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異世界の鬼は本日も盃を手放さない  作者: 二筆
第2章 世界の正体をみる
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第15話 大切な人


 王都近郊の森に生み出された霧は、膝の下を白で埋め尽くしていた。


 さっきまで乾いていた地面が、雨上がりのぬかるんだ土のようになり、草履の裏に冷たい泥が薄く張りつく。


 山の夜明けに、濃い朝霧の中を歩いた時のように、水気が多く、呼吸がしづらい。


 朝霧なら、陽の光が射せば、ゆっくりと薄れていくが、この白い霧は流れているようで流れず、足元に絡みついてくる。


 それに、自然の霧なら、濃い場所、薄い場所が生まれるが、この白い霧はどこも同じ厚みで揃っている。


 そして、その白く湿った空気の向こうで、角を二本生やした女が巨大な扇を肩に担ぎ、弧を描くように口元を緩めていた。


 彼女が動くたびに、霧の輪郭が揺らぎ、残像を生む。


 霧に混じる魔力の癖が、女の扇から漏れるものと同じだ。


 この霧はこの女から来ているな。


 以前、王都の外でオーガを引き連れ、カルミラを追っていた。


 ドゥールが《羅刹》と呼んでいたはずだ。


 その後ろに、魔力を持った見慣れぬ鬼が五体。


 この世界の言葉でいうなら、一応はオーガの変異種ということになるのだろうが、俺の知るオーガとは別の生き物に視える。


 先頭の女も五体のオーガも、俺の知るオーガのような大きさではない。


 人族より頭一つ大きい程度のものもいれば、肩だけが不自然に厚いものもいる。


 だが、それぞれ大きさも腕の長さも違うのに、後ろの五体の動きや呼吸が揃いすぎている。


 帝国で視た騎士たちとも違う。


 あれは、初めから誰がどう動くかを決め、その約束に沿って呼吸を合わせていた。


 連携や修練を繰り返したとて、ここまで揃うものではない。


 それに、ヤグの作る魔道具が生み出すうねりと同じ魔力のうねりが、あの五体から視える。


 「……また、洗脳か」


 落ち着かせたはずの氣が、また少しだけ揺れた。


 リラが剣の切っ先をカルミラに向けたまま、視線だけを女に向ける。


 「羅刹に、オーガの変異種が五体……」


 声は震えてこそいないが、柄を握る手に力が入っている。


 ハルは小太刀を構えたまま、視線を忙しく走らせている。


 足元の霧、扇を担ぐ女、その背後の五体、少し離れて佇むカルミラ。


 「カルミラの仲間……ではなさそうだな」


 いつもの軽口を挟むこともなく、喉元から出てきたのは、ただの事実確認の声だけ。


 目も、もう笑っていない。


 そのカルミラは余裕を崩さないまま、指の先で唇をなぞりながら、退屈そうに首を傾げる。


 「スイウンと言ったかしら。しつこいと、女でも嫌われるわよ」


 スイウンと呼ばれた女が、扇の先をゆるりとカルミラへ向けた。


 「カルミラ。ヤグが、其方を所望しておる」


 その穏やかな声とは裏腹にスイウンの身体から魔力が溢れてくる。


 「妾の手を煩わせる前に、大人しく縄につけ」


 カルミラは肩をすくめ、困った子をあやすように軽く首を振る。


 「お誘いは嬉しいけど……人を寄越す男はタイプじゃないわ。本気なら、自分で来なきゃ」


 スイウンから魔力が放たれ、霧がまた少し重くなる。


 視界がさらに白く霞み、空気に含まれる水気が濃くなり、髪も、衣も、肌も、じわりと重さを増していく。


 濡れた前髪が額に貼りつき、リラが思わず半歩、後ずさった。


 「な、なにこれ……霧、濃すぎない!?」


 ハルが歯を食いしばり、足の指先で地面を押し込むように踏みしめる。


 「……足が、重い」


 俺は木刀の先で、地面を軽く叩く。


 返ってくる音が、妙に遅い。


