第4話 近衛騎士隊長
街門の前で、タマはゲドーマルを少し離れた場所に待たせ、レオンと向かい合っていた。
先ほどの騒ぎはようやく収まりかけていたが、門前に残った空気はまだ硬く、鉄柵の向こうを行き来する旅人たちも、ちらちらとこちらを気にしている。
門番たちは持ち場へ戻りつつあったが、完全に緊張を解いた者はいなかった。
その中で、レオンは腕を組み、低い声で言った。
「疑っているわけではない……疑っているわけではないが、あいつはおかしい」
視線は真っ直ぐにタマの目を見ている。
「黒髪とはいえ、人族にしか見えないのに、魔力が塵ほども感じない。そんなことはあり得ない」
タマは視線を下に逸らす。
「魔道具で抑えているようにも見えない。悪意は感じない。悪い奴ではないのだろう。これは門番としての経験だ」
レオンはそこで一度、小さく息を吐き、さらに声を落として続ける。
「だが、本当のことが知りたい。お前なら何か知っているんだろう?」
タマは、ふっと微笑んだ。
その笑みは柔らかく、周囲の空気をほんの少しだけ緩めた。
列に並んでいた旅人たちや、近くにいた門番たちの視線が思わず集まる。
けれど、レオンだけは視線を逸らさなかった。
タマは諦めたように、小さく息を吐く。
「ゲドーマルは人族だよ。魔力がない体質の人って、たまにいるでしょ? 長旅で体を壊したのかも」
軽い口調で言って、笑って肩をすくめてみせる。
レオンが腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「見たことないな」
「私はあるの……昔の仲間、にね」
タマは下を向き、少しだけ笑った。
「それに、レオンさんが通してもいいって思えた相手なんだから、危ないはずないって」
門の向こうを見ると、ゲドーマルは変わらず王都の街並みを見ている。
「このあと冒険者ギルドで登録する時に、魔力はきちんと測られるでしょ。そこで何か問題が出たら、その時に話せばいい」
レオンは考え込むように、視線だけを地面に落とし、少し息を吐く。
しばらくの間、門前を通る風だけが二人の間を抜けていく。
やがて、顔を上げたレオンがぽつりと言った。
「……魔力もなしに生きていけるのか?」
タマが瞬きをする。
「ゴブリンどころか、スライムにすら殺されるぞ……とは言え、黒髪だ。他で、雇ってもらえるかもわからない」
タマは力強い足取りで、一歩前に出た。
「大丈夫。私が絶対に守る」
「……」
レオンはまたしばらく黙っていたが、やがて、深く息を吐く。
「……お前がそこまで言うなら……魔族発見に力を貸してくれた友として、これ以上は聞かない」
タマは肩の力を抜き、ほっとしたように笑う。
「うん。それでいい。私が保証するよ」
レオンの表情がほんの少しだけ柔らかくなる。
「もう行っていいぞ。彼を待たせてしまったな」
「うん。またね」
タマは振り返り、歩き出す。歩きながら、胸の奥で静かに思う。
この世界に戻る前、向こうの世界で出会った人たちは、誰一人として魔力など持っていなかった。
味方も、敵も、魔法という言葉すら知らず、それでも桁外れの強さを持つ者は確かにいた。
陰陽師。侍。
あの世界で生き抜くため、タマはあらゆる手段を使った。
隠れ、騙し、逃げ、時には戦い、時には笑って泣いてやり過ごした。
それでも最後には追い詰められ、もう後がなくなった。
次に失敗すれば、奇跡など起こらないと分かっている。
だから、今度こそ上手くやらなければならない。
門の外側で、黒髪の彼が王都リュシアを興味深そうに眺めている。
何も知らず、何も恐れず、けれど誰よりも危うい眼でこの世界を見ている。
彼と一緒なら、きっと上手くいく。
根拠などなかったが、そんな気がしていた。
*
王都リュシア。
門柱にもたれながら、俺はタマを待っていた。
空はまだ明るく、石壁の上を流れる風がゆっくりと髪を撫でていく。
風に混じる匂いは、どれも知らないものばかりだった。
俺の知らない世界、俺を知らない世界。
それでも、思ったより人の活気に満ちている。
屋台で焼かれた肉の香ばしい匂いが風に乗り、水路を流れる水音が石畳の奥から聞こえてくる。
先ほどの門前の騒ぎは、街の内側までは届かなかったらしい。
悪くない。
知らない街ではあるが、古い付き合いの狐がいて、門番の友がいる街でもある。
悪くない。
胸元から盃を出し、空へ掲げる。
「サエ」
視線を青い空に向け、小さく呟いた。
「お前には、この街はどう映る?」
ここでは、俺が鬼だということを誰も知らない。
狩られる心配のない世界。
そんな場所に立っているのは、いつ以来だろうか。
「……いつ以来だろうな」
