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異世界の鬼は本日も盃を手放さない  作者: 二筆
第1章 居場所は作られていく
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第6話 冒険者になる

 

 朝の空気は、あまり酒に向かない。


 そう思っていたはずなのに、宿の扉を出た瞬間、俺の視線は自然と通りの向こうへ流れていた。


 朝日に照らされた街路の先に、木樽をいくつも積んだ店が見える。まだ扉は閉じられているが、看板と樽の並べ方を見る限り、あれは酒屋だ。


 今は閉まっているが、昼頃にはきっとやる気を出すだろう。


 「……あそこだな」

 「違う」


 即座に、隣から遮られた。


 タマは腕を組んだまま、俺の視線の先など存在しないもののような態度で、正面の通りへ顎を向ける。そこには、古びた木の看板に“魔道具屋”と書かれた店があった。


 「まず魔道具屋。絶対に」

 「急ぐ必要があ__」

 「ある」


 返事は、こちらの言葉が終わる前に返ってきた。


 俺は少しだけ黙る、というより黙らされた。

 昨日から何度も言われている“魔力がない”という扱いを、俺はそこまで大きな問題だと思っていなかった。


 魔力などなくても生きていける。


 そもそも俺は魔力というものをまだ理解していない。

 だが、なくても酒は飲めるし、眠ることもできる。今のところ、不便を感じていない。


 「冒険者登録をするんでしょ」

 「そのほうがいいのだろう?」

 「だったら、魔力ゼロは論外」


 タマの声が少し低くなる。

 冗談ではない、ということだけは、俺にも分かった。


 「魔力がない=要注意人物」


 タマの声がもう一段、低くなる。


 「異物か、何かを隠している者。最悪、調査対象」


 タマが人差し指を立てて、眉間に皺を寄せる。


 「目立てば狙われる。狙われれば、追われて、捕まる。排除される。この街でも、よその街でも」


 「……そこまでか」

 「そこまでよ」


 タマの言葉には、迷いがなかった。


 この世界では、魔力は血のようなものなのだろう。あることが前提で、ない者は壊れているか、何かを隠していると思われる。そう考えれば、昨日の門で向けられた視線にも少し納得がいった。


 「分かった。魔道具屋だな」

 「よし」


 タマは満足そうに頷き、すぐに歩き出す。

 だが、三歩ほど進んだところで、俺はもう一度だけ酒屋を見た。


 「……冒険者ギルドの登録が終わったら」

 「駄目」

 「終わったら、だ」

 「甘味処が先」

 「なぜだ」

 「昨晩、宿代を払ったのが私だって、覚えてる?」

 「……ああ」

 「今日も、私が払う予定なんだけど」

 「……そうだな」


 そこまで言われて、ようやく気づく。


 俺は金を持っていない。

 山にいた頃は、酒も食い物も何とかなった。沢に下れば水があり、季節ごとに実はなる。薬草を採れば、銭にもなった。


 だが、この街では故郷の銭は使えないだろう。だから黙るしかない。


 「酒屋は贅沢。甘味は……必要経費!」


 タマはそう断言したあと、ほんの一瞬だけ視線が逸れた。


 俺は静かに息を吐く。

 理屈では勝てない。財布がない以上、発言権もない。


 ……茨木……何故いない。


 「……魔道具屋」

 「うん」


 タマは勝ち誇ったように一歩前へ出た。どうやら、この勝敗は最初から決まっていたらしい。


 「魔力増幅系の指輪がいいと思う。見た目は普通で、測定に引っかからないもの。ギルド職員が疑問に思わない程度に、平均的な魔力が出れば理想かな」


 「そんな都合のいいものがあるのか?」

 「ある……といいな」


 最後だけ、少し声が弱くなった。


 それでもタマは足を止めない。彼女にとってこれは、買うかどうかを迷うものではなく、”前提条件”なのだろう。


 魔道具屋の看板が近づいてくる。


 古びた木製の看板で、派手さはないが丁寧に手入れされている。


 「……終わったら」

 「なに?」

 「甘味処、だな」

 「当然」


 タマは振り返らずに答えた。


 俺はもう一度だけ、遠くの酒屋を見た。

 そのあと酒屋だな。


 *


 扉の横には小さな金属板が吊られていて、風に揺れるたび、かすかな音を立てていた。


 魔道具屋の扉は思ったよりも重い。

 押すと、ギギっと木と金属の擦れる音がして、ゆっくりと開く。


 中から流れてきたのは金属や油、それにわずかに焦げた匂い。


 魔力と呼ばれるこの世界の不思議な力の流れもよく視える。

 