 叩いた場所から戻るのではなく、霧の奥を一度回ってから届くような、一呼吸分の遅れがある。


 「山で、霧に巻かれたことはあるか」


 唐突な問いに、リラが剣を構えたまま瞬きをした。


 「え?」


 「湿りきった朝だ。足音が遅れて返る。距離が狂い、近くの枝が遠くに見え、遠くの川の音が耳元で鳴る」


 リラが剣を構えたまま、眉を顰め、首をかしげる。


 「……ごめん。よく、わからない」

 「今度、朝の山に行くか」


 今まで、前を向き、スイウンやカルミラの動きを警戒していたリラが、突如、無防備にこちらに顔を向ける。


 「……うん、行く」


 リラは小さく頷き、すぐに前を向き直すが、耳がわずかに赤くなっている。


 「……お前ら、余裕だな」


 言いながら、ハルは無意識に背後を振り返る。


 だが、そこにあるのも、どこも同じ白い空間ばかり。


 霧の中で、スイウンの身体の輪郭が揺らぎ、一人だったはずの影が、二つ、三つとずれて見える。


 扇を担いだ形が白い霧の中で分かれ、また重なり、本物の位置が読めない。


 「分身……!?」


 リラが視線を左右に走らせ、声はわずかに裏返る。


 俺は木刀の先で、揺らぐ白い影を軽く払った。


 「違う。水を張った桶の底に、銭を沈めてみろ。あるはずの場所に、銭はない。濡れた空気の向こうも、それと同じで、本来の形がずれて見えるだけだ」


 「……それも、今度見せて」


 今度は前を向きながら、答えるリラ。 


 「あぁ」


 俺は頷くと、リラの口元がわずかに上がる。


 「……ほんと、この状況でイチャつくなんて、信じられないね、お前ら」


 「イチャついてなんか……いない!」


 耳をわずかに赤くしたリラが、無意識に剣を握る手に力を込める。


 「はぁ」とこちらに聞こえるように大げさにため息を吐くハル。


 「相手に集中しないと、怪我をするぞ」


 俺が淡々と告げると、リラとハルが俺を睨む。


 イバラキが俺の斜め後ろから短く補った。


 「不用意に動かないように。あの扇で、水を含んだ重い風が来ます」


 直後、イバラキの言葉の通り、霧を湿った風が撫でていく。


 服が、髪が、肌が、さらに重く湿る。


 リラが顔をしかめ、剣に魔力を流して、刃に細い雷を纏わせる。


 「……イバラキ」


 イバラキが俺の言葉に一度だけ頷くと、音もなく間合いを詰め、その刃へ手を添える。


 その手には、俺の氣に触れてできた傷がまだ残っているのが視える。


 突然伸びてきた傷のある白い手に、リラの目が見開かれる。


 「イバラキさん、危ないわ。火傷じゃ済まない」

 「この霧の中で、雷は危険です」

 「どういう……こと?」

 「霧の濃さを変えられれば、雷の通り道も変わります。放った雷が向きを変え、あなたの元へ戻り、牙を剥く」


 息を呑む音が聞こえ、リラの手から、刃を這っていた雷がすっと引く。


 スイウンの扇がわずかに傾き、それを合図に五つの影が動き始める。


 相変わらず、動きや呼吸が気味の悪いほど揃っている。


 右へ流れるものが二つ、左へ回るものが一つ、正面から押し込むものが二つ。


 別々に動いているようで、まるで同じ糸の束で操られている。


 スイウンの目はカルミラへ、五体の足はこちらへ向いていた。

 

 リラが剣を構え直し、ハルも腰を落とす。

 

 だが、二人の目はまだカルミラを追っていた。


 白い霧の中に立つヴァンパイアの笑みと、そこへ迫るスイウンの異様な圧。


 その二つに意識を割かれて、足元の霧がほんの少し濃さを変えたことに、反応が遅れる。

 

 「左だ」


 俺の一言に素早く反応し、小太刀を構えたハルが動く。

 

 さすがに反応は速い。小太刀が霧を裂き、横から迫った影の爪を受ける。


 だが、金属と爪が噛み合った音が、一呼吸遅れて別の場所から返ってくる。


 目で見た位置と、耳が拾った位置が噛み合っていない。

 

