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おまえ、俺のこと好きすぎない? ――学校では塩対応のイケメンが、放課後だけ距離感おかしい。  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第2話 否定しろよ、そこで笑うな

 翌朝、白石透は教室の前で一度だけ足を止めた。


 止めたからといって、別に深い意味があるわけじゃない。


 ただ少しだけ、昨日のことを思い出しただけだ。


 放課後の、夕日が差し込む教室。

 誰もいない空間。

 榊原玲央の「結構、無防備だよな」という低い声。


 意味が分からない。今思い返しても、やっぱり分からない。

 分からないのに、その一言だけが妙に頭に残っているのが腹立たしかった。


「……考えすぎだろ」


 自分にだけ聞こえる声で呟いて、透は教室の扉を開けた。


 朝の教室は、まだ完全には目覚めていない。数人のクラスメイトが席に着き、鞄を置き、眠そうな顔で友達に挨拶をしている。窓際では女子たちが新しく買ったコスメの話をしていて、前の方では男子がスマホのゲームの話で盛り上がっていた。


 その中に、自然に玲央の姿を探してしまった自分に気づいて、透は内心で小さく舌打ちした。


 いる。


 教室の後ろ、窓際の列。

 榊原玲央はすでに席に着いていて、片手で頬杖をつきながら、何か文庫本を読んでいた。


 朝の光を受ける横顔は昨日と変わらず整っていて、相変わらず無駄に目立つ。なのに本人はその視線に慣れ切っているのか、周囲を一切気にしていない。


 透が一瞬そちらを見ただけで、玲央は本から顔を上げた。


 視線が合う。


 その瞬間、昨日の放課後の沈黙が透の中で勝手に蘇って、心臓が変な音を立てた。


 玲央はほんの少しだけ目を細めると、軽く顎を引いた。

 それはたぶん挨拶のつもりなのだろう。


 透はぎこちなく一度だけ会釈して、自分の席へ向かった。


「おはよ、顔かたくない?」


 鞄を置いた途端、斜め前から水城直の声が飛んでくる。


「朝からうるさい」

「おはようの返しがそれ?」

「おはよ」

「よろしい」


 直は満足したように笑ってから、机に肘をついて透を見た。


「で?」

「何が」

「昨日の続き」


 嫌な予感がした。


「何の続きだよ」

「榊原」

「続いてない」

「ほんとに?」


 直の目が完全に面白がっている。

 透は露骨に顔をしかめた。


「おまえさ、なんでそんなに人のこと気にすんの」

「だって面白いから」

「最低」

「褒め言葉として受け取っとく」


 絶対に褒めていないのに、直は悪びれもしない。


「昨日、放課後なんかあった?」

「なんでそうなるんだよ」

「なんとなく?」

「なんとなくで聞くな」


 透は筆箱を出しながらぶっきらぼうに返した。

 実際、昨日何があったかと聞かれても説明しづらい。何か特別なことをされたわけじゃない。放課後、教室で少し話して、意味の分からないことを言われただけだ。


 ——だけ、のはずなのに。


「ふーん」


 またその、全然納得していない声。


 透が完全に無視を決め込もうとしたところで、教室の後ろが少しざわついた。見なくても分かる。たぶん玲央が席を立ったのだ。


 次の瞬間、その気配は透のすぐ近くで止まった。


「白石」


「っ」


 不意打ちで名前を呼ばれて、透は肩を跳ねさせた。

 直がその反応を見て、あからさまに口元を押さえる。


「……なに」

「数学のプリント、今日提出だっけ」

「え?」


 昨日も似たようなことを聞かれた気がする。

 透は一度まばたきをしてから、机の端に置いてあった連絡メモを見た。


「……いや、明日」

「そっか」


 玲央はそれだけ言うと、透の机の上のメモに目を落とした。

 妙に自然だ。自然すぎる。まるで普段からこうしているみたいな顔をしている。


「白石って、ちゃんとメモ取るんだな」

「取るだろ、普通」

「えらい」

「小学生みたいな褒め方すんな」


 思わずそう返してしまってから、透は口をつぐんだ。

 今の、かなり自然に会話してしまった気がする。


 玲央は少しだけ笑った。ほんの一瞬だったけれど、その笑い方が昨日よりやわらかく見えて、透はなんだか余計に落ち着かなくなった。


 そこでようやく直が口を挟む。


「榊原くん、最近ほんと白石のとこ来るね」

「そう?」

「そうだよ。俺、昨日から二回じゃなくて、もう五回くらい見てる」

「数えてたの?」

「観察は基本だろ」


 何の基本だよ、と透は言いたくなったが、その前に玲央が平然と返した。


「水城、暇なんだな」

「否定しないんだ」

「何を」


 その言い方があまりにも自然で、直が一瞬だけ言葉に詰まる。

 透はそれ以上会話が広がる前に、話題を終わらせたくて筆箱をいじった。


 だが、終わらなかった。


「白石」


 また玲央が呼ぶ。


「……何」

「今日、昼どこで食べる?」

「は?」


 今度こそ意味が分からなくて、透は正面から玲央を見上げた。


「どこって、普通に教室だけど」

「そっか」

「そっか、って……」


 玲央はそれ以上説明しない。

 ただ確認しただけ、みたいな顔で自分の席へ戻っていく。


 背中を見送りながら、透は机に突っ伏したくなった。


「いや待って、今の何?」


 小声で呟くと、直が堪えきれなかったように吹き出した。


「昼どこで食べる? だって」

「聞こえてたよ!」

「完全に待ち合わせじゃん」

「違うだろ」

「何が?」

「何がって……全部?」


 自分で言っていて説得力がない。

 それが余計に悔しい。


「白石さあ」

「何」

「気づいてないだけで、だいぶ振り回されてるぞ」

「振り回されてない」

「今の返し、かなり振り回されてる人のやつ」


 うるさい、と言い返そうとしたところでチャイムが鳴った。


 朝のホームルームが始まり、会話はそこで強制的に打ち切られた。

 それなのに透の頭の中では、さっきの玲央の「今日、昼どこで食べる?」だけがやけに鮮明に残っている。


 ただの確認だ。

 たぶん本当に、それだけ。

 そう思い込もうとしても、心のどこかが妙にざわついていた。


     ◇


 昼休み。


 四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、教室は一気にざわめき出した。椅子を引く音、弁当箱を開く音、購買へ走る男子たちの足音。いつもの昼の空気だ。