 「……いらっしゃい」


 カウンターの老人は口元をだらしなく半開きにしたまま、座っていたが、俺たちに気づくと目をこすり、一応の挨拶をする。


 まずタマを見て、心の高鳴りが伝わるような、頬の微かな赤らみをみせる。


 それから俺を見て、わずかに眉をあげた。


 そこで瞼がしっかりと開き、カウンターに隠れた手元で何かをいじり始める。


 測っているな。魔力だろう。


 咳払い一つで、老人は何事もなかったように口調を整えた。

 

 「今日は何を?」

 

 「魔力を貯められる指輪を探しています。外付けで、本人が魔力を持っていなくても使えるタイプ」


 タマが正直に応える。


 「……ほう」


 老人の視線が、また俺に戻る。今度は真っ直ぐ。


 「冒険者用か?」

 「はい。測定に引っかからないものを」


 理由は言わない。


 「増強じゃないんだな」

 「ええ、増やす必要はありません」


 老人は顎を手に当てて、棚ではなく、店の奥へ視線を送る。


 「おい、ドゥール」


 奥から、重い足取り。


 「はいはい、なんだい」


 現れたのは、背が低く、横にがっしりとした男だ。 

 短く整えた髭に鋭い目つき。

 

 確か、そう()()()()とかいう種族……違ったか?


 ドゥールと呼ばれた男は、俺とタマを見て、素直に言った。

 

 「……なんだ、これ。魔力ゼロじゃないか」

 「わかるのか」

 「そりゃそうだろ。こっちはプロだぞ」


 話しながら、ドゥールは腕を組み、目を細めながら、じっと俺を見る。

 

 「なのに生きてる。変だな」

 「そうか」

 

 「そりゃそうだろ。むしろ腰に吊るしてある、その武器の方が強そうだ」


 《終座》を見ながらいう。

 興味は隠してないが、敵意はない。

 

 「増強は無理、0からは増やせない。蓄積型だな。本来、偽装は勧めない。バレた時厄介だからな。だが、それじゃあ、苦労しそうだしな」

 

 「できますか?」

 「できる。けど……」


 ドゥールはタマを見る。

 

 「チャージがいるぞ、定期的に」

 「問題ありません。私がやります」


 間髪入れずに応える、タマ。

 

 「そっちが供給係か」


 一瞬だけドゥールの目が細くなる。

 タマの右手首につけている腕輪と薬指の指輪。その二つを確かめるように見ている。


 「なるほどな。魔力量に問題はなさそうだ」


 彼は作業台の引き出しを開け、銀色の指輪を取り出した。装飾はほとんどない。


 「これは魔力を溜め込むタイプだ。中に小さな魔石が仕込んである。本人の魔力じゃなくて、外から流し込んだ分だけ反応する」

 

 「測定は?」

 「引っかからない。ちゃんと”魔力持ち”に見える」


 タマがほっと息を吐く。

 俺は少し期待して、聞いてみる。


 「戦闘で使う魔法は?」

 

 「無理。出せても攻撃力は皆無だ。溜めた分は見せかけ用だな」

 

 「それでいい」


 ドゥールは少し驚いた顔をして、それからガハハと豪快に笑った。

  

 「割り切りいいな」

 「必要ないものはいらない。興味はあるが」

 「嫌いじゃねぇな」


 本当は少し……いや、それなりに残念だ。

 

 指輪を差し出される。


 「つけてみろ」

 「どの指だ?」


 タマが即座に俺の腕を押さえた。


 「待って!」

 「?」

 「左手、薬指はだめ!」


 この場の空気が軽くなり、ドゥールと老人がニヤつく。


 「ははは、なるほどな」

 「違う」

 「いーや、違わないな」


 タマが頬を染め、口元をきゅっと引き結ぶ。


 ……なぜだ。


 結局、右手の中指に決まった。


 大きさを調整してもらう。

 これも、魔法だ。魔力が金属に作用して大きさが変化する。


 軽い。存在を主張しない指輪だ。


 老人がカウンターの手元から取り出した測定器をかざす。

 

