第9話 それ、もう隠す気ないだろ
校外学習の班決めというのは、どうしてあんなに教室の空気を変えるのだろう。
朝のホームルームで配られたプリント一枚のせいで、二年二組は一日中どこか落ち着かなかった。授業の合間には「どこ回る?」「昼どうする?」という声が飛び交い、昼休みを過ぎる頃には班ごとの空気までなんとなく出来上がっている。
白石透も例外ではなかった。
例外ではなかったのだが、問題は班の中身である。
透、玲央、直、高城。
紙の上に並ぶその四人の名前を見て、改めて透は小さく息を吐いた。
「いや、まあ、別に変ではないんだけど……」
放課後、教室に残って班の軽い打ち合わせをすることになり、透は自分の席でプリントを見下ろしながらぼそっと呟く。
「何が?」
と直がすぐ拾う。
「いや、班」
「変じゃないだろ。むしろバランスいいじゃん」
「そうそう」
高城も軽い調子で頷いた。
「俺、道とか店とか調べるの得意だし。水城はノリ担当、白石はしっかりしてる担当、榊原は……何担当?」
「透担当」
玲央が即答した。
間があった。
直が吹き出す。
高城が「は?」と笑う。
透だけが固まる。
「……何今の」
透が低く言うと、
「役割分担」
と玲央は真顔で返した。
「違うだろ」
「違わないけど」
「違うって」
「いやでも、今のかなり正直だったな」
と高城がにやにやし始める。
「榊原、おまえ白石のことかなり好きだよな」
「高城」
「え、何、だめだった?」
「だめとかじゃなくて」
そういうのを本人の前で雑に言うな。
しかもよりによって玲央の前で。
透が何とか話を逸らそうとした、その時だった。
「そう見えるなら、そうなんじゃない?」
玲央がさらりと言った。
空気がまた止まる。
「……は?」
今度は透だけでなく、高城も本気で目を瞬かせた。
直は机に突っ伏して肩を震わせている。笑いすぎだ。
「え、ちょっと待って」
高城が玲央を見る。
「それ否定しないやつ?」
「別に否定する必要なくない?」
「なくない!?」
透が思わず声を上げた。
玲央はようやく透の方を見た。
その目が妙に落ち着いているのがまた腹立たしい。
「透、何でそんなに焦ってるの」
「焦るだろ普通!」
「何が普通?」
「全部だよ!」
高城がとうとう「うわあ」と笑いながら頭を抱えた。
「いや、白石ごめん、でも今のはおまえが正しい」
「だろ!?」
「うん。けど榊原の返し、かなり強いな」
「強いって何」
と玲央。
「いや、隠す気ない感じ?」
「隠すことある?」
その言い方が自然すぎて、透は一瞬本気で言葉を失った。
隠すことある?
あるだろ。かなりあるだろ。
少なくともクラスメイトの前でそんな顔して言うことではない。
◇
班の打ち合わせ自体は、ごく普通のものだった。
どのルートが効率いいか。
集合時間はどうするか。
昼はどこで食べるか。
クレープを候補に入れるかどうかで高城と直が妙に盛り上がり、透が「校外学習で甘いものが目的になるな」と止め、玲央が「透が行くなら俺は行く」でまた空気を乱す。
ほんの軽い相談のはずなのに、透だけが無駄に消耗していた。
「じゃあさ、午前中はこっち回って、昼をこの辺にして」
高城がプリントの地図を指さす。
「午後は自由行動寄りでよくない?」
「俺はいい」
直が頷く。
「白石は?」
「別にそれでいいけど」
「榊原は?」
「透と同じでいい」
「だから何でいちいち俺基準なんだよ」
反射的に突っ込むと、玲央は少しだけ首を傾げる。
「だめ?」
「だめっていうか……」
「だめじゃないけど、見てる方は楽しい」
と高城が言う。
「やめろ」
「いやほんと、榊原って白石のこと隠さなくなったよな」
「高城」
「だって事実じゃん。前から仲いいなとは思ってたけど、最近もう分かりやすすぎるって」
透は返す言葉に詰まる。
前から仲いいな、まではまだいい。
