第23話 世界の危険度
建物の中は、まだ修復の途中で、壁の一部には新しい木材がはめ込まれ、床には鉋屑まじりの削り粉がうっすらと残っている。
それでも営業はとうに再開し、むしろ、いつもより人が多かった。
理由は、たったひとつ。”天網の狂帝”。
あの一件の噂話で、ギルドの中は持ちきりになっていた。
酒を片手に語る者や、大げさな身振りで再現する者たちで、ざわめきは、昼間でも一向に収まらない。
「金の鎧に、二十四の紋様だとよ。見た奴の話じゃ、剣も魔法も、全く効かなかったらしいぞ」
「ギルドマスターの土下座で許してもらったらしいぞ」
「分身したなんて話も言ってたぞ」
冒険者たちが酒を片手に声を張り合うほど、周りに座る者たちの顔つきは、二色に分かれていく。
身を乗り出して興味を示す者もいれば、聞くだけで肩をすくめ、視線を逸らす者もいる。
恐ろしいものは、遠くにあるうちは酒の肴になる。
だが、事実が事実として、王都全体まで広がっているかといえば、話は別だった。
実際に肌で味わった者ほど口数は少なく、又聞きで膨らませる者ほど、声が大きい。
「聖女様が負けたって聞いたぞ。歴代最強とか呼ばれてたのによ。瞬殺だったって話だ」
「聖女ちゃん、泣いちゃったってよ。小便漏らしたんじゃないか?」
「教会が大袈裟に広めてるだけで、やっぱ、所詮、ただの広告塔ってことだろ。確かに、美人だもんな」
「そういえば、Fランクが突っかかっていって、二秒でやられたぞ」
「なんだそれ? 目立ちたいにしても、方向間違ってんじゃん、ダサっ」
「Sランクパーティーも刃が立たなかったんだろ? 残響の……何だっけか」
「ああ、《混沌の庭》な。あれだけ大口叩いといて、結局は逃げ帰ったって話じゃねえか」
「女エルフ以外は震えて動けなかったらしいぞ」
Sランクパーティーの噂は、あっという間に広がっていく。
《残響の楔》といえば、世間一般では、難解な術式を完璧に操り、敵を霧散させるエリートパーティー。リーダーのゼノンが指揮する姿は、まさに精密機械、と語られている。
だが、現場の冒険者たちからの評判は、少しばかり違った。
《混沌の庭》。
「ゼノンが作戦を語り始めたら解散しろ」そう囁かれるほど、中身は滅茶苦茶だ。
エルフは暴れ回り、犬の獣人は肉を食い散らし、竜人は結局すべてを力技で吹き飛ばす、文字通りの”混沌”のパーティー。
酒場の隅で交わされる声には、憐れみよりも、どこか安堵に似た響きが勝っていた。
格上とされる者たちが揃って敵わなかった、という話は、都合がよかった。
立ち向かわずに済む言い訳になり、雲の上の連中も大したことはないと、己を慰める材料にもなる。
「まあ、俺らだったらもうちょい上手くやれたかもな」
軽口めいた声が、どこからともなく聞こえる。
本気で信じている者などいない。それでも、酒の勢いを借りて口にするぶんには、十分なくらいには心地よい。
実際に狂帝と刃を交える羽目になるのは、いつだって自分たち以外の誰かだと、この場にいる誰もが、都合よくそう思い込んでいる。
その中を、リーネたちギルド職員が忙しなく行き来していた。
書類を抱え、受付と奥の部屋を何度も往復している。
冒険者たちの噂話の熱に付き合っている余裕は、今のリーネたちにはなかった。
やがて、入口の扉が、バン! と激しい音を立てて開いた。
ギルドの空気が、一瞬で止まる。
*
エルヴィナが入口に立っている。
翡翠色の髪を揺らし、弓を背負ったまま、胸を張っていた。
ただ今日は、その張り方がいつもと違い、弱みを見せまいと痛む身体を無理にピンと伸ばしている。
