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おまえ、俺のこと好きすぎない? ――学校では塩対応のイケメンが、放課後だけ距離感おかしい。  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第25話 その約束、明日で終わるのが少し嫌だった

 教室に戻った瞬間、現実が戻ってきた。


 午前中に玲央と回った時間は、文化祭の中でも少しだけ別の場所みたいだった。焼きそばを半分にして、同じような色のしおりを選んで、直にからかわれて、玲央が嬉しそうに笑って。


 その全部が、まだ胸の奥に残っている。


 けれど二年二組の教室は、そんな余韻に浸らせてくれるほど甘くなかった。


「白石、戻った? 悪い、受付お願い!」


 高城の声が飛んでくる。


「分かった」


「榊原は案内の方入れる?」


「入れる」


「助かる。午後、昨日より人多いわ」


 高城の言う通り、教室の中は朝よりずっと慌ただしかった。来場者の数も増えているし、接客に慣れた分、クラスメイトたちの声も大きい。窓際の席では親子連れが飾りを見ながら話していて、入口近くでは中学生らしい二人組が少し緊張した顔で受付を待っている。


 透は受付の机に立ち、ペンを整えた。


「こちらにお名前お願いします。中、少し混んでるので、順番に案内します」


 声に出すと、自然と頭が切り替わる。


 文化祭を楽しむ側から、クラスを回す側へ。

 それはそれで嫌いではない。やることが決まっている方が、透は落ち着く。


 ただ、視界の端に玲央が入るたび、午前中のことを思い出してしまう。


 玲央は案内係として、相変わらずよく動いていた。

 空いた席を確認し、来場者を誘導し、少し詰まっている場所があればさりげなく人の流れを変える。


 その横顔は落ち着いていて、文化祭のざわめきの中でも妙に目を引く。


 目立つな、と透は思った。


 思ってから、少しだけ自己嫌悪する。


 玲央が目立つのは、玲央のせいではない。

 それに、そういう玲央を見ているのは自分だって同じだ。


「白石くん」


 受付に来た中学生らしい男子に声をかけられ、透は我に返った。


「あ、ごめん。二名?」


「はい」


「じゃあ、ここに名前だけ。席は少し待ってください」


 対応を終え、名簿に目を落とす。


 ちゃんと仕事しろ、と自分に言い聞かせた。


     ◇


 午後のシフトが一段落したのは、文化祭終了まで残り一時間ほどになった頃だった。


 教室の中には、少しだけ疲労の色が見え始めていた。昨日から続く準備と本番の疲れが、さすがに全員に出ている。高城は紙コップの箱を抱えたまま「腰が終わる」と言い、直はそれを聞いて「おまえの腰、文化祭二日目で終わるの早すぎ」と返していた。


「白石、少し休めよ」


 直が受付の横へ来て言う。


「まだ大丈夫」


「大丈夫って顔じゃないぞ」


「そうか?」


「顔に疲れが出てる。あと、たぶん水分足りてない」


 そこまで言われて、透は自分の喉が少し渇いていることに気づいた。


「……じゃあ、水だけ飲んでくる」


「そうしろ。榊原も、ちょっと白石見てやって」


「子ども扱いするな」


 透がすぐ言い返すと、直はにやっと笑った。


「はいはい。じゃあ友達扱い」


「それも何か違う」


「だろうな」


 言い逃げみたいにそう言って、直は受付へ戻った。


 透は小さくため息をつく。


 だろうな、じゃない。

 何がだ。


 でも、自分でも「友達扱い」がしっくりこなかったのだから、強くは言い返せなかった。


「透」


 隣から玲央の声がする。


「……何」


「水、飲みに行く?」


「行くけど」


「一緒に行く」


「案内は?」


「今、交代した」


 見ると、玲央はすでに高城に声をかけていたらしい。高城が少し離れた場所で親指を立てている。余計なことを言いそうな顔だったので、透は見なかったことにした。


「別に一人で行ける」


「知ってる」


「じゃあ」


「俺も水飲みたい」


「……ならいいけど」


 こういう時、玲央は強引なようで、ちゃんと理由を用意してくる。

 それがまた、断りづらい。


 二人で教室を出ると、廊下は少しだけ落ち着いていた。終了時間が近づいてきたせいか、来場者はだいぶ減っている。それでも、各クラスの呼び込みの声や片付けを始める音が混ざり、文化祭の終わり間際らしい空気が漂っていた。


