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おまえ、俺のこと好きすぎない? ――学校では塩対応のイケメンが、放課後だけ距離感おかしい。  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第54話 教室で遠いぶん、名前を呼ぶ回数が増えた

 翌朝、駅の柱の前で玲央を待っている間、透は昨日のことを少し考えていた。


 席替えで、教室の中の距離が変わった。


 ただ、それだけだ。


 同じ教室にいる。

 同じ授業を受ける。

 休み時間になれば話せるし、昼休みには玲央が来る。放課後には一緒に帰る。


 何も大きく変わっていない。


 そう思いたいのに、昨日は授業中に何度も玲央の席を探してしまった。

 見えにくいだけで、教室が少し広く感じた。


 そして放課後、隣に戻った時に安心した。


 それが厄介だった。


「……席が遠いだけだろ」


 小さく呟いたところで、改札の向こうに玲央が見えた。


 透を見つけた瞬間、玲央の表情がいつものように少しだけ柔らかくなる。


 もう、その変化を見るだけで、朝がちゃんと始まる気がした。


「おはよう、透」


「おはよ、玲央」


「今日も待ってた」


「同じ時間って言っただろ」


「うん」


「……何」


「その返し、好き」


「朝からそういうこと言うな」


「思ったから」


「我慢しろ」


「少しはした」


「できてない」


 玲央が小さく笑う。


 二人で学校へ向かって歩き出す。


 駅から学校までの道は、もう完全に見慣れていた。

 けれど、隣に玲央がいるかどうかで、少しだけ景色が変わる。


「透」


「何」


「今日も昼、行っていい?」


「昨日も言っただろ。来ればいいって」


「うん。確認」


「おまえも毎回確認するよな」


「透が困らないように」


「……今さら昼に来られるくらいでは困らない」


 言ってから、透は少しだけ固まった。


 また、余計なことを言った。


 玲央は当然のように拾う。


「今さら」


「そこ拾うな」


「困らないんだ」


「昼に来るくらいならな」


「嬉しい」


「知ってる」


 もう、反射で返していた。


 玲央は少しだけ嬉しそうに笑う。


 その笑顔を見て、透は思う。


 教室で遠くなったぶん、玲央が近くへ来る約束が少し増えている。


 それは、たぶん悪いことではない。


     ◇


 教室に入ると、やはり景色はまだ少し慣れなかった。


 透の新しい席は、真ん中より少し前。

 玲央は斜め後ろの少し離れた場所。

 見ようと思えば見えるが、自然には視界に入らない。


 透は鞄を机に置き、教科書を出す。


 その途中で、玲央の方を一度だけ見た。


 玲央もこちらを見ていた。


 目が合う。


 すぐに逸らす。


「白石」


 近くの席の直が言った。


「何」


「朝一回目」


「何が」


「榊原確認」


「数えるな」


「じゃあ記録だけ」


「もっと悪い」


 高城が少し離れた席から身を乗り出す。


「俺も見た。白石、自然に榊原の席見てた」


「おまえら本当に暇なのか」


「暇じゃない。観察眼が鋭いだけ」


「無駄に使うな」


 高城は楽しそうに笑う。


「でも席替え、逆に面白いな」


「何が」


「離れたら離れたで、白石が榊原を探すじゃん」


「探してない」


「今探してた」


「見ただけだ」


「それを探してるって言うんじゃないか?」


 直が淡々と補足する。


「直まで」


「事実確認」


「いらない」


 透は顔を逸らし、教科書を開いた。


 否定したいのに、完全には否定できない。


 それが一番面倒だった。


     ◇


 一時間目の途中、先生がプリントを配った。


「後ろまで回してくれ」


 前の席から渡されたプリントを受け取り、透は自分の分を取って後ろへ回す。


 そこで、少しだけ手が止まった。


 昨日までなら、近い席にいた玲央へそのまま渡す流れがあった。

 今は違う。列が変わっている。


 けれど、隣の列へ回す必要があった。


「玲央、そっち回して」


 自然に呼んだ。


 言ってから、少しだけ心臓が跳ねた。


 教室の中で、授業中に、普通に。


 玲央はすぐに反応して、プリントを受け取った。


「うん」


 たったそれだけ。


 でも玲央の表情が、ほんの少し柔らかくなったのが分かった。


 遠いのに、分かった。


 透はすぐ黒板へ視線を戻す。


 先生の説明が続いている。

 集中しなければならない。


 しかし、後ろの方から小さく高城の声がした。


「名前呼び一回目」


 聞こえている。


 透は振り返らなかった。


 振り返ったら負けだと思った。


     ◇


 休み時間になると、高城が待ってましたとばかりに近づいてきた。


「白石、今日もう玲央って呼んだな」


「プリント回しただけだろ」


「席替え、逆に名前呼びイベントになってない?」


「何だそのイベント」


 直が横から静かに言う。


「距離ができると、声で埋めるんだな」


「分析するな」


「でも合ってるだろ」


