第30話 電磁加速長筒
数日前。
人里から十分に離れた、崖に面する森の外れで、ドゥールは前方へ突き出した岩を顎で示す。
「まず一発だけだ。あそこを狙え」
俺は肩から長筒を下ろして教えられた通りに構えの形をなぞるが、冷たい金属の重みは、まだ手のひらに馴染まないまま乗っている。
ドゥールはそれだけ言うと俺の後ろへ回り、そのまま足を止めずに距離を取り始める。
やけに大きく間合いを空けていくその足音に気づいて視線だけを流せば、二歩、三歩と下がった末、最後には手近な太い幹の陰へ半身を隠している。
「随分、離れるんだな」
「お前も、離れられるなら離れとけ」
「撃つのは、俺だが」
「知ってるから言ってんだよ」
ドゥールの声には、いつもの職人らしい素っ気なさの裏に硬さが混じっており、さらに半歩下がるその足に合わせて、工具ベルトの金具が小さく鳴る。
俺が前へ視線を戻し、岩の出っ張りへ狙いを据えた途端、森から音が失せる。
鳥の羽ばたきも、葉の擦れる音も、風が枝を抜ける気配さえ途切れ、獣が獲物へ飛びかかる直前に似た静けさが残る。
手のひらの中で氣が長筒の奥へ吸い込まれていくと同時に、指輪から伝わる熱がいつもより一段深いところで疼き、握っている金属の内側から低い唸りのようなものが返ってくる。
狙いを据え、指を動かした次の瞬間、耳を叩く鋭い音が森そのものを殴りつける。
バァンッ!!
その音を聞いたと思う間もなく、腹の底へもっと低い轟きが遅れて届き、地響きとなって足元まで駆け抜けてくる。
ドォォォォォォォォンッ!!
押し固められていた空気が行き場を失ったように一気に弾け、その衝撃を追いかけるように地面が震え始める。
爪先から膝へ、膝から腹へと振動が駆け上がるにつれて木々は一斉に軋みながら大きく撓み、耐えきれない細い幹から折れては、枝葉ごと後ろへ薙ぎ倒されて森の奥へ押し込まれていく。
何かが吹き飛んだと気づいた時には、もうその行方は見えなくなっている。
焦げた匂いだけが、少し遅れて鼻を刺す。
俺は目を眇めて狙っていた崖を視ようとするが、そこにあるのはもう、崖だったものでしかない。
狙った岩の出っ張りだけでなく、崖そのものが一直線に抉り取られている。
削れたという言葉では到底足りないほど、岩を砕いた欠片すらほとんど残らないまま、そこだけ最初から何もなかったように向こう側まで途切れている。
むき出しになった断面はまだ熱を抱えたまま白い煙を細く上げ、ところどころでは岩肌そのものが飴のように垂れて固まり、その空気の中には薄い蒼白の氣の残滓が静かに揺れている。
ぱち、と小さな音が一つ爆ぜると、そのあまりの小ささが、先ほどまでの轟音の大きさを思い出させる。
俺はしばらくの間、崖一つが丸ごと欠け落ちたその光景を眺め続けていた。
「……少し、削りすぎたか」
「少しで済ませるな」
後ろを見れば、ドゥールも崖から視線を動かさないまま、工具ベルトの金具が身体にある震えを拾うようにいつまでも小さく鳴っている。
……どうやら本人の想定を超えていたらしい。
「……これが」
口を開くと、自分の声まで少し遠く聞こえる。
「《電磁加速長筒》だ」
ドゥールはようやく幹の陰から身体を出しながら答える。
「威力は……あれ見りゃ、分かるだろ」
俺は手の中の長筒へ視線を落とす。
金色の筒身と、飴色に艶めいた木の握り、見た目だけならそれだけの代物でしかないそれが、今、崖を一つ持っていった。
ドゥールが近づいてくると、金色の筒身を指先で軽く叩く。
「筒身はオリハルコンだ」
乾いた音が、金属とも石ともつかない響きを返す。
「硬いから使ったわけじゃねぇ。こいつがおかしいのは、焼いても、震わせても、形を保つことだ」
指先が筒の中央をゆっくりとなぞっていく。
「普通の鉄なら、熱を食わせりゃ膨らむ。何度もやれば歪む。その上、お前の氣みてぇな馬鹿げた震えまで中から重ねりゃ、筒の方が先に音を上げる」
「だが、こいつは持ち堪えている」
「持ち堪えるように選んだんだよ」
俺は短く頷く。
「……分かった」
ドゥールの指が止まる。
「何が分かった」
「丈夫なんだな」
今度は、ドゥール自身が止まる。
「……説明した俺が馬鹿だった」
そのまま握りの方へ手を移し、飴色の木目を手のひらでひと撫でする。
「こっちは古木だ」
「絶縁性が高いんだったな」
覚えたばかりの言葉を返すと、木目をなぞっていた親指が途中で止まる。
「……言葉だけは覚えたか」
「違うのか」
「合ってるよ。合ってるが……お前、意味分かって言ってねぇだろ」
……図星だから、答えない。
見透かされたらしく、ドゥールは鼻から長く息を吐くと、もう一度、握りを軽く叩く。
「全部オリハルコンにすると、中で暴れたもんが、そのままお前の手まで返ってくる。だから一度、ここで止める」
