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おまえ、俺のこと好きすぎない? ――学校では塩対応のイケメンが、放課後だけ距離感おかしい。  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第8話 たぶんまだ恋じゃない。でも、もう特別だ

 朝の教室は、いつもより少しだけ騒がしかった。


 理由ははっきりしている。

 席替えの噂だとか、来月の校外学習の班決めだとか、そういう「ちょっとだけ特別な日」の前に漂うざわつきだ。窓際では女子たちが行き先の候補の話をしていて、前の方では男子が「自由行動なら飯どこにする?」と勝手に盛り上がっている。


 白石透はその空気の中で、机に鞄を置きながら小さく息を吐いた。


 今日は、できれば静かに過ごしたい。


 昨日の帰り道のことを、まだ頭の中で処理しきれていないからだ。


 ——“友達”って言うには、たぶんもう近すぎる。


 自分で言ったくせに、思い返すと普通に恥ずかしい。

 しかもそれに対して玲央が、あんなに嬉しそうに笑ったのがさらにまずい。


 あの顔を思い出すだけで、妙に胸の奥が落ち着かなくなる。


「おはよ、白石」


 斜め前から直が手を上げる。


「……おはよ」

「何その顔」

「普通」

「普通の人は朝からそんなに遠い目しない」

「してない」


 しているのかもしれない。

 少なくとも、直にはそう見える程度には上の空だった。


「で?」

 と直が言う。

「何が」

「昨日の続き」

「何でもかんでも続き扱いするな」

「だってあるだろ、続き」

「ない」

「その否定、前より弱くなってるぞ」


 うるさい、と返そうとしたその時。


「透」


 名前を呼ばれて、透は反射的に振り向いた。


 榊原玲央が、いつの間にかすぐ後ろに立っている。


 最近はもう名前で呼ばれることにも少しずつ慣れ始めている——と思っていたのに、やはり突然だと普通に心臓へ悪い。慣れたと思うたびに、ちゃんと乱されるのだからたちが悪い。