 「……平均値だな。冒険者としてはごく普通」

 「よかった」


 タマが深く息を吐き、肩の力がふっと抜ける。

 ドゥールは満足そうに頷いた。


 「チャージは1日1回。多くても2回。無理に流すなよ」

 「わかりました」


 そこで、ドゥールがふと、何気ない声で言った。


 「そういやさ、昨日、門のとこにいたよな」

 

 タマが一瞬だけ固まり、表情がなくなる。

 

 「昨日、街に着いたんだ。門を通るのは当たり前だろう」

 

 「何かあったか?」

 「知らないな」

 「ふーん、そうか」


 ドゥールはそれ以上、突っ込まなかった。

 だが、視線は確かに、観察する者のそれだった。


 タマが代金を払う。

 その後ろで指輪を眺める。


 これで、表向きは問題ない。しばらくは普通に生きられる。



 魔道具屋を出て、石畳の通りに足を向ける。

 早朝と呼ぶには、もう少し遅い時間になった。


 商人が店先の扉を開け、荷車がギギっと軋む音を立てて進む。


 鎧の留め具を締め直す音、革靴が揃って歩く音。


 出勤の時間帯なのだろう、人の流れが一気に増え始めていた。


 人混みの中、周りの視線がやけに俺に集まる。


 黒髪、というだけで、これほど目立つものなのか。


 珍しいというだけでなく、どこか落ち着かない空気が混じる。


 確かに、京の都に金髪だの茶髪だのがいたら、同じ現象が起きたかもしれないが。


 見られる理由は分かっているし、見られることにも()()()()()


 今更だな。


 隣を歩くタマは、そんなことは承知の上だろう。腕を組み、ため息まじりに前を見たまま言う。


 「問題は、山積みね」

 「……そうか?」

 「そうよ」


 金を持っていないこと。

 それが目下、一番の問題だな。彼女にとっては、放置できない問題は別にあるようだが。


 そんな会話をしていると、後ろから、やけに()()()()が近づいてきた。


「おーい!」


 振り返ると声とドゥールが手を振りながら走ってくる。


 また魔法か……あれは走っているのではないな、地に運ばれている。魔力を地に通しているな。

 

 そして、俺達の前まで来ると、何か小さな物を俺に放る。


 反射で身体が動いた。

 

 半歩ずらし、肩を引く。空を切ったそれが、背後の石畳に跳ねる。


 カランッ


 「「……」」


 一瞬の沈黙。


 タマが呆れた顔でしゃがみ込み、転がったそれを拾い上げる。


 「だから、なんで避けちゃうの?」

 「……飛んできたからだが」

 「前もそうだったでしょ」


 言われて、思い出す。

 確かに以前、彼女に指輪を放られた時も、同じ反応をした。


 投げる方が悪いと思うのだが、どうやら少数派らしい。


 「いやー、反射良すぎだろ」


 ドゥールが腕を組み、息も切らさず笑う。


 「受け取れよ。別に、噛み付かないから」

 「噛み付く付かないの問題ではない」

 「その黒髪も、ここじゃ目立つ。一個じゃ足りねえだろ」


 タマは指輪を指先でつまみ、こちらに差し出した。


 「はい。今度はちゃんと」


 渋々、受け取る。


 指輪は銅に近い色で、装飾は控えめ。


 魔力を溜め込むための構造が、内側に静かに仕込まれている。


 見せかけではない、実用の魔道具だ。


 「じゃ、つけてみろ」


 俺は何となく、左手の薬指に指を伸ばしかけ__


「そこはダメって言ったでしょ」


 タマに腕を掴まれた。


 「……なぜだ」

 「理由が必要?」


 頬を膨らませたまま、じっと俺の目を見てくる。

 

 仕方なく右手人差し指にはめる。


 それを見たタマが、ゆっくりと頷きながら顎を引く。


 空気がわずかに揺れた。

 風がそよぐように、頭のあたりを通り過ぎる。通りの窓に映った自分を見て、少し驚いた。


 黒だった髪が、完全に色を変えたわけではない。

 ただ、光の当たり方で、かすかに青みを帯びて見える。 


 魔力が髪の毛一本一本を覆っている。


 濃い藍色、深く静かな色。夜に輝く月を反射する湖の色。

 

 周りからの視線が、少しだけ逸れていくのが分かった。


「よし。これなら問題ない、だろ?」


 ドゥールがタマに満面の笑みを向ける。

 