 ハルの眉が動く。

 

 「……ちっ、やりづらい」

 

 そこへ、正面の一体が大きく踏み込む。大きな影と太い腕が霧を押し分け、リラの頭上へ落ちてくる。


 リラは剣を上げる。受ける形は悪くない。


 だが、湿った地面に靴底が滑り、踏ん張るべき足が押し込まれ、身体がよろける。

 

 「リラ!」

 

 ハルの声が飛ぶ。


 リラは歯を食いしばり、剣に魔力を込めると、刃の縁に細い雷が走る。


 正面のオーガの口元が緩み、スイウンの視線が一瞬だけリラへ向く。

 

 その瞬間、音もなく、リラの隣にイバラキがいた。


 太い腕が剣を押し込む前に、濃褐色に包まれた足がオーガの顎を蹴り上げる。


 身体が霧を割って後ろへ流れ、ぬかるんだ地に膝から落ちた。


 「いけません」

 

 白い手が、剣の腹を押さえる。


 「……すみません、つい」


 刃の雷が細く震え、湿った空気の中で行き場を失ったように消えた。


 「魔力を雷に変換するのではなく、純粋な力として刃に沿うように流してください」


 「やってみます」


 リラは頷き、魔力そのものを剣に纏わせる。


 スイウンは大きな扇を向けたまま、顔には笑みを保ったまま、優雅にカルミラを見ている。


 けれど、その足は、ヤグの魔道具に逆らえないように一歩ずつカルミラへ流れている。


 「大人しくなさいな、カルミラ。妾も、これ以上は面倒なの」


 カルミラは、その言葉を聞いて、ひどく退屈そうに目を細めた。


 「嫌ね。身体だけが前に出て、心がついてきていない女は……そういうの、あまり美味しくなさそう」


 スイウンの眉が、ほんのわずかに動き、次の瞬間、こちらに向いていた四つの影の動きが変わる。


 三体がカルミラを囲うように散り、同時に一体だけがこちらへ向かう。


 霧の中で余計なことをさせないため、こちらの足を止めに来たのだろう。


 ……面倒だな。


 俺は木刀を握り直す。


 本当なら、黙々と薬草を摘んで帰るだけでよかった。


 籠の中身もまだ足りないし、まだ、心の”もや”も晴れていない。


 だが、足元の霧が草の根を覆い、乾いていた土をぬかるませている。


 このままでは、薬草の根まで傷む。


 ……今日という日は、本当に……。


 「下がっていろ」


 リラとハルにそう言って、一歩だけ前に出た。


 霧とは、つまり軽い水のことだ。浮いている間は厄介でも、落ちれば、ただの水。


 俺は木刀を握り直し、一歩、前へ出る。


 リラとハルの視線が俺に向けられる。


 細く一定に、霧の粒を揺らすためだけの氣を木刀へ通していく。


 今は叩き割る力はいらない。

 

 山で木の枝の露を落とす時のように、力を散らさず、ただ細く、細く……すると、木刀の先に、青白い灯が一つ、二つと滲む。


 そのまま、木刀を振る。


 刃の無い木が霧を撫でた瞬間、その場所だけ、白い霧が粒を持つ。


 細かく揃っていた霧が内側から寄り集まり、重い水滴となって、静かに落ちる。


 迫っていたオーガの足が見える。


 扇を持つスイウンの手が、わずかに止まる。


 「……ウソ……晴れたの?」


 リラが剣を持っていることを忘れたように、呆けた声で呟いた。


 「局所だけ、な」


 俺はもう一歩、前に出る。


 「言ったろう。霧など落ちれば、ただの水だ」


 スイウンは言葉を失ったように、俺を見ていた。


 「……霧を、落とした? 馬鹿な……そんなこと、できるはず……」

 

 俺はそのまま木刀の先を、迫ってきたオーガの膝の少し下へ置くように動かした。


 触れるように、ただ氣を流す。


 膝下に流された氣で、オーガの膝から下だけがわずかに外へ逃げる。


 その瞬間、体重の落ちる方向と、足場が受け止める方向が噛み合わなくなる。

 