「合ってない」


 そう言いながら、透は少しだけ黙った。


 声で埋める。


 その言い方は、妙に胸に残った。


 席が遠い。

 だから名前を呼ぶ。

 前より少し大きく声を出す。

 玲央が返事をする。


 それだけで、距離が少し縮まる気がする。


 そんなことを考えている時点で、直の分析はたぶん当たっている。


「白石、黙った」


 高城が言う。


「考えてただけだ」


「何を?」


「おまえの言葉の雑さ」


「嘘だろ」


 玲央がこちらへ来た。


「透」


「何」


「プリント、ありがとう」


「礼を言うほどじゃないだろ」


「呼んでくれたから」


「……そこを礼の対象にするな」


「嬉しかった」


「知ってる」


 また反射で返してしまった。


 高城が肩をすくめる。


「ほら、名前呼びイベントだ」


「うるさい」


 透は顔を逸らした。


 けれど、玲央が嬉しそうにしているのを見て、少しだけ呼んでよかったと思ってしまった。


     ◇


 二時間目の前、先生から提出物の回収があった。


「昨日の小テスト見直しプリント、列ごとに集めてくれ」


 教室の中が少しざわつく。


 透は自分のプリントを出し、前の席の分と合わせた。

 玲央の列は少し離れている。


 けれど、先生が「そっちの列は榊原、頼む」と言ったので、透は思わず声をかけた。


「玲央、そっち全部集まった?」


「うん。あと一人」


「高城、出してないだろ」


「何で分かるんだよ!」


 高城が後ろで叫び、教室の何人かが笑った。


「出してない顔してた」


「顔で判断するなって白石がいつも言ってるじゃん!」


「おまえは分かりやすいんだよ」


 玲央が小さく笑いながら、高城のプリントを受け取った。


「高城、早く」


「榊原まで」


 透はプリントをまとめながら、また気づく。


 名前を呼ぶ回数が増えている。


 必要だから。

 席が離れたから。

 プリントを回すから。

 提出物を集めるから。


 理由はいくらでもある。


 でも、その理由のたびに玲央の名前を呼んでいる。


 そして、それが少し自然になっている。


     ◇


 昼休み、玲央は宣言通り、透の席まで来た。


 少し遠くなった分、来るまでの時間が前より長い。


 透は弁当を開けながら、それを見てしまう。


 玲央が人の机の間を抜けて、まっすぐこちらへ来る。


 ただそれだけなのに、少しだけ胸の奥が温かくなる。


「透、ここいい?」


「うん」


 玲央が近くの席を借りて座る。


 高城と直も自然に集まってきた。


「すごいな」


 高城がパンの袋を開けながら言う。


「何が」


「席替えしたのに、昼のメンバーが結局同じ」


「弁当食べるだけだろ」


「しかも榊原、一直線に白石のところ来るし」


「来るって言ってたからな」


 透が言うと、玲央がこちらを見る。


「透、覚えてた」


「朝言ってただろ」


「うん」


「……何だよ」


「嬉しい」


「知ってる」


 高城が「安定」と言う。


 透は睨んだ。


「言うな」


「いや、もう安定してるだろ。あと今日、白石が玲央って呼ぶ回数増えてる」


「数えるな」


「俺は数えてない。印象」


 直が水筒を置きながら言う。


「一時間目で一回、提出物で一回。今はまだ呼んでない」


「直、おまえが数えてるじゃないか」


「記憶してるだけだ」


「同じだろ」


 玲央は隣で少しだけ嬉しそうにしている。


 透はそれに気づき、低く言った。


「おまえも嬉しそうにするな」


「嬉しい」


「名前くらいで毎回」


「透に呼ばれるから」


 また、それだ。


 透は箸を止める。


「……もう、だいぶ呼んでるだろ」


「うん」


「なら慣れろよ」


「慣れてる。でも嬉しい」


「両立するな」


「する」


「するな」


 高城がパンをかじりながら笑う。


「いやあ、席替えっていいイベントだったんだな」


「よくない」


「でも離れたことで、逆に分かりやすくなってるぞ」


 直が頷く。


「近い時は見えて当然だったけど、遠いとわざわざ呼ぶからな」


 透は返事に困った。


 わざわざ呼ぶ。


 それは確かに、今日何度もしている。


 必要だから。

 それは本当だ。


 でも、必要以上に意識しているのも本当だった。


     ◇


 午後の授業では、グループ作業が少しだけあった。


 席替え直後なので、周囲の席同士で簡単な意見交換をする形だった。

 透の近くには直がいる。玲央は別のグループだ。


 だから、玲央と組むわけではない。


 それだけなのに、少しだけ物足りなかった。


 作業自体は問題なく進んだ。

 直は要点をまとめるのが早いし、透も意見を出す。周囲の生徒たちも真面目に参加していた。


 それでも、別のグループで玲央が話している声が少し聞こえると、そちらへ意識が向いてしまう。


 玲央は誰とでも普通に話せる。

 落ち着いた声で説明し、相手の言葉を聞いて、必要なところで短く返す。


 それを見て、透は少しだけ思う。


 自分といる時の玲央とは、やっぱり少し違う。


 自分に向ける時だけ、声や目元が柔らかい。


