第27話 黒薔薇に『白い純愛』を。
俺は、ニーナに再会するまで、彼女はジンの妹であるラミィに酷く痛めつけられているのだと思い込んでいた。
俺とジンが和解し、ニーナたちが囚われている港湾倉庫へ向かおうとした時、そこから何かが壊れる音や、刃物が空を切る凄まじい音が聞こえてきたからだ。
俺はラミィのことを、過酷な環境のせいで『愛』を忘れてしまった悲しい奴だと決めつけていた。
――彼女の『本心』を知る、その直前までは。
♡
俺とジンが『セブンスペード』で死闘を繰り広げていたのと同時刻。今からおよそ20分前。
『黒薔薇』のラミィことラミィ・メルドは、手遊びしていたナイフを懐に収めると、捕らえたニーナに対して根掘り葉掘り問いかけ始めていた。
「……へぇ。アンタの他に、あと13人も仲間がいるのかい」
「はい。皆、とても素敵な人たちですよ」
「裏切られたりとか、しないのかよ?」
「とんでもない! ……あ、でも、以前シルヴィーにひどく怒られたことはありましたね」
「何したんだよ?」
「彼女が楽しみにしていたシュークリームを、うっかり食べてしまって……」
「ははっ! そりゃアンタが悪いよ!」
ニーナの奴、俺を差し置いて、騎士団の仲間内の笑い話や苦労話をラミィに聞かせていたらしい。
対するラミィも、ニーナの話に興味津々だった。カードから召喚された騎士の物語など、おとぎ話よりも刺激的だったのだろう。その口元には、不意に柔らかな笑みさえ浮かんでいた。
「へぇ、ニーナも苦労してんだね。でも、なんで召喚されたまま、あんな男と一緒に旅をしてるんだい?」
「――御主人様を、護りたいからです」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、ラミィの笑顔が凍りついた。
「……ふん。でもさ、『護る』なんて、あたいはそんな綺麗なもんじゃないと思うぜ」
「どうしてですか?」
「他人のために、自分だけが傷つくだけじゃないか。痛いのも苦しいのも全部ひとりで背負い込んで、何の得にもなりゃしない。それでもあの男を護るのかい? 馬鹿らしい」
ラミィの言葉を、ニーナは静かに受け止めた。
騎士として主を護ることを教え込まれた彼女は、その代償を誰よりも理解していた。
主を護るためには、自らが傷つくことを厭わない『覚悟』が必要だということを。
「……ラミィさん。私のレイピアを手に取ってもらえますか?」
「あ? てめぇ、あたいが奪ったもんを返せってのか!?」
「いえ。それを貴方が持って、一度握ってみてほしいのです」
「……何なんだよ、一体」
ニーナは、ラミィに奪われていた愛用のレイピアを指差した。
倉庫の照明を反射して細い剣先が光る。その柄は、ニーナが幾度も握り締めてきた証として、わずかに磨り減っていた。
「握ってみて、どう感じますか?」
「……あったけぇな。アンタの掌の熱が、まだ残ってるみたいだ」
「では、その刃は何のためにあると思いますか?」
「はぁ?」
まるでクイズでも出されているような感覚に、ラミィは少し戸惑いながらも答えた。
「そりゃ、愚問だろ。敵を突き刺したり、切り裂いたりするのが剣の役目じゃないか」
「私は、誰かを傷つけるために剣を振るうのではありません。――私と『仲間』を脅かす困難を打ち払うために、戦うのです」
「…………仲間……?」
ラミィの瞳に、兄のジンと同じような揺らぎが生じる。
「仲間を護るにも『力』が必要です。刃は時に、困難に立ち向かう勇気となり、暗雲を切り裂く希望にもなる。……私の師匠が、そう教えてくれました」
「勇気……希望……」
「貴方の持つナイフも、きっと誰かを護る力になれる。私は、そう信じています!」
ニーナは、曇りのない満面の笑みをラミィに向けた。その真っ直ぐな光が、ラミィの凍てついた心を少しずつ溶かしていく。
「…………ニーナ。アンタ、優しすぎるよ。あたい、こんなに胸が苦しくなったのは……生まれて初めてだよ……っ!」
ラミィは心の棘を脱ぎ捨てるように、ニーナを強く抱きしめた。今にも泣き出しそうな顔を必死に堪え、震える声で言葉を絞り出す。
「……なぁ、ニーナ。アンタら騎士団の力があれば、あのクソみたいな王国の連中を、本当に殺してくれるのかい?」
「殺すのではありません。『糺す』のです。傷付けあって得る正義は、憎しみを増やすだけですから」
「『糺す』、か……」
ラミィは懐から自分のナイフを取り出し、その刃を見つめた。
動物や人間を威嚇し続け、血を浴びては拭うことを繰り返してきた刃は、光沢を失い、自分の顔すら映らないほどに曇り果てていた。
(あたいは、知らない間にこんなに多くのものを傷つけてきたのか……。痛かっただろうな、こんな鋭い刃で切りつけられるのは……)
ニーナの優しさに触れ、己の過ちに気づかされたラミィ。
刃に映らぬ自分の顔、そして柄を握る右手の震えに、彼女は自己嫌悪の淵に沈みそうになる。
その時、檻や足枷に繋がれた動物たちの視線が、ラミィに突き刺さった。
(……この子たちもそうだ。あたいが寂しいからって、無理やり縛り付けて……!)
