第8話 不穏な空気
近衛騎士団本部、報告室。
石壁に囲まれたその部屋は、朝の光が差しているにも関わらず、どこか息苦しかった。
リラは背筋を正し、第3団・団長の前に立つ。
「以上が、アウレオンからの忠告です」
団長は、机に置かれた書類を読みながら、鼻で笑った。
「エルフの戯言だな」
吐き捨てるように言う。
「Sランク冒険者? だから何だ。ただの個人事業主だろう」
胸の奥で、納得できない気持ちが芽生える。
「彼は自然魔法の使い手です。自然の流れを読む感覚は、人族とは比べ物になりません」
「だからこそ、現実が見えんのだ」
団長は椅子に深くもたれ、ようやくリラを見る。
「近衛騎士団に、魔族と繋がる者がいる可能性がある? 証拠も無い話を、鵜呑みにしろと?」
「可能性がある以上、調査くらいは__」
「不要だ」
即断だった。
「エルフの勘に、国の中枢を揺らされてたまるか」
言葉が、鋭く切り落とされ、沈黙が広がる。
その沈黙を破ったのは、全く別の話だった。
「それより、リラ」
団長の口調が、妙に軽くなる。
「妙に顔色がいいな」
嫌な予感が、背筋を走った。
「冒険者と食事に行ったそうじゃないか」
「……私的な話です」
「低ランク冒険者だろう? 名前は……確か、ゲドーマルだったか」
その名が出た瞬間、胸が熱くなり、リラの背中に緊張が走る。
「イケメンだが貧弱な男……らしいな」
何処か切り捨てたような声。
「彼は……きっと、優秀です。それに二人きりではありません」
リラは即座に否定する。
「仲間もいました」
「ほう」
団長は愉快そうに腕を組む。
「では聞こう」
視線が、鋭くなる。
「その男を……いざという時、斬れるか?」
思考が止まる。
だが、即断しなくては、騎士としてやっていけない。
「……命令なら、切ります」
リラははっきりと、迷いなく言い切る。
言葉は出た……だが、胸の奥がわずかに痛んだ。
団長は満足そうに頷いた。
「よろしい。近衛騎士団がどう言ったものか忘れるな」
それで話は終わりだと言わんばかりに、彼は書類へ視線を戻す。
リラは一礼し、報告室を後にした。
廊下に出て、壁にもたれ、深く息を吐く。
命令なら、切る。口にした言葉が、違和感として胸に残っている。
*
朝の日差しが、幾つもの光の線となり部屋にさす。
空気が動かない。
目が覚めた瞬間、違和感があった。
隣の寝台が、空だ。
布はきちんと整えられていて、慌ただしく出た様子もない。
それが、余計にタマの胸をざわつかせた。
昨日の、彼女と会っている?
卓の上に置かれた紙切れに気づき、目を落とす。
「先に冒険者ギルドへ行く」
簡潔。余計なことは一切書かれていない。
ただ、この世界の字ではない。この世界では、タマだけが読める字。だがそれで、先ほどの胸のざわつきが治ることはない。彼はこの世界で生きていくには、知識が全く足りてない。
タマは小さく息を吐き、身を起こした。
指先が、枕元に置いた装備に触れる。
金色の指輪、水色のブレスレット。
どちらも、自分のための魔道具だ。
魔力を抑えるため。もし、溢れれば、隠しているものが滲み出てしまうから。身支度を整えながら、ふと昨日の夜を思い出す。
近衛騎士隊長リラ。
近衛騎士隊の二人。
そして、ゲドーマル。
食事は穏やかだった。笑い声もあったし、警戒する空気でもなかった。
けれど、
「……ちょっと、積極的すぎない?」
無意識に、髪に触れている自分に気づく。
白銀の髪。
脳裏に浮かぶのは、炎のような赤髪。
「赤髪……好きなのかな……」
そんな考えが浮かんだ瞬間__
「……何考えてるの、私」
タマは小さく首を振った。
彼は、ただの友人。あの世界から何故か迷い込んでしまった人。昔、助けられた恩もある。それに、彼は人を騙すようなことは絶対にしない。あの紅い眼は何故か安心感を与えてくれる。
信用出来る。
それ以上でも、それ以下でもない。
最後にもう一度、鏡で自分を確認する。尻尾はない。魔力も、抑えられている。
