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異世界の鬼神は本日も盃を手放さない  作者: 二筆
第1章 居場所は作られていく
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第5話 宿と約束

 宿の扉が閉まった瞬間、外の喧騒が嘘のように遠のいた。

 

 石造りで装飾は控えめだが、壁は厚く、窓も高い。

 ここに来るまでの警備も行き届いていた。

 

 廊下の角には、槍を持った警備員。

 宿の入り口には、魔道具らしき光る石。


 なるほど。


 女が一人で泊まる宿として、これ以上ない選択だ。


 部屋の中央で立ち止まり、無意識に左腰に手を伸ばす。

 帯に沿って静かに下げられた太刀《終座(しゅうざ)》はそこにある。

 抜くつもりはない。


 ただ、確かめるだけだ。


 このような建物が造れるなど、自分が生きてきた世界よりも技術が進んでいるのだろう。


 タマは、部屋に入るなり、自然な動きで鍵を閉め、窓から外を確認する。

 それでも足りないのか、壁際に立ち、耳を澄ます。


 扉が軋む音ひとつしない。


 それを確認してから、ようやく肩の力を抜いた。


 「……ごめん」


 タマは小さく息を吐いた。

 

 「癖みたいなものだから。気にしないで」

 「気にはしてない。慎重なのは、いいことだ」


 タマは一瞬、目を伏せ、それから軽く笑った。


 「そう言ってもらえると助かる」


 その声色は柔らかいが、完全には緊張が解けていない。

 部屋は静かだった。

 上等な寝台に、磨かれた卓。

 簡素だが、余計なものがない。


 窓の外を眺め、ポツリといった。

 

 「街を、ほとんど見られなかったな。門からここまで、慌ただしかった」

 「ごめん」


 タマは即答した。


 「今日は特に、目立ちすぎた」

 「そうか?」

 「そうだよ」


 鬼として国中から追われていた頃に比べれば、気にしすぎる必要はないように感じる。

 ゴブリンにしても、門前でのことにしても、少し妙なことが続いただけ。

 この世界の者たちは、俺のことを知らないのだから。


 薬指にはめられた指輪。


 「翻訳の魔道具。言葉が通じるようになる。ゴブリンとは話せなかったけど、レオンさんとは会話できたでしょ?」


 マドウグ?


 また新しい言葉……異世界か。


 指輪の内側には流れがあった。

 言葉そのものを変えるのではない。

 聞こえた音を、意味に変換し、意識に落とす。

 符に近い。

 言葉の”形”を整えている。

 陰陽の術式に似ている。

 

 「……なるほど、理屈はわかる」

 「わかるんだ?」 

 「ただし、”マホウ”という言葉が理解できない。当て字として、音だけが残る。元いた世界にはない概念だからか」

 「知らない方が、安全なこともある」


 椅子に腰を下ろす、タマ。


 「以前ね……ほんの一瞬、油断した」


 視線を落とす。

 

 「それだけで、全部ひっくり返った」


 追われた記憶か。


 茨木が以前、伝えてきた。玉藻が追い詰められたと。まさか、この世界に逃がれてきていたとは。


 「それと、言っておくことがある__」


 タマは一拍、間を置いた。


 「__私はね、この世界の生まれ」


 その言葉は淡々としていた。


 「あなた達に出会ったのは、あとから。長いこと前だし……事情もある」


 これだけ長く生きていても、驚愕することもある。

 まさか、今日一日でこれだけ驚愕するとは、夢にも思わなかったが……。


 「だから、この世界のことは、あなたより知っている」


 少しだけ、胸を張るように言う。


 「危ないのも、追われる理由も」

 「……そうか」


 タマは、思わず眉をひそめる。


 「それで終わり?」


 むっとしたように言いながら、すぐに視線を逸らす。


 驚きすぎて、言葉など出るわけもない。


 「でも、だから……あなたが何も知らないまま突っ込むのが、すごく怖い」


 声が、少しだけ揺れた。


 「私は、ここで生き残りたいの。不安のない生活をしたい」


 よく、本当に、よくわかる。

 

 「わかった。なら、案内はまかせる」

 「……え?」


 「知らぬ者は、知る者の、後ろを歩く。理にかなってる。約束する。タマの後ろを俺は歩く。後ろは任せろ」


 タマは、一瞬ぽかんとした後、苦笑した。


 「そういうところ、本当にズレてる」

 「そうか」

 「そう」


 タマは、少しだけ背筋を伸ばす。


 「じゃあ……しばらくは、私が教える」


 しっかりと目を合わせてくる、タマ。


 「その代わり」


 一拍空く。


 「《終座》は抜かないで」


 左腰の太刀に一瞬だけ視線を落とす。


 「わかった」


 俺は、迷わず答えた。

 

 「それも約束する」


 ようやく小さく笑うタマ。


*  



 「言っておくけど、私、軽い女じゃないから」


 タマは腕を組んだ。


 「あなたを部屋に入れた理由、表向きは古い知人が困っていたから」


 少し間を置いて。


 「本当は……一人より二人の方が、生き残りやすいから」

 「知っている」


 気にも留めていない。

 本気で。


 タマの眉が、ぴくりと動いた。


 「……もう少し、反応してもいいと思う」

 「そうか?」


 昔を知っている身としては、危険すぎて、隙を見せる気にはなれないな。


 「そう!」


 少しむくれる。


 昔よりも感情が豊かになった気がするな。


 いや、こんなものだったか。



 夜は、静かだった。

 空気の流れもない。

 匂いもない。

 

 灯りは落とされ、部屋は静まりかえっていた。

 椅子に座り、盃に酒を注ぐ。


 寝台の上で、タマは眠っている。


 外套は脱いでいない。

 動きやすい服のまま、靴だけを外し、何かあれば、即座に起き、即座に動ける……そんな姿勢だ。


 それでも、白銀の尻尾が、布の隙間から覗いていた。


 隠すことを忘れたように、無防備に。

 寝息に合わせて、微かに揺れている。


 油断している。


 いや、違う。


 油断できると、思っている。この部屋に、俺がいること。何かあれば、起きる前に終わる。


 「不器用だな」


 眠っている相手に、聞こえぬ声で呟く。


 何百年も追われ続け、隠し続け、疑い続けてきたものが、たった一晩、同じ部屋にいるだけで、こんなにもわかりやすく気を緩める。


 盃を傾け、清酒を喉に流し込む。

 舌に残る、微かな甘み。


 問題は、量だな。


 この酒がきれた時、自分の中にあるものを、どこまで抑えられるか。

 

 鬼としての本能。


 ”鬼の衝動”。

 

 《終座》を抜かずにいられるか、酒に委ねている部分が大きい。


 盃を置き、左腰の太刀に視線を落とす。

 《終座》は、何も語らない。


 「……酒屋は、あるのだろうな」


 大きな街だ、きっとある。

 

 そうでなければ、


 困る。


 本当に困る。


 寝台の上で、タマが小さく身じろぎした。

 尻尾が、ゆるりと揺れる。


 ただ、眠っている。


 盃を手に取りながら、その様子を見守る。



ここまで、お読みいただきありがとうございます。

よろしければ、引き続きお付き合いください。

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