 そう感じてしまう自分が、かなり危ない。


「白石」


 直が小声で言った。


「何」


「そっちじゃなくて、こっちの資料」


「……分かってる」


「榊原の声、気になる?」


「気になってない」


「今のは嘘」


「おまえも玲央みたいなこと言うな」


「似てきた?」


「嫌な方向にな」


 直は少し笑った。


「まあ、気になるなら仕方ない」


「仕方なくない」


「でも作業はちゃんとしろ」


「分かってる」


 透は資料に視線を戻した。


 玲央の声を聞きながら、自分のグループの作業を進める。


 席が遠くなっただけで、こんなふうに意識するようになるとは思わなかった。


     ◇


 放課後、玲央はまた透の席へ来た。


「透」


「帰るんだろ」


「うん。一緒に帰りたい」


「……毎回それ言うよな」


「言いたいから」


「知ってる」


 玲央が少し笑う。


 高城が後ろから言った。


「今日、白石は何回玲央って呼んだんだ?」


「だから数えるな」


「俺の体感では五回」


「体感で数を出すな」


 直が冷静に言う。


「たぶん四回。今入れたら五回目」


「おまえは本当に数えるな」


 玲央は静かにこちらを見ている。


「何」


「今日、何回も呼んでくれた」


「必要だったからだろ」


「うん」


「プリントとか、提出物とか」


「うん」


「だから、別に」


 そこで言葉が止まった。


 別に、何だ。


 特別じゃない。

 意識してない。

 ただ必要だった。


 そう言えばいい。


 でも、それだけでは少し違う気がした。


 玲央が待っている。


 まただ。


 この待ち方に、透は弱い。


「……でも」


「うん」


「呼びやすくなった」


 言った。


 教室の中で。


 高城が固まった。

 直が少しだけ目を細めた。

 玲央は、すぐには何も言わなかった。


「……何か言えよ」


 透が小さく言うと、玲央は静かに息を吐いた。


「嬉しい」


「知ってる」


「でも、今のはかなり」


「かなり?」


「大事」


「……そんなに大事にするな」


「無理」


「だろうな」


 高城がようやく口を開いた。


「白石、今日の一言、強いな」


「うるさい」


「いや、呼びやすくなった、は強い」


 直も頷いた。


「距離ができたのに、呼びやすくなった。いい変化だな」


「分析するな」


 透は鞄を肩に掛け、教室を出ようとした。


 玲央が隣に並ぶ。


 教室の席は遠い。

 でも廊下に出れば、また隣になる。


 それが今は、少しだけありがたかった。


     ◇


 帰り道、二人はいつものように並んで歩いた。


 夕方の空は薄い青と橙が混じっていた。

 部活の声が遠くに聞こえ、駅へ向かう生徒の数も少しずつ減っていく。


「透」


「何」


「呼びやすくなったって」


「……蒸し返すな」


「嬉しかったから」


「知ってる」


「前は、呼ぶのに少し構えてた」


「おまえ、よく見てるな」


「透だから」


「出た」


 玲央は小さく笑う。


「今日は、自然に何回も呼んでくれた」


「席が遠いからだろ」


「うん」


「必要だったから」


「うん」


「でも」


 透は少しだけ歩く速度を落とした。


「必要がある時に、名前が出るくらいにはなったんだろ」


 玲央が隣で静かになる。


「何」


「今のも嬉しい」


「言うと思った」


「透が、自分で認めてくれたから」


「……認めたっていうか」


 透は言葉を探した。


 名前を呼ぶこと。

 玲央と呼ぶこと。

 それがもう特別すぎて言えないものではなくなっている。


 それでも、ただの名前ではない。


 普通になりつつある特別。


 そんな面倒なものになっている。


「……まあ、呼びやすくなったのは事実だ」


「うん」


「でも、調子に乗るな」


「少し乗りたい」


「乗るな」


「じゃあ我慢する」


「できるのかよ」


「努力する」


「できないやつだな」


 二人で少しだけ笑った。


 席が遠くなったことで、名前を呼ぶ回数が増えた。


 遠くなったのに。

 むしろ、遠くなったから。


 声で距離を埋める、なんて直が言っていた。


 あの時は否定したけれど、今なら少し分かる気がする。


「明日も」


 玲央が言う。


「うん」


「呼んでくれる?」


「必要があればな」


「必要、作ろうかな」


「作るな」


「じゃあ、自然に待つ」


「何を」


「透が呼んでくれるの」


 透は顔を逸らした。


「……期待するな」


「少しだけ」


「少しでもするな」


「無理」


「知ってる」


 いつもの言葉で締める。


 けれど今日のそれは、少しだけ違っていた。


 名前を呼ぶことが、また一つ日常になった。


 でも、日常になったからといって軽くなったわけではない。


 玲央、と呼べば、玲央が返事をする。

 それだけで、教室で離れた距離が少し戻る。


 透はそれを、もう知ってしまった。

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