第2話 レグナ王国 王都リュシア 街の入り口
王都リュシアの城門は、ただ人を通すための口ではなかった。
灰色の石を積み上げた門壁は、人の背丈の何倍も高く、見上げるほどに首が痛くなる。
表面には古い傷がいくつも残っていて、爪で抉られたような跡や、火に焼かれて黒ずんだ跡、石の角が欠けたまま無理やり修復された箇所が、陽の光を受けて浮かび上がっていた。
この街は、何度も傷ついてきたのだろう。
それでも崩れたりせず、長い間こうして人を内へ入れ、外へ出している。
だからこそ、その門の前に立ったとき、俺はそこにこの街の積み重ねのようなものを感じた。
外の空気は流れていた。
草原の埃や青い匂い、馬の匂い、遠くの土の匂いが風に混じって広がっている。
だが、門の内側から流れてくる空気は違った。
冷たく、静かで、どこか息苦しい。人の声も足音もあるのに、足元に見えない線が引かれているようだった。
通る者と、通れぬ者を分ける場所。
門の前には二列の鉄柵が置かれていた。通行人はその間を一人ずつ進み、門番の視線を受け、短い問いに答えてから中へ入っていく。
数人いる門番たちの鎧は、同じ系統で揃えられている。だが、手にしている武器や道具はまちまちだった。
槍のように構えている者もいれば、腰に剣を下げている者もいる。
その中に、見慣れぬ武器があった。
棒の先に金属の筒が付いている。
刃はないが、持ち方は槍に近い。相手を突くためのものではなく、何かを向けるための道具に見えた。
筒の奥に、目には映らぬ流れが渦を巻いている。雷雲の前、山の空気がほんのり甘くなる、あれに似ている。
隣でタマが小さく言った。
「魔力を撃ち出すための武器よ」
「……そうなのか」
思わず声が低くなる。
……まりょくとは。
タマは前を向いたまま、つまらなさそうに続けた。
「ここでは、異種族を監視してるの」
その声は、普段より少しだけ低かった。さっきまでの軽さがない。
タマは外套を深く被り、白銀の髪も顔も、なるべく人目に触れないようにしている。
歩き方はいつもと変わらないように見えるが、門が近づくたび、ほんの少しだけ顔が下を向く。
俺もタマに言われた通り、懐に入れていた手拭いを頭に巻いている。
毎日、綺麗な手拭いを渡してくれていた茨木には感謝しなければならない。
門の列には、人ではない姿の者も並んでいた。
耳の形が違う者や背が低く、体つきの頑丈な者。皮膚の色や骨格が、人とは少し違う者。
門の前に並ぶ彼らの肩が、鉄柵の影に入るたびにわずかに縮む。
妖の類だろうか。
そう思った瞬間、タマがこちらを見ずに言った。
「妖じゃないよ。獣人とか、ドワーフ」
「……っ」
察しが良すぎる。
いや、俺が分かりやすいのかもしれない。
引き攣りそうになった顔を、少し険しくして誤魔化す。
険しい顔をしていれば、大抵のことは考え込んでいるように見える……たぶん。
列は少しずつ進んでいく。
門番に渡される金属片の数は、通る者によって違っていた。
人らしい者は少なく、獣人らしい者は少し多い。
背の低い頑丈な種族は、さらに別の額を払っているように見えた。
通貨の仕組みは分からない。
だが、同じ門を通るのに、払うものが違うということだけは分かった。
いつの世も、人と人ではない者を分ける線はあるのだな。
たとえ、ここが異世界であっても。
俺が”鬼”だと言ったら、彼らは一体どんな顔をするのだろう。
タマの指が俺の裾をわずかに握り、俺の顔を見る。
俺はそれを視たが、何も言わなかった。
列の中央に立つ門番の男は、他の者よりも視線が鋭かった。だが、無駄に声を荒げることはない。疑う目はしているが、相手を煽るようなことはなかった。
優秀な男だ。
やがて、俺たちの番が来た。
男の視線がまずタマに向き、次に俺へ移る。
「名前と用件を」
「タマ。仕事帰り。はい、二人分」
タマは首から下げていた鉄の板のようなものを見せ、慣れた手つきで通貨を渡そうとした。
やり取りは短い。何度も繰り返してきた動きなのだろう。
その時、奥にいた別の門番がタマに気づいた。
男はにやにやと口元を歪めながら近づいてきて、隣に立つ俺を見た。
それから俺の右手の薬指にある指輪へ視線を落とし、露骨に顔を顰める。