 透は弁当の包みを机の上に置きながら、なるべく何も考えないようにしていた。


 別に待っているわけではない。

 待っているわけではないが、朝の会話のせいで少しだけ落ち着かない。


「で、来るかな」

「来ない」

「その即答、逆に期待してるやつじゃん」

「してない」


 直とのやり取りも、もう半分くらい惰性だ。

 透が弁当箱の蓋を開けた、その時だった。


「白石」


 来た。


 心の中だけでそう思ってしまった自分に、透はまず負けた気がした。


 顔を上げると、玲央が立っていた。手には紙パックの飲み物と、購買の袋。昨日と同じように当然みたいな顔で、透の机の横にいる。


「……何」

「ここ、座っていい?」


 透の隣の席は今、空いている。

 その席の持ち主は購買へ行っているらしく、しばらく戻ってきそうにない。


「いいけど……」


 答えた瞬間、直が「うわあ」とでも言いたげな顔をした。

 玲央はそんなこと気にせず、椅子を少し引いて透の隣に座る。


 昨日と同じだ。

 昨日と同じなのに、今日は朝から前振りがあったせいで、昨日よりずっと落ち着かない。


「それ、弁当?」

「見れば分かるだろ」

「昨日の仕返し?」

「ちょっとだけ」


 言った後で、自分の口が勝手に軽口を返したことに透は驚いた。

 だが玲央は嫌そうな顔をするどころか、少しだけ目を細めた。


「なるほど」

「何が」

「ちゃんと返してくるんだなって」

「昨日のはそっちが悪いだろ」

「そうかも」


 認めるんだ。


 透が返す言葉に困っていると、直が机を挟んだ向こう側からにやにやしながら口を挟んだ。


「ねえ榊原くん」

「何」

「ほんと最近白石の隣好きだよね」

「空いてるから」


 昨日と同じ返事。


 直はそれを待っていたと言わんばかりに、身を乗り出した。


「じゃあ、他の空いてる席でもよくない?」

「ここが近いし」

「何に?」

「白石に」


 一拍。


 透は持っていた箸を危うく落としかけた。

 直は完全に吹き出し、前の席の男子まで「何それ」と笑っている。


「いやいやいや、言い方!」

「変だった?」

「だいぶ変」

「そう?」


 玲央は本気で分かっていなさそうだった。

 分かっていないのか、分かった上でやっているのか、そのどちらかだ。後者だったらかなりたちが悪い。


 透は慌てて話を切ろうとする。


「ただ隣に座っただけだろ」

「白石、焦ってる?」

「焦ってない」

「顔赤いけど」

「気のせい!」


 直が腹を抱えて笑い始めた。ほんとうに最悪だ。


 さらに悪いことに、近くにいた女子二人組までこちらを見てひそひそ話しているのが分かる。絶対にろくでもないことを言っている。


 透は全力で話題を変えることにした。


「……榊原、その飲み物何」

「カフェオレ」

「へえ」

「飲む?」

「なんでだよ」


 反射的に返したが、そのやり取りすら妙に自然になっている自分が嫌だった。

 昨日までこんな会話、ほとんどしたこともないはずなのに。


 玲央は購買の袋から小さなパンを取り出す。


「白石、今日焼きそばパンじゃないんだな」

「弁当だから」

「そっか」

「いちいちそこ気にする?」

「昨日うまそうに食べてたから」


 さらっと言われて、透は止まった。


「……見てたの?」

「見える位置だったし」


 またそれだ。

 便利すぎるだろ、その言い訳。


「榊原、それもう昨日聞いた」

「そうだっけ」

「そうだよ」

「じゃあ今日は別の言い方にする」

「しなくていい」


 直がついに机に突っ伏して震えだした。笑いすぎである。

 透は本気で帰りたくなった。


 しかし地獄はまだ続く。


 教室の入り口から、別のクラスメイトの男子が声をかけてきたのだ。


「白石ー、今日の放課後、駅前寄るやついるけど来る?」


 クラスでも明るい方の男子で、透とも普通に話す相手だ。

