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異世界の鬼は本日も盃を手放さない  作者: 二筆
第1章 居場所は作られていく
24/50

第23話 それぞれの立つ場所

 

 隠れ家の外れ。

 一本の大樹の上に、簡易的な住処が組まれていた。

 板を渡し、枝を組んだだけの、雨と風をしのぐだけの小屋。

 

 住むための場所ではない。

 ただ、居るための場所だった。

 板と板の隙間から差し込む光が、足元を薄く照らしている。

 

 そこにアウレオンはいた。

 膝の上に広げた紙に羽根ペンを走らせている。

 

 傍らには小さな鳥籠。

 鳥はすでに慣れているのだろう。

 アウレオンが紐を解くと迷いなく籠から飛び出し、枝先に止まった。羽を一度だけ震わせ、それからじっとしている。

 

 アウレオンは紙を折り、短く結んだ。

 内容は見えない。誰宛かも、分からない。

 鳥の足にそれを括りつけると、指の腹で背を一度だけ撫でた。


 「……頼んだ」

 

 鳥は一声鳴き、森の向こうへ飛び去っていく。

 アウレオンはその姿が木々の向こうに去っていくまで、じっと目で追い続けた。

 

 風が吹き、枝が揺れる。

 葉の擦れる音が、遠く近く重なった。

 

 視線を下ろせば、隠れ家の屋根が見える。

 あの中にはゲドーマルがいる。

 タマがいて他の仲間たちもいる。

 

 誘われていないわけじゃない。

 拒まれているわけでもない。

 それでも、アウレオンは”中”にいなかった。

 

 自分の手を、見下ろした。

 "天網の狂帝"。

 その名を聞いて、仲間たちが瓦礫を運び始めたばかりの里を、自分だけが抜け出した。

 

 里を壊した存在を倒すために。

 

 だが、ミルザ、ヤグ、そしてあの場に現れた"格の違う魔族"。


 近衛騎士第一団団長、グラウ・アイゼン。

 名前を思い浮かべるたびに、胸の奥が静かに冷えた。

 

 届かなかった。

 あの時、自分の剣は空を斬っていた。

 腕の話でも、勇気の話でもない。

 そういう話ですらなかった。

 立っている場所そのものが違った。

 

 強いと思っていた。戦ってきた。生き残ってきた。

 それでも、あの場所では……自分は、何もできなかった。


 ただ、空気だけが残っている。

 拳を握る。

 手のひらの中に握るべき答えがなかった。

 指の関節が白くなる。

 それでも怒りは湧いてこない。


 「……足りないな」

 

 独り言は誰にも届かぬまま、風に溶けていった。

 その隣で、小さな光がふわりと揺れる。

 精霊、シルヴァン。淡い光を放ちながら、アウレオンの肩口をそっと照らした。


 何も言わない。

 責めない。励ましもしない。

 光だけがそこにあった。

 

 アウレオンは、苦笑した。


 「心配されるほど、落ち込んでる顔か?」

 

 シルヴァンは答えない。

 ただ、光を少しだけ強めた。

 その静けさが、返答だった。

 

 折れてはいない。

 逃げてもいない。

 だが、このままでは駄目だと、はっきり分かってしまった。


 魔族に届くには……今のままでは、足りない。

 その事実を、言葉にするとかえって軽くなる気がして、アウレオンは口を閉じた。

 

 もう一度、森の奥を見る。

 鳥はもう見えない。それでも送った。

 答えが来るかどうかは、分からない。


 だが、動かずにはいられなかった。

 下では、変わらない時間が流れている。


 笑い声も、眠る気配もある。

 ここには、居場所がある。

 温かさも、確かにある。

 

 それでもアウレオンはまだそこに降りることはしなかった。

 自分が立つべき場所を、見失ったままでは。

 風がもう一度木々を揺らした。


 *


 隠れ家のリビングに、皿のぶつかる音と食器を置く軽い音が重なっていた。


 テーブルの上には甘味が並び、それぞれの前に盃、真ん中に酒がある。

 