そして、開口一番。
「魔王はどこ!?」
その背後に、《残響の楔》の残りの二人の男、身の丈を超える斧槍を背負った竜人のゼノンと、銀狼のルヴィンが立っている。
ギルドの空気が、わずかにざわめいた。周囲の冒険者たちが、ひそひそと囁き交わす。
つい先ほどまで、「俺らだったらもうちょい上手くやれたかもな」と笑っていた男のジョッキが、口元へ届く寸前で止まっている。
「おい……」
「……《混沌の庭》だ」
「声が大きい」
「お前が言い出したんだろ」
「今はお前が言ったことにしろ」
「……あれが、例のSランクパーティーか」
「……王都から逃げたんじゃなかったのかよ」
さっきまで、好き放題に語っていた当人たちが目の前に現れたことで、ギルドの空気は急激に居心地の悪いものへ変わっていく。
数秒前まで馬鹿にしていた相手を前に、誰も面と向かって同じ軽口を叩けはしない。
目を逸らす者がいる一方で、何人かは、なお値踏みするようにエルヴィナたちを見ていた。
エルヴィナの目の奥が、まだ熱を持っている。
負けたことそのものよりも、負けたという事実が広まっていること、それを知っていながら誰も彼もが安全な場所から囁いていることが、腹立たしくて仕方がない。
あの日、あの場に立っていたのは自分たちで、何ひとつ知らない者たちが、ここで気楽に酒の肴にしている、それが、悔しかった。
悔しさは、いつだって怒りという形でしか外へ出せない性分だった。
リーネが慌てて書類を自分のデスクに置き、駆け寄る。
「エルヴィナさん」
「魔王は?」
それ以外の言葉を、まるごと忘れてしまったかのように聞き続ける。
今すぐにでも、あの日の続きを始めたいという焦りが、その声にはっきりと滲んでいる。
リーネは、一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「……あれから、魔族は現れていません。近衛騎士団には報告済みです。今は騎士団と協力する体制になっています」
エルヴィナの眉が、吊り上がった。
「は?」
腕を、ぴしゃりと組む。
「騎士団? そんな連中に任せてどうするの。無駄に決まっているでしょう」
負けた相手を、自分たちより格下の連中に任せる。その事実そのものが、屈辱の上塗りに思えた。
あの敗北を、自分の手で塗り替えることでしか、エルヴィナの中の何かは収まりそうにない。
ゼノンが眼鏡の位置を指で直しながら、静かに口を挟む。
「問題ない」
眼鏡の奥の縦長の瞳孔が、淡く光る。
「私の作戦があれば、魔王程度は倒せる」
その口ぶりには、迷いも反省もなかった。
エルヴィナが教会のベッドで治療しているときにも、この男は『修正可能な誤差だ』としか言わなかった……負けた、とはひと言も。
「……その作戦で、わたくしは三日もベッドから起き上がれなかったのだけど」
「回復に要する時間が、想定を上回った」
「そこを問題にしているんじゃない!」
周りが熱くなるほど、ゼノンひとりだけが、別の景色を見ている。
ギルドの空気がわずかに静まるなか、ルヴィンは何も言わず、ただ興味なさそうにその場に立っていたが、その目だけが、魔王の名を叫ぶエルヴィナの隣で、ここではないどこかを見ていた。
こいつが探しているのは、狂帝ではない。それが何なのかは……まあ、どうでもいい。今は魔王だ。
リーネの頬が、確かに引きつる。できることなら、今すぐ帰ってほしい、と顔に書いてある。
結局、この部屋の誰ひとり、恐ろしいものの本当の重さを、まだ量り損ねている。
入口の扉が、もう一度開いた。
