪を後ろでまとめ、旅装束を着ている。飾り気が少なく、むしろ動きやすさを優先したような格好だ。目が鋭く、でも唇はどこか穏やかに結ばれている。
王女イリア・クロシア。
彼女はギルドの建物を見て、次にゴウダを見て、そしてアルクを見た。
「あなたが、霧牙の森で赤牙隊を救った方ですか」イリアは言った。問いかけの形だが、すでに確信しているような声だった。
「仲間と一緒に、ですが」
「ゴウダから報告を受けました」イリアは少し目を細めた。「鑑定不能の、雑用係」
「そうです」
「底辺で無能のロクデナシ」
「それはいいすぎです」
イリアはしばらくアルクを見ていた。品定めするような目ではない。もっと、別の何かを探しているような目だった。
「……中で話しましょう」イリアは言った。「いろいろと聞きたいことがあるの」
二 イリアの話
灰爪亭の一室。騎士が扉の外に立ち、中にはイリアとアルク、ゴウダの三人だった。
「単刀直入に聞きます」イリアは机の向こうに座って言った。「魔物の広域出没について、何か知っていることがあれば教えてください。ギルドの報告書だけでは、わからないことが多い」
「俺が知っていることは少ないが」アルクは言った。「一つだけ確かなことがある。これは自然な現象じゃない。魔物を操っている者がいる」
イリアの目が、鋭くなった。「証拠は」
「霧牙の森で、魔力を抜き取られていた人物を救出した。その人物の話では、フードを被った複数の人間が動いていた。彼らは『盟主』という言葉を使っていた」
「盟主」イリアは低く繰り返した。「……その言葉を、他でも聞いています」
「他でも?」
「王都の魔法研究院から情報が来ました。古い記録に『盟主』を名乗る組織の痕跡があると。二百年前の記録です」
ゴウダが眉をひそめた。「二百年前?」
「詳細はまだわかりません」イリアは言った。「でも——」彼女はアルクを見た。「あなたの力は、回復系のものですか」
「そう言われれば、そうかもしれません」
「治癒師とは違う?」
「おそらく」
イリアはしばらく考えた。それから言った。「一つお願いがあります。無理強いはしない。でも——聞いてもらえますか」
「はい」
「私の護衛騎士の一人が、昨日の移動中に魔物に襲われて怪我をしました。治癒師は同行していますが、回復が遅い。あなたの力を——試させてもらえませんか」
アルクは少し驚いた。王女直々の頼みだ。断る理由もない。
「見てみます」
三 護衛騎士とネッサの横槍
怪我をした騎士は、宿の一室に横たわっていた。二十代の女性騎士で、左腕に深い裂傷と肋骨の打撲があった。治癒師の処置を受けているが、顔色が優れない。
アルクが傍らに膝をついた。手を傷口に当てる。ルミの力が灯る。
光が、じわりと広がった。
騎士の顔が、少しずつ楽になっていく。呼吸が深くなる。
「……不思議な感覚です」騎士が言った。「痛みが遠ざかっていく。でも——薬じゃない」
「痛みが消えたわけじゃない。傷の回復が早まっているだけだ。無理はしないでくれ」
「わかりました」
そこへ、扉が開いた。
「アルクさん! 一緒にいていいですか!」
ネッサだった。なぜかコレンを抱いて、顔を真っ赤にしながら入ってきた。
「ネッサ、ここは」
「でも心配で! なんか王女様に連れて行かれてたから!」
「王女に連れて行かれたわけじゃない」
「でも一人でいるのが心配で! コレンも心配してて!」
コレンがぴょん、と跳ねた。
イリアが、入口から静かに見ていた。ネッサがイリアに気づいて、固まった。
「あっ……! も、申し訳ありません! 王女殿下! わたし、その——」
「いいですよ」イリアは穏やかに言った。「心配するのは自然なことです」
「ありがとうございます……!」ネッサは深々と頭を下げた。それからこっそりアルクに向かって「ごめんなさい!」と口を動かした。
アルクは苦笑して、騎士に向き直った。
イリアが、アルクの回復を静かに見ていた。その目に、何かが宿った。確認するような、でもどこか安堵したような——複雑な色だった。
四 イリアの打ち明け話
夜、ギルドの食堂。視察が一段落して、イリアが非公式にアルクたちと話す場が設けられた。騎士を扉の外に残して、イリアはテーブルに着いた。
全員が揃っている。アルク、ヴィナ、ネッサ、ガドル、リィナ、カイン。そしてルミとコレン。
イリアはテーブルを見渡した。それからルミを見て、少し目を細めた。
「……それが、守り手ですか」
全員が驚いた。「ご存知なんですか」ネッサが言った。
「記録で読んだことがあります。王家の図書室に、古い文献が残っていた。賦活師の周りには守り手が宿る——と」イリアはアルクを見た。「あなたが賦活師だという確信は、今日の回復を見て深まりました」
「否定はしません」アルクは言った。
「ありがとう、正直に言ってくれて」イリアは少し表情を緩めた。「一つだけ、打ち明けてもいいですか。王女としてではなく、個人として」
「聞きます」
「私は——賦活師の記録を、王家の文献で読んで育ちました。父王も、賦活師はいつかまた現れると信じていた。そして父は二年前に——病で倒れました。今は私が実質的に王国を動かしています」イリアは静かに言った。「父が倒れた頃から、魔物の異常出没が始まりました。偶然かもしれない。でも、私には偶然に思えない」
「賦活師が現れるのと、世界が危機に瀕するのが、同じ時期に重なる——という伝承がある」カインが静かに言った。
「はい」イリアは頷いた。「だから——あなたに、協力を求めたい。強制はしない。でも、この世界で何かが起きている。それと戦う力があるなら」
テーブルが静かになった。
ルミが、アルクの肩でふわりと揺れた。いつもの揺れ方ではない。「大事なことだ」と言っているような揺れ方だった。
「一つだけ聞いてもいいですか」アルクは言った。
「なんでも」
「王女殿下は、賦活師が二百年前に消えた理由を知っていますか」
イリアは少し間を置いた。
「……知っています。王家の中でも、ごく一部だけが知っている話です」
「教えてもらえますか」
「今すぐは難しい」イリアは言った。「でも——信頼できると判断したら、必ず話します」
アルクは頷いた。
「まずは、お互いを知るところからだ」
「同意します」イリアは初めて、はっきりと笑った。「——よろしくお願いします、賦活師」
ルミがぴょん、と跳ねた。コレンもぴょん、と跳ねた。
ネッサが「なんかすごい展開になってきましたね……!」と小声で言った。
ガドルが「面白くなってきた」とにやりとした。
ヴィナが静かに、でも確かに——少しだけ頷いた。