「……何」

「おはよう」

「……おはよ」

「今日はちゃんと返ってきた」

「毎回返してるだろ」

「昨日の帰り際の『また明日』はちょっと小さかった」

「細かいな」

「透のことだから」


 またそういうことを言う。


 透が睨むと、玲央はほんの少しだけ笑った。

 その笑い方がもうかなり自然に自分へ向けられるものになっていることに気づいて、透は微妙な気分になる。


 嬉しくないわけではない。

 でも、嬉しいと認めるにはまだ早い。


「榊原くん、朝から順調だねえ」

 と直がにやにやしながら言う。

「何が」

「距離感」

「いつも通りだけど」

「それが問題だって言ってんの」


 直の言葉に、玲央は少し首を傾げるだけだった。

 本気で自分の距離感がおかしいと思っていない顔だ。


 いや、最近はちょっと自覚があるのかもしれない。

 自覚がある上で直していない気もする。


 それが一番まずい。


     ◇


 一時間目と二時間目の間の休み時間、校外学習の話題が本格的に動き始めた。


 班決めの紙が配られ、クラスのあちこちで「どうする?」という声が飛び交う。人数はだいたい四人か五人。仲のいいやつ同士で組むのが基本だろう。


 透はそういう場面で中心になるタイプではない。

 だから適当に直と組んで、あとは流れで人数が合えばそれでいいと思っていた。


「白石、どうする?」

 直がプリントをひらひらさせながら聞く。

「どうするって、普通におまえと……」

「じゃあ俺と白石で二人確定な」

 と、横から別の男子が口を挟んだ。


 高城だった。


 前に駅前へ誘ってきた、あの高城である。

 相変わらず気さくで、悪気のない明るさがある。


「あ、じゃあ俺も入れて」

「あと一人いればちょうどよくない?」


 そのまま話が進みかける。

 透としては別に構わなかった。直がいて、高城がいて、あと誰か話しやすいやつが入れば問題ない。そう思っていたのだ。


 だが、そこへ静かな声が落ちる。


「透」


 呼ばれて振り向く。

 玲央が立っていた。


「……何」

「班、決まった?」

「いや、まだだけど」

「じゃあ俺も入る」


 空気が一瞬だけ止まった。


 高城が「え」と言い、直は一瞬黙ったあとで口元を押さえた。

 笑っている。絶対笑っている。


「榊原、おまえ白石たちと?」

 と高城が聞く。

「うん」

「へえ」

「だめ?」

「いや、だめじゃないけど……」


 高城は少しだけ透の方を見た。

 たぶん「そういう感じなんだ?」くらいの意味だろう。

 その視線が妙に居心地悪い。


「……別に、人数合うならいいけど」

 透が言うと、

「じゃあ決まり」

 と玲央は平然と言った。


 あまりにも当然みたいな言い方だった。


 高城は少しだけ笑って、「まあ、じゃあこれでいいか」と言う。直は直で完全に面白がっている顔のくせに、口は出さない。絶対あとで何か言うつもりだ。


 結局、その四人で班は決まった。


 それ自体は別に問題ないはずなのに、透は妙に落ち着かなかった。


 理由は分かっている。


 高城がいるからだ。


 正確には、高城がいる時の玲央の空気が、少しだけ変わるからだ。


     ◇


 昼休み。


 班が決まったことで、自然とその四人で昼の話題が続いていた。どこへ行くのが楽しそうかとか、自由行動の時間に何を見るかとか、そういう他愛もない話だ。


「透、甘いもの平気?」

 高城が聞く。

「え、まあ普通に」

「じゃああそこのクレープ屋、候補入れようぜ」

「校外学習でクレープメインにするなよ」

 と直。

「いや大事だろ」

「それは分かる」

「白石も分かるよな?」

「……分からなくはない」


 笑いが起きる。

 普通の会話だ。普通の高校生の昼休み。


 なのに透は、その普通の中に少しだけ変な張りを感じていた。


 隣にいる玲央が、静かだからだ。


 黙っているわけではない。必要な会話にはちゃんと入ってくる。だが、高城が透へ話を振るたびに、玲央の返答の間がほんの少しだけ短くなる。表情は変わらない。でも、空気が変わる。


 分かりやすすぎるだろ。


「榊原、甘いものどう?」

 高城が何気なく聞く。

「嫌いじゃない」

「じゃあ決定?」

「透が行くなら」

「何で基準が白石なんだよ」

 と直が即座に突っ込む。


 高城も「たしかに」と笑った。

 透だけが笑えない。


「……別に、俺が基準じゃなくても」

「でもそうだし」

 と玲央は言う。


 あまりにも自然に。


 高城が「へえ」と言って、今度は少しだけ面白がるような顔になる。

 やめてくれ、と思った。


「榊原って、白石のことかなり気に入ってるよな」

 と高城。

「そう見える?」

 と玲央。

「見える見える」

「じゃあそうなんじゃない?」


 認めるな。


 透は心の中で全力で突っ込んだが、声にはならなかった。

 直はもう完全に観客である。


「白石、顔赤くない?」

 高城が言う。

「赤くない」

「いやちょっと赤い」

「気のせい」

「暑いんじゃない?」

 と玲央がさらっと言う。

「おまえが言うな」


 反射的に返した瞬間、玲央の口元が少しだけ上がる。

 高城が「うわ、今のやり取りすごいな」と笑い、直は「だろ?」みたいな顔をする。


 なんなんだこの昼休みは。


 普通に過ごしたいだけなのに、どうしてこうなる。


     ◇


 五時間目が終わった後、透は自販機へ向かうために廊下へ出た。


 春の午後の空気は少しだけ眠気を誘う。教室にいたままだと、そのまま次の授業までだらけてしまいそうだった。冷たい飲み物でも飲めば、少しは頭がすっきりするかもしれない。