 揃っているものは揃っているのに、視線の行き場が定まらない。


 アウル=ヴェイルは、水色の髪の男の子と呼べる姿のまま、タマのすぐ傍にいる。服装は、どことなくゲドーマルの直垂(ひたたれ)を小さくしたような格好。

 

 距離が近い。

 近すぎる。

 

 椅子に座るタマの隣に立ち、時々、服の裾を軽く引く。

 意味はない。

 ただ、そこにいたいだけだ。


 「……近いよ?」


 タマが困ったように言うと、アウル=ヴェイルは首を傾げた。


 「そうなの?」


 普通に喋った。

 

 ドゥールが盃を持ち上げる手を止める。

 レオンが椅子の背にもたれたまま固まる。

 茨木は、特に止まることなく俺の盃に酒を注ぐ。


 「……喋れるの?」


 タマが言うと、アウル=ヴェイルは少し考えてから答える。


 「必要がなかったから」


 淡々とした声だ。

 今まで話さなかった理由を、説明する気はないらしい。


 「タマが好き」


 間髪入れずそう続ける。


 ドゥールがむせる。

 レオンが目を逸らす。

 茨木は、こちらに視線を送る。

 意味は分かっていないのだろうが、雰囲気で感じ取ってる。


 タマは固まった。


 「……え、えっと……」


 言葉を探している間に、俺は無言でテーブルに手を伸ばした。


 甘味がある。


 1つ取る。


 ガリッ。


 ……思ったより硬い。


 ノクティスがタマの肩でぷるりと震える。

 アウル=ヴェイルを見て、わずかに威嚇するように影が揺れた。


 「……ゲドーマル」


 タマが瞳に涙を溜めながら、こちらを見る。


 「それ、私の」


 ……しまった。


 「……知らなかった」

 「嘘だよね」

 「……すまない」


 ドゥールが咳払いをして話題を変える。


 「……あー、茨木……さん?」


 机の上に小さな箱を並べる。


 「翻訳の指輪。魔力を蓄積する指輪。それと……髪の色を変えられる指輪だ」


 俺のと同じ、この世界で生きていく生活用の魔道具。


 「この世界で暮らすなら、必要になると思ってな」


 タマがとりあえず、首を傾げている茨木に通訳する。

 茨木はちらりとこちらを見たあと、首を振った。


 「結構です。お館様から以外、物は受け取りません」


 「……え?」


 驚きながらも、タマがそれもドゥールのために訳す。

 忠誠というより、茨木の中の決まり事に近い。


 ドゥールが困って、俺を見る。

 しばらく考えてから、俺は自分の指輪を外した。


 「……これを使え」


 茨木は左手の小手を外し、即座に受け取った。

 そして何の迷いもなく”左手の薬指”に通そうとする。


 「待って!!」


 タマが反射的に止めた。


 「そこはダメ!」

 「……?」


 茨木は首を傾げる。

 意味はわかっていない。


 俺も正直よくわからない。


 「何か問題が?」

 「あるよ!」


 ドゥールは、無言で新しい指輪を俺に差し出した。

 俺はそれを受け取り、黙って自分の指にはめる。

 

 それを見て、茨木の右手の指に指輪が収まっていく。

 指輪が淡く光ると、茨木の黒髪の根元がわずかに青みがかった。


 この世界で生きていくなら、多少の擬態は必要だ。


 「……イバラキ」


 俺が呼ぶと、茨木は首を傾げる。


 「ここではそう呼ばれることになる」

 

 イバラキは少し考えてから頷いた。


 「お館様がそうおっしゃるなら」


 しばらくして、話題は自然に変わる。


 種族のことを話した。


 俺とイバラキが鬼で、タマが妖狐で、俺とイバラキがこの世界の出身でないこと。


 話し終えた後も、テーブルの匂いは変わらなかった。

 

