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おまえ、俺のこと好きすぎない? ――学校では塩対応のイケメンが、放課後だけ距離感おかしい。  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第32話 名前で呼ぶだけで、こんなに景色が変わるのか

 翌朝、白石透は駅へ向かう途中で、何度も昨日の帰り道を思い出していた。


 ――また明日、玲央。


 言った。


 間違いなく、自分で言った。


 勢いでも、事故でも、言い間違いでもない。

 ちゃんと自分で選んで、そう呼んだ。


 思い返すだけで、耳のあたりが熱くなる。


 なぜあの時、あんなことを言えたのか。

 昨日の夕方の空気のせいかもしれない。駅前のざわめきのせいかもしれない。玲央があまりにも嬉しそうに待ち合わせの話をするから、つい口が滑ったのかもしれない。


 でも、どれも少し違う気がした。


 たぶん、呼びたかったのだ。


 その事実に気づくと、余計に落ち着かない。


「……重症だろ、これ」


 小さく呟きながら改札を抜ける。


 今日は昨日より早すぎないようにした。

 したつもりだった。


 しかし柱の方へ視線を向けると、まだ玲央はいなかった。


 透は一瞬だけ足を止める。


 そして、昨日と同じ場所へ向かった。


 待っている。

 完全に、待っている。


 もう言い訳は弱い。

 同じ時間に来ただけ、と言うには、視線が改札の方を探しすぎている。


 数十秒後、改札の向こうに玲央の姿が見えた。


 透はなぜか少しだけ姿勢を正した。

 その自分に気づいて、内心で頭を抱えたくなる。


 玲央は透を見つけると、ほんの少し驚いた顔をした。

 それから、昨日よりもやわらかく笑う。


「おはよう、透」


「……おはよ」


「今日も待っててくれた」


「早く着いただけ」


「うん」


「納得してない返事だな」


「してるよ」


「嘘だろ」


「少しだけ」


 玲央は笑った。

 朝の駅前でそんな顔をされると、透はやっぱり視線を逸らしてしまう。


「行くぞ」


「うん」


 二人で歩き出す。


 いつもの道。

 いつもの朝。


 けれど、昨日の夕方に名前を呼んだせいで、今日は隣を歩く玲央の存在が少し違って感じた。


 呼ぼうと思えば、呼べる。

 もう一度、名前で呼べる。


 そう思っただけで、逆に呼べなくなる。


「透」


「何」


「昨日の帰り」


「忘れろ」


「まだ何も言ってない」


「どうせ名前の話だろ」


「うん」


「ほら」


 玲央は少しだけ楽しそうだった。

 けれど、からかいきるわけではない。昨日からずっと、どこか大事なものを扱うみたいに話してくる。


 それが余計に照れくさい。


「無理に呼ばなくていいって言ったけど」


「うん」


「昨日は、嬉しかった」


「……知ってる」


「かなり嬉しかった」


「増やすな」


「言っておきたかった」


「朝から言うな」


「昨日、言い足りなかったから」


 透は足元を見た。


 言い足りなかった。

 それは本気なのだろう。


 玲央は、嬉しい時にちゃんと嬉しいと言う。

 透はそれに何度も振り回されている。


「……俺は」


「うん」


「言ったあと、結構後悔した」


 玲央の気配が一瞬だけ止まった気がした。


 透は慌てて付け足す。


「いや、悪い意味じゃなくて」


「うん」


「その……恥ずかしすぎた」


 玲央は少し黙ったあと、小さく笑った。


「そっちか」


「そっちだよ」


「嫌だったわけじゃない?」


「……嫌なら言わない」


 また言った。


 朝の通学路で。

 かなり素直なことを。


 玲央は何も返さなかった。

 ただ、隣で本当に嬉しそうに息を吐いた。


「そういう沈黙もやめろ」


「ごめん」


「謝るな」


「嬉しいって言うと怒るから」


「言わなくても分かる」


「じゃあ、よかった」


 分かるようになっている。


 それが、また少し怖くて、少し嬉しい。


     ◇


 教室に入った瞬間、高城がこちらを見た。


「おはよう、待ち合わせ組」


「その呼び方、定着させるな」


 透が返すと、高城はにやっと笑った。


「いや、もう定着してるだろ。今日も一緒だし」


「同じ時間に来ただけ」


「白石、その言い訳、昨日弱いって自分で言ってなかった?」


「言ってない」


「顔に書いてある」


「書いてない」


 直が横から口を挟む。


「で、今日は名前呼んだ?」


「何を朝から」


「いや、昨日の『玲央』が事故じゃないって話になったから」


「……おまえら、本当に聞きすぎだろ」


「聞こえる位置だったし」


「その言い方を流行らせるな」


