第十三話 賦活師を追う者と、初めての鍋
一 カイン・ヴェルドの告白
カイン・ヴェルドが目を覚ましたのは、その夜だった。
灰爪亭の奥の部屋に寝かされていた彼は、目を開けた瞬間、天井を見つめてしばらく動かなかった。やがてゆっくりと起き上がろうとした。アルクが隣に座っていた。
「無理に動かなくていい」
「……生きてる」カインは自分の手を見た。「あなたが、助けてくれたんですか」
「みんなで、だ」
カインは室内を見渡した。ヴィナが壁際に立っている。ガドルが扉の前に座っている。リィナが窓際で本を読んでいる。ネッサが椅子に座ってコレンを膝に乗せていた。
「……大勢いるんですね」
「ちょっと前まで一人だったんだが、増えた」
「いい仲間ですね」カインは小さく笑った。それから真剣な顔になった。「話を、してもいいですか」
「聞く」
カインは話し始めた。
「私はカイン・ヴェルド。私の父はドラン・セイフといいますが、私は母方の姓を名乗っています。父は研究院で賦活師の研究を続けていた。二年前、研究院の上層部から圧力がかかり、父は研究を禁じられました。それでも父は諦めず、研究院を去った後も独自に調べ続けた。私も別の場所から動いていた」
「賦活師の研究を、なぜ禁じる必要がある」ヴィナが言った。
「それがわからないんです。でも三週間前——霧牙の森に、古い遺跡があるという情報を得ました。賦活師が二百年前に使っていた隠れ家の跡で、記録が残っているかもしれないという話を聞いて、調べに行きました。でも——行ってみたら、すでに先客がいた。フードを被った複数の人間が、遺跡を調べていた。気づかれて、捕まった。その後のことは、あなたたちが助けてくれるまで記憶がない」
「遺跡の場所を教えてもらえるか」アルクは言った。
「もちろん。ただ——」カインはアルクを見た。「あなたが賦活師だと確信しています。あなたの回復の光は、父の文献に記録されていた光と同じだ。一つだけ聞いていいですか。怖くないですか、賦活師であることを人に知られることが」
アルクは少し考えた。
「怖いかどうかは、よくわからない」アルクは言った。「ただ——誰かが困っているときに、手を伸ばさない理由にはならない」
カインはしばらくアルクを見ていた。それから、ゆっくりと頷いた。
「……父が言っていた通りだ。賦活師は、そういう人間だ、と。だから——二百年前、消された」
「消された理由は、それか」
「おそらく。与える力は、人を救う。でも、人を救いすぎる力は、権力者を脅かす。賦活師がどの側についているかで、戦争の勝敗が決まるなら——誰もが賦活師を手中に収めたいか、あるいは消したいかのどちらかを選ぶ」
重い沈黙が落ちた。
ルミが、アルクの肩でふわりと揺れた。その揺れ方が、いつもと少し違った。温かいのに、どこか悲しそうな揺れ方だった。
アルクはルミを見た。「……ルミ、何か知ってるか」
ルミは答えなかった。でも揺れ続けた。まるで、「私は知っている。でも今はまだ言えない」と言っているような揺れ方だった。
二 意識の奥で聞こえた声
カインが再び眠りについた後、アルクは一人で宿の窓から夜空を見上げた。
星が出ていた。この世界の星は、前世の世界と少し違う。星座の形が違う。でも、夜空を見上げると、何かを思い出しそうになる感覚は同じだった。
——あなたの周りに、守り手たちを置いていきます。
転生したときに聞いた声が、不意によみがえった。
——あなたが誰かに与えるたびに、誰かを救うたびに、ひとつ、またひとつと、目を覚ましていく。
「世界を救ってほしい」とは、あの声は言わなかった。でも「今度こそ」と言った。今度こそ。ということは、前にも似たようなことがあったのかもしれない。二百年前の賦活師たちが消えたことも、あの声の主は知っていたのかもしれない。
それでも、この世界へ送り出した。
なぜ今なのか。なぜ自分なのか。まだわからない。でも——カインが言った言葉が頭に残っていた。
「賦活師は消された」
二百年前と同じことが、また起きようとしているのかもしれない。いや、もうすでに始まっているのかもしれない。賦活師よ王都を去れという警告。魔物の異常出没。カインを捕えた組織。
アルクは手のひらを見た。
ルミが、手のひらの上に降りてきた。いつものぴょこんではなく、そっと降りた。
「……お前は、知ってるんだろうな。いろんなことを」
ルミは答えなかった。でも、手のひらの上で、じんわりと温もりを灯した。「一人じゃない」と言っているような温もりだった。
「ああ」アルクは言った。「一人じゃないな、今は」
三 初めての鍋——風呂敷の秘密
翌日の夜。
カインはまだ本調子ではないが、話せる程度には回復していた。ガドルとリィナはこの日もギルドに顔を出し、依頼の確認をしていた。夕方、全員が灰爪亭の食堂に集まった。
ヴィナとアルクとネッサ、そしてカインの四人で夕食を取っていたとき、ネッサが言った。
「そういえば——アルクさんって、荷物が少ないですよね。いつも手ぶらみたいな」
