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おまえ、俺のこと好きすぎない? ――学校では塩対応のイケメンが、放課後だけ距離感おかしい。  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第3話 ただのペア決めで、なんでそんな顔するんだ

 体育の授業ほど、人の本性が見える時間もないと白石透は思っている。


 普段はやたら静かなやつが急に仕切りだしたり、いつもはふざけてばかりのやつが意外と運動神経だけは抜群だったり。逆に、なんでもそつなくこなしそうなやつがボール競技だけ妙にぎこちなかったりする。教室の中では見えない部分が、体育館では変にあらわになるのだ。


 そして透は、自分がそういう「見えて面白い側の人間」ではないことをよく知っていた。


 運動が極端に苦手なわけじゃない。でも得意でもない。平均点のちょっと上か下あたりを、目立たず静かにうろうろしているのが一番しっくりくる。体育に求めるものがあるとすれば、それはもう「無事に終わること」だけだった。


 だから四時間目の体育が始まる直前、着替えのために男子更衣室へ向かいながらも、透の頭の中はほとんど空っぽだった。


「今日ペアあるらしいぞ」


 前を歩いていた男子の会話が耳に入って、透はほんの少しだけ顔をしかめる。


 ペア。


 その単語の時点で、なんとなく面倒くさい予感がした。


 こういう時、透はだいたい近くにいるやつと適当に組む。仲が悪くなければ誰でもいい。誰でもいいからこそ、波風も立たない。それでいいと思っていた。


 思っていたのに。


「はい、今日は準備運動のあと、二人一組でメニュー回すからなー。先にペア作っとけ」


 体育教師のその一言で、体育館の空気が一気に動き出す。


「おまえやろうぜ」

「いいよ」

「じゃあこっち二人な」


 あちこちで声が飛び交い、数秒前まで適当に並んでいた男子たちが、それぞれの組み合わせを作っていく。透の近くでも、クラスの男子が何人か顔を見合わせていた。


「白石、やる?」


 すぐそばにいた男子が軽い調子で声をかけてくる。特別仲がいいわけじゃないが、普通に話す相手だ。こういう時に組むにはちょうどいい。


「うん、いいよ」


 透がそう答えかけた時だった。


「白石」


 横から、聞き慣れつつある低い声が差し込む。


 透が反射的に振り向くと、榊原玲央がすぐ近くまで来ていた。ジャージ姿なのに相変わらず変に様になっていて、余計に腹が立つ。普段の制服の時より少し無防備に見える分、逆に目立っている気さえした。


「俺と組んで」


 あまりにも自然な言い方だった。


 まるで最初から決まっていたことを確認するみたいに。


「……え?」


 透は思わず間の抜けた声を出した。

 今まさに声をかけてくれていた男子も、「あ、そっち?」みたいな顔になる。


「榊原、おまえ白石と?」

「うん」

「いや、別にいいけど……」


 その男子は一瞬だけ透と玲央を見比べ、それから「じゃ、俺は他あたるわ」と笑って去っていった。


 残された透は、数秒遅れて玲央を見上げる。


「……何してんの」

「ペア組んでる」

「そういうことじゃなくて」

「じゃあどういうこと」


 本気で分かっていなさそうな顔で言われて、透は言葉に詰まる。


 どういうこと、と聞かれても、自分でもうまく説明できない。ただ、普通なら榊原玲央みたいなやつは、もっと目立つ相手とか、仲のいいやつとか、そういう相手とさっさと組みそうなものだ。わざわざ透のところに来るのが不自然なのだ。