 玲央は隣で静かに鞄を下ろしている。


 何も言わない。

 何も言わないくせに、少しだけ期待しているような空気がある。


 透はそれに気づいてしまった。


 気づいてしまう自分が嫌だった。


「白石」


 高城がにやにやしながら言う。


「呼んでみれば?」


「呼ばない」


「即答」


「当たり前だろ」


「じゃあ榊原って呼ぶ?」


「普通にそうだろ」


 言いながら、透は玲央の方を見た。


 玲央は別に悲しそうな顔をしているわけではない。

 ただ、少しだけ静かだった。


 その静かさが、妙に胸に引っかかる。


 透は小さく息を吐いた。


「……玲央」


 教室の空気が止まった。


 高城が口を開けたまま固まる。

 直が一瞬だけ目を丸くする。


 そして玲央は、ゆっくり透を見た。


「……何?」


 声が少しだけ低い。

 いつもより、ほんの少しだけ揺れている気がした。


 透は顔が熱くなるのを感じながら、無理やり平然とした声を出す。


「何でもない」


「呼んだだけ?」


「……呼んだだけ」


 玲央は黙った。


 それから、昨日の夕方よりもさらに嬉しそうに笑った。


「そっか」


「そこでそんな顔するな」


「無理」


「だろうな」


 高城がようやく動き出した。


「白石、今のは強い」


「うるさい」


「いや、朝からこれは強い。もう事故じゃないどころか、完全に自分から行ったじゃん」


「行ってない」


「行ったよな、水城」


「行ったな」


 直が真顔で頷く。


「白石が榊原を喜ばせに行った」


「言い方!」


 透は声を上げたが、完全に否定できなかった。


 呼んだだけ。

 ただ名前を呼んだだけ。


 でも確かに、玲央が嬉しそうな顔をするのを分かっていて呼んだ。


 そこが一番まずい。


     ◇


 その日の午前中、透は落ち着かなかった。


 名前を呼んだだけで、何が変わるわけでもない。

 授業は普通に進むし、先生はいつも通り板書するし、高城は休み時間になるたびに眠そうな顔をする。


 なのに、教室の景色が少しだけ違って見えた。


 玲央。


 そう呼んだ。

 呼べた。


 もう、榊原としか呼べない距離ではないのだと思ってしまう。


 その自覚が、じわじわと胸の奥に広がっていく。


「白石」


 休み時間、直が前の席から振り返る。


「何」


「今日、かなり上の空」


「そうか?」


「そう。黒板見てるのに目が遠い」


「文化祭疲れ」


「便利な言い訳だな」


「便利だから」


「お、榊原みたいな返し」


「やめろ」


 直は笑った。


 それから少しだけ声を落とす。


「でも、名前で呼ぶの、思ったより自然だったぞ」


「自然じゃない」


「白石の中ではそうかもしれないけど、聞いてる側からすると、かなり自然だった」


「……そういうこと言うなよ」


「言っておいた方がいいかと思って」


「何で」


「おまえ、気にしすぎるから」


 直はそれだけ言うと、また前を向いた。


 からかうだけではなく、時々こういうことを言う。

 だから透は、直に強く出きれない。


 自然だった。

 そう言われると、少しだけ救われる。


 同時に、さらに逃げられなくなる。


     ◇


 昼休み。


 透が弁当を開けると、玲央がいつものように近づいてきた。


「透、ここいい?」


「……うん」


 いつもなら「いいけど」とか「聞くな」とか、少しだけ遠回りした返事をする。

 でも今日は、短く頷いた。


 玲央が隣に座る。


 高城が購買のパンをかじりながら、その様子を見ている。


「なんか今日の白石、諦めが早いな」


「諦めって何だよ」


「榊原が隣に来ること」


「……もう驚くことでもないだろ」


「おお」


 高城が楽しそうに声を上げる。


「すごい。文化祭後、ほんとに進んだな」


「だから進んだって言うな」


 玲央が隣で静かに弁当を開ける。


 その動きが自然で、透は一瞬だけ見てしまった。


「何?」


 玲央が気づく。


「何でもない」


「今、見てた」


「見てない」


「見てたよ」


「……隣にいるから見えただけ」


 言ってから、透は気づく。


 玲央の言い訳みたいなことを、自分が言っている。


 玲央も気づいたらしく、少しだけ口元が緩んだ。


「何だよ」


「透も言うようになった」


「誰のせいだと思ってる」


「俺かも」


「かもじゃない」


 高城が横から笑う。


「なんかもう、会話が馴染みすぎてて逆に突っ込みにくい」


「突っ込まなくていい」


 直が弁当箱を閉じながら言った。


「でも、今の白石はだいぶ自然だな」


「おまえもそれ言うの二回目だぞ」


「大事だから」


「玲央の真似するな」


 また呼んだ。