盃の向こうに明るい空が映っているのを眺めていると、背後から声がした。
「貴様」
振り返ると、そこにいたのは、さっきタマに絡んでいた門番だった。
男は険しい顔でこちらを睨んでいる。
「タマと随分仲がいいんだな」
俺は肩をすくめた。
「古い知り合いだ」
そう答えて、盃をしまう。
「それより、こんな所で遊んでいていいのか。騒ぎの後始末が残っているだろう」
門番の顔が、さらに歪んだ。
「生意気だな、黒髪。俺はまだ、貴様を魔族だと疑っているぞ」
男が手にした杖の先端に、光の陣が浮かぶ。
まほう、だったか……だいぶ気が立っているな。
「王都リュシア式、単独魔法」
男が叫んだ。
「赤き火、門外の敵を射よ――《火矢一式》!」
空気の温度が跳ね上がり、頬を撫でていた風が、一瞬で熱を帯び、杖の先に赤い光が集まる。
火の矢が何本も生まれ、こちらへ向けて整列するように並ぶ。
俺はそれを視る。
なるほど、周りの空気から熱を奪い、それを矢の形に押し固めている。
焚き火に薪をくべた時と似ているが、これは一瞬で燃料を食い尽くす類のものだ。
まともに受ければ、火傷では済まないし、このままだと周りに燃え移る。
避けるわけにはいかないな。
仕方がない。
丹田に力を落とすと、周りの空気の細かな粒が、ほんのわずかに動き始めた。
レオンの怒声が門の方から響く。
「ジル、やめろ! 街中だぞ!」
タマが離れたところから、俺に向かって手を向けるのが視える。
タマの手の周りに光の陣が生まれ、それに意識を奪われた瞬間、俺の前に"白い壁"が現れる。
だが、壁そのものには光の陣も声もなく、空気の中に何かの流れが凝り固まったように、薄い膜だけが立ち上がっている。
火矢が壁に触れ、音もなく吸い込まれていく。
熱が散るのではなく、矢そのものが壁の中で形を失う。
静かに……そして、完全に。
「な……なんで」
ジルと呼ばれた男が固まり、その隙に、レオンが一瞬で取り押さえた。
「大丈夫、ゲドーマル?」
タマが慌てた様子で、息をきらせながら駆け寄ってくる。
俺はタマに頷き、身体を流れ始めていた氣をゆっくりと落ち着かせていく。
「ああ、無傷だ。助かった」
タマが胸を撫で下ろした。
だが、俺の視線は、さっきまで目の前にあった白い壁の残りを追っていた。
この世界でいう“まほう”のような仕掛けの気配がなかった。
声も、陣も、手順もなく、ただ「そこにあれ」と念じただけで空気が形を変えたように視えた。
そう思った瞬間、空気が変わった。
街の奥から赤い外套が風を切り裂く。
赤髪、鉄の鎧、それに、赤い外套の若い女が、すぐそこに立っている。
速い。
足元の石畳が、踏み込みの強さによって削られている。
身体はまだ止まりきっておらず、髪の先だけが遅れて揺れていた。
走ってきたのではない。跳んできたのか……いや、あの距離を一息で詰めたのだろう。
人の限界を超えている。
タマが小さく呟く。
「王国近衛騎士団・第三団隊長、リラ・ヴァン・ストライゼン《緋髪纏雷》」
このえきし?
「魔族が現れたと、一報を受けたんだけど__」
レオンに話しかけながら、鋭い視線をこちらに刺す。
「そこの黒い髪の彼? それともそっちの不思議な魔法を使う彼女かしら?」
レオンがもともと伸びていた、背筋をさらに正す。
「リラ隊長。彼らではありません。魔族には逃げられました」
レオンの報告を聞きながら、リラと呼ばれた赤い髪の女は視線を、今度は門へ向ける。
「……まだ終わっていないわ。魔族の目がある。門は王城の喉元。油断は禁物よ」
詠唱を始める。
「近衛の名において声を並べる__」
光の陣がリラの足元と剣の周囲に浮かぶ。
先ほどのジルのものとは、まるで違う。ジルの火矢が焚き火なら、これは鍛冶屋の炉だ。
構えの段階から力の流れに無駄がない。
「高き天の剣。我が身を器とせよ__」
火花がリラの周りに生まれ、バチバチと音を立てる。
なるほど。
大気の中の細かい粒を、身体の内側で擦り合わせている。
夏の入道雲の中で起きることと同じ。
山の頂で雷雲が生まれる直前、空気が甘く重くなる感覚に似ている。
「光速の外套、我が鉄に宿れ――《近衛迅雷・ストライゼン》」
リラの姿が消えた。
いや、消えたのではない。速すぎて目が追えないだけだ。
だが、"神眼"には視えた。
走る直前、リラの足元で空気が割れ、身体が動くよりも先に、周囲の道を空けている。
だから速い。雷を纏っているから速いのではない。
身体の中に生まれた力の流れが、周りの空気を押し退けている。
地面との摩擦が消え、空気の抵抗が失せる、その結果として、身体の周りで空気が弾けて光る。
雷は速さの原因ではなく“結果“だ。
山で暮らしていれば分かる。
