第18話 待ち合わせって言うから、意識するんだろ
文化祭当日の朝、駅前はいつもより少しだけ騒がしかった。
休日ではない。
けれど学校行事の日の朝は、普段の通学日とどこか空気が違う。制服姿の生徒たちは、いつもより荷物が多かったり、髪型に少し気合いが入っていたり、友人同士で朝からテンション高めに話していたりする。
白石透は改札を出てすぐ、足を止めた。
人の流れの向こう。
柱のそば。
榊原玲央がいた。
昨日の帰り道で、駅で待ってる、と言われた。
透はそれを「会ったらでいいだろ」と返した。
なのに玲央は「俺が待ってるから」と言って、ほとんど待ち合わせに変えてしまった。
だから、こうして本当にいるのは予想していた。
予想していたのに、実際に見るとやっぱり少し落ち着かない。
玲央はスマホを見ていた。
ただ立っているだけなのに、周囲から少し浮いて見える。整った横顔、きちんとした制服、片手に提げた小さな紙袋。文化祭の日なのに、妙にいつも通りだ。
いや、いつも通りではない。
透を見つけた瞬間、玲央の表情が少しだけやわらかくなった。
それを見てしまったせいで、透は歩き出すタイミングを一瞬逃した。
「おはよう、透」
近づくと、玲央が先に言った。
「……おはよ」
「ちゃんと来た」
「学校には行くだろ」
「ここに」
「だから、会ったらって言っただけで、待ち合わせとは言ってない」
「でも来た」
「駅が通り道だからな」
言い訳っぽい。
自分でそう思った。
玲央もそれを分かっているのか、少しだけ笑う。
「じゃあ、通り道で待っててよかった」
「……そういう言い方するな」
「何で」
「待ち合わせみたいになる」
「みたいじゃなくて、待ち合わせだと思ってた」
「おまえだけな」
「透も来た」
「だから駅が」
途中まで言いかけて、透はやめた。
これ以上言っても、たぶん負ける。
朝から玲央のペースに乗せられるのは悔しいが、文化祭当日の駅前で言い合いを続けるのもそれはそれで目立つ。
「それ、何」
透は玲央が持っている紙袋を指した。
「差し入れ」
「誰に」
「クラスに」
「へえ。何」
「飴とか、個包装のやつ」
「意外とちゃんとしてる」
「意外と?」
「いや、なんとなく」
「透の分もある」
「……クラスの分だろ」
「その中に透の分もある」
「言い方」
玲央は平然としている。
透は小さくため息をついた。
それでも、少しだけ肩の力が抜ける。
文化祭当日。
駅前で玲央と待ち合わせのようなことをして、一緒に学校へ向かう。
そんなこと、少し前なら想像もしなかった。
◇
学校へ向かう道は、生徒たちでいつもより賑やかだった。
同じ学校の制服があちこちに見える。
普段なら眠そうに歩いている人まで、今日は少し浮き足立っている。誰かの鞄から装飾用の花がはみ出していたり、手提げ袋に紙コップや予備のテープが入っていたりする。
透と玲央は、いつもの距離で並んで歩いた。
近すぎない。
でも、遠くもない。
昨日、二人で決めたような、決めたとも言えないような距離。
その曖昧さが、今朝は妙に心地いい。
「今日、受付最初の一時間だっけ」
透が聞く。
「うん」
「人、来るかな」
「来ると思う」
「そんな簡単に」
「看板、目立つし」
「……あれ、ほとんどみんなで作ったやつだろ」
「字は透」
「またそれ言う」
「きれいだから」
さらっと褒めるな。
そう言いたかったが、朝の道であまり大げさに反応するのも違う気がして、透は前を向いたまま「どうも」とだけ返した。
玲央が少しだけ笑う気配がした。
「何」
「素直」
「これくらい普通だろ」
「最近の透にしては」
「失礼だな」
会話は軽かった。
軽いのに、前より近い。
それが少し不思議だった。
校門が見えてくる。
いつもと同じ校門なのに、今日は色とりどりの案内板が立ち、文化祭の文字が飾られている。校内に入る生徒の声も、普段よりずっと明るい。
透は一瞬だけ足を緩めた。
「どうした?」
玲央が聞く。
「いや」
「緊張してる?」
「少し」
「受付?」
「それもあるけど……文化祭って、始まる前が一番落ち着かない気がする」