 オーガの身体が傾いたところへ、ハルが入る。


 今度は惑わされない。霧はすでに落ち、足元が見えている。


 小太刀の柄がオーガの顎を打ち、リラが肩口から腰まで斜めに斬る。


 大きな身体がその場に倒れる。


 ハルが顎を腕で拭うように息を吐いた。


 リラは魔力を纏っただけの自分の刃をまじまじと見つめたまま、しばらく動かなかった。


 足元の泥を視ると、薬草の根元まで、水が回り始めている。


 ……早く終わらせたい。


 その時、カルミラが霧の奥で動き、赤いものが散った。


 囲んでいたオーガの一体、その喉元に、白い牙が沈むと同時に五体の中でも小柄なオーガが痙攣した。


 赤い血が喉から溢れ、ぼたぼたと地面へ落ちていく。


 スイウンの扇が止まり、残った二体のオーガも動かない。


 リラが咄嗟に口を手で覆い、悲鳴になりかけた息を喉の奥で抑え込む。


 ハルの額に汗が伝い、彼はそれを拭わないまま、ただ目の前で起きたことを飲み込もうとしている。


 カルミラが喉元から顔を離すと、オーガは力無く湿った地面に膝から落ちた。


 カルミラは赤く濡れた唇を指で拭い、倒れたオーガではなく俺を見る。


 「ねえ、ゲドーマル」

 

 霧の向こうで、紫の瞳が紅く染まる。


 「オーガはダメね。やっぱり、あなたがいいわ」

 

 スイウンの肩が、初めて強張り、頬がわずかに引きつる。

 

 カルミラはスイウンにその紅く染まった瞳を向ける。


 「次は、どの子?」

 「……何を、しておる」


 カルミラは振り返り、無邪気なほど軽く首を傾げた。


 「あら、貴方から始めたことよ」


 霧の中で、スイウンたちが一斉に身構える。


 リラとハルは、剣を構えたまま動けずにいた。


 理解が追いつかないのだろう。


 ヴァンパイアを捕らえに来たはずの者たちが、獲物として値踏みされている。


 俺は静かに息を吐いた。


 「……まるで、獣だな」


 カルミラが一体を喰らったことで、場は完全に壊れた。


 霧の向こうで、スイウンたちが陣を組み直す気配がある。


 だが、もう先ほどまでの一方的な搾取ではなく、互いを獲物として狩り合う場所に変わっていた。


 その中心で、イバラキが一歩、音もなく前に出る。


 「お館様、いかがなさいますか」


 俺の答えを待つだけの、静かな確認。


 「イバラキは、リラとハルを守れ」


 二人に、この状態で何かができるとは思えない、相手が悪すぎる。


 以前、噴水のところにいた《血の血統》という魔王クロウゼル。


 あの男相手にタマは、王都にいながら本気を出そうとしていた。


 その魔王が、百年かけて捕まえられないだけのことはある。


 「俺は__」


 そこまで言った瞬間、空気が裂けた。


 音も、足音も、気配の膨らみもないまま、カルミラの腕が俺の首に絡んでいる。


 ……早い。


 イバラキの手が、腰に佩いている刀の柄に触れる。


 霧の冷たさの中で、カルミラのその肌だけが妙に生々しく、耳元を吐息が撫でる。


 「ねえ、ゲドーマル」

 

 囁きが、近すぎる。耳がくすぐったい。


 「あなたも、ヴァンパイアにならない?」

 

 ゆっくりと、牙が伸びる。


 「一緒に、永遠を生きましょう」


 「ゲドー!!」

 

 リラの叫び声が、霧を裂くように響き渡る。

 

 牙が、首筋に触れた。その瞬間、皮膚の上に薄く張っていた氣が立つ。


 カルミラの牙は皮膚を破らず、硬い岩を噛んだように小さく弾かれ、白い牙の先が皮膚の上で止まる。


 「……あら?」

 

