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異世界の鬼は本日も盃を手放さない  作者: 二筆
第1章 居場所は作られていく
15/51

第14話 それぞれの動き


 夜の王都は、昼とはまるで違う顔をしていた。


 門の上に掲げられた灯りが風に揺れるたび、石畳に落ちた影が伸びては縮み、その上を酒の匂いと人の声が重なって流れていく。


 街全体がどこか浮かれている。とはいえ、もう門が閉まる寸前の刻限だ。


 タマは外套のフードを深く被り、足早に通りを抜けていった。


 今は、ただの人族の女として耳も尾も、気配ごと内側へ押し込めている。


 門の方を振り返れば、衛兵が交代の支度を始めていた。


 仕事を終えてほっと肩を落とした顔と、これから夜に立つ気合の入った顔が、入れ替わっていく。


 ぎりぎり間に合った、と胸の内で息を吐く。


 ゲドーマルのいきつけとなりつつある酒屋で瓶を受け取り、代金を払う。


 棚の銘柄をいくつか見比べて、琥珀の濃い重めの一本を選んでしまうのは、ゲドーマルの好みを知っているからだった。


 つい癖で、そうしてしまう。


 その酒屋を出た、ちょうどその時、通りの向こうから、やけに騒がしい声が転がってくる。


 「だからさぁ~! あれは絶対__」


 「分かってるっス! 分かってるっスけど、飲みすぎっスよ!」


 聞き覚えのある声に、タマは思わず足を止めた。


 ラグスとセインだ。


 二人とも顔が赤く、足取りはふらつき、遠目にも出来上がっているのがわかる。


 思わずじっと二人を見入ってしまった瞬間、ラグスがこちらに気づいて顔を輝かせた。


 「おお! タマちゃん!」


 声が大きい。やたらと大きい。


 「この前は助かったぁ!」


 「感謝してるっスよ! ほんとに! 愛してるっス!」


 セインが勢いよく頷きながら一歩前へ出ると、酔いに揺れた身体が、灯りの下で大きく傾いだ。


 「……ちょ、ちょっと、声が__」


 タマは咄嗟に唇の前へ指を立てようとして、別の女の声が、それより先に通りへ響く。


 「静かにしなさい」


 すぐそこの居酒屋から、数人の騎士が出てくる。


 先頭に立った”赤い髪の女騎士”が、真っ直ぐにこちらを見ていた。


 リラ・ヴァン・ストライゼン。


 その後ろにガルムとエルネストが続き、鉄の甲冑の擦れる硬い音が、周りの酔客の注意を引いていく。


 「夜よ。酔って騒がないで」


 リラの視線は、ラグスとセインに向いている。


 酔っ払いが騒いでいる……そう判断している目。


 「す、すみませんっス……」


 セインが一気に小さくなり、ラグスも頭を掻く。


 「いやぁ、ついな……」


 リラが一歩、前に出た。


 酔いに任せて声を荒げる者たちへ向けられていた視線が、ほんの一瞬だけタマの上で止まる。


 騒ぎを鎮めるための目ではなくなっていた。


 ゆっくりと眉の間に力がこもり、何かを見極めるように、その視線はすぐには離れなかった。


 タマは咄嗟に視線を外し、フードの下で酒瓶を抱える腕に力を込める。


 おそらく、まだ面は割れてはいない。


 まずい。ここで正体が知れれば、追われるのは自分だけでは済まない。


 森の隠れ家には、ゲドーマルがいる。


 捕まって自白の薬や魔法をかけられれば、どこまで隠し通せるかわからない。


 この場に長居をする理由も、もうない。


 タマは静かに踵を返すと、リラも特に深追いはしないようだった。


 剣の柄から手を離しかけ、酔客に絡まれた一般人が帰るのを見送る……はずだった。


 「タマさーん!!」


 酔いきったセインの声が、夜の通りに響き渡った。


 「行かないでー!!」


 その一言で、空気が凍りつき、リラの目が、はっきりと細められた。


 「……今、何て呼んだのかしら?」


 ガルムとエルネストが一斉に身構え、通りに戦場のような冷たく重い空気が広がっていく。


 ラグスとセインは完全に固まり、タマの背を、冷たい汗がひと筋伝った。


 リラが剣の柄を握り、低く詠唱を始めると、淡い光が刃に宿り、迷いのない構えが夜に浮かぶ。


 「……どこに行くのかしら?」


 タマは、思わず足を止めた。


 騒ぎに向けられていたはずのリラの視線は、もうラグスもセインも見ていない。


 白銀の髪をフードで隠したタマの横顔をじっと測っている。


 ガルムとエルネストが左右へ散り、逃げ道を塞いでいく。


 近衛の連携には、無駄がない。


 「身分を確認するわ」


 リラの声は低く、普段なら少しだけ覗く年相応の柔らかさが、綺麗に消えていた。


 そして、剣を持つ手には、既にこちらを斬る準備が整っている。


 職務としての警戒にしては、明らかに常軌を逸しているとしか思えない。


 リラ自身、身体の反応を持て余しているように見えたが、彼女はそれを呑み込むように奥歯を噛み、視線だけはタマから外さなかった。


 「ちょ、ちょっと待てって」


 「そうっスよ。タマさんと話すのは俺らが先っス」


 ラグスとセインの酔い声が、場違いに響く。


 「だから待ってほしいっス!!」


 「黙れ、酔っぱらい!」


 ガルムの声と同時に、エルネストが拘束魔法を放った。


 淡い光の帯が二人の足元へ絡みつき、その動きを縛る。


 ラグスが歯を食いしばり、通りの空気が完全に張りつめて、酒場からこちらを見ながら漏れていた笑い声まで途切れた。


 リラが剣をタマに向けたまま、視線だけを二人に向ける。


 「部外者は下がりなさい」


 そして、そのまま鋭い眼光が、タマへ向けられる。


 「そこまでにしてください」


 そのとき、場に似合わない穏やかな声が、割って入った。


 通りの奥から、一人の男がゆっくりと歩いてくる。


 白を基調にした外套に、無駄のない装備。


 剣は抜かれていないが、それでも立ち位置だけは明確だった。

 