「近くにいたやつと組めばよかっただろ」

「白石が近くにいた」

「今はな」

「今いるなら問題ないじゃん」


 理屈だけならそうだ。

 だが、理屈で納得できるなら最初から困っていない。


「はい、決まったやつから並べー」


 先生の声が飛んでくる。

 もうここであれこれ言うタイミングではない。


 透は小さくため息をついた。


「……分かったよ」

「うん」


 玲央はそれだけ言って、透の隣に並ぶ。

 たったそれだけのことなのに、妙に距離が近く感じた。


     ◇


 最初のメニューは、向かい合ってのパス練習だった。


 ごく普通の準備運動だ。一定の距離をとってボールを投げ合うだけ。別に難しいことはない。誰と組んでも問題なく終わるはずの時間。


 はずなのに、透は自分の集中力がいつもより少しだけおかしいことに気づいていた。


「白石」

「何」

「今のちょっと右」

「取れたじゃん」

「取れたけど」

「ならいいだろ」

「よくない。ちゃんと投げて」


 玲央は平然と言う。

 言い方は淡々としているのに、透相手だと妙に細かい。


「おまえ、体育の時だけ厳しくない?」

「白石が雑だから」

「雑じゃない」

「今のは雑」


 言い返しながらも、透はボールを構え直す。

 玲央のフォームは無駄がなくてきれいだった。投げるのも受けるのも、変に力んでいない。悔しいことに、見ていて少し気持ちがいいくらいには。


「次はちゃんと」

「はいはい」


 透が少しだけ強めに投げると、玲央はそれを危なげなく受けた。受けながら、ほんの少しだけ目を細める。


「それはちょっと強い」

「注文多いな」

「白石の調整幅が極端なんだよ」

「おまえにだけ言われたくない」


 つい自然にそう返してしまってから、透は少しだけ黙る。

 最近、自分は玲央相手だと前より軽口が出る気がする。良くない傾向だ。良くないはずなのに、玲央はその言葉に不快そうな顔ひとつせず、むしろ少しだけ笑った。


「言うようになった」

「誰のせいだと思ってるんだよ」

「俺かも」

「かも、じゃなくてそう」


 こんな会話をしながら体育をしている時点で、かなりおかしい。

 透はそれを自覚しつつ、だからこそ余計に落ち着かなくなる。


 隣の列では直が別の相手と組んでいて、時々こちらを見ては妙に意味ありげな顔をしていた。視線を合わせないようにするだけで精一杯だ。


 準備運動のあとは、二人一組でのフットワーク練習になった。相手の動きに合わせて左右へ移動し、タイミングを合わせる単純なメニューだが、近い距離で向き合うことになる。


「はい、ぶつかるなよー」


 先生の声が遠くで響く。


 透は軽く膝を曲げ、玲央と向き合った。

 目の前の距離がやけに近い。


「白石」

「何」

「ちゃんと見て」

「見てる」

「いや、顔じゃなくて足」

「分かってるよ!」


 思わず強めに返したところで、玲央の口元がわずかに緩む。

 絶対、少し面白がっている。


「……おまえ、今笑っただろ」

「笑ってない」

「いや笑った」

「白石が分かりやすいから」

「何が」

「色々」


 その「色々」が腹立たしい。


 透はむっとしたまま動きに合わせるが、その一瞬の気の緩みがよくなかった。右へ踏み込んだ足が少しだけ滑り、バランスを崩す。


「っ」


 しまった、と思った時には体が傾いていた。


 だが床に手をつく前に、腕をぐっと引かれる。


「危な」


 低い声が、思ったよりずっと近い場所で聞こえた。


 気づけば透は、玲央のすぐ目の前にいた。というより、体勢を立て直すためにほとんど引き寄せられている。腕をつかまれたまま、ほんの一瞬だけ距離が完全におかしくなった。


 近い。

 とにかく近い。


 ジャージ越しに伝わる体温とか、息のかかる距離とか、そういうものを意識した瞬間、透の頭が真っ白になる。


「……大丈夫?」


 玲央の声が少し低かった。

 さっきまでの軽い調子とは違う。本気で心配している時の声だと、なぜか分かってしまう。


「だ、いじょうぶ」

「ほんと?」

「ほんと……」


 たぶん顔はまったく大丈夫そうではなかったと思う。

 でも玲央は、それ以上何も言わなかった。ただ透がちゃんと立てるのを確認してから、ゆっくり腕を離す。


 離されたはずの場所だけ、妙に熱かった。


「足ひねってない?」

「ひねってない」

「痛くない?」

「痛くないって」

「ならよかった」


 短いやり取り。

 なのに透の心臓は、さっきからずっとおかしいままだ。


 玲央はそれを知ってか知らずか、ほんの少し眉を寄せていた。焦ったような、怒っているような、でもそのどちらでもない顔。


「……おまえ」

「何」

「さっき、ちょっと大げさじゃなかった?」

「そう?」

「そうだよ。別に転ぶほどじゃ」

「転びそうだった」


 珍しく、玲央が言葉を被せてきた。


 透は目を瞬かせる。


「……いや」

「白石」

「なに」

「ちゃんと見てないと危ない」


 声がいつもより少しだけ硬い。

 叱るというほどではない。でも、明らかにさっきまでの空気ではない。


 透はそこでようやく気づいた。

 ああ、これ、普通に焦ってたのか。


 自分が転びかけたから。


 その事実がじわじわ胸の奥に落ちてきて、透は妙に返事ができなくなる。


「……ごめん」

「謝ることじゃないけど」

「でも」

「次、気をつけて」

「……うん」


 頷いた直後、少し離れた場所から直の視線を感じた。見なくても分かる。あれは絶対に面白がっている時の気配だ。あとで何か言われるに決まっている。


 そして案の定、授業の終わりに近づくにつれて周囲の空気が少し変わり始めた。露骨ではない。でも、何人かがこちらを見ていたのを透はちゃんと感じていた。


 転びかけて支えられた、それだけのことなのに。