 カルミラが目を細める。


 俺は、その場を動かずにカルミラに向かって呟く。


 「どうやら鬼は、ヴァンパイアにはなれそうにないな」


 その時、少しだけ離れた地面に、突如生まれた魔法陣が淡い光を灯す。


 白い霧を内側から押し広げ、境が裂けるように空間が開かれる。


 白銀の毛並みの九尾が、霧を払って現れる。


 タマ。


 今朝、俺を棲家に置いて行った時の冒険者としての軽装ではない。


 白と薄灰を基調にした静かな装いが、身体に沿って形を取っている。


 森の冷気と霧の白さをそのまま織り込んだような、静かで、古いもの。


 その姿を見て、なぜか、俺は初めて出会った時のことを、ふと思い出す。


 逃げてきた妖狐。


 怯え、警戒し、誰にも心を許していなかった。


 だが、最近の彼女の目はあの頃とは違う。


 その目が点になっていた。転移の陣で、現れたと同時にタマが、止まった。


 俺を見て、俺の首に腕を回したカルミラを見て、その近さを見て。


 九本の尾が、背後でばらばらに散る。


 何を見たのか分からぬまま、尾だけが先に乱れる。

 

 横で、イバラキが額に手を当てる気配がした。

 

 「……最悪の間です」

 

 俺は一瞬だけタマを視て、迷わずカルミラの襟を掴んだ。


 「邪魔だ」


 そのまま、投げる。


 カルミラの身体が霧を裂いて、木々を折りながら向こうへ飛び、湿った土を削って転がった。


 霧が大きく揺れ、白い幕に一本、道が開く。

 

 誰も動けなかった。

 

 タマはまだ固まっている。


 九つの尾は広がったまま、根元だけが小さく震えている。

 

 俺はゆっくりと、タマの前に向かって足を踏み出す。


 「”玉藻たまも”」

 

 タマの前に立ち、名を呼ぶと、タマの肩が、びくりと跳ねた。


 俺はタマのその目を視る。


 言葉を探すのに、少し時間がかかる。


 「……俺のこと、嫌いか?」


 声が、出しづらい。


 背後で、イバラキが頭を抱える気配がある。


 「……直球過ぎます」


 俺は大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。


 手が震え出し、膝もこの場から逃げようとする。


 手を握り締め、踵を地面が沈むほど踏み込む。


 タマは何も答えられない。


 「……その__」


 歯切れが悪い。


 「……俺には……あまり難しいことはわからない」


 いい訳のような言葉が勝手に出てくる。


 「ただ……」


 俺は一度だけ視線を落とし、胸の奥にある言葉を絞り出す。

 

 「俺は、お前がいい」

 

 タマの耳が、ピクリとわずかに動く。

 

 音が、遠ざかる。


 リラも、ハルも、スイウンも、カルミラも、世界の果てに沈んでいくようだった。


 「これから先、どこへ行くことになっても……」


 湿った空気が、肺にゆっくりと入る。


 「……ずっと、玉藻と一緒にいたい……と思ってる。俺の隣に、玉藻がいてほしい」

 

 タマの瞳が、ゆっくりと潤んでいく。


 九本の尾が一度だけ大きく震え、それから一本ずつ、後ろへ流れていった。


 「……うん」


 声が、震えていた。

 

 次の瞬間、タマが胸へ飛び込んでくる。


 九本の尾がばさりと広がり、白銀の毛並みが霧を払い、そして、その細い腕と一緒に、俺を包んでくる。


 湿った空気の中に、彼女の温度だけが俺の身体に溶け込んでくる。


 「いいよ」

 

 しがみつく腕に、力がこもる。


 「一緒に、いよう、外道丸。ずっと、いつまでも」


 遠ざかっていた世界が、ゆっくりと戻ってくる。


 少し離れたところで、リラとハルが顔を寄せていた。


 「……戦場、だよな?」

 「しーっ」

 

 リラは唇に指を当てたまま、視線だけは俺たちから外さない。

 

 霧の向こうでは、スイウンが扇を構えたまま、置き去りにされたように立ち尽くしている。

 

 少し離れた場所で、地に片膝をついたカルミラが、肩を揺らして笑った。


 「ああ」

 

 小さく、けれど確かに愉悦を含んだ声だった。


 「やっぱり、いいわね。あなた」


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