 タマが胸をなでおろしたような表情で頷く。


 「定期的に魔力は入れるから。切れたらすぐ言って」

 「……世話をかけるな」

 「今さらでしょ」


 ドゥールが肩をすくめて笑った。


 「仲いいねぇ。ま、これでギルド行っても浮かねえだろ」


 仲がいい、という言葉に、タマが一瞬だけ視線を逸らす。

 俺は何も言わず、指輪を確かめるように軽く握った。


 さて、これで、ようやく冒険者ギルドだ。


 酒屋は……まだ、遠い。


 俺は小さく息を吐き、人の流れに歩調を合わせた。



 冒険者ギルドの中は、思っていたよりも騒がしかった。

 

 受付の隣、広いホールの一角に、堂々と併設された食事処がある。


 朝と昼の境目の時間帯らしく、鎧姿の者、軽装の者、眠そうな者まで、思い思いに腰を落ち着けていた。


 そして酒の匂いだ。


 鼻腔をくすぐる、甘いもの、酸味のあるもの、樽の木の香り。

 濁り酒とも焼酎とも違う。麦でも米でもないが、確かに酒だと分かる匂いが、ギルド中に広がっている。


 足が止まった。いや、止まってしまった、が正しい。

 

 視線は自然と、酒樽が並ぶカウンターへ吸い寄せられる。


 色も透明なものから琥珀色、赤みを帯びたものまで様々で、見たことのない酒ばかりだ。


 香りだけで、喉が熱を帯びる。 


 「……ふむ」


 思わず、感嘆が漏れた。


 「……ふむ、じゃない」


 隣から、即座に冷たい声が飛んでくる。

 嫌な予感を隠しもしない顔で、俺を見上げている、タマ。


 「まさかとは思うけど、今、飲みたいとか考えてないわよね?」

 

 「いや、飲むとは言っていない。ただ__」

 

 「ただ、興味津々な顔をしてる」


 言い返せない。

 

 異世界の酒だ。どういう気で醸され、どういう場で飲まれるものなのか。


 そういうものを知るのは、嫌いではない。


 「今日は登録。先にやることがあるでしょ」

 「……わかっている」

 

 「冒険者ギルドは王国から、独立した組織で冒険者の身分証も兼ねているからね。持ってれば、世界中のほとんどの国に行けるけど、登録してないと、どこにも行けないよ」

 

 「……わかった」

 

 渋々視線を引き剥がした、その時だった。

 

 「なあ、聞いたか?」


 背後の席から、ひそひそとした声が聞こえてきた。


 「門の件だろ。昨日の」

 「そう、それ。それでさ……魔族だったって話」


 耳が自然と拾う。


 「しかもよ、正体が分かったらしい」

 「誰だよ」

 「ミルザだって」


 その名に、周囲の空気が一瞬、固まった。


 「……は?」

 「ギルド職員の? あの?」

 「真面目で、面倒見がよくて、新人に優しい?」

 「冗談だろ……」


 否定の言葉が飛び交う。それだけ、その名が信頼されていた証だ。


 タマの隣で、彼女の纏う空気が冷気を帯びるのを感じた。表情は平静を保っているが、目だけが鋭くなる。


 「どうする?」


 タマは首を横に振り、その後、俺の袖を掴んだ。


 「ちょ、待__」

 「待たない。酒の匂いに釣られて、噂話に首突っ込んで、これ以上遅れたら面倒が増える」


 有無を言わさぬ力で、ずるずると引っ張られる。


 腕を引っ張られながらも、振り返り、もう一度だけ食事処を見ると、冒険者たちは何事もなかったかのように酒を煽り、笑っていた。

 

 だが、その笑いの奥に確かな不安が混じっているのも感じ取れる。


 「問題は山積みね」


 タマが小さく呟く。


 「……ああ」


 あまりに種類が多いと迷ってしまう。


 次に足を止めたのは、受付の前だった。

 

 受付カウンターの向こうで若い受付嬢が顔を上げた。


 淡い桜色の髪。肩ぐらいで軽く巻かれている。


 「あ、タマさん、おはようございます」 

 

 声に迷いがない。事務的でも、馴れ馴れしくもない。でも、毎日顔を合わせている、そんな距離感だ。

 

 「おはよう、リーネ」

 

 先程までの雰囲気がガラッと変わり、笑顔でタマが応える。

 