今度は、先ほどとは違い、驚くほど静かに、闇精霊を肩に乗せた、青みがかった髪を持つ男が、その隙間から入ってくる。
*
片手に薬草を詰めた籠を提げ、肩にノクティスを乗せたまま、冒険者ギルドの扉を開く。
俺に続いて、タマ、リラ、ハル、アウルが足を踏み入れると、それまでのざわめきが、一瞬、ぴたりと止まった。
……何かが、おかしい。
雰囲気だけで、何かがあったのは伝わってくる……伝わってくるが、何があったのかまでは、視ても分からない。
おそらくは、入口付近でリーネに絡んでいる、冒険者たちが理由なのだろう。
ガグンが来た時に突っかかっていったエルフの女。
俺の少し後ろで、リラの足がわずかに重くなる。
踏み出す一歩が、扉の敷居のところで、ほんの一瞬だけ迷ったように止まる。
ここへ来るのは、冒険者登録した日以来だったはずだ。
以前は近衛騎士として、この場に来ていたが、今は違う立場でこの扉をくぐる。そのことに、まだ身体が慣れきっていないらしい。
背筋が普段より硬くなっているのが、振り向かずとも分かった。
タマが俺と一瞬だけ目を合わせて頷き、そのまま、リラに近寄る。
だがタマの口が開きかけた、その時、ハルが、背を押す代わりとでもいうように、リラの尻を一度叩いた。
突然の出来事に、リラの肩がびくりと跳ねる。
「帰るか?」
ハルが口元を上げ、揶揄うように声をかけると、リラは視線をわずかに落とすが、すぐに顔を上げ、強い眼差しでハルを見返す。
「……まさか。Sランクになるのに、こんなとこで立ち止まってられない」
ハルの口元は、相変わらず上がっている。ただ、揶揄いの色だけが、そこから消えていた。
そのまま、黙って頷く。
「でも、おしり触ったことは忘れないから。最低」
ハルの表情から、すべてが抜け落ちる。
「いや、背中はなんか硬そうだったから」
リラの目が、さらに冷たくなる。
「理由まで最低」
「励まそうとしたんだって」
リラが冷ややかな視線でハルを刺し、そして、キッパリと背を向ける。
「……えっ?」
ハルの表情が抜け落ち、手をリラに向かって伸ばすが、それを彼女はかわす。
ノクティスがリラの肩に移り、笑っているかのように、影を揺らす。
突然の同居人に、リラが目を見張るが、それでも、すぐに表情が緩み、指先でそっと影を撫でた。
以前ここでリラとハルに会った時、何かと騒がしかったのを思い出す。
何が原因なのかは知らないが、そこら辺に理由があるのかも知れない。
その時、三人組の若い冒険者が俺の前に駆け寄ってくる。
「……あの、ゲドーマルさん」
たまにギルド併設の酒場で見かける顔。
言うなり、その冒険者たちが揃って俺に頭を下げる。
「すみませんでした! そしてありがとうございました! この恩は一生忘れません!」
タマは冒険者たちへ順に視線を巡らせ、最後に俺を見て尋ねた。
「何かあったの?」
声は普段と変わらなかったが、片手だけは、さりげなくリラの背に寄り添うように近づいている。
何に足を止めたのか、そのすべてまでは分からなくとも、隣を歩く者の気配が変われば、黙って傍へ寄る。
俺の知る限り、タマは、ずっとそういう女だ。
「わからない」
俺は首を横に振った。
本当に何が起きたのかわからない。この三人とは、話したこともない。
「この前、俺ら、逃げればよかったのに、興味本位でこの場に残って……そのせいで魔王に操られて……でも、ゲドーマルさんのおかげで、解放されました」
「そうか」
「はい!」
「怪我がないのなら、それでいい」
「……はい! ありがとうございます!!」
