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異世界の鬼は本日も盃を手放さない  作者: 二筆
第1章 居場所は作られていく
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第4話 近衛騎士隊長


 街門の前で、タマはゲドーマルを少し離れた場所に待たせ、レオンと向かい合っていた。


 先ほどの騒ぎはようやく収まりかけていたが、門前に残った空気はまだ硬く、鉄柵の向こうを行き来する旅人たちも、ちらちらとこちらを気にしている。


 門番たちは持ち場へ戻りつつあったが、完全に緊張を解いた者はいなかった。


 その中で、レオンは腕を組み、低い声で言った。


 「疑っているわけではない……疑っているわけではないが、あいつはおかしい」


 視線は真っ直ぐにタマの目を見ている。


 「黒髪とはいえ、人族にしか見えないのに、魔力が塵ほども感じない。そんなことはあり得ない」


 タマは視線を下に逸らす。


 「魔道具で抑えているようにも見えない。悪意は感じない。悪い奴ではないのだろう。これは門番としての経験だ」


 レオンはそこで一度、小さく息を吐き、さらに声を落として続ける。

 

 「だが、本当のことが知りたい。お前なら何か知っているんだろう?」


 タマは、ふっと微笑んだ。


 その笑みは柔らかく、周囲の空気をほんの少しだけ緩めた。


 列に並んでいた旅人たちや、近くにいた門番たちの視線が思わず集まる。


 けれど、レオンだけは視線を逸らさなかった。


 タマは諦めたように、小さく息を吐く。


 「ゲドーマルは人族だよ。魔力がない体質の人って、たまにいるでしょ? 長旅で体を壊したのかも」


 軽い口調で言って、笑って肩をすくめてみせる。


 レオンが腕を組み、眉間に皺を寄せる。


 「見たことないな」

 「私はあるの……昔の仲間、にね」


 タマは下を向き、少しだけ笑った。


 「それに、レオンさんが通してもいいって思えた相手なんだから、危ないはずないって」


 門の向こうを見ると、ゲドーマルは変わらず王都の街並みを見ている。


 「このあと冒険者ギルドで登録する時に、魔力はきちんと測られるでしょ。そこで何か問題が出たら、その時に話せばいい」


 レオンは考え込むように、視線だけを地面に落とし、少し息を吐く。


 しばらくの間、門前を通る風だけが二人の間を抜けていく。

 

 やがて、顔を上げたレオンがぽつりと言った。


 「……魔力もなしに生きていけるのか?」


 タマが瞬きをする。


 「ゴブリンどころか、スライムにすら殺されるぞ……とは言え、黒髪だ。他で、雇ってもらえるかもわからない」


 タマは力強い足取りで、一歩前に出た。


 「大丈夫。私が絶対に守る」

 「……」


 レオンはまたしばらく黙っていたが、やがて、深く息を吐く。


 「……お前がそこまで言うなら……魔族発見に力を貸してくれた友として、これ以上は聞かない」


 タマは肩の力を抜き、ほっとしたように笑う。


 「うん。それでいい。私が保証するよ」


 レオンの表情がほんの少しだけ柔らかくなる。


 「もう行っていいぞ。彼を待たせてしまったな」

 「うん。またね」


 タマは振り返り、歩き出す。歩きながら、胸の奥で静かに思う。


 この世界に戻る前、向こうの世界で出会った人たちは、誰一人として魔力など持っていなかった。


 味方も、敵も、魔法という言葉すら知らず、それでも桁外れの強さを持つ者は確かにいた。


 陰陽師。侍。


 あの世界で生き抜くため、タマはあらゆる手段を使った。


 隠れ、騙し、逃げ、時には戦い、時には笑って泣いてやり過ごした。

 