 「新規登録をお願い」


 タマが一歩前に出て、カウンターの上に書類を出す。


 「紹介ありで」


 受付嬢”リーネ”は、書類を受け取りながら俺に視線を移し、そして、ぴたりと固まった。


 「え?」


 間の抜けた声を出し、完全に動きが止まる。


 俺が首を傾げると、リーネははっとして、慌てて咳払いをした。


 「し、失礼しました! えっと……」


 視線が泳ぎ、次の瞬間、勢いよくタマを見る。


 「……か、かっこいいですね」


 言ってから、はっと我に返り、両手で口を押さえた。


 「い、今のは違います。仕事です! 仕事!」


 頬が赤く染まり、視線を斜め下に落とす。

 

 タマが、今日だけで何度目かのため息を吐く。

 

 「一難去って……また一難」


 何故か俺をキッと睨む。

 

 俺が一体、何をした。


 「落ち着いて、リーネ。いつも通りでいいから」

 「は、はい!」


 立て直しが早い、流石だ。


 「では、新規登録ですね。紹介者は__」

 「私」


 タマが即答する。


 「彼氏ですか?」

 「違う」


 タマの返答は速かった。速すぎて、逆に不自然だ。


 「ち、違うのね!」


 リーネはなぜか安心したように笑い、それからまた少しだけ頬を赤らめる。


 「でも、すごく整った顔立ちで……冒険者っていうより、貴族様みたいです」


 咳払いをして、仕切り直すリーネ。


 「では、お名前をお願いします」

 「ゲドーマルだ」

 

 ペンが一瞬止まる、だが、すぐに動き出す。


 「通称ですね。問題ありません……種族は?」

 「人族で通している」

 「人族で……”通している”、とは?」


 タマが即座に俺の足を踏む。 

 

 痛い。

 

 「人族よ、ただの」


 「ただの」をタマが強調する。


 「ただの、ねぇ……」


 リーネはもう一度俺を見て、小さく呟いた。


 「……いいなぁ」

 「聞こえてるわよ」

 「すみません!」


 タマが深く息を吐いた。

 

 一難去った……ように見えて、まだ去っていない、らしい。


 この世界で生きていくのも大変そうに見える。


 その瞬間、タマがまた俺を睨み、それから何かを諦めたように、「はあ」と声を出しながら息を吐く。


 「では、ゲドーマルさん。登録を進めますね。まずは魔力測定です」


 測定器に手を置く。水晶が淡く光り、静かに反応を示した。


 「……安定していますね」


 リーネは記録を取りながら頷く。


 「突出はありませんが、平均的な魔力保持者です」


 疑われることもなく、想定通りの結果だ。


 何事もなく、一難去ったようだ。


 タマが小さく肩を落とすのが分かった。


 「紹介者はタマさんですね」

 「ええ」


 リーネはにこやかに言った。


 「タマさんは、依頼を選り好みせず、簡単な仕事でも必ず期限内に終わらせてくれます」

 

 「当たり前のことをしてるだけ」

 「それが一番難しいんですよ!」


 リーネははっきり言った。


 「ギルドとしては、とても“安定した冒険者”です」


 タマは少し照れたように視線を逸らす。

 

 その様子を見て、なぜか俺の胸の奥が、静かに温かくなった。


 「……あ、そうだ」


 リーネは声を落とした。


 「注意事項があります。昨日、門の付近で魔族が確認されました」


 タマが表情を変えずに、小さく頷く。

 

 俺は無駄口は叩かないようにしている。


 「はい。現在は処理済みですが、近衛騎士団が動いています」

 

 「近衛騎士団?」


 俺が尋ねると、リーネは少し背筋を伸ばした。


 「国王陛下直属の精鋭部隊です。五個団あり、それぞれに団長がいます」

 

 「団長は全員、貴族」


 タマが補足する。


 「実力主義だけどね」

 「ええ」


 リーネは続ける。


 「団長クラスになると、Sランク冒険者と同等か、それ以上とされています」

 

 「Sランク? そういえば、今、この街にいるの?」

 

 「この街の近くにいるのは一人だけです」


 リーネが真剣な眼差しでこちらを見る。


 「……Sランク冒険者、《緑災(りょくさい)》アウレオン」


 その名が出た瞬間、周囲の空気がわずかに張り詰めた。


 「……よりにもよって、危険な……」


 タマが手で額を抑え、低く言う。

 リーネが真剣な顔で言った。


 「ですので、無用な接触は避けてください」

 「分かった」


 俺は頷いた。


 話はそこで終わり、リーネは冒険者プレートを差し出す。


 「ゲドーマルさん。冒険者登録、完了です。ランクはFランクからです。詳しい内容はこちらの冊子に書いてありますので、必ずお読みになってください。まぁ、Dランクのタマさんが付いていれば安心ですね」