 タマの前、リラ達騎士とのちょうど間。


 その声が耳に届いた瞬間、タマの肩から、わずかに力が抜けた。


 「……カイラン?」


 タマの意図せず、こぼれ落ちた声。


 男は足を止め、ほんの少しだけ表情を和らげる。


 「無事そうでよかった」


 タマに掛けた言葉はそれだけだったが、その一言で場の温度が変わる。


 リラの眉がわずかに動くが、剣は相変わらずカイラン越しにタマに向けられている。


 「……あなたは?」

 「この街にいる聖騎士です」


 街を巡回している近衛騎士に対して、簡潔すぎる答え。


 この場で名を名乗るつもりはないらしい。


 胸元の紋章を見て、リラは即座に理解したらしく、構えた剣は下げないが、無理にカイランを退けようとはしない。


 ガルムとエルネストも、知らぬうちに動きを止めていた。


 「忘れ物を届けに来ただけですよ」


 カイランは柔らかい声色のまま言って、拘束されたままのラグスとセインへ視線を向ける。


 「彼らと先ほどまで一緒でしたから」


 リラの視線がわずかに下へ落ち、ガルムとエルネストの構えにも、ほんのわずかな緊張が生まれた。


 市民、聖騎士、近衛騎士。ここで踏み込めば、事は大きくなる。


 リラは短く息を吐いた。それでも、視線はタマから外さない。


 この場でタマを逃がす気のない目だということは、経験上、わかる。


 あれは、タマを追いかけ続けた陰陽師や武士と同じ目の色をしている。


 今しかない。


 手にしたばかりの酒瓶を、強く握る。


 ひと呼吸だけ整えて、迷っている時間はないと腹を括った。


 せっかく選んだ一本だ……けれど、彼の命と天秤にかけるものではない。


 カイランがほんの一瞬だけ、こちらを見た。


 刹那、リラの足が地面に沈み、こちらを向いていた剣先がわずかに下がる。


 それが、彼女の踏み込みの合図。


 斬られる。


 そう察したのと同時に、タマは迷うことなく、反射で酒瓶を投げていた。


 狙いはリラではなく、雷を纏った、彼女の剣。


 乾いた音とともに、閃光が弾けた。


 雷と酒精がぶつかり、小さな爆発が通りの空気を裂く。


 芳醇な香りが一瞬だけ空間に漂い、すぐに雷に焼かれて、焦げた匂いへ変わった。


 衝撃は強くないが、視界を奪うには十分すぎる威力。


 「っ……!」


 リラの喉が鳴り、反射的に目を細める。


 その一瞬の隙を、タマは逃すことなく、瞬時に身を翻し、人影の多い路地へ真っ直ぐ駆け込む。


 「逃がさないで!」


 リラの声が飛び、ガルムとエルネストが即座に動いた。


 「待ってください」


 カイランが、静かに立ちはだかる。


 剣は抜いていない。それでも、彼の選んだ場所は追撃の線上。


 これ以上進めば、接触は避けられない。


 「その前に__」


 カイランは、拘束されたままのラグスとセインを手で示した。


 「彼らを解放してもらえませんか」


 リラの動きが、止まる。


 「……理由は?」

 「理由ですか……ふむ」


 カイランは、少しだけ考える素振りを見せてから、続けた。


 「この街では酔って騒いだだけで、騎士に拘束されるんですか?」


 ここで事を荒立てれば、守るべきものが逆さまになる。


 リラは剣を下げ、短く息を吐いた。


 「……解放して」


 エルネストが魔法を解き、ラグスとセインがよろめきながら自由になる。


 「す、すみ__」

 「後にして」


 リラはそれだけ告げ、路地の奥へ目を向けた。