自分の行いが、たまらなく嫌になる。いっそ、この曇りきったナイフで自分を――。
だが、その衝動を思い留まらせたのは、目の前の少女の言葉だった。
『その刃は、何のために使うと思いますか?』
……そうか。そういうことか。
自分が繋いだ足枷だ。自分のものにしたくて閉じ込めた檻だ。
だったら、それを解き放つのも自分にしかできないことだ。
――ガチャンッッ!!
「…………!?」
ニーナは驚愕した。ラミィが猛然とナイフを振り下ろしたかと思えば、それはニーナを繋いでいた足枷の鎖を鮮やかに断ち切っていた。
「負けたよ、ニーナ。アンタを解放してやる」
「本当ですか……!?」
「勘違いするなよ! 絶対に、プレジデント王国の奴らをコテンパンにするって約束しろ! でなきゃアンタなんか殺し……いや、絶交だからなっ!!」
「もちろんです! ラミィ、分かってくれてありがとう!」
今度はニーナがラミィを抱きしめ返した。深紅の鎧越しに伝わる温かな鼓動が、ラミィの心を激しく揺さぶる。
「…………本当に、どいつもこいつも……っっ!!」
堪えきれなくなった涙が、ラミィの瞳から溢れ出した。
彼女は照れ隠しのようにニーナを振り払うと、ナイフを手に動物たちのもとへ駆け寄った。
「お前らも出ていけ! 見てるだけでイライラするんだよ!!」
――誰かを傷つけるために使ってきた刃が、兎や狐を閉じ込めていた檻を打ち砕く。
「さっさと飛んでっちまえ!!」
――鳥を縛っていた枷を引き裂く。
「お前も、どこへでも行っちまえっ!!!」
――牡鹿の胸を締め付けていた鎖を、力任せに外していく。
ラミィの乱暴な振る舞いに、一度は動物たちも倉庫の外へと逃げ出したが……。
「甘い……甘い、甘ったるいよぉ……! 何で皆、こんなに優しすぎるんだ……!! こんな、あたいなんかに……ッッ」
ラミィはその場に崩れ落ち、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
檻を壊し、鎖を断ち切ったその手は、恐怖で逃げ出すはずの動物たちを追い払うように振るわれていた。
しかし、自由を得たはずの動物たちは、雪崩を打つようにして彼女の元へ戻ってきたのだ。
小さな兎が震える鼻先をラミィの膝に寄せ、狐がその細い体を彼女の腕に擦りつける。空を舞っていた鳥たちは彼女の肩に止まり、大きな牡鹿は静かにその角を彼女の背に預けた。
「何で……? あんなに苛めたのに……あたい、お前たちをこんなに苦しめたのに……っ!」
困惑し、震えるラミィの肩を、ニーナが優しく包み込む。
「それはラミィ、貴方が本当は優しい人だということを、私も、この子たちも、ずっと知っていたからですよ……!」
ニーナの頬にも、一粒の輝く涙が滴り落ちた。
「あたいが……あたいの心が……っ!」
ラミィは、自分を慕う動物たちの温もりに触れ、生まれて初めて「許される」ということを知った。
彼女が求めていたのは、力による支配ではなく、こうした静かな体温の共有だったのだ。
俺とジンが、静まり返った倉庫に辿り着いたのは、丁度その時だった。
「ラミィ!! 何をしているんだ、ジョーの大切な騎士に―――なっ……!?」
ジンが勢いよく扉を開けて目にした光景は、彼の想像を絶するものだった。
そこには、戦場を駆ける冷酷な『黒薔薇』の姿はなかった。ただ、数多の動物たちに囲まれ、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、慈しむように彼らを撫でる一人の少女の姿があった。
「ひ、久々に見た……! ラミィが動物を可愛がっている姿なんて、子供の時以来だ――!!」
ジンの瞳からも、堰を切ったように涙が溢れ出した。彼は妹の元へ駆け寄り、その小さな体を、そして彼女を囲む動物たちをも包み込むように抱きしめた。
対して俺は、倉庫の辺りを見渡すと、粉々に砕かれた鎖や木材がラミィ達の周りに散らばっていた。
おそらく倉庫の中に入る前に聞いた、「何かが壊れる音や、刃物が空を切る凄まじい音」は、ラミィが拘束した動物を、自らが解放する音だったんだ。
その光景を眺めながら、俺は確信した。
ジンは、人を汚すことを何よりも嫌う、高潔で純粋な男だ。
ラミィは、小さな命を愛さずにはいられない、純真な心を持った女の子だ。
義賊という泥にまみれた生き方をするには、あまりにも美しすぎる魂を持った兄妹。過酷な運命が彼らを尖らせていただけで、その根底にある光は、決して消えてはいなかったのだ。
「やったな、ニーナ。お前の信じる心が、ラミィの凍てついた心を溶かしたんだ」
俺が声をかけると、ニーナは誇らしげに、そして少し照れくさそうに微笑んだ。
「いいえ。私はただ、彼女の中にある光を見つけただけです。……おかえりなさい、御主人様!」
俺とニーナは歩み寄り、互いに力強いサムズアップを交わして、拳をコツンと合わせた。
やがて、泣き止んだメルド兄妹がゆっくりと立ち上がり、こちらを向いた。
その表情には、もう迷いも敵意もない。
「「―――ありがとう…………!!」」
重なり合った二人の声が、倉庫の天井に、そして夕焼けの港に、清々しく響き渡った。
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