 それでも最後には追い詰められ、もう後がなくなった。


 次に失敗すれば、奇跡など起こらないと分かっている。


 だから、今度こそ上手くやらなければならない。


 門の外側で、黒髪の彼が王都リュシアを興味深そうに眺めている。


 何も知らず、何も恐れず、けれど誰よりも危うい眼でこの世界を見ている。


 彼と一緒なら、きっと上手くいく。


 根拠などなかったが、そんな気がしていた。


 *


 王都リュシア。


 門柱にもたれながら、俺はタマを待っていた。


 空はまだ明るく、石壁の上を流れる風がゆっくりと髪を撫でていく。


 風に混じる匂いは、どれも知らないものばかりだった。


 俺()知らない世界、俺()知らない世界。


 それでも、思ったより人の活気に満ちている。


 屋台で焼かれた肉の香ばしい匂いが風に乗り、水路を流れる水音が石畳の奥から聞こえてくる。


 先ほどの門前の騒ぎは、街の内側までは届かなかったらしい。


 悪くない。


 知らない街ではあるが、古い付き合いの狐がいて、門番の友がいる街でもある。


 悪くない。


 胸元から盃を出し、空へ掲げる。


 「サエ」


 視線を青い空に向け、小さく呟いた。


 「お前には、この街はどう映る?」


 ここでは、俺が鬼だということを誰も知らない。


 狩られる心配のない世界。


 そんな場所に立っているのは、いつ以来だろうか。


 「……いつ以来だろうな」


 盃の向こうに明るい空が映っているのを眺めていると、背後から声がした。


 「貴様」


 振り返ると、そこにいたのは、さっきタマに絡んでいた門番だった。


 男は険しい顔でこちらを睨んでいる。


 「タマと随分仲がいいんだな」


 俺は肩をすくめた。


 「古い知り合いだ」


 そう答えて、盃をしまう。


 「それより、こんな所で遊んでいていいのか。騒ぎの後始末が残っているだろう」


 門番の顔が、さらに歪んだ。


 「生意気だな、黒髪。俺はまだ、貴様を魔族だと疑っているぞ」


 男が手にした杖の先端に、光の陣が浮かぶ。


 まほう、だったか……だいぶ気が立っているな。


 「王都リュシア式、単独魔法」


 男が叫んだ。


 「赤き火、門外の敵を射よ――《火矢一式》!」


 空気の温度が跳ね上がり、頬を撫でていた風が、一瞬で熱を帯び、杖の先に赤い光が集まる。


 火の矢が何本も生まれ、こちらへ向けて整列するように並ぶ。


 俺はそれを視る。


 なるほど、周りの空気から熱を奪い、それを矢の形に押し固めている。


 焚き火に薪をくべた時と似ているが、これは一瞬で燃料を食い尽くす類のものだ。


 まともに受ければ、火傷では済まないし、このままだと周りに燃え移る。


 避けるわけにはいかないな。


 仕方がない。


 丹田に力を落とすと、周りの空気の細かな粒が、ほんのわずかに動き始めた。


 レオンの怒声が門の方から響く。


 「ジル、やめろ! 街中だぞ!」


 タマが離れたところから、俺に向かって手を向けるのが視える。


 タマの手の周りに光の陣が生まれ、それに意識を奪われた瞬間、俺の前に"白い壁"が現れる。


 だが、壁そのものには光の陣も声もなく、空気の中に何かの流れが凝り固まったように、薄い膜だけが立ち上がっている。


 火矢が壁に触れ、音もなく吸い込まれていく。

 