「分かる」
「おまえも?」
「うん。始まったらやること決まってるけど、始まる前は変に時間あるし」
「意外」
「俺を何だと思ってるの」
「何でも平然としてるやつ」
「透の前では、そうでもない」
まただ。
朝から自然にそういうことを言う。
透は一瞬だけ返事を失い、視線を校門へ戻した。
「……そういうの、学校入る直前に言うなよ」
「じゃあ入ってから言う?」
「もっと駄目だろ」
「難しいな」
「おまえが難しくしてるんだよ」
そのやり取りをしながら、二人は校門をくぐった。
◇
教室に着くと、すでに何人かが準備を始めていた。
「お、来た来た」
高城が入口から顔を出す。
「受付組、早いじゃん」
「早く来いって言われたから」
透が返す。
「榊原と一緒に来たんだ?」
「駅で会っただけ」
「へえ」
「何だよ」
「いや、別に?」
その「別に」は、絶対に別にではなかった。
直も黒板の前でシフト表を貼り直しながら、こちらを見て笑っている。
「白石、朝から顔が言い訳してる」
「してない」
「駅で会っただけ、ねえ」
「本当に駅で会っただけだって」
「榊原は?」
高城が聞く。
玲央は何でもない顔で答えた。
「俺が待ってた」
「おい」
透が即座に振り向く。
高城と直が同時に笑った。
「待ち合わせじゃん」
「だからそれ言うなって」
「いや、榊原が言ったんだろ」
直が肩をすくめる。
「白石、もう諦めた方がいい」
「何を」
「隠すこと」
「隠すって何だよ」
言いながらも、透はもう強く否定できなかった。
玲央が待っていたのは事実だし、自分もそれを分かっていてその時間に駅へ行った。
言い訳はできる。
でも、それが言い訳だと自分で分かっている。
「ほら、受付準備するぞ」
透は無理やり話を切った。
高城が笑いながら手を上げる。
「はいはい。白石くん、逃げましたー」
「逃げてない」
「じゃあ受付よろしく」
「急に真面目に戻るな」
教室の中は、当日の朝らしい慌ただしさに包まれていた。
飾りの最終確認、飲み物の配置、机の拭き直し、案内用の紙の準備。
透は受付の机に名簿と案内表を置き、ペンの本数を確認する。玲央は隣で、紙袋から差し入れの飴を取り出して小さな箱に入れていた。
「本当に持ってきたんだ」
透が言う。
「うん」
「几帳面」
「透に言われたくない」
「俺は普通」
「普通の人は受付のペンの本数、三回数えない」
「見てたのかよ」
「隣にいるし」
隣にいる。
その言葉が、朝の教室の空気の中で妙に自然に響いた。
◇
文化祭が始まると、校舎の空気は一気に変わった。
廊下には他クラスの生徒や保護者らしき人、招待された中学生、先生たちが行き交い、普段の学校とはまるで違う場所になる。
呼び込みの声、笑い声、どこかの教室から聞こえる音楽。
その全部が混ざって、校舎全体が少し浮いているようだった。
透と玲央は、予定通り最初の一時間、クラス企画の受付に入った。
「いらっしゃいませ。受付こちらです」
透が案内する。
「名簿にチェックお願いします」
玲央が静かに続ける。
役割分担は自然だった。
透が案内表を渡し、玲央が列を整える。
迷っている人がいれば透が説明し、少し混み始めると玲央がすっと前に出る。
嫌になるくらい、やりやすい。
言葉にしなくても、次に何をすればいいかが分かる。
玲央が一歩引けば透が前に出るし、透が別の来場者に対応していれば玲央が受付の紙を整える。
その連携があまりに自然で、透は途中で少しだけ悔しくなった。
「何」
玲央が小声で聞く。
「何でもない」
「今、こっち見てた」
「見てない」
「見てた」
「受付中に観察するな」
「透もしてた」
「してない」
小声で言い合っていると、受付に来た女子二人組がくすっと笑った。
「仲いいですね」
「……ありがとうございます」
透は反射的にそう返した。
返してから、しまったと思う。
否定しなかった。
しかも普通に受け取ってしまった。
玲央が隣で少しだけ口元を緩める。
「何」
透が低く言う。
「今、否定しなかった」
「受付中だから」
「そっか」