 何の気なしの誘いだろう。透も気楽に返そうとした。


「え、あー、どうしよ」


 その瞬間、隣から視線が刺さる。


 言葉にしなくても分かるくらい、玲央がこちらを見ていた。


 透はぎこちなくそちらを向く。玲央は表情をほとんど変えていない。変えていないのに、空気だけがさっきまでよりほんの少し冷たくなった気がした。


「……榊原?」

「別に」


 いや、別にじゃないだろ。


 心の中でだけそう突っ込む。

 誘ってきた男子はその空気に気づいていないのか、「来るなら連絡して」とだけ言って戻っていった。


 透は何となく弁当箱に視線を落とす。

 玲央はパンの袋を開ける音だけを静かに立てていた。


 気まずい。


 この気まずさは何だ。


 数秒迷ってから、透は小さく声をかけた。


「……さっきから、なんか機嫌悪い?」

「悪くない」

「でも」

「悪くないって」


 返事は短く、やっぱり少し硬い。


 直が面白がるのを通り越して、ほとんど見守る側に回っているのが視界の端に入る。

 やめろ、その保護者みたいな目。


 透は少しだけ考えてから、なるべく軽い調子で言った。


「駅前、別に行くか分かんないし」

「……そう」


 玲央の返事が、ほんの少しだけやわらいだ。


 何なんだ、本当に。


「榊原」

「何」

「……さっき、絶対機嫌悪かっただろ」

「違う」

「いや違わなくない?」

「白石」

「何」

「今、自分で思ってるよりだいぶ人の顔見てるよ」


 透は固まった。


「え」

「機嫌悪いかどうか気にするくらいには」


 さらりと言われて、頬が熱くなる。


 確かに、気にした。

 気にしたけれど、それをそんなふうに言葉にされるとは思わなかった。


 直がまた妙な笑いをこらえる音を出している。

 殺意が湧く。


「……別に」

「うん」

「普通に聞いただけ」

「分かってる」

「絶対分かってない」

「どうだろ」


 玲央はそこで、ようやく少しだけ笑った。


 その笑い方を見た瞬間、透は気づく。

 ああ、さっきまで本当に、少し機嫌が悪かったんだと。


 どうして。

 その理由までは分からない。

 分からないが、自分が誰かに誘われた時だけ空気が変わったことは、さすがに分かる。


 それが意味することを考えようとして、透は途中でやめた。

 考えるとろくなことにならない気がしたからだ。


     ◇


 昼休みの終わり頃には、妙な噂が小さく広がっていた。


「ねえ、白石と榊原って前から仲よかったっけ」

「昨日も一緒にいたらしいよ」

「なんか距離近くない?」


 女子たちのそんな囁きが、風に混じるみたいに耳に入る。


 透は全力で聞こえないふりをした。

 だが直は聞こえていないふりをする気など最初からないらしく、机に頬杖をついたまましみじみと言った。


「否定しないんだよなあ、榊原」

「何が」

「今の状況全部」


 透は黙った。


 実際、その通りだった。


 玲央は誰かに「最近白石と仲いいね」と言われても、「違う」とは言わない。

 「たまたま」とも言わない。

 ただ自然に受け流して、結果として何も否定しないまま終わる。


 それが一番厄介だった。


 もしきっぱり否定してくれれば、透だって「ほら見ろ」と言えるのに。


 五時間目と六時間目は、そんな昼休みの余韻を引きずったまま過ぎていった。


 特に六時間目なんて、先生の話の三割も頭に入っていなかった気がする。

 黒板の文字をノートに写しながらも、透の頭の中には昼休みのやり取りが何度も浮かんでいた。


 近いし。

 白石に。

 機嫌悪いかどうか気にするくらいには。


 思い返せば返すほど、ろくでもない。


 チャイムが鳴り、その日の授業が終わる。


 途端に教室がざわつき、帰り支度をする音があちこちで重なる。

 透も鞄に教科書を詰めながら、今日はさっさと帰ろうと思った。


 思った、のに。


「白石」


 まただ。