 熱が散るのではなく、矢そのものが壁の中で形を失う。


 静かに……そして、完全に。


 「な……なんで」


 ジルと呼ばれた男が固まり、その隙に、レオンが一瞬で取り押さえた。


 「大丈夫、ゲドーマル?」


 タマが慌てた様子で、息をきらせながら駆け寄ってくる。


 俺はタマに頷き、身体を流れ始めていた氣をゆっくりと落ち着かせていく。


 「ああ、無傷だ。助かった」


 タマが胸を撫で下ろした。


 だが、俺の視線は、さっきまで目の前にあった白い壁の残りを追っていた。


 この世界でいう“まほう”のような仕掛けの気配がなかった。


 声も、陣も、手順もなく、ただ「そこにあれ」と念じただけで空気が形を変えたように視えた。


 そう思った瞬間、空気が変わった。


 街の奥から赤い外套が風を切り裂く。


 赤髪、鉄の鎧、それに、赤い外套の若い女が、すぐそこに立っている。


 速い。


 足元の石畳が、踏み込みの強さによって削られている。


 身体はまだ止まりきっておらず、髪の先だけが遅れて揺れていた。


 走ってきたのではない。跳んできたのか……いや、あの距離を一息で詰めたのだろう。


 人の限界を超えている。


 タマが小さく呟く。


 「王国近衛騎士団・第三団隊長、リラ・ヴァン・ストライゼン《緋髪纏雷(ひはつてんらい)》」


 このえきし?


 「魔族が現れたと、一報を受けたんだけど__」


 レオンに話しかけながら、鋭い視線をこちらに刺す。


 「そこの黒い髪の彼? それともそっちの不思議な魔法を使う彼女かしら?」


 レオンがもともと伸びていた、背筋をさらに正す。


 「リラ隊長。彼らではありません。魔族には逃げられました」


 レオンの報告を聞きながら、リラと呼ばれた赤い髪の女は視線を、今度は門へ向ける。


 「……まだ終わっていないわ。魔族の目がある。門は王城の喉元。油断は禁物よ」


 詠唱を始める。


 「近衛の名において声を並べる__」


 光の陣がリラの足元と剣の周囲に浮かぶ。

 

 先ほどのジルのものとは、まるで違う。ジルの火矢が焚き火なら、これは鍛冶屋の炉だ。


 構えの段階から力の流れに無駄がない。


 「高き天の剣。我が身を器とせよ__」


 火花がリラの周りに生まれ、バチバチと音を立てる。


 なるほど。

 

 大気の中の細かい粒を、身体の内側で擦り合わせている。


 夏の入道雲の中で起きることと同じ。


 山の頂で雷雲が生まれる直前、空気が甘く重くなる感覚に似ている。


 「光速の外套、我が鉄に宿れ――《近衛迅雷(このえじんらい)・ストライゼン》」


 リラの姿が消えた。

 