「行こ」
扉を開けると、朝の王都の空気が流れ込んできた。
今日も依頼をこなす。
できれば、薬草採取。
静かな一日であればいい。
*
王都リュシアの冒険者ギルドは、朝から騒がしかった。
掲示板の前には人だかりができ、紙を剥がす音と、重なり合う声が絶えない。
「今日も薬草か?」
「楽でいいっスねー、ゲドーマルさんは」
軽口を叩く男が二人。
顔見知りになった、冒険者だ。
薄紫の短髪ベテランCランクと薄い茶色の長い髪を後ろで結んでいる若いDランク。
ラグスとセイン。
深い話はしない。依頼の当たり外れなど、他愛もない話。
それで十分だった。
俺は掲示板を見るふりをしながら、話を聞いているだけだ。
なのに、情報は勝手に集まってくる。
「やっぱ魔族絡みらしい」
「でもまあ、王女殿下がいるから大丈夫っすよ」
その名前が出ると、空気が少し緩む。
「確かに王女殿下が表舞台に出るようになってから、王都は本当に治安が良くなった」
「美人で、国民想いで、しかも一流の魔導士っすもんね」
二人だけではなく、王都に住むもの達は皆、疑っていない。
王女殿下と近衛騎士団がいれば、大丈夫だと。
不思議なのは、結婚の話が、まるで出ないことらしい。
「国王陛下が、誰とも結婚させないんじゃないか? 溺愛してるって話だぞ。それとも、変な趣味とかあったりとか?」
笑い混じりの噂話。誰も、それ以上深く考えない。
俺は、ただ聞いているだけだった。
入口の扉が開き、視線を上げる。
人波の向こうに、タマの姿が見えた、キョロキョロと周りを見渡している。
その姿を見て、なぜか少しだけ、ほっとしている自分に気づいた。
周囲の空気が、変わる。
「結局のところ、どうなんだよ」
「彼女っすか?」
俺は肩をすくめて言う。
「古い友人だ」
探るような目で見られるが、深追いはされない。この距離感がいい。
タマが俺らの元に人を避けながら、歩いてくる。
「待っててくれてもいいのに」
「見てくれ」
小指に新しい指輪。
「お、新しい装備か?」
「ドゥールのとこでな、朝イチで」
自慢げに見せる。
「初級の火魔法が使える」
「おお、便利じゃないっすか!」
「Fランクにしては生意気だな」
俺は、少しだけ得意になる。
「火起こしにも使えるし、いざって時にもな。これで、タマがいなくても火に困ることもなくなる」
その様子を、タマがじっと見ていた。
表情はいつも通りだ。
けれど、いつもと少し違うような感じもする。
少し機嫌が悪いか?
「タマさん」
受付に立つリーネだった。
いつも柔らかい声だが、今日は少しだけ硬い。
二人は「またな」と離れていく。
「ギルドマスターがお呼びです、アウレオンの件で」
タマの肩が、僅かに強張る。
「わかったわ」
そう答えた後、俺をみる。
言葉はない、だが頷く。
*
ギルドマスターの部屋は、思ったよりも静かだった。
先日、タマと入った本屋の匂いに少し似ている。
騒がしい受付や掲示板の空気が嘘のように、分厚い扉の向こうでは音が届かない。本やら書類やらが机の上に、積み重なっている。
机の向こうに座る男は、こちらをじっと見ていた。
中背でがっしりした体格、白髪交じりの短髪、落ち着いた目つき。冒険者らしい、威厳が漂うギルド職員が来ているローブを基調に、戦闘でも使える装備的装飾。
強い。
タマも、同じことを感じているのが分かった。姿勢が、ほんの少しだけ硬くなっている。
「まず、前提として話しておく」
ギルドマスターは切り出す。
「今回の件は、うちが独自に動いたわけじゃない。騎士団から、報告が回ってきた」
その一言で、場の空気の意味が変わる。
「直接の指示ではない。だが、騎士団から、名前が上がれば、無視はできない……ここは、そういう街だ」
タマは何も言わなかった。
否定もしない。
「アウレオンとの報告も含まれている。森での接触についてだ」
「絡まれただけです」
答えたのはタマだった。声は落ち着いている。