 何気なく。

 完全に会話の流れで。


 言った瞬間、透は箸を止めた。


 玲央も止まった。


 高城が今度は声を出さずに両手で口を押さえた。

 直は目だけで笑っている。


「……今のは」


 透は低い声で言う。


「言い間違いじゃないな」


 直が先に言った。


「普通に呼んだな」


 高城も続く。


 玲央は何も言わなかった。

 ただ、隣で本当に嬉しそうにしている。


 透は完全に負けた気分になった。


「……もういい」


「いいの?」


 玲央が聞く。


「何が」


「名前」


「……いちいち反応される方が恥ずかしい」


「じゃあ、普通にする」


「できるのかよ」


「頑張る」


「頑張らないとできないのか」


「嬉しいから」


「もう分かった」


 透は弁当に視線を戻した。


 名前で呼ぶだけで、こんなに教室の景色が変わるのか。


 いや、変わったのはたぶん教室ではない。

 自分の方だ。


     ◇


 放課後、いつものように帰り支度をしていると、玲央が来た。


「透」


「何」


「帰る?」


「帰る」


「一緒に?」


「うん」


 もう、このやり取りにもほとんど抵抗がなくなっている。


 教室の後ろでは高城が何か言いたそうにしていたが、直に肩を押さえられていた。


「今日は黙っとけ」


「え、何で」


「白石が自分で進んでる時に茶化しすぎると戻る」


「なるほど」


「聞こえてるぞ」


 透が言うと、二人は同時に笑った。


「お疲れ、白石。榊原も」


「また明日」


 直が普通に手を振る。


 高城も少しだけ茶化しを抑えて言った。


「また明日な、待ち合わせ組」


「結局言うのかよ」


「控えめにした」


「どこが」


 そんなやり取りをして、教室を出る。


 廊下にはもう文化祭の名残はほとんどない。

 普通の放課後。

 普通の校舎。


 でも隣には玲央がいる。


「玲央」


 透は、廊下に出てからふいに呼んだ。


 玲央がすぐにこちらを見る。


「何?」


「……いや」


「また呼んだだけ?」


「そう」


 玲央は少しだけ黙ったあと、柔らかく笑った。


「そっか」


「慣れる練習」


「俺が?」


「俺が」


「じゃあ、何回でも呼んで」


「調子に乗るな」


「ごめん」


「謝るな」


 透は少しだけ笑いそうになって、顔を逸らした。


 けれど玲央にはたぶん見えていた。


「透」


「何」


「今、少し笑った」


「見てない」


「見てた」


「見るな」


「無理」


 そのやり取りも、もうすっかり馴染んでしまった。


     ◇


 帰り道、二人はいつもの速度で歩いた。


 朝の待ち合わせ。

 昼の隣の席。

 放課後の帰り道。


 普通の日の中に、玲央との時間が少しずつ増えていく。


 それが怖くないわけではない。

 でも、今日は怖さよりも落ち着きの方が少し勝っていた。


「透」


「何」


「明日の朝も、聞いていい?」


「……聞かなくても」


 言いかけて、透は一度止まった。


 玲央が静かに待つ。


 夕方の道。

 駅へ向かう人の流れ。

 いつもの風景。


 その中で、透は小さく言った。


「……同じ時間に来るなら、待ってる」


 玲央が足を止めた。


 透も少し遅れて止まる。


「何」


「今」


「何だよ」


「透から、待ってるって言った」


 言われて、透はようやく自分の言葉の意味に気づいた。


 待っててもいい、ではない。

 待ってる。


 自分からそう言った。


「……今のは」


「うん」


「言い直さない」


 玲央は、しばらく黙っていた。


 それから、噛みしめるように小さく頷く。


「うん」


「何か言えよ」


「嬉しすぎて、何言えばいいか迷ってる」


「そういうのは言うんだな」


「これしか出なかった」


 玲央の声が少しだけ揺れていた。


 それを聞いて、透は胸の奥がじわっと熱くなる。


「……明日な」


「うん」


「同じ時間」


「うん」


「遅れたら置いてく」


「たぶん透は置いていかない」


「決めつけるな」


「待ってくれるって言ったから」


「……それを使うな」


 玲央が笑う。


 透も、今度は少しだけ笑った。


 名前で呼ぶだけで、景色が変わった。

 待ってると言っただけで、明日の朝が少し特別になった。


 もう、自分でも分かっている。


 これは、ただのクラスメイトの距離ではない。


 それを言葉にするには、まだほんの少し勇気が足りない。


 でも、その手前まではもう来ている。


 夕方の道を並んで歩きながら、透はそう思った。

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