 いや、消えたのではない。速すぎて目が追えないだけだ。


 だが、"神眼"には視えた。


 走る直前、リラの足元で空気が割れ、身体が動くよりも先に、周囲の道を空けている。


 だから速い。雷を纏っているから速いのではない。


 身体の中に生まれた力の流れが、周りの空気を押し退けている。


 地面との摩擦が消え、空気の抵抗が失せる、その結果として、身体の周りで空気が弾けて光る。


 雷は速さの原因ではなく“結果“だ。


 山で暮らしていれば分かる。


 雷は高いところに落ちるのではなく、地面と空の間に”通り道”ができた時に落ちる。


 あの女は、自分の身体でその”通り道”を作っている。


 “雷”が走る。


 門の横、獅子像の影。


 そこに潜んでいた何かを、一瞬で斬り裂いた。


 羽を持つ異形の生物が、細切れになって崩れる。


 なるほど……いい術だ。速さで仕留めるのではなく、速さそのものが刃になっている。


 タマが俺に向かって小さく呟く。


 「……今の、見えた?」

 「ああ」

 「……やっぱり」


 タマが少し悔しそうに笑う。


 「私は途中から消えた。おそらく、雷魔法をあそこまで扱えるのは彼女と《帝国の勇者》くらいよ」


 「あれは”雷の術”じゃないな」


 タマが首を傾げながら、俺を見る。


 「走る前に、足元の空気を掃いている」


 リラを視たまま、言葉を選ぶ。


 「山の急斜面で、雨水が一気に流れ落ちる時がある。水は自分で道を作る。石を押し退け、土を削り、一番楽に流れる道を見つける」


 タマの目が少し変わった。


 「あの女は、それを身体でやっている。身体の中で力の流れを作って、周りの空気に道を空けさせる。地面も、風も、全部が道を譲る」


 腕を組んでいたタマの手が、いつの間にか下りている。


 「だから速い。雷は後から追いかけてるだけだ」


 タマが俺の目を見て言う。


 「……やっぱりずるい」

 「何がだ?」

 「神眼」


 俺は、小さく肩をすくめる。


 「……私も欲しかった」

 「同じ理屈なら、こうなる」


 右手に静かに氣を巡らせた。


 丹田から腕を通り、指先へ向かう。


 指先の氣が空気に触れた瞬間、周囲の細かい粒が弾かれるように動き始める。


 乾いた音が弾け、鋭く冷たい蒼白の火花が空間を飛び回る。


 いつも思うが、夏の夕立の前に遠くで鳴る稲光に似ている。


 周囲の空気がわずかに揺れた。


 「ほらな。理屈が分かれば、タマにもできる」


 タマが慌てて、俺の右手を両手で包み込むと、蒼白の光が消えた。


 「こんなところでそんなもの出さないで。もう、心臓に悪いって。大体、氣なんてあなたと茨木以外扱えないから」


 「……すまない」


 少し離れたところから声が聞こえてくる。


 「嫌な鈴の音がしてたんだが……あ、止まってる」


 場違いなほど呑気な声を出しながら、門の方へ向かって、小柄な男が走ってくる。


 背は低いが、肩幅は広く筋肉質な髭面の男が、奇妙な金属箱を抱えていた。


 「ほう」


 走り方に無駄がない。重い箱を抱えているのに、足音が軽い。


 あれも、まほう……か。

 

 重心が腰に据わっている。あれは、荷を抱えたまま戦える者の走り方だな。


 レオンと同じ……いや、違う種類の。鍛え方が、戦場ではなく、もっと静かな場所で培われたものに視える。


 男は周囲を見回す。


 「あー……なるほど。もう終わったのか」


 レオンが男の声に気付き、振り向く。


 「ドゥールさん。少し遅かったです」

 「新型の魔族探知機だ。門用」


 男は金属箱を軽く叩いた。


 「試したかったんだがな」

 「でも、ありがとうございます」


 髭面の男の視線がこちらに向き、目が合う。


 「……黒髪?」


 少しだけ目を細め、品定めをするようにこちらを見ている。


 「行こっか」


 タマが俺の手を引く。


 「いいのか?」

 「通行料も払ったし」


 タマは足を止めずに、少し笑う。


 「魔族退治は騎士の仕事。それとも、赤い髪が好み?」

 

 「髪の色で人を判断などできないだろう」


 タマが自分の白銀の髪に触れる。


 「……それもそうね」


 少し離れた屋根の上、耳の長い男がこちらを見ていた。


 “観察”されているな。


 今日は初対面の者によく見られる日だ。

 

 黒髪なんかよりも、よっぽど特徴のある者が多いと思うがな。


 タマに手を引かれ、足早に俺はその場を離れた。


 *


 石畳の角を曲がったところで、タマはようやく息を緩めた。


 目の前には、石造りの背の高い宿屋が建っており、厚い壁と広い入口だけでも、先ほど通り過ぎた宿とは違うことが分かる。

 

 この辺りは立派な建物が立ち並び、人通りも多い。


 タマが俺の正面に立ち、表情を崩さずに俺の眼を見る。


 「さっきの人たちはこの街でも特に強い人たち……でも、そうでない人たちも十分に強いの」


 視線を石畳に落とし、続ける。


 「女の子一人で借りるなら、安全も考えて、それなりの宿がいいの」


 そう言うと、踵を返し、宿の扉の方へ向かって歩き出す。


 よわい百をゆうに超えて女の子?


 タマが振り返る。


 「……何か?」


 今日一番の冷たい目だった。


 「……すまない」

 「謝られると余計腹が立つ!」

 「……すまない」

 「ふん!」


 タマは早足で宿へ入っていく。

 

 俺は少し距離を空けて後ろを歩いた。


 この世界で生きていくなら、あの古い友人を見失うわけにはいかない。


次回からは火曜日22時と金曜日22時に更新を続けていく予定です。

これからも、よろしくお願いいたします。

                  二筆

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