 酒の香りと甘味の匂い。

 それだけだ。


 ドゥールは肩をすくめる。


 「……種族なんて、今さらだろ」


 レオンが少しだけ視線を落とす。


 「門番だった頃……仕事だからって、種族で金額を分けてた。疑問はあった。でも、考えないようにしてた」

 

 言葉がテーブルの上に落ちたままになった。


 俺ははっきり言った。


 「そんなことは、どうでもいい」


 それだけだ。

 そして、現実的な問題が浮かぶ。


 「……金、どうする? 酒が買えない」


 王家を敵にまわしたため、王都には戻れない。

 つまり、王都では冒険者になれない。

 レオンも門番は辞めた。

 イバラキも所持金はない。


 「今、稼いでるのは俺だけだな」


 ドゥールが胸を張って言う。


 重くなりかけた空気を切ったのは、外の気配だった。


 扉が叩かれる。


 開けると、そこにいたのは……見覚えのあるゴブリンだった。


 ゴブリンジェネラルだ。

 俺がこの世界に来た時に、言葉を交わして以来、迷いの森を抜けた時にも姿を見せた。

 

 どうやら、俺のことを主人と見定めたらしい。


 「主様。……お持ち、しました」


 両手には、食料をそのままの姿で持っている。

 リビングに肉や果物の匂いが広がる。


 誰も明日のことは決めていない。

 だが、今日を生きる材料は揃っていた。

 

 リビングに肉の焼ける匂いと甘味の匂いと、酒の香りが静かに混ざっていった。


 *


 教会の奥の部屋は、昼の喧騒から切り離されていた。

 

 窓は小さく、灯りは絞られ、石壁の冷たさだけが一定の温度を保っている。


 部屋の中央で水晶が淡く光っていた。


 円柱状の魔道具。

 その内部に浮かぶ像は、簡略化された映像と数値の集合だ。

 感情は削ぎ落とされ、事実だけが残る。

 巡道教本部に繋がる、正式な報告用水晶。


 カイラン・ブランクは、その前に立っている。

 