 もう、タマの姿はない。追えた。だが、追わなかった。


 剣を納める。雷の気配が、まだ完全には消えきらない。


 カイランと視線が交わった。


 言葉はない。それでも、互いに理解していた。今夜は、ここまでだ。


 *


 夜の通りに、再びざわめきが戻ってくる。


 割れた瓶から漂う燃えた酒の匂いだけが石畳に残り、夜風が吹き抜けるたびに浮かんでいた魔力が薄れていく。


 人の声は戻りつつあったが、音がどこか遠く感じる。


 先ほどの緊張がまだ身体の奥に残っているのか、誰もが目をリラには向けず、俯き、少しだけ早足に去っていく。


 リラは視線をタマの消えた路地の奥へ向けたまま、その場から動かない。


 ”タマ”を斬ろうとした。


 その事実を、今になってはっきりと自覚する。


 先日の戦いで、ゲドーマルやタマへ刃を向けたときとは違った。


 あのときは胸の奥が締めつけられ、命令だと頭ではわかっていても心が拒んだ。


 剣を構えるたびに自分の中の何かが削られていくようで、手は震え、呼吸は乱れていた。


 だが、今夜は、タマへ刃を向けた身体の動きが、あまりにも自然だった。


 手も呼吸も震えることなく、躊躇もなかった。わずかとはいえ、確かに殺意も湧いた。


 任務だからではなく、斬るべきだと、身体が心を追い越しはじめていた。


 リラは無意識に拳を握りしめる。


 ”何か”が、軽くなりすぎている。


 あれほど重かったはずの抜く手に、今夜は指一本ぶんの重さもなかった。


 そのとき、胸の奥がわずかにざわついた。


 魔力の感触……はっきりとした干渉ではない。


 だが、間違えようがなかった。


 アルティシア王女殿下の、魔力だ。


 王女の冷たい感触だけが、胸の内側へ静かに沈んでいる。


 気づけば、誰に見られているわけでもないのに、リラは背筋を正していた。


 剣を見下ろし、ゆっくりと息を吐く。


 今夜の判断は、間違っていない。騎士としての務めも、果たした。


 それでも、と。自然に手がもう一度、柄を握り直した。


 「……私は」


 何を、自然だと感じたのか。


 *


 森の奥で、結界が淡く光った。


 描かれた魔法陣が一瞬だけ明滅し、次の瞬間、空間を切り開くようにしてタマが現れる。


 小屋の扉が、勢いよく開いた。


 「……っ、はぁ……」


 その音に、俺は顔を上げた。


 膝に手をつき、肩で息をしているタマの額に、汗が浮いている。


 相当、無理をしてきたらしい。


 ぎりぎりだった、というのは、視ればわかった。


 俺とアウレオンは、テーブルを挟んで腰を下ろしていた。


 木皿の上には簡単なつまみとして干し肉と香草、それから焼いた木の実が置いてある。


 盃は、空だ。


 「戻ったか」


 言いながら、俺の眼は自然とタマの手元へ向かう。


 「……酒は?」


 口に出してから、タマが答えるまでにはわずかな間があった。


 「……ない」


 その一言で、肩が静かに落ちる。


 「……そうか」


 正直な反応だったと思う。


 タマの視線が突き刺さってくる……今、そこか、という顔だ。


 アウレオンが視線を俺とタマに交互に移した後、わずかな間だけ視線を落とし、それから顔を上げ、軽く咳払いをした。


 「……森の様子が、少しおかしい」


 アウレオンには珍しく、少し上擦った声。


 「風が安定しない。迷いの森の境界も__」


 「あとで聞く」


 俺はアウレオンの言葉を切るように、被せた。