こういった空気の時は、俺は黙っているのが正解なのだろう。
「理由は分かりません。私たちは、薬草採取の依頼をこなしていただけです」
嘘ではない。ただ、全部でもない。
ギルドマスターは、指を組んだまま、少しだけ目を細めた。
「……偶然、ということで処理はできる」
そう言って、息を吐く。
「だがな。最近、街の空気が少しだけ不穏だ」
その言葉に、タマがわずかに眉を動かす。
「門の事件で、魔族だったと判明した職員がいた。ミルザ、という名だ」
俺は、黙って聞いていた。
「その正体に気づいたのが、君だそうだな」
視線が、こちらに向く。
「偶然です」
タマが即座に応える。正確には、違う。だが、説明する気はなかった。
「疑ってはいない」
ギルドマスターは、すぐにそう付け加えた。
「ただ、君らの周囲で、問題が続いたのも事実だ」
空気が、少しだけ重くなる。
「次、騒ぎが起きれば。ギルドとしても、本格的な調査に入らざるを得ない」
忠告。
脅しではない。だが、線は引かれた。
そこで、話題が少しだけ変わる。
「……最近、妙な噂も増えている」
「噂?」
タマが、探るように問い返す。
「ああ。王都の外……」
ギルドマスターは、あくまで雑談のような口調で続けた。
「古い存在が、動いているかもしれない、という話だ」
「古い存在……?」
俺は、素直に首を傾げた。
ギルドマスターは俺を見る。
「古のドラゴンだ」
タマが、ちらりとこちらを見る。
ほんの一瞬だけ。
「……気にするような話じゃないわ。私たちには、どうすることもできない。一体で国を滅ぼすような存在、住む世界が違いすぎる」
そう言って、話を切る。
ギルドマスターは、その様子を見逃さなかったが、深くは踏み込まなかった。
「知らないなら、それでいい」
椅子に背を預け、話を締める。
「君たちは、今まで通り依頼をこなせ。目立たず、な」
それが、最後の言葉だった。
部屋を出た後、廊下に戻る。
タマは、何も言わなかった。
俺も、聞かなかった。
*
薬草採取の依頼は、掲示板の隅に控えめに貼られていた。
難易度は低く、報酬も控えめ。だが今の俺たちにはちょうどいい。
迷わず剥がし、タマも何も言わなかった。
*
王都の門へ向かうと、聞き慣れた声がした。
「だから、今日は非番だっていってるでしょ」
「リラ隊長は、そういって直ぐ、一人で無茶をしますので」
門番の責任者レオンと、赤髪の女騎士リラ。
リラは鎧を着ていない。動きやすそうな服装で、腕を組みながら笑っていた。
「あ!」
リラがこちらに気づき、目を見開いた。
「ゲドー! タマさんも。外に出るの?」
「ああ、薬草採取だ。非番なのか?」
「そう、久しぶりに完全な休みなの」
簡単にそう答えると、リラは少し考えるように顎に指を当てた。
「……ねえ、それ、私も一緒に行っていい?」
「非番なのだろう」
「そう。だから暇。すごく」
理由としては正直すぎる。
タマが一瞬、視線を逸らしたのが分かった。
「護衛は必要ないんだが」
「分かってる。ただの付き添い」
タマが何も言わない。面白くなさそうではあるが、拒むほどでもない、という顔だ。
「……構わない。無理はするなよ」
「もちろん」
*
道中、リラはよく話した。
王都のこと。騎士団の内情には触れない、当たり障りのない話。
薬草の生えている場所は、いつもの場所だった。
三人で手分けして採取を始める。
リラは、慣れないのか苦戦していた。
昼前には、依頼分は揃った。
「お昼にしましょう」
リラがそういって、荷物を開く。魔道具なのか、中身と入れ物の質量がおかしい。どう考えても、入らない量が袋から出てくる。
「お弁当、持ってきたんだけど」
「自分で作ったのか?」
「まさか。侍女に頼んだやつ」
「用意がいいな」
「どうせ、一日、フラフラするか、訓練でもしようと思ってたから」
言い切りが潔い。
中身は丁寧で、味も良かった。
思わず頷く。
「うまいな」
リラはほっとした様に微笑む。
タマは黙って食べたが、 味自体は気に入ったらしい。