もう一度、揃って深く頭を下げる。ひとしきり礼を言い終えると、三人は何度も振り返って会釈をしながら、扉の向こうへ歩いていった。
「あー!」
リーネに向かって騒いでいた翡翠色の髪をしたエルフの女が、振り返り、素っ頓狂な声を上げ、指を真っ直ぐこちらへ突きつける。
「いた!」
その場にいる全員の視線が、一斉にこちらへ集まる。
隣で、ハルの息が、小さく詰まった。
「……混沌の庭……」
呟きは、ほとんど声になっていなかった。
エルフの気迫と、あの男の眼鏡の奥に満ちた気配、その両方を正面から浴びて、隣のハルから、いつもの軽さが抜けていく。それが、氣の揺れで伝わってきた。
その中で、背の高い男が、スッ、と前へ滑り出る。
アウルの前へ、まるで吸い込まれるように滑り込み、片膝をつく。
ギルドの中が、水を打ったように静まり返る。
「お会いできて光栄です」
気配からは想像できないほど、静かな声で、跪いている。
「古竜殿」
アウルは、驚いたように瞬きをした。リラの肩の上でノクティスが、不思議そうに首を傾げる。
ハルが、乾いた声で小さく呟く。
「……なんだこれ」
分かるはずもない。
ギルドの空気だけが、奇妙な静止のまま、しばらく動かずにいた。
*
王都の門の外、そう遠く離れてはいない場所。昼時を少し過ぎた頃。
平原には、草の匂いを乗せた風が少し吹いている。
太陽によって温められた街道の熱が、風に混じって肌を掠めていった。
石畳の街道がまっすぐ伸びる先、雲のない空を、三羽のカラスが旋回している。
それを見上げているのは、三人の騎士、ヴァルクス、ガルム、エルネスト。
ヴァルクスが魔族と断じたカラスは、追えば逃げず、離れれば待った。誘いだと分かった上で、ヴァルクスは詰所へ伝令だけを走らせ、追った。
見失えば、次に見つかる保証はない。
ヴァルクスが、大きく吸った息を、ゆっくりと吐くと、ハルバードを持つ手に力を込める。
「……降りてくるぞ」
カラスが急降下して来て、地面に触れた瞬間、その姿が形をなくす。
空気そのものが一度たわみ、それが元へ戻るまでのわずかな時間に、鳥だったものが立っている。
ヴァルクスは、その一連の変化を、まばたきひとつせずに見届けていた。
長年、戦場で異形を相手にしてきた自負がある。
だが、この現れ方には、覚えがなかった。それでも、ミルザと対峙した時と同じ生理的な違和感がある。
平原の風が止まり、魔力が広がる。
どうやら隠すつもりはないらしい。
世界がわずかに揺れたような気配が、そこにある。
肌の産毛が逆立つような圧が、ヴァルクスたちに覆いかぶさる。
背後で、ガルムの息が浅くなるのが聞こえる。エルネストが杖を握り直す、手袋の軋みも。
二人とも、歴戦の騎士だが、それでも、今この瞬間に感じているものを、うまく飲み込みきれずにいた。
黒い羽が散り、そこに現れたのは、三人のうら若い女騎士。
だが、見た目どおりの歳でないことは、経験でわかる。
黒と銀を基調にした装備は、まるで一切の傷を許さぬとでも言うように、陽の光を反射している。
それは、一度も刃を受けたことがない新品のような輝き。
戦った経験があるはずの装備が、経験の痕跡をひとつも見せないというのは、それだけで異常な事態だ。
中央に立つのは、金色の目と長髪の女騎士。手に握るのは、身の丈を超える長槍。
その横には、猛獣のような琥珀色の瞳と長髪を高い位置で束ねた女騎士が立っていて、露出した腕には、紋様のようなタトゥーがある。手にした槍の刃は炎を纏い、パチパチと小さな音を立てている。