 透は廊下の自販機前まで歩き、財布を出そうとした。


 その前に、玲央が水を二本買った。


「おい」


「ついで」


「俺が買うって」


「今日は透、結構働いてたから」


「おまえだって働いてただろ」


「じゃあ、次は透が買って」


「……次?」


 口に出してから、妙に引っかかった。


 次。

 文化祭は、もうすぐ終わる。


 今日が終われば、明日は普通の授業ではないにしても、片付けと通常の学校生活へ戻っていく。文化祭みたいに、自然に二人で回る理由はなくなる。朝、駅で待ち合わせる理由もなくなる。休憩時間に一緒に校内を歩く理由も。


 そう考えた瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。


 玲央がペットボトルを差し出してくる。


「透?」


「あ……ありがと」


 受け取る。


 冷たい水の感触が手のひらに残った。


「どうした?」


「別に」


「別に、って顔じゃない」


「最近そればっかりだな」


「本当だから」


 透はペットボトルの蓋を開け、水を少し飲んだ。

 冷たさが喉を通って、少しだけ頭がはっきりする。


 でも、胸の奥の重さは消えなかった。


     ◇


 自販機近くの窓辺は、廊下の中では比較的静かだった。


 向こうの階段からはまだ笑い声が聞こえる。けれどここには人が少ない。窓の外では校庭の仮設テントが見えて、文化祭の終了に向けて少しずつ片付けの準備が始まっている。


 透は窓枠に軽く背を預けた。


「文化祭、もうすぐ終わるな」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 そんな感傷的なことを言うつもりはなかった。