空気が、少し汚れた。
「おい、タマ。結局は顔か? 散々、俺らのこと馬鹿にして、結局は面食いなだけじゃねぇか」
嫉妬のこもった目つきで、タマを恨めしそうに睨む。
タマは答えない。ただ、外套の奥で、金色の目から光が消える。
「おい、無視すんなって」
男がさらに一歩近づこうとした時、中央に立っていた門番の視線がこちらへ向いた。
向いた、というより、射抜いてきた。
「……そっちは初めて見るな」
先ほど迄とは違って声が低い。
タマがすぐに答える。
「迷子だよ」
「本人に言わせろ」
門番の視線が俺に移る。
タマがほんの一瞬だけ、こちらを見る。短い合図だった。
俺は頷き、口を開く。
「ゲドーマル」
外道丸ではなく、ゲドーマル。
タマがそう呼べと言った。ここでは、その方が自然らしい。
周囲の門番たちが、くすくすと笑った。どうやら、思いきり笑われている。
失礼な連中だ。茨木がいれば、今ごろ全員斬られている。
いや、殺すなと言えば峰打ちくらいで済ませただろうか。これまで、俺を笑う者などいなかったからわからない。
中央の門番は笑わなかった。
「手拭いを取れ」
タマがすぐに一歩前へ出る。
「ちょっと。人族が通るだけで、そこまでする必要あるの?」
「確認だ」
男の声は動かない。
俺は手拭いに手をかけた。
タマが止めようとしたが、ここで渋れば余計に怪しまれる。それに姿を見られることをそんなに警戒する必要も感じない。
少なくとも、今、この世界で俺を狙っている者はいない。そう思い、頭から手拭いを外した。
黒い髪が風に少し揺れた。
一瞬、懐かしい川の匂いがした気がした……気のせいだろう、風は外から流れてきているだけだ。それに、近くに川もなかった。
門番の目が細くなる。
「黒髪……それに、その格好。王国のものでも、冒険者のものでもない」
「……髪?」
そう言われて、初めて周囲を視る。
確かに、黒髪はいない。
人々の髪は、金や茶、赤や青、灰を帯びた色まで、見たことのないほどさまざまだった。
種族や装備に気を取られて、人の髪色など気にもしていなかった。
中には、立ち方が妙な男もいる。腰を、何かを庇うように引いている。
茨木がいないと、何も出来ないな……俺は。
門番は俺を見据えたまま言った。
「魔族か……そうでないなら、どこの人間だ」
ここで嘘をついても、通じないだろう。
だから、正直に答える。
「どこでもない」
門番の目がさらに細くなった。
周囲の空気が一段重くなる。鉄柵の向こうで並んでいた通行人たちも、声を潜めた。
こうなれば、知らぬ存ぜぬを通すしかない。いざとなったら、タマを抱えて全力で森に逃げる。
いや、もういっそのこと、斬ってしまうか……どうせ、俺の言うことなど誰も聞かないのだから。
そう考えた時、タマが俺と門番の間に入った。
「黒髪だから魔族って、決めつけが雑すぎ。そもそも、魔族に黒髪が多いなんて確認されてないでしょ」
声は冷静だった。
だが、外套の裾を握る指には力が入っている。
門番はタマを見たあと、もう一度俺の服へ視線を向けた。
「じゃあ、その服はなんだ」
「動きやすい」
答えた瞬間、タマの肩が確かに落ちた。
……まずかったらしい。
本当は、茨木が手直しした、と言いかけたが、それは飲み込んだ。何でも正直に答えるだけだと思われるのも困る。
嘘ではなく、誤魔化しただけだ。昔とは違う。
にやにやしていた門番が鼻で笑う。
中央の門番が顔を顰める。
「馬鹿にしてるのか?」
俺が答えようとすると、袖が強目に引っ張られる。
タマがこちらを見ていた。
「あなたはちょっと黙ってて」
少し吊り上がった金色の目が、外套の影からじっと俺を射る。
狐の目だ。
怒っているのではなく、たぶん、呆れている。
……間違えたみたいだ。
どこにいても俺は周りの感情を逆撫でしてしまう。
中央の門番が、低く言った。
「タマ。これ以上かばうなら、お前も投獄の対象になる。冒険者ギルドにも報告する」
タマの顔が、わずかに歪んだ。外套の影で息が止まる。
「構わな__」
「おかしいと言うのなら、本当におかしいのは、あちらだろう」
タマの言葉を遮り、俺は後ろに並ぶ立ち方が妙な男を顎で指す。
その瞬間、門の前にあった音が、すべて止まった。