だが最近もう分かりやすすぎる、はよくない。
かなりよくない。
「水城、おまえもそう思う?」
高城が聞くと、
「俺はもうだいぶ前からそう思ってる」
と直が即答した。
「むしろ高城が今日そこまで来たの遅い方」
「え、そんな前から?」
「うん。だって榊原、白石絡むと分かりやすすぎるし」
「おまえらな……」
透はこめかみを押さえたくなった。
どうしてこうなった。
数週間前まで、ただのクラスメイトだったはずだ。少なくとも表面上は。
それが今では、班の打ち合わせひとつでここまで好き勝手言われるようになっている。
原因が誰かといえば、半分以上は間違いなく玲央なのだが。
「透」
「何」
「ペン貸して」
「……あるだろ自分の」
「今しまった」
「雑かよ」
透は筆箱からシャーペンを一本抜いて玲央に渡した。
その時、玲央の指先が軽く透の手に触れる。
ほんの一瞬だった。
なのにそれだけで意識がそちらへ向いてしまう自分が腹立たしい。
「ありがと」
「……どういたしまして」
高城が、今のやり取りまで見ていたらしい。
「いやもう、それ普通にそういう感じじゃん」
「どういう感じだよ」
透が睨む。
「いや、何て言えばいいんだろ。カップル未満っていうか、ほぼそうっていうか」
「高城、ちょっと黙れ」
「ごめんごめん、でも面白くて」
面白がるな。
透は本気でそう思ったが、一方で、完全には否定できない自分がいることも分かっていて余計に複雑だった。
◇
打ち合わせが一段落して、プリントに簡単なメモを書き終えた頃には、教室の中はかなり静かになっていた。
他の班も少しずつ解散し始めている。
廊下からは部活へ向かう足音が時々響くだけで、昼間の騒がしさはもうほとんど残っていない。
「じゃ、今日はこんなもんでよくない?」
高城がプリントをまとめながら言う。
「俺、部活の友達と約束あるし」
「お、もう行く?」
と直。
「うん。水城は?」
「俺も今日は先輩に呼ばれてる」
「じゃあ白石たちも帰る?」
その言い方が、自然なのに少しだけ含みがあった。
白石たち。
つまり透と玲央をひとまとまりで言ったのだ。
「何で一括りなんだよ」
透が言うと、
「え、だってもうそういう感じじゃん」
高城は悪びれもなく返した。
「今の班の打ち合わせだけでかなり分かったし」
「何が」
「榊原、もう隠す気ないだろ」
「隠してない」
玲央が平然と答える。
高城がまた吹き出した。
「ほら」
「いや、だから何を」
「白石、おまえもう諦めろって」
直までそう言う。
「こいつ最近だいぶ堂々としてるし」
「最近?」
透が思わず聞き返すと、
「最近」
と直は頷いた。
「前はもうちょい抑えてた。でも今は、わりとそのまま」
「何がそのままなんだよ」
「おまえへの態度が」
高城も「それな」と大きく頷く。
「今日のでよく分かった。だって普通、クラスメイトの前であんなに『白石基準』で話さないって」
「そう?」
玲央が首を傾げる。
「いや、そうだよ!」
透はつい強めに言ってしまった。
その瞬間、玲央が少しだけ目を細めて透を見る。
怒ったわけではない。ただ、じっと。
「透」
「……何」
「嫌だった?」
「嫌とかじゃなくて」
「うん」
「そういうの、周りに分かるようにしなくてもいいだろって話」
「でも本当のことだし」
「だからその理屈やめろって!」
高城と直がほぼ同時に笑い出す。
もうだめだ。本当にだめだ。
◇
結局、高城と直は先に帰っていった。
「じゃあまた明日なー」
「白石、がんばれ」
「何をだよ!」
最後まで好き勝手言って去っていく二人の背中を見送りながら、透は深く息を吐いた。
残された教室には、透と玲央だけがいる。
夕方の光が少しずつ色を変えていく。
静かだ。
静かで、逃げ場がない。
「……おまえさ」
透がようやく口を開く。
「何」
「今日、だいぶひどかった」
「何が」
「全部」
「雑だな」
「おまえが言うな」