 背筋は伸びている。

 声も、いつも通りだ。

 だが、肩に戦場の匂いがまだ残っていた。


 洗い落としたはずの血と土と焦げた空気が、衣の奥で僅かに揺れる。


 「報告を開始します」


 淡々と区切るように言った。


 「王国レグナにおいて、第1王女アルティシア・クラウディア・レグナによる古竜制御の試みが確認されました」


 水晶の内部で光が一瞬、強くなる。


 「結果は失敗。古竜は制御されず、暴走寸前まで至っています」


 事実だ。

 一切の誇張も、削減もない。


 「調査の結果、当該行動には魔族の介入が確認されました。王族に対し、直接的な干渉が行われていた可能性が高いと思われます」


 ここでほんの一瞬だけ、間を置く。


 ”天網の狂帝”。

 その名を、カイランは口にしない。


 だが、言わなくても通じる。

 ”巡道教”が最も警戒すべき存在だ。


 「古竜事案に伴い、王都近郊で武力衝突が発生。近衛騎士団第1団が出動しています」


 ここからが選別だ。


 「戦闘は、近衛騎士団主導によるもの。外部勢力の直接介入は確認されていません」


 嘘だ。


 水晶の光は変わらなかった。

 事実として受け入れられている。


 だが、悪意はない。

 切り取った結果だ。


 「死者はなし。ただし、近衛騎士団は壊滅的な被害を受け、現在、戦力として機能していません」


 水晶の光が静かに揺れる。

 本部側が、この情報をどう受け取るか。

 その先の動きまで、カイランは理解している。


 魔族が王族にまで手を伸ばした。

 古竜は制御失敗。

 王国の守りは、内側から崩れている。


 ここまでが、提出する事実だ。


 ゲドーマルの名は出さない。

 タマの存在にも触れない。


 世界を壊さず終わらせた存在。

 古竜を“救った”選択。

 王女を、殺さずに終わらせた裁定。


 それらは、今ここで出せば、必ず歪む。


 正義として利用されるか。

 脅威として排除されるか。


 どちらにしても、望まない形になる。


 「王国についての報告は以上です。また、司教については特に挙げれる点は今のところありません。引き続き、薬物関連の調査を進めていきます」


 水晶の光がゆっくりと弱まっていく。

 報告は無事受理された。


 通信が切れる直前。

 カイランは、ほんの一瞬だけ、視線を落とした。


 まだ、報告していないことがある。

 だが、それは今ではない。


 水晶は静かに暗くなった。

 部屋に残るのは外から差し込む光と風の音だけだ。

 カイランは窓へと歩き王都の方角を見る。


 世界は、今日も動いている。

 本当のことを知らされないまま。

 

 それでも、止めなかった。止められなかった。

 判断はした。


 カイランは、それ以上何も言わず、踵を返した。

 次にこのズレが、どこで噛み合い、どこで衝突するのか。

 それを見届ける役目が、自分に回ってきたことだけは、はっきりしていた。


 世界は誤解したまま前に進み始めている。


 *


 隠れ家の朝はいつもより少しだけ静かだった。

 光だけが部屋に溜まっている。


 窓の隙間から流れ込む空気は夜の冷たさをまだ含んでいた。


 外で木々の枝が風に揺れ、屋根の(はり)がぱきりと一度だけ鳴く。


 囲炉裏には茶を蒸らす鉄瓶が置かれ、湯気と一緒に古い木材の匂いが立ち上がっていた。


 慣れた手つきで、イバラキが茶を配っていた。

 順番も迷わない。

 肩にはノクティスが乗っている。

 落ち着いた様子で、時々、影がゆらりと揺れた。


 アウルは相変わらずタマの近くにいた。

 隣というより半歩内側。

 離れる気配がない。


 誰も急がない。

 誰も次の話を切り出さない。


 ただ一人、アウレオンだけが少し浮いていた。


 視線が定まらないわけでも、落ち着きがないわけでもない。ただ、ここに“腰を下ろしていない”感じがする。


 俺はそれに気づいていたが、口には出さなかった。


 先に口を開いたのは、アウレオンだった。


 「……俺は、一度戻る」


 声は小さく、しかしよく通る声だった。

 相談ではない。


 レオンがわずかに肩を揺らす。

 タマは視線を上げたが、すぐに言葉を飲み込んだ。


 「里、じゃない」


 アウレオンは視線を一度下げるが、すぐにしっかりと顔を上げる。


 「エルフの国だ」


 全員がアウレオンから視線を動かさない。


 「私は元は第二王子だった。レグナ王国領近郊にあるエルフの里を任されていた」


 そこで一度話を切り、眉間に皺が寄る。

 拳を握り、指はその力で白くなっている。


 「……それを潰された……《天網の狂帝》の配下に」


 そう、アウレオンは静かに語った。 

 

 ”天網の狂帝”とは魔王の一人であり、ミルザ達の本来の主人でもあること。母である女王からは、戻るよう何度も言われていたこと。


 今までは、無視していた。

 だが、今回は違う。

 理由を、彼は多く語らなかった。


 「ここは、居場所だ……だが、今の自分が立つ場所じゃない」


 誰も否定しなかった。

 誰も引き止めなかった。


 イバラキは当然のように頷き、茶を置く。

 アウルは反応を示さない。


 タマは心配そうに見ていたが、言葉を選び、結局、何も言わなかった。

 レオンは何か言おうと口を開きかけるが、結局、閉じた。


 俺は短く言った。


 「そうか」


 送別の言葉はいらない。

 アウレオンは、わずかに口角を上げた。


 それ以上、話は続かなかった。

 

 荷をまとめる音はない。

 別れの挨拶もいらない。

 ただ、アウレオンは立ち上がり森の外を見る。

 その背中が、ほんの少しだけ以前よりも大きく見えた。


 ”居場所”は、ここにある。

 だが、”立つ場所”は……別にある。


 アウレオンが扉を開ける音が、朝の光の中に静かに溶けた。



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