 「今は、酒だ」


 タマが膝に両手をついたまま、眉を、ぴくりと動かした。


 ふう、と息を吐くと背筋を伸ばし腕を組む。


 「……投げた」

 「……うん?」

 「リラに。剣に雷、纏ってたから」


 説明は、それだけだった。


 それ以上、この場で話すつもりはないのか、顔ごと視線を横に逸らす。


 俺はしばらく考えてから、呟く。


 「……そうか」


 タマはもう一度こちらを見ると、何か言いたげに口を開きかけ、結局、こちらに聞こえるように、大きなため息を吐いた。


 「この状況みればわかるでしょ? ”便利な眼”持ってるじゃない」


 「いや、まあ……」


 「命か酒かで、酒を先に心配するのはどうかと思う」


 アウレオンは椅子に腰掛けたまま、身体ごとそっと視線を逸らす。


 「……空気が重い」


 それだけ言って、つまみへ手を伸ばした。


 タマはもう一度深く息を吐く。


 俺は何も言わなかった。


 ここに戻ってこられた……それが一番だと思ったからだ。


 隠れ家の外で、虫が一度だけ静かに鳴いた。


 *


 王都の外れ、地下深く。灯りは最低限だけ。


 壁面に刻まれた魔法陣だけが脈打つように明滅を繰り返し、その光が石壁の湿った表面を照らすたび、地下道の輪郭が浮かんでは沈んでいく。


 ミルザは石を削り出した簡素な台座の、その前に立っている。


 その上に載っているのは小さな水晶球で、内側に砂嵐のような画面が映っていた。


 特定の人物の現在を中継するために使った、ヤグの作った魔道具の残骸だ。


 指先で、その表面を撫でる。


 滑らかで、冷たい。だが、もう何も映ってはいない。


 ミルザはそれを片手で握り潰すように、砕く。


 水晶の欠片が手のひらを裂き、青白い血が石の床へ落ちる。


 痛みは感じない。魔族の身体は、その程度の傷は無いにも等しい。


 使えなくなったものを手元に置いておく趣味は、ない。


 王女が施した干渉は、機能した。


 近衛騎士リラの身体は確かに動き、剣は振るわれた。


 仕組みとしては、完璧だったはずだ。


 だが、殺せなかった。あの男は、まだ生きている。


 ミルザは手のひらの血を見る。


 すでに塞がりはじめている。魔族の再生能力とは便利なものだ。


 だが、あの男の前では役に立たない。


 魔力を視るあの眼は、構造も経路も、魔法陣の核すら見抜いてしまう。


 おそらくは。あの眼がある限り、魔力を介した策はすべて裏目に出る。


 手駒を使えば使うほど、こちらの手の内が削られていくだけだ。


 「……ヤグ」


 あの研究者の顔が浮かぶ。


 無機質な声……感情を持たないわけではなく、持つ必要がないと考えている男。


 研究対象だ。あの眼が欲しい。生かしておけ。


 奴のただの願望と提案だ。


 だが、奴の願望を無視した者がどうなるか、ミルザは知っている。


 壁際に背を寄せると、冷たい石が肌に触れ、湿気を含んだ地下の空気が腕に絡みつく。


 魔法陣の明滅が、ゆっくりと間隔を広げていく。


 隠蔽魔法を生み出す魔道具の魔力が薄れている証。


 この場所も、もう長くは使えない。


 苛立ちの正体は、はっきりしている。あの男が、こちらを恐れていないからだ。


 力を見せ、脅しもした。


 それでも、ゲドーマルは変わらなかった。


 恐れもしなければ、媚びもしない。怒りすら見せない。


 まるで、こちらの存在がそもそも思考の外にあるかのように、ただ平然としている。