 小銭を入れて、ボタンを押す。


 がこん、とペットボトルが落ちる音。

 それを取り出して顔を上げた時、廊下の向こうから女子二人が歩いてきた。


「あ、白石くん」

 一人が透に気づいて声をかける。

「え、ああ……どうも」


 同じ学年の、別クラスの女子だった。

 文化委員か何かで少し話したことがある気がする。もう一人の方はその友達らしく、こちらを見て小さく会釈した。


「この前、掲示物のことありがとね」

「あ、いや、別に」

「白石くん、ちゃんとしてるよね」

「そう?」

「ね、前も助かったし」


 ほんの数十秒の会話。

 立ち話というほどのこともない。


 だが、タイミングが悪かった。


「透」


 また、名前を呼ばれる。


 振り向く前から誰だか分かるのが困る。


 玲央が少し離れたところに立っていた。いつもの静かな顔。だが、その静かさが、今は少しだけ低い温度を含んでいるように見える。


「……何」

「次、教室戻る?」

「戻るけど」

「そっか」


 それだけ言って、玲央はそこで止まる。

 女子二人は状況を察したのか、「じゃあまたね」と少しだけ早口で言って去っていった。


 透はその背中を見送り、それから玲央を見た。


「……おまえさ」

「何」

「またちょっと機嫌悪くない?」

「悪くない」

「いや、絶対今ちょっと機嫌悪かっただろ」

「気のせい」

「その返し、もう信用ないんだけど」


 玲央は少しだけ視線を逸らした。

 その時点で、だいぶ答えみたいなものだった。


「……あの子たちと話してただけだけど」

 透が言う。

「うん」

「うん、じゃないだろ」

「分かってる」

「何が」

「話してただけなのは」

「じゃあ何でそうなるんだよ」


 玲央は数秒黙る。

 それから小さく息を吐いた。


「透が、楽しそうだったから」

「は?」

「誰とでも普通に話すし」

「いや、それは普通だろ」

「うん」

「うん、じゃなくて」

「でも、あんまり見たくない時もある」


 その言い方は前にも聞いた。


 ——他のやつと楽しそうにしてるの、あんまり好きじゃない。


 あの時と同じだ。

 少し拗ねたみたいな、でも本気の温度を隠していない声。


 透はもう何と言っていいのか分からなくなる。


「……おまえ、それ」

「うん」

「かなり面倒くさいこと言ってるって分かってる?」

「分かってる」

「分かってて言うなよ」

「でも透には言う」


 ずるい。

 本当にずるい。


 こんなふうに真っ直ぐ言われると、腹が立つより先に心臓が反応してしまう。


     ◇


 放課後。


 今日は直が先生に呼ばれて少し遅くなるらしく、先に帰っていていいと言われた。

 高城も部活の友達と約束があるとかで早々にいなくなり、結果として透は玲央と二人で帰ることになった。


 なった、というより、最初からそうなる流れを玲央が作っていた気もするが、そのことには触れない方がよさそうだった。


 二人で校門を出る。


 夕方の光はやわらかく、道路の端を長く照らしている。少しだけ風があって、制服の裾が揺れた。


 沈黙は、前より苦しくない。

 それはもう、認めざるを得なかった。


 しばらく歩いたところで、透はぽつりと口を開く。


「……今日さ」

「うん」

「班の時も、昼も、さっきも」

「うん」

「おまえ、分かりやすすぎる時あるよな」


 玲央が少しだけ笑う気配がした。


「透にだけだと思う」

「それ何回目だよ」

「本当だから」

「便利な言葉みたいに使うな」

「便利だから」

「認めるなって」


 少しだけいつもの調子に戻る。

 そのことに、透はほっとした。


 そして同時に思う。

 ああ、自分はもう、このやり取りにだいぶ慣れてしまっているのだと。


「透」

「何」

「今日、あの人たちと話してた時」

「うん」

「ちょっと嫌だった」

「……うん」