そして、その少し後ろ。紫の瞳に深い紺色の長髪を真っ直ぐ下ろした女が立つ。手には大きな魔導書と杖を持っている。
ヴァルクスの視線が、琥珀色の髪の女の腕へ向く。
見覚えのある”刻まれた紋様”。
ミルザが手にしていたメイスに刻まれた紋様に、そっくりだ。
あの日の街道で見た、地面を這っていた光の紋様が、脳裏を掠める。
あの時感じた寒気と、今この身に浴びせられている圧とが、同じ類のものだと言い切れる。
三人という数の少なさが、逆にヴァルクスの警戒を強めている。
少数で堂々と姿を晒すというのは、それだけの自信の裏付けがある。
「……《天網の狂帝》か」
静かな呟きがヴァルクスの口から溢れる。
金髪の女騎士が、小さく笑う。
感情の温度をほとんど感じさせない、それでも確かに、愉悦の色を帯びている。
「ほう」
長槍を、軽く回す。柄が手の中で滑らかに回転し、それだけで場の重心が変わる。
まるで、この平原そのものが、彼女を中心に据え直されたかのような錯覚を起こさせる。
「よく気づきました。流石は近衛騎士団第三団団長ヴァルクス・エーベルハルト」
こちらを知られている。名も、地位も、おそらくはこれまでの経歴の一部までも。
だが、ヴァルクスは、表情を変えない。長年、そうやって戦場を渡ってきた。
動じていると悟られれば、その一瞬の隙から、こちらの手の内を読まれる。
金髪の女騎士は、ヴァルクスをまっすぐに見据えたまま、槍の石突きをドンッと一度地面に突き立てる。
「私はヒルド」
隣の琥珀色の女を、顎で示す。
「こちらはゲル」
反対側の紺髪の女へ、視線を向ける。
「そしてシグ」
柄を握るヴァルクスの手のひらは、いつもより湿っている。
それでも、一分の乱れもなく、長年の相棒であるハルバードを構える。
ヒルドが一歩前に出る。足音は、驚くほど静かで、踏み出す重さがまるで感じられない。
「我らは”狂帝の戦士”。世界を正すために存在する者」
金の髪が、草原の風でわずかに揺れる。
「天網の御前は世界の規則となるお方。貴殿らの力は認めましょう。我らの陣営に加わりませんか?」
ヴァルクスの隣、ガルムが一歩前へ出る。重い足音が、地面を踏み鳴らす。
「黙れ!」
愛用の槍を構え、魔力を高める。
「魔族の仲間になどなるか!」
熱で、空気が揺れる。だが、その肩をエルネストが掴む。
「待ってください、ガルム。増援を待つべきです」
冷静な声だったが、その表情には、目の前の三人が放つ気配への、隠しきれない緊張が滲み出ている。
ヒルドは表情を変えずに言った。
「増援?」
彼女が槍の石突きを、再び地面へ突き立てると、乾いた音が草原に鳴り響く。
鏡面に磨かれた黒銀のプレートアーマーが、日の光を反射している。
「必要ないでしょう」
その視線が、ヴァルクスへ向く。
「貴殿は?」
無機質な彫刻のように、一切の瞬きをせずにじっと見つめる。
ヴァルクスは答えない代わりに、ハルバードを構え直す。
ゲルがそれに反応し、皮と金属を組み合わせた軽装の鎧を鳴らしながら、一歩前に出る。
口元が歪んだと同時に、琥珀色の瞳が、獲物を見定めるように細くなる。
「話は退屈だ……それよりもまずは身体で確かめよう」
シグが、慌てて声を上げる。
「ゲル、待ちなさ__」
ゲルが地面を蹴った。舞い上がる土。人の脚から出る速さではない、と気づいた時には、ガルムが目を見開いていた。
「くっ!」
ガルムはゲルの突きを防ごうとするが、反応が間に合わない。
ゲルの槍が、一直線に迫る。
ヴァルクスが、身体ごと二人の間に割り込む。