 もう今日は何回呼ばれたのか分からない。


「……何」

「帰る?」

「帰るけど」

「そっか」


 玲央はそれだけ言って、自分の鞄を肩に掛けた。

 透は一瞬だけ待った。まだ何か続くのかと思ったからだ。


 だが玲央は、それ以上何も言わない。

 そのまま教室の後ろの扉へ向かう。


「……何だったんだ」


 思わず小さく呟くと、直が机の上に腕を組んだままにやにやした。


「誘ってほしかった?」

「違う」

「でも『何だったんだ』って顔してた」

「おまえ人の顔見すぎ」

「今日はみんな見るだろ、そりゃ」


 そうかもしれない。最悪だ。


 直は立ち上がりながら、わざとらしく深いため息をついた。


「しかし榊原、やっぱずるいな」

「何が」

「白石だけあんな感じなのに、本人は全然普通の顔してんの」

「普通の顔って」

「余裕ありそうに見せるの、うまいよなって話」


 その言葉は妙に胸に残った。


 余裕がありそうに見せる。

 確かにそうだ。

 玲央はいつも静かで、落ち着いていて、何を考えているのかあまり顔に出さない。昼休みに少し空気が変わった時でさえ、よく見なければ分からない程度だった。


 だからこそ、余計に分からない。


 どうして自分にだけ、こんなふうに距離が近いのか。


 どうして他のやつと話しているだけで、あんなふうになるのか。


 どうして噂めいたことを言われても、はっきり否定しないのか。


 答えは出ないまま、透は鞄を持って立ち上がる。


 教室を出て廊下を歩きながら、何となく窓の外を見た。夕方の光が校庭を斜めに照らし、運動部の声が遠くから聞こえてくる。


 その時、少し先の廊下の角を曲がる玲央の背中が見えた。


 追いかけるほどでもない。

 呼び止める理由もない。


 なのに一瞬だけ、行ってしまうその背中に向かって何か言いたい気持ちになった。


 その感覚に自分で驚いて、透は足を止める。


「……何なんだよ、ほんとに」


 今日、何度目か分からない呟きが漏れた。


 問いかけても、もちろん答えは出ない。


 ただ、分かることが一つだけある。


 榊原玲央は、やっぱり変だ。

 少なくとも、自分に対しては明らかに変だ。


 そしてもっと厄介なのは、その変さに振り回されている自分が、少しずつそれを当たり前みたいに受け入れ始めていることだった。


 昨日までは「たまたま」だと思えた。

 でも今日、昼休みに自分の隣へ当然みたいに座って、誰かに何か言われても否定しない玲央を見てしまったら、もうさすがに偶然では片付けにくい。


 なのに、肝心の理由だけが分からない。


 分からないまま、心臓だけが変に騒ぐ。


 そんなの、たちが悪すぎる。


 昇降口へ向かう途中、透は自分でも気づかないうちにスマホを取り出していた。

 別に誰かに連絡する用事があるわけじゃない。意味もなく画面を開いて、すぐ閉じる。


 その瞬間、通知もないホーム画面に映った自分の顔が、少しだけ疲れて見えた。


「……いや、疲れるだろ、普通に」


 誰に言うでもなく呟く。


 すると、ちょうど前方から階段を下りてきた直が、最後にひとことだけ言った。


「白石」

「何」

「そのうちほんとに付き合ってるって言われても、もう否定しきれなくなるぞ」

「ならない」

「その返し、昨日より弱い」


 図星だった。


 透は返す言葉を失い、そのまま直の背中を睨むことしかできなかった。


 ——否定しろよ、そこで笑うな。


 昼休み、誰かにからかわれた時の玲央の顔を思い出す。

 はっきり否定せず、少しだけ笑って受け流した横顔。


 あれを思い出すだけで、また胸の奥がむずがゆくなる。


 やっぱり最悪だ。


 なのに明日もきっと、教室に入った瞬間、あの姿を探してしまうのだろう。


 そう思ってしまった時点で、たぶんもう少し、負けている。

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