「班の時、高城と普通に楽しそうにしてたのも」

「……うん」

「でも、透が誰かと話すなって言いたいわけじゃない」

「じゃあ何」

「俺が勝手に嫌なだけ」


 それは、前より少し整理された言い方だった。


 透は前を向いたまま、その言葉を頭の中で転がす。


 玲央は、たぶん本当に面倒くさい。

 でも、その面倒くささを自分で分かった上で、それでも隠しきれていない。


 しかもそれを向けられているのが、自分だ。


 その事実が、胸の奥を妙に静かに熱くする。


「……たぶんまだ、恋とかじゃない」

 気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。


 言った瞬間、自分で驚く。


 何を言ってるんだ。

 でも、もう引っ込められない。


 玲央も少しだけ目を見開いた。


「透?」

「いや、その」

「うん」

「自分でもよく分かんないけど」

「うん」

「まだ、そういうのじゃない……と思う」


 言いながら、どんどん顔が熱くなる。

 それでも続けるしかない。


「でも」

「でも?」

「……もう、特別だとは思う」


 言い切ってから、透は完全に前を向いた。

 もう玲央の顔を見られない。今見たらたぶん終わる。


 数秒、沈黙が落ちた。


 夕方の風の音だけが聞こえる。

 長く感じたが、たぶん実際にはほんの数秒だったのだろう。


「……そっか」


 玲央の声は、思ったよりずっと静かだった。

 静かで、やわらかかった。


「それ、かなり嬉しい」

「……うるさい」

「まだ何も言ってない」

「言い方がもうずるい」

「透の方がずるいよ」


 珍しく、玲央の声に少しだけ揺れがあった。

 たぶん本気で驚いている。あるいは、本気で嬉しいのかもしれない。


 それを想像した瞬間、透の胸の奥がまた落ち着かなくなる。


「たぶんまだ恋じゃない」

 玲央が繰り返す。

「……やめろ、反芻するな」

「でも、もう特別なんだ」

「……うるさい」

「うん」


 うん、じゃない。


 だが、その短い返事に、玲央の機嫌の良さが全部出ていた。

 分かりやすい。悔しいくらいに。


     ◇


 家の方向が分かれる少し手前で、二人は立ち止まった。


 夕陽がだいぶ落ちてきていて、空の色はオレンジから少しずつ群青へ変わり始めている。街灯がつき始めるにはまだ少し早い、中途半端な明るさだった。


「じゃあ」

 透が言う。

「うん」

「また明日」

「うん。また明日、透」


 名前を呼ばれる。


 たったそれだけで、まだ少しだけ胸がざわつく。

 でも前みたいに、それを全力で否定しようとは思わなかった。


 玲央が手を上げる。

 透も小さくそれに返す。


 背を向けて歩き出してからも、さっき自分が口にした言葉が頭の中で何度も響いていた。


 たぶんまだ恋じゃない。

 でも、もう特別だ。


 それは完全な答えではない。

 曖昧で、中途半端で、自分でもまだ整理しきれていない感情だ。


 けれど、今の透に言えることとしては、それが一番正しかった。


 何もないとは言えない。

 ただの友達だとも言い切れない。

 でも、もう特別だということだけは、誤魔化せない。


 玲央のことを考える時間が増えている。

 名前を呼ばれるだけで意識する。

 他の誰かといる時の玲央の空気に気づく。

 そして、隣に並ぶと少しだけ安心する。


 そこまできていて、何も変わっていないふりはできなかった。


 家へ向かう道を歩きながら、透は小さく息を吐く。


「……ほんと、何なんだよ」


 呟いても、答えは出ない。

 でも、その答えが少しずつ近づいてきていることだけは分かっていた。


 そしてたぶん、それを一番嬉しそうに待っているのは、榊原玲央なのだろう。

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