森は、静かだった。静かすぎる、と言っていい。
薬草はいつも通りに見つかった。
だが、踏み入ってからずっと、魔物の気配がない。
「静かだな」
「流石に……静かすぎるよね」
タマは何も言わず、周囲を警戒している。
普段なら、小型の魔物が一、二は寄ってくるはずだ。
森の空気は、どこか張り付いている。
風が通らない。鳥の声が遠い。
「……何か、おかしい」
俺がそう呟くと、二人とも顔を上げた。
普段、俺たちは魔物と戦わない。避けられるなら避ける。それが基本だ。
だが今日は、避ける対象そのものが、いない。それが、何より不自然だった。
森の奥で、空気がわずかに淀んでいる。
音ではない。匂いでもない。だが、確かに在る。
「……来ているな」
この前の、魔族とかいう種族の男か。
言葉にした瞬間、タマがこちらを見る。視線だけで、意味は通じた。
「何が?」
リラが首を傾げる。
「数日前の魔族の男」
「なんで、そんなことわかるの?」
「氣だ」
「……気?」
リラは聞き返した。その声音には、知識を求める純粋さがある。
「生き物が、自分で生み出す力だ」
「魔力?」
「魔力は、世界から借りるものだ。流れているものを、引き寄せて、形にする」
「じゃあ、気は?」
「内側から湧く」
リラは黙り込んだ。
理解しようとしているが、どうやら掴めていない。
「……理屈として、成立してる?」
「この世界では、知られていない」
「待って」
タマが、割って入る。少しだけ、強い声。
「今のは感覚の話。理論じゃない。深く考える必要はないよ」
俺を見る。それ以上言うな、という合図だ。
「……すまない。余計なことを言った。気にしないでくれ」
だが、氣は消えていなかった。
むしろ、はっきりと感じる。
「この先だ」
歩き出すと、二人も続く。
少し開けた場所で、俺たちはその人物を見つけた。
「ほう」
背が高めの、筋肉質な男。濃い栗色の短めに整った髪。赤色の装飾の入った綺麗な鎧に赤い袖なしの外套……マントだったな。
黒と赤の長柄武器、斧刃+槍先。たしか、ハルバードとかタマが言っていたはず。刃の付け根に銀の縁取りと細い彫刻
手には小型の魔道具。
「よもや、こんなところで会うとはな」
視線が流れる。俺、タマ、そして最後にリラ。
「お疲れ様です」
リラはきちんと敬礼する。
「休暇中だったな、リラ」
「……はい」
「魔族の気配を感じて来たのか……真面目だな。だから心配になる」
含みのある言い方だった。
「魔族を追っていた。反応がここで途切れて……逃げられた」
確かに、氣の流れも、急にここで散っている。
男は俺を見る。
「冒険者……か。外套で隠してはいるが、奇妙な格好だ。確かに、面白い男だな。”普通”ではなさそうだ」
それだけ言い残し、踵を返す。
「深入りするな、リラ」
その背中が森を去っていく。
その背を、黙って見送る。
最初に口を開いたのは、リラだった。
「挨拶もしなくてごめんなさい。冒険者とは一線引いている方なの。近衛騎士団、第3団団長ヴァルクス・エーベルハルト。私の直属の上司」
「その団長さんが何でこんなところに?」
タマが聞く。
「……私もわからない……ただ__」
小さな声で言う。
「魔族の魔力の残骸、完全には消えてない」
俺とタマが同時に見る。
「団長が一人で追うのは……変。本来なら隊を呼ぶ。最低でも報告を入れる」
騎士としての判断だ。感情ではなく、経験から来る違和感。
「単独行動……?」
タマが不安そうに呟く。
「あり得なくはない。でも……」
リラは言葉を切り、唇を噛んだ。
「嫌な感じがする」
タマが、はっきりと言う。
「……これ以上、関わりたくない」
珍しく、タマが気持ちを隠さない。
俺は、団長の残した気配を思い返す。
強い。
魔力量だけではない。研ぎ澄まされ、迷いがなく、危ういほどに。
なるほどな……この街は、静かだ。争いごとは少ない。だが、底が見えない。
森には再び静寂が戻った。