 俺はそれを受け取り……思わず、じっと見つめた。

 くすんだ鉄。名前が書いてある。

 ”ゲドーマル”。

 読めないはずの文字が理解できる。有能な指輪だ。

 タマが昨日、門でレオンに見せていたのとは違う金属のようだ。


 「……これは?」

 「身分証兼、実績記録ですね」

 「……ほう」


 角度を変え、光にかざし、裏も見る。ちょっと、齧ってみる。歯に沁みる。


 「面白いな」

 「ちょっと」


 タマが眉をひそめる。


 「夢中になりすぎ」

 「いや、よくできている」

 「目立つって言ってるでしょ」


 リーネは手で口元を抑え、くすっと笑った。


 「正直者なんですね」

 「そうかしら?」

 「はい。何をしても」


 タマが両手を腰に置き、ため息をついた。


 「……また一難ね」


 俺はよく分からないまま、冒険者プレートを胸元にしまった。


「ねえ、君さ__」


 冒険者が、軽い足取りで近づいてくる。

 酒の匂いが混じっている。悪意は薄いが、節度もない。


 「用事があるなら、受付を通してください」


 すぐに、受付嬢のリーネが間に入った。動きは早い。声も落ち着いている。日常なのだろう。


 「いやいや、ちょっと話すだけじゃん?」


 冒険者は笑っている。

 それが余計に厄介だということを、本人だけが分かっていない。胸にはCランクと書かれた銀の冒険者プレート。


 その間、俺は……先ほどの酒樽を見ていた。


 ギルド併設の食事処に並ぶ、見慣れぬ酒、木樽、瓶、陶器。

 

 ここは危険だ。非常に。危険だ。


 酒はあとにする。


 ‘’タマの後ろに立つ‘’。

 

 それが約束だ。

 

 分かっている。覚えている……だが、視界の端で酒瓶が光った。


 俺はギルドの出口に向かって歩いていく。

 いや、"向かっている"と思い込もうとしている。


 視線はまだ酒樽に向いたまま、足が自然と酒樽の方へ向きかける。


 ダメだ。


 無理矢理、足を出口に向かわせる。一歩でも近づけば、自分を止められない。


 確信がある。


 背中に何も感じなかったから、タマがそこにいるものだと、当然のように思っていた。


 背後の空気が変わり、振り返る。

 

 タマが立ち止まっている。

 

 その前には、先ほどの冒険者。今度は距離が近く、タマの手を取っている。


 「……調子に乗らないで」


 タマの声は低かった。

 

 次の瞬間、“何か”が広がった。

 魔力ではない。

 だが、確実に空気を押し潰す圧。


 ”怒り”、”恐怖”、”悲しみ”、そういった感情。


 冒険者の笑みが凍り、周囲の会話が、すべて止まる。

 リーネが目を見開いたまま、動けなくなっている。


 俺は理解した。


 ああ、これは俺が後ろにいなかったからだ。


 すまない、タマ。

 

 入口まで来てしまった俺は、状況を測りきれないまま、声をかけた。


 「タマ。甘味処には行かないのか?」


 間の抜けた問いだった。

 

 タマは、一瞬だけこちらを見て、そして、にっこりと笑った。

 

 さっきまでの威圧など、最初からなかったかのように。


 冒険者の手を、自然に振りほどき、そのまま走ってくる。


 「行くわよ!」


 勢いよく言い放ち、俺の袖を掴んで引っ張る。


 「ちょ、待……」


 ギルドを出る。背後で、ようやく空気が戻る気配がした。外に出て、しばらくしてから、タマは立ち止まった。


 「……約束」


 タマの手を見ると、肩が震え、爪が食い込むほど指を強く握っている。


 「すまない」


 タマは一瞬だけ俺を見て、ふっと息を吐く。

 その目は、怒りよりも"不安"の色が強かった。


 「次は、ちゃんと後ろにいて」

 「約束だ。今度は守る」


 それも、嘘ではない。

 

 タマは、また笑って歩き出す。さっきと同じ笑顔で。

 今度は俺の歩幅を確かめるように、少しだけ、ゆっくりだった。


 約束。


 もう破ることはしたくない。

 そう思いながら、俺は甘味処の方向へ歩き出した。


 酒は……そのあと。どんな味か楽しみだ。


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