 それだけのことのはずなのに、玲央の反応が少し分かりやすすぎたのだ。


     ◇


 更衣室で着替えている最中、透は無言で制服のシャツに腕を通していた。


 汗で少し張りつく布の感触より、さっき腕をつかまれた感覚の方が妙に残っている。困る。かなり困る。


「白石ー」


 案の定、着替え終わりかけたところで直が寄ってきた。


「何」

「今日すごかったね」

「何が」

「何が、じゃないだろ。榊原」

「……うるさい」

「いやでも、あれは言うわ。めっちゃ焦ってたじゃん」

「気のせい」

「気のせいじゃないって。白石がよろけた瞬間、すぐ腕つかんでたし」


 直はにやにやしているが、言っている内容自体は妙に冷静だった。


「しかも、その後もしばらく顔怖かったぞ」

「怖くはなかっただろ」

「怖いっていうか……あー、なんていうんだろ。機嫌悪いっていうか」

「……機嫌?」


 透は思わず聞き返した。


「うん。白石が危ないことしたから、ちょっとムッとしてる感じ」

「何それ」

「いや俺に言われても」


 直は肩をすくめる。


「でもあれ、単なる親切だけじゃなくない?」

「やめろ」

「まだ何も言ってない」

「言う気満々だろ」


 図星だったのか、直は楽しそうに笑った。


 透はため息をつきながらネクタイを締める。

 親切だけじゃない、なんて。そんなの、考えたくもない。


 考えた瞬間に、いろいろ辻褄が合ってしまいそうだからだ。


     ◇


 教室へ戻ると、玲央はすでに席に着いていた。


 体育の後とは思えないくらい落ち着いた顔で、次の授業のノートを開いている。さっきまであんなに距離が近かったことなんて、なかったみたいな顔だ。


 その平然さが、透には少しだけ腹立たしい。


 だから席に着くなり、つい口が動いた。


「榊原」

「何」

「足、大丈夫って、さっきから聞きすぎ」

「じゃあ痛いの?」

「痛くない」

「ならいい」

「……それも何回目だよ」


 玲央は少しだけ透を見た。

 視線が合う。たったそれだけなのに、また呼吸が一瞬止まりそうになる。


「確認したかっただけ」

「しすぎ」

「そうかも」

「認めるんだ」

「白石が怪我したら嫌だし」


 さらっと言われた。


 あまりにも自然に。


 透は固まる。


「……そういうの」

「うん」

「普通に言うなよ」

「本当のことだから」


 その返しがずるすぎて、透はもう何も言えなかった。


 席の前の方では何人かがざわざわしている。たぶん先生が来る前のいつもの空気だ。なのに透の周囲だけ、妙に静かに感じる。


 白石が怪我したら嫌。


 たったそれだけ。

 でも、その一言がさっきの全部の意味を塗り替えるには十分すぎた。


     ◇


 放課後。


 今日も夕方の光が教室を斜めに染めている。窓の外は少しずつ橙色へ傾いていて、校庭の端の方では部活の声が遠く響いていた。


 透が帰り支度をしていると、数人の男子が体育の話をしているのが耳に入る。


「今日の榊原、珍しかったよな」

「分かる。白石のこと、めっちゃすぐ支えてたし」

「あれ普通にびびった」


 やめてくれ、と思う。

 だが願っても会話は止まらない。


 透はなるべく聞こえないふりをしてノートを鞄に入れた。すると、背後からまたあの声がする。


「白石」


 今日は本当に何回呼ばれたのか分からない。


「……何」

「帰る?」

「帰るけど」

「そっか」


 玲央はそれだけ言って、鞄を肩に掛けた。

 数歩先に進みかけて、透は思わず口を開く。


「榊原」

「ん?」

「ただのペア決めだっただろ」

「そうだけど」

「なんで……そんな顔してたんだよ」


 口に出してから、自分で少しだけ驚いた。


 それはずっと気になっていたことだった。

 転びかけた瞬間の、玲央のあの表情。焦ったような、怒ったような、妙に余裕のない顔。


 玲央は一度、動きを止めた。


 すぐには答えない。

 数秒だけ静かな間が落ちる。


「どんな顔に見えた?」

「……知らない」

「知らないのに聞いた?」

「気になったから」


 玲央はほんの少しだけ目を伏せた。

 それから、静かに笑う。さっきまでのからかうような笑い方ではない。少しだけ困ったような、でもやわらかい笑みだった。


「じゃあ、そのうち教える」

「何を」

「俺がどんな顔してたか」


 答えになっていない。

 答えになっていないのに、それ以上聞けない空気を作るのがうまい。


 透は小さく息を吐いた。


「ずるい」

「よく言われる」

「俺が言ってる」

「知ってる」


 そう言って玲央は、教室の出口へ向かう。

 透も慌てて後を追った。


 廊下に出ると、夕陽が長く差し込んでいて、二人の影が床に並んで伸びる。その影の近さが、妙に意識に残った。


「途中まで一緒に行く」

 玲央が言う。


「断っても来るだろ」

「たぶん」

「素直かよ」

「白石相手だし」


 またそういうことを平然と言う。


 透はもう反論する気力もなくなって、ただ隣を歩く。

 沈黙が苦しいかと思ったが、意外なことにそうでもなかった。


 そのことに気づいた時、透は少しだけ認めざるを得なくなる。


 今日の体育は、ただのペア決めだった。

 ただの授業だった。


 それなのに、その「ただの」がまるでただではなくなってしまったのは、たぶん全部、榊原玲央のせいだ。


 そして同時に、自分がもう少しだけ、そのせいに慣れ始めていることも。


 それはたぶん、かなりまずい。


 かなりまずいのに、隣を歩く玲央の存在が少しだけ安心するものになってきていることを、透はまだ誰にも言えなかった。

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