玲央は少しだけ笑った。
その笑い方が、さっきまで高城たちの前で見せていたものより柔らかい。完全に透に向けた顔だと思ってしまって、また少しだけ落ち着かなくなる。
「隠す気ないの?」
透は小さく聞いた。
「何を」
「……俺への態度」
「うん、あんまりないかも」
「何で」
「透が嫌がってないから」
さらっと言われて、透は言葉に詰まる。
嫌がってない。
その通りだった。
困ってはいる。かなり困っている。恥ずかしいし、周りにどう見られているのかも気になる。
でも、本気でやめてほしいと思ったことは、たぶん一度もない。
「……そういう確認、どこでしてるんだよ」
「普段の顔」
「何だそれ」
「名前呼んでも逃げないし、隣座っても本気で避けないし」
「それは……」
「あと、俺がそういうこと言った時、ちゃんと困ってるけど、嫌そうではない」
そこまで言われると、反論がかなり難しい。
透は視線を逸らした。
図星ばかりで腹が立つ。
「高城たちにあんなふうに言われても、透、ちゃんと否定しなかったし」
「……おまえもだろ」
「うん」
「何で否定しないんだよ」
「否定したくないから」
「それで納得すると思うなよ」
「してない顔してる」
「うるさい」
玲央がまた少しだけ笑う。
教室の窓から入る風が、机の上のプリントを軽く揺らした。
透はそれを押さえながら、ふと自分の中に妙な感覚があることに気づく。
今日、高城や直に色々言われて、恥ずかしかった。
玲央があんなふうに堂々としているのにも困った。
でも同時に、少しだけ、ほんの少しだけ——嬉しかった気がする。
自分が玲央にとって特別だと、周りの前でも隠さないことが。
それを認めるのはかなり悔しい。
でも、完全には否定できなかった。
「……それ、もう隠す気ないだろ」
透がぼそっと言う。
玲央は数秒だけ黙ってから、静かに答えた。
「透が嫌なら隠す」
「……そういう言い方ずるい」
「じゃあ言い直す」
「何」
「俺は隠したくない」
心臓が小さく跳ねる。
教室には二人しかいない。
夕方の光と静けさのせいで、その言葉だけがやけにくっきり残った。
「……何で」
透は自分でも驚くくらい小さな声で聞いた。
玲央はすぐには答えなかった。
少しだけ透を見て、それから言う。
「透のこと、ちゃんと特別だと思ってるから」
たぶんまだ恋じゃない。
でも、もう特別だ。
少し前、自分が口にした言葉が脳裏をよぎる。
玲央もたぶん、同じところにいるのだと思った。
それが妙に嬉しくて、困って、でも嫌ではなくて、透はもう何とも言えない顔で俯くしかなかった。
「……帰る」
とりあえずそう言う。
「うん」
「一緒に帰るなよ」
「無理」
「即答するな」
「透が先に帰るって言った時点で一緒だし」
「理屈がひどい」
「でもそうだろ」
そうかもしれない。
悔しいけれど、そうかもしれない。
◇
二人で教室を出る。
廊下にはもう人が少なくて、窓の外はすっかり夕方だった。
並んで歩く距離は、最初の頃よりずっと自然になっている。
「透」
「何」
「今日、ちょっと嬉しかった」
「……何が」
「高城たちの前で、透がちゃんと俺のこと見て反応してくれたの」
「意味分かんない」
「分かるよ」
「分からない」
「分からないふりしてる」
その言い方に、透は小さくため息をつく。
でももう、前みたいに全力で否定する気にはなれなかった。
班が一緒になった。
周囲にも少しずつ見えてきた。
玲央は隠す気がない。
そして自分は、それを完全には嫌がっていない。
そこまで分かってしまった以上、もう「ただのクラスメイト」の場所へ戻るのは無理なのかもしれない。
その事実が、怖いようで、少しだけ嬉しい。
校門を出る前に、玲央がいつものように透の少し隣を歩く。
その距離が今日はやけにしっくりきてしまって、透は自分で小さく困った。
ほんと、だいぶまずい。