 玲央は隣で水を飲んでから、静かに頷く。


「うん」


「昨日まで準備でばたばたしてたのに」


「終わるの早い」


「だな」


 少しだけ沈黙が落ちる。


 その沈黙は、嫌ではなかった。

 でも、いつもより少しだけ寂しい。


「透」


「何」


「終わるの、嫌?」


 玲央は、こういうところを外さない。


 曖昧にしておきたいことほど、静かに拾ってくる。


 透はペットボトルを見下ろした。


「……文化祭は疲れたし、片付けもあるし、終わるなら終わるでいいと思う」


「うん」


「でも」


「うん」


「……こういうのが終わるのは、少し嫌かも」


 こういうの。


 自分でも曖昧な言い方だった。

 文化祭を一緒に回ること。駅で待ち合わせること。休憩時間に抜け出すこと。人混みの中で隣を歩くこと。焼きそばを半分にすること。同じような色のしおりを選ぶこと。


 全部まとめて、こういうの。


 玲央はしばらく黙っていた。


 それが少し怖くなって、透は慌てて付け足す。


「いや、別に深い意味じゃなくて」


「透」


「何」


「俺は深い意味で聞きたい」


 心臓が、嫌なほど大きく鳴った。


 窓の外から、片付けの声が聞こえる。

 遠い。さっきまであんなに近かった文化祭の音が、今だけ少し遠い。


「……おまえさ」


「うん」


「そういう時だけ逃がさないの、ほんとずるい」


「逃がした方がいい?」


「……今は、分かんない」


 正直に言うと、玲央は少しだけ表情を和らげた。


「じゃあ、今は逃がさない」


「何だそれ」


「透が本当に嫌って言ったらやめる」


「……」


 嫌ではない。


 それが、もう一番困る。


 玲央は透の隣に立ったまま、窓の外へ視線を向ける。


「文化祭が終わっても」


「うん」


「駅で待ち合わせは、しようと思えばできる」


 透は顔を上げた。


「……何で」


「一緒に学校行きたいなら」


「そんな普通に言うな」


「普通に言いたかった」


「それ、かなり」


 かなり、だ。


 何と言えばいいのか分からない。


 嬉しい。

 恥ずかしい。

 困る。

 でも、嫌じゃない。


 全部混ざって、言葉が出てこない。


「透」


「何」


「俺は、文化祭が終わっても一緒にいたい」


 言われた。


 とうとう、かなりはっきり言われた。


 告白ではない。

 たぶん、まだそこまでは言っていない。


 でも、もうほとんど逃げ場のない言葉だった。


「……おまえ」


「うん」


「それ、だいぶずるい」


「うん」


「うん、じゃなくて」


「でも、本当だから」


 いつもの言葉。


 本当だから。


 透はその言葉に、もう何度も動かされている。

 今回も、やっぱり動かされた。


「……俺も」


 声が小さくなる。


 玲央は何も言わずに待っている。


 透はペットボトルを持つ手に少し力を込めた。


「文化祭が終わったら、全部終わりみたいになるのは……嫌だと思う」


 言った。


 言ってしまった。


 玲央は、すぐには笑わなかった。

 からかうことも、嬉しいとすぐ言うこともしなかった。


 ただ少しだけ目を伏せて、息を吐く。


「そっか」


 その声があまりにも静かで、透は逆に落ち着かなくなった。


「……何」


「いや」


「何だよ」


「今、すごく嬉しいけど、言ったら透が逃げそうだから少し我慢してる」


「言ってるだろ、それ」


「我慢しきれなかった」


 玲央が少し笑う。


 それを見て、透も少しだけ力が抜けた。


「……馬鹿」


「うん」


「否定しろ」


「今日はしない」


 窓の外の空は、少しずつ夕方に近づいていた。


 文化祭の終わりが見えている。

 でも、そこで全部終わりではない。


 そのことを、今、少しだけ約束した気がした。


     ◇


 教室へ戻る途中、廊下の壁にはまだ文化祭のポスターが貼られていた。


 今日が終われば、これも剥がされるのだろう。

 机も元に戻されて、看板も片付けられて、文化祭の名残は少しずつ消えていく。


 でも、自分の中に残ったものは、たぶん消えない。


「透」


「何」


「明日の朝」


「……うん」


「駅、待っててもいい?」


 そこで聞くのか。


 透は立ち止まりそうになった。


 文化祭は今日で終わる。

 でも、明日の朝も。


 その一言に、胸の奥がじわっと熱くなる。


「……別に」


「うん」


「待ちたければ、待てば」


「分かった」


「でも、俺が遅れても知らないからな」


「透は遅れない」


「決めつけるな」


「知ってるから」


 その言い方が、妙に優しかった。


 透は顔を逸らす。


「……じゃあ、俺も普通に行く」


「うん」


「普通にだからな」


「普通に待ってる」


「何だよ、それ」


 玲央が笑った。


 教室の前まで戻ると、高城が入口から顔を出す。


「お、帰ってきた。水分補給長かったな」


「人が少ないところで休んでただけ」


 透が答えると、高城はすぐににやっとした。


「二人で?」


「水分補給だって言ってるだろ」


「はいはい」


 直が奥から声をかける。


「白石、そろそろ最後の受付入れる?」


「入れる」


「榊原も案内」


「うん」


 いつものように、作業へ戻る。


 文化祭は、もうすぐ終わる。

 でも、明日の朝も玲央が駅で待っている。


 その約束があるだけで、終わりが少しだけ怖くなくなった。


 透は受付の机に立ちながら、ふと隣の方を見る。


 玲央が案内係として、静かに来場者へ声をかけていた。

 その横顔はいつも通り落ち着いている。


 でも、さっきの言葉を思い出すと、もうただの横顔には見えなかった。


 文化祭が終わっても一緒にいたい。


 その言葉が、胸の奥に残り続けている。


 そして自分も、それを嫌だと思っていない。


 その事実が、今日の終わりを少しだけ特別なものにしていた。

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