「木で、止まるのか」
「理屈はお前の木刀と一緒だ。だが、普通の木じゃ足りねぇ」
そこで一度、大きく息を吐く。
「その木を探すのに、どれだけ掛かったと思ってやがる」
ドゥールはそれだけ言ってから、再び抉れた崖へ視線を向ける。
しばらく黙ったまま、やがて工具ベルトへ移っていた手を、静かに離す。
「……けどな。これだけは覚えとけ」
目や声から、先ほどまでの軽さが消えている。
「撃つ前に、狙った先の、その向こうまで見ろ」
俺も崖を見れば、抉れた断面のさらに向こうには森が続いているものの、木々が幾重にも重なり合ってその先までは見通せず、視線の通らない場所は神眼をもってしても闇のままだ。
「あれは、当たったところで止まらねぇ」
ドゥールは崖から目を離さない。
「お前が狙った獲物だけ視て撃ちゃ、その向こうにあるもんまで、まとめて持っていく」
言われて、欠けた崖をもう一度視る。
その先に何があったのか、俺には分からない。
木だったのか、獣だったのか、あるいは本当に何もなかったのか、そのどれもが今となっては確かめようがないまま、崖一つ分の向こう側が消えている。
喉の奥が、わずかに乾く。
「気をつけて使えよ」
ドゥールの声には、いつもの軽さが戻っているが、目は違う。
「じゃないと……大事なもんまで、消える」
その一言が、耳に残る。
俺は長筒へ目を落とすと、視えているのは金と木、それだけでしかないのに、先ほどの崖の光景が目の奥から離れない。
「……出来れば、使いたくはないな」
「だったら、置いてくか?」
ドゥールは軽い調子で聞いてくるが、こちらを見る目だけは動かない。
俺は長筒を見つめたまま、しばらく動かない。
やがて肩へ掛け直すと、馴染んでいない重さが同じ場所へ食い込んでくる。
「いや。持っていく」
ドゥールは何も言わず、ただ一度、小さく頷く。
森に、ようやく音が戻り始め、折れた枝が地面へ落ちる乾いた音へ遅れて葉の擦れる音が重なり、その向こうでは驚いて遠ざかっていた鳥の声も戻ってくる。
それでも、一直線に欠けた崖だけは何も戻らない。
……帝国に行ったときに、使わなかったのは正解だったな。
使いたくはない……それでも持っておく。
そのどちらの想いも、まだ上手く言葉にできないまま、肩へ食い込んでいる重みが、先ほどまでとは少し違って感じられている。
*
崖を消した日の記憶が、頭の隅で静かに引いていく。
目の前にあるのは、黄金の甲冑をまとった影と、風もないのに揺れる、夜空の色をした外套。
手の中の長筒は、あの日と同じように、ここにある。
俺は横に立つタマへ目を向ける。
九つの尾が、後ろへ流れきらないまま揺れている。
「タマ、もう少し下がれ」
「嫌」
九つの尾まで、言葉に合わせるようにその場へ留まっている。
「危ない」
「さっき私に『俺を信じろ』って言った人が、それ言う?」
「信じているなら、下がってくれ」
タマの目が細くなる。
「……ほんと、そういうところだけ強いよね」
唇を尖らせたまま、それでも足だけは素直に後ろへ引いていく。
九つの尾も後ろへ流れていくが、そのうち一本だけは、未練が残ったようにこちらへ伸びたまま、なかなか戻ろうとしない。
背後で、草を踏む音が一度だけ鳴って、すぐに止まる。
下がりきれずに、そこで止まったのだろう。
タマが十分に離れたのを横目で確かめてから、俺は長筒を持ち上げる。
右手の小指に嵌めた指輪が、淡く光る。
ガグンは、その動きを興味深そうに眺めている。
「さぁ来い。その程度の魔力弾で効果があるのか試してみろ」
「魔力弾ではない……らしい」
ガグンの眉が、わずかに動く。
「らしい?」
「俺も、詳しい仕組みまでは分からん」
背後から、タマの声が飛んでくる。
「そこは分かってて使ってよ!」
「ドゥールに説明はされた」
「説明されたのと理解したのは違うでしょ!」
軽口の応酬の間も、指先は長筒へ添えたまま動かない。
細く氣を走らせ、ガグンまでの道を整えていく。
長筒の内側で、何かが震え始める。
キィィィィィィィィン……。
細く、高い音が耳の奥へ入り込み、その高さを増すほど、反対に丘を渡っていた風の音が遠ざかっていく。
ぱち、と蒼白い火花が筒身を走る。
さらに、ぱち、ぱち、と細い音が重なり火花が増えていく。
空間に氣を散らし整え、ガグンへの”道”を造る。
焦げた空気の匂いが鼻を刺す中、そのままガグンの先まで、視る。
正面へ撃てば、ガグンの向こうにも丘の稜線が続いている。
そこから先に何があるのかまでは、視えない。
『撃つ前に、狙った先の、その向こうまで見ろ』
崖の前で聞いたドゥールの声が、頭の奥から戻ってくる。
筒先を、ほんの少しだけ上げる。
そのさらに先を通るものが、青い空だけになるように。
「……本当に嫌になるな」
バァァンッ!!