雷は高いところに落ちるのではなく、地面と空の間に”通り道”ができた時に落ちる。
あの女は、自分の身体でその”通り道”を作っている。
“雷”が走る。
門の横、獅子像の影。
そこに潜んでいた何かを、一瞬で斬り裂いた。
羽を持つ異形の生物が、細切れになって崩れる。
なるほど……いい術だ。速さで仕留めるのではなく、速さそのものが刃になっている。
タマが俺に向かって小さく呟く。
「……今の、見えた?」
「ああ」
「……やっぱり」
タマが少し悔しそうに笑う。
「私は途中から消えた。おそらく、雷魔法をあそこまで扱えるのは彼女と《帝国の勇者》くらいよ」
「あれは”雷の術”じゃないな」
タマが首を傾げながら、俺を見る。
「走る前に、足元の空気を掃いている」
リラを視たまま、言葉を選ぶ。
「山の急斜面で、雨水が一気に流れ落ちる時がある。水は自分で道を作る。石を押し退け、土を削り、一番楽に流れる道を見つける」
タマの目が少し変わった。
「あの女は、それを身体でやっている。身体の中で力の流れを作って、周りの空気に道を空けさせる。地面も、風も、全部が道を譲る」
腕を組んでいたタマの手が、いつの間にか下りている。
「だから速い。雷は後から追いかけてるだけだ」
タマが俺の目を見て言う。
「……やっぱりずるい」
「何がだ?」
「神眼」
俺は、小さく肩をすくめる。
「……私も欲しかった」
「同じ理屈なら、こうなる」
右手に静かに氣を巡らせた。
丹田から腕を通り、指先へ向かう。
指先の氣が空気に触れた瞬間、周囲の細かい粒が弾かれるように動き始める。
乾いた音が弾け、鋭く冷たい蒼白の火花が空間を飛び回る。
いつも思うが、夏の夕立の前に遠くで鳴る稲光に似ている。
周囲の空気がわずかに揺れた。
「ほらな。理屈が分かれば、タマにもできる」
タマが慌てて、俺の右手を両手で包み込むと、蒼白の光が消えた。
「こんなところでそんなもの出さないで。もう、心臓に悪いって。大体、氣なんてあなたと茨木以外扱えないから」
「……すまない」
少し離れたところから声が聞こえてくる。
「嫌な鈴の音がしてたんだが……あ、止まってる」
場違いなほど呑気な声を出しながら、門の方へ向かって、小柄な男が走ってくる。
背は低いが、肩幅は広く筋肉質な髭面の男が、奇妙な金属箱を抱えていた。
「ほう」
走り方に無駄がない。重い箱を抱えているのに、足音が軽い。
あれも、まほう……か。
重心が腰に据わっている。あれは、荷を抱えたまま戦える者の走り方だな。
レオンと同じ……いや、違う種類の。鍛え方が、戦場ではなく、もっと静かな場所で培われたものに視える。
男は周囲を見回す。
「あー……なるほど。もう終わったのか」
レオンが男の声に気付き、振り向く。
「ドゥールさん。少し遅かったです」
「新型の魔族探知機だ。門用」
男は金属箱を軽く叩いた。
「試したかったんだがな」
「でも、ありがとうございます」
髭面の男の視線がこちらに向き、目が合う。
「……黒髪?」
少しだけ目を細め、品定めをするようにこちらを見ている。
「行こっか」
タマが俺の手を引く。
「いいのか?」
「通行料も払ったし」
タマは足を止めずに、少し笑う。
「魔族退治は騎士の仕事。それとも、赤い髪が好み?」
「髪の色で人を判断などできないだろう」
タマが自分の白銀の髪に触れる。
「……それもそうね」
少し離れた屋根の上、耳の長い男がこちらを見ていた。
“観察”されているな。
今日は初対面の者によく見られる日だ。
黒髪なんかよりも、よっぽど特徴のある者が多いと思うがな。
タマに手を引かれ、足早に俺はその場を離れた。
*
石畳の角を曲がったところで、タマはようやく息を緩めた。
目の前には、石造りの背の高い宿屋が建っており、厚い壁と広い入口だけでも、先ほど通り過ぎた宿とは違うことが分かる。
この辺りは立派な建物が立ち並び、人通りも多い。
タマが俺の正面に立ち、表情を崩さずに俺の眼を見る。
「さっきの人たちはこの街でも特に強い人たち……でも、そうでない人たちも十分に強いの」
視線を石畳に落とし、続ける。
「女の子一人で借りるなら、安全も考えて、それなりの宿がいいの」
そう言うと、踵を返し、宿の扉の方へ向かって歩き出す。
齢百をゆうに超えて女の子?
タマが振り返る。
「……何か?」
今日一番の冷たい目だった。
「……すまない」
「謝られると余計腹が立つ!」
「……すまない」
「ふん!」
タマは早足で宿へ入っていく。
俺は少し距離を空けて後ろを歩いた。
この世界で生きていくなら、あの古い友人を見失うわけにはいかない。
次回からは火曜日22時と金曜日22時に更新を続けていく予定です。
これからも、よろしくお願いいたします。
二筆