「そうだよ」
「嬉しい」
「言うな」
そのやり取りを見て、女子二人がまた笑った。
もうだめだ。完全に見られている。
でも、不思議と以前ほど嫌ではなかった。
◇
一時間の受付は、思ったより早く過ぎた。
次のシフトの生徒が来て、透と玲央は交代する。
高城が奥から出てきて、二人を見て親指を立てた。
「受付コンビ、評判よかったぞ」
「何の評判だよ」
「落ち着いてるって。あと、なんか雰囲気いいって」
「後半いらない」
「いや大事だろ」
直が横から言う。
「うちのクラスの看板ペアだから」
「勝手に看板にするな」
「でも看板持ってたし」
「物理的な話に戻すな」
高城と直は楽しそうに笑う。
玲央は横で黙って聞いているだけだったが、否定する様子はない。
透はそれに気づき、軽く肘で玲央をつついた。
「おまえも何か言えよ」
「何を」
「否定とか」
「今さら?」
「……今さらって言うな」
「じゃあ、言わない」
「言えよ」
玲央は少しだけ透を見る。
「俺は、透と一緒にやれてよかったし」
「だからそういうのをみんなの前で言うな」
高城が「はい出た」と笑い、直が「安定だな」と頷く。
透はもう反論する気力を半分失っていた。
文化祭はまだ始まったばかりなのに、すでに心臓が疲れている気がする。
でも、悪い疲れではなかった。
「次、休憩だろ?」
高城が言う。
「どっか回ってくれば?」
「いや、まだ手伝いが」
「大丈夫大丈夫。今、人足りてるし」
直もシフト表を見ながら頷く。
「白石と榊原、次一時間空き。行ってこい」
「何で二人で行く前提なんだよ」
「違うの?」
「……」
違う、と言おうとして、言葉が止まった。
玲央が隣でこちらを見る。
「透」
「何」
「行く?」
「……どこに」
「どこでも」
「雑」
「一緒なら」
高城が口笛を吹くふりをした。
「はいはい、行ってこい行ってこい」
「高城、ほんとおまえ」
「白石、文化祭は楽しんだ者勝ちだぞ」
「急にそれっぽいこと言うな」
「それっぽいだけだからな」
直が笑いながら、透の背中を軽く押した。
「ほら。戻ってくる時間だけ守れよ」
「分かってる」
結局、透は玲央と二人で教室を出ることになった。
◇
廊下に出ると、人の流れが一気に増えた。
呼び込みの声。
焼きそばの匂い。
どこかのクラスの手作り看板。
廊下の壁には、色とりどりのポスターが貼られている。
透は少しだけ息を吐いた。
「すごいな」
「うん」
「普段の学校じゃないみたい」
「透、こういうの苦手?」
「苦手ってほどじゃないけど、人多いのは少し疲れる」
「じゃあ、静かなところから回る?」
「……おまえ、そういうところすぐ拾うよな」
「透だから」
またその言葉。
でも今日は、前ほど慌てて否定する気にはならなかった。
「じゃあ、展示系から」
透が言う。
「うん」
二人で歩き出す。
隣に玲央がいる。
文化祭の廊下で、玲央と二人で回っている。
それはもう、ほとんど一緒に文化祭を楽しんでいると言っていい。
いや、実際そうなのだろう。
それを認めると、少しだけ胸が落ち着かなくなる。
けれど、嫌ではない。
「透」
「何」
「今日、楽しそう」
「そう見える?」
「少し」
「……まあ、少しは」
「そっか」
玲央の声が、やわらかくなる。
その声を聞いて、透は思った。
待ち合わせみたいに駅で会って、受付を一緒にして、今は二人で文化祭を回っている。
それは、少し前の自分なら絶対に認めなかった流れだ。
でも今は、それが自然になっている。
自然で、少し恥ずかしくて、そして少しだけ嬉しい。
「……待ち合わせって言うから、意識するんだろ」
小さく呟く。
玲央がこちらを見る。
「何?」
「何でもない」
「聞こえた」
「じゃあ聞くな」
「意識してた?」
「うるさい」
「してたんだ」
「うるさいって言ってるだろ」
玲央が笑う。
廊下のざわめきの中で、その笑い方だけは妙にはっきり分かった。
文化祭は、まだ始まったばかりだった。
そしてたぶん今日一日で、自分はまた少し、戻れない場所へ進むのだろう。
そんな予感がした。