耳のすぐ横で大木をへし折られたような、鋭く乾いた音が丘を殴る。
それだけでは終わらない。
鉄弾の走った道を追うように、さらに深く、重い音が押し寄せる。
ドォォォォォォォォンッ!!
空気そのものが一本の線に沿って叩き割られ、低い轟きが丘を這う。
遅れて地面が震え、足元の草が一斉に伏せる。
ガグンの外套が大きく煽られるより早く、その前へ魔力の壁が幾重にも重なる。
鉄弾を包む氣が最初の一枚へ触れた瞬間、壁を形作っていた流れが崩れる。
一枚、その奥の一枚……さらに奥。
薄い膜を突き破るように次々と裂け、散った魔力が蒼白い光を残して空中へ押し流されていく。
同時に、周囲を巡っていた刻印の一つが輪を離れる。
細い線が伸び、ガグンの正面へ新しい文字が組み上がり始める。
残るのは、あとわずか。
だが、その文字が閉じるより先に、鉄弾がそこを抜ける。
黄金の装甲の外側が弾け飛び、肩の一角が持っていかれる。
血が噴くというより、衝撃に叩き出されたように宙へ散り、その青い粒が陽の光の中へ一瞬だけ浮かぶ。
そのさらに向こうで遅れて、「ドォォォン……!」と空が鳴り響く。
ガグンの身体が大きく揺れ、片足が土を削りながら後ろへ流れる。
「……なにを、した?」
初めて聞く焦りを含んだ声が漏れる。
俺は答えず、長筒を下ろす。
まだ耳の奥には、細い針で直接突かれているような高い音が残り、それも少しずつ遠のいていく。
「……力加減が難しいな」
肩を抉られてなお立っているガグンを視ても、もう一度試したいとは思わない。
ガグンの表情が歪み、血の気が引く。
歯を食いしばりながらも魔力を流し、空間に再び文字を浮かべようとする。
左手を上げ、人差し指を向けると、指輪から氣を纏った風が走る。
それだけで文字は散る。
ガグンは目を剥き、それから、何かに納得したように短く息を吐いた。
以前、森でヤグが使ったものとよく似た転移の魔道具が、懐から抜き出される。
タマから離れていくのなら、それでいい……追う必要もない。
夜空の色をした外套が光の中で揺れ、空間が捻れる。
やがて、その気配は、氣を伸ばして探る必要もないほど遠ざかっていく。
張り詰めていた空気が緩むのとほとんど同時に、背中へ柔らかな重みが触れる。
視界の端で、九つの尾が、遅れてふわりと広がる。
「……ゲドーマル」
風の音に消えそうなほど小さな声が聞こえ、背後から腰に腕が回される。
「なんだ」
少し間を置いて、タマが俺の背中へ額を押しつける。
「……パフェ」
「ああ。約束した。覚えている」
背後で、長い息が抜ける。
「……大丈夫そう、ね」
「それで分かるのか」
「……わかるよ。外道丸のことだから」
自分で言った軽口に、タマが小さく笑う気配がする。
背中に感じるその温もりは、震えが残っている分だけ、まだ少し強い。
丘の稜線の向こうから、風を切るようにして駆けてくる二つの影がある。
少年の姿をしたアウルと、金の縁取りが揺れる外套をなびかせたカイランが、こちらへ向かって丘を登ってくる。
轟音の余韻を引きずっていた低い音も、いつの間にか遠くへ消えている。
風が戻る。
伏せていた草がゆっくりと起き上がり、その間を抜ける青い匂いが、ようやく丘の上へ戻ってくる。