振り上げられたハルバードがゲルの槍を正面から受け止めた瞬間、金属音が弾け、ぶつかった箇所から細かな火花が飛び散る。
だが、槍に乗せられた力までは殺しきれず、踏み締めた足元の地面は蜘蛛の巣のようにひび割れ、その巨体を中心に深く陥没した。
それでも、受け止めた瞬間に伝わってきた衝撃は、単純な膂力の勝負であれば、拮抗していると言っていい重さだった。
この一撃を正面から受けきれたことに、ほんのわずかな手応えが灯る。
これならいける、という感触があった。
ゲルが口の端を吊り上げる。
「ははっ! 速いな!」
ヴァルクスは、槍の軌道を読んでいた。
長年の実戦で磨いてきた経験が、確かに通じている。
その背後で、エルネストが詠唱を始めると、杖の先に糸のような淡い光が紡がれていく。
「《付与魔法・剛力》」
その光が広がり、ヴァルクスとガルムの身体を包む。
身体が一気に軽くなり、力が満ちる。全身の血が、昂ぶる感覚が生まれた。
ヴァルクスの口元が、わずかに上がる。
「いい魔法だ、エルネスト」
この付与さえあれば、この程度の敵ならば押し返せる。そう思わせるだけの充実感が、全身へ満ちていく。
ゲルが、さらに踏み込む。
「まだまだだ!」
槍が走り、ヴァルクスが弾く。圧が増すたび、ゲルの槍の炎が膨らみ、火花が散る。
その横から、ガルムが突っ込む。
「おおおおお!」
ガルムが槍を振り下ろすが、ゲルはそれを、軽く後ろへ跳んで躱した。
踏み込みの深さも、跳ねる高さも、まるでこの一撃が、初めから見えていたかのような余裕が、そこにはあった。
隙を突けたと思った瞬間の気配が、跳ねた先の余裕によって、静かに冷やされていく。
軽やかな魔道服の上に最低限の装飾鎧を重ねただけのシグが、魔導書を閉じたまま、杖だけを掲げた。
「切り裂けーー《水刃》」
シグの杖先に水が集まり、薄い弧を描き、振り抜かれた杖の動きに沿って、水の刃が地面すれすれを走ってくる。
だがエルネストが、即座に反応した。
「《土壁》、展開!」
地面が蠢き、土が盛り上がり壁となり、シグの水刃を受ける。
土くれが崩れる音とともに、水は勢いを失って地面に落ちて水たまりを作る。
この連携ならば、通用する。
ヴァルクスの中で、確かな感触が芽生えかけていた。
だが、その芽生えを見透かすように、ヒルドは表情を変えず、戦いに加わる素振りすら見せない。
「なかなか良い連携です」
そしてゆっくりと、槍を地面に突き立てる。
「だが……これで終わりではない」
その一言だけで、ヴァルクスの内側で膨らみかけていた手応えが、音もなく萎んでいく。
まだ、ヒルドは動いてすらいない。
これまでのやり取りは、ゲルとシグという、二枚目、三枚目の駒による小手調べに過ぎなかったのだと、そこでようやく思い知らされた。
ゲルの踏み込みは、先ほどよりも一段深くなっている。
こちらの呼吸が詰まり始めるほど、シグの詠唱は、より短く、より精密になっていく。
押し返しているつもりが、いつの間にか、押されているだけの立場に置き換わりつつある。
それでも、ヒルドの立ち姿には、まだ本気の欠片も見えない。
三人がかりで防いでいる今この状況が、この女騎士たちにとってはまだ、準備運動の域を出ていないという現実。
ヴァルクスは目を細める。
「だが、それはこちらとて同じ」
互いに切り札を切らぬまま、探り合いの熱だけが、じりじりと平原の空気を焦がしていく。
ハルバードを構え直す。柄を握る手のひらに、じわりと汗が滲んでいた。
「……来い」
絞り出したその声は、驚くほど静かで、強者同士による探り合いが、まだ平原の上で続いていた。