「ああ。荷物は入れてある」
「入れてある?」
ヴィナが、静かに笑った。珍しい笑い方だった。
「ネッサ、見たことないか。アルクが空中から物を取り出すのを」
「えっ」ネッサが目を丸くした。「見たことないです。どういう……」
「見せるか」ヴィナがアルクを見た。
アルクは少し考えた。「そうだな。夕食にちょうどいいものがあるかもしれない」
「夕食も出てくるの!?」ネッサが前のめりになった。
アルクは空中に手を伸ばした。ルミの力が、亜空間を開く。薄い布が、するりと出てきた。
「これは……」ネッサが目を凝らした。「ただの布ですよね?」
「広げてみる」
布をテーブルの上に広げた。アルクは目を閉じて、疲れた夜に、みんなで囲んで食べるものを思い浮かべた。
湯気が、立った。
土鍋が現れた。澄んだ出汁の香りが広がる。中には白菜、豆腐、きのこ、薄切りの肉。全員分の器と箸が、布の周りに並んだ。
ネッサが固まった。
「……え」
「どうした」
「え、え、えっ……!?」ネッサが声を上げた。「なんですかこれ! どこから出てきたんですか! 今、布から食事が出てきましたよね!? 私、見ましたよね!?」
「見た」ヴィナが静かに言った。
「ヴィナさん、知ってたんですか!?」
「旅の途中で何度か食べた」
「ずるい!」ネッサが言った。それから、はっとした顔をした。「あ、すみません、ずるいは失礼でした」
「いや、ずるいと思うのは自然だ」アルクは言った。「ヴィナと一緒に旅していたから、先に知ってしまっただけで」
「ということは」ネッサは少し考えた顔をした。「旅の途中で、二人でこれを食べたんですね」
「ああ」
「二人で……」
ネッサが一瞬だけ遠い目をして、それからにっこり笑った。「いいですね! 私も食べてみたいです!」
カインが土鍋を覗き込んだ。「……これは、なんという料理ですか」
「鍋、という。みんなで囲んで食べるものだ」
「実は……俺には前世の記憶がある。他の世界から来たんだ。この料理は、みんなで囲む料理なんだ」
全員アルクの顔をじっと見つめたが、これまでのことを思い出しながら、不思議とすんなり受け入れた。
「みんなで囲む料理か」カインは目を細めた。「素敵ですね」
「食べよう」
箸を取った——が、全員、動かない。
「箸は、こう持つ」アルクが実演した。
カインは一度でできた。ネッサは何度か落とした。ヴィナは無言で試して、二回目に成功した。
「ヴィナさん、もう使えてる!」ネッサが言った。
「前に練習した」
「旅の途中で?」
「ああ」
ネッサがちらりとアルクを見た。アルクは鍋をつついていて気づかなかった。ヴィナは何も言わなかった。
カインが一口食べた。「……なんだ、これは。汁が、全部の具材に染みていて——」
「それが鍋の面白いところだ」
「前の世界というのは、こういう料理が溢れているんですか」
「当たり前に食べていたから、気づかなかった。でも、こうして誰かと食べると——うまいな、と思う」
ルミが、鍋の縁にちょこんと座って、上目遣いをしていた。コレンも、ネッサの膝から身を乗り出して鍋を覗いていた。
「汁……これは出汁というんだ。ルミとコレンにも出汁を分けよう」アルクが器を二つ出すと、二体が同時に飛び込んで、同時に飛び出した。嬉しそうに揺れる。
「仲良いですね」ネッサが目を細めた。
「出汁でつながった友情だな」カインが言った。
「縁の始まりなんてそんなものだ」ヴィナが言った。「出汁でも、依頼でも」
その言葉が、静かにテーブルに落ちた。
「……ヴィナさん」ネッサが言った。
「なんでもない」ヴィナは鍋をつついた。「食べろ」
四 夜、廊下で
食事が終わって、それぞれが部屋へ向かった後。
廊下でヴィナが壁に背をもたれて立っていた。
「眠れないのか」アルクは言った。
「少し考えごとをしていた」ヴィナは外を見た。「ネッサのことを」
「ネッサ?」
「あの子、今日森まで来た。怖かったはずなのに」
「そうだな」
「あの子が一番に動いた理由は、お前のためだったと思う」
アルクは少し驚いた。「俺のためというより——」
「そうかもしれない」ヴィナは遮った。「でも、一番に動いた理由がお前だったとしても、おかしくない」
「……ヴィナは、なんでそういうことを俺に言う」
「なんでだろうな」ヴィナは窓の外を見た。夜の海が月明かりに揺れている。「自分でもわからない。ただ——あの子が来たとき、なんか、くだらないことを考えた」
「くだらないこと?」
「言わない」ヴィナはすっと歩き出した。「おやすみ、アルク」
「……おやすみ」
ヴィナの背中が廊下の角に消えた。
アルクは、しばらくその場に立っていた。ルミが肩の上で、ふわふわと揺れていた。
「……ルミ、今のはどういう意味だ」
ルミは答えなかった。ただ、やわらかく光った。
「お前が一番わかってるんじゃないか」
ぴょん。(そうだよ、という感じ)
「なら教えてくれ」
ぴょん、ぴょん。(自分で考えろ、という感じ)
「……守り手というのは、こういうものか」
ルミが、楽しそうに揺れた。