 下等種族に無視されている……それが、何より気に入らなかった。


 ミルザは壁から背を離す。


 手のひらに残る水晶の粉を払い、地下道の奥へ足を向ける。


 歩くたび、床の石が低く鳴った。


 策は、もういい。道具も、駒も、いらない。


 黄金の瞳が、暗がりの中でゆっくりと細まる。


 あの眼が何を視ているのか、壊してから剥ぎ取ればいい。


 地下道の奥で、魔法陣の最後の光が消えた。


 闇がミルザを呑み込み、その中で、ゆっくりとした足音だけが規則正しく響いていた。


 *


 夜の隠れ家。


 扉がノックされ、次いで開いた。入ってきたのは、ドゥール。


 「遅くなった……って何かあったのか?」


 背負っていた袋を下ろしながら、短く切り揃えてある髭を摩るドゥール。


 ドゥールの視線の先には、テーブルを挟んで俺とアウレオンが腰を下ろしている。


 タマは俺の隣の椅子に座ってはいるが、俺に背を向け腕を組み、頬を膨らませている。


 「……別に」


 タマは視線も動かさずに、短く答える。


 アウレオンは口元に苦笑を浮かべかけ、けれど、タマの視線がアウレオンに向いた瞬間、何事もなかったかのように表情を消す。


 ドゥールは袋を触ったまま、見なかったことにするように息を吐いた。


 俺はほんのわずかだけ眉を寄せ、ドゥールへ視線を送る。


 ドゥールはその視線を受け取り、ゆっくりと首を横に振った。


 「知らん。自分で切り抜けろ」


 切り捨てるように言い、ドゥールが袋の中から取り出したのは、酒瓶だった。


 俺は反射的に立ち上がる。


 「助かる」

 「分かりやすいな、お前は」


 ドゥールは苦笑しながら、髭を一度撫で、テーブルに酒を並べていく。


 タマは腕を組んだまま、相変わらず不機嫌そうだ。


 「……私は?」

 「飲むだろ」

 「扱いが雑」


 そう言いながらも、タマは前に向き直した。


 アウレオンは立ち上がり壁際から、外の様子を確かめる。


 「追跡はないようだな」


 ドゥールが頷いて、指を一本ずつ折りながら続ける。


 「……王女、魔族、近衛騎士。どれも、味方じゃない」


 「ギルドも、か?」


 俺が聞くと、ドゥールは一瞬だけ黙り、視線を落とす。


 「組織としては、な」


 ドゥールが酒を注ぐ。


 「優先順位を決めよう」


 ドゥールが進行役に回る。


 彼の指先が、考えるようにテーブルの縁を一度叩いた。


 「まずは、ドラゴンの情報だ」


 アウレオンが窓から目を離し、ドゥールを見て、頷く。


 「森の異変は偶然じゃない。だが、確証はない」


 「確証が出る前に動くと、潰される。目立たずに動くべきだな」


 そう言うドゥールの声は冷静だ。


 「だから、王子側の事情が欲しい」


 タマが、ちらりと俺を見る、もう腕は組んでいない。


 「王都には戻らないで」

 「分かってる__」


 俺は表情を変えずに頷くが、視線はドゥールの注いだ盃から離せない。


 「戻らない。行く意味がない」

 「大将とタマは、ここから離れない方がいいな」


 ドゥールは酒の入った盃や木のジョッキを配りながら、否定しなかった。


 「酒の補給は、俺がやる」

 「頼む」

 「ここは元々、私の隠れ家だ」


 アウレオンが淡々と告げる。


 「食材は、私が集める」


 俺は首を振った。


 「それだと、野菜と果物だけになる」

 「……否定はしない」


 「肉と魚は、俺が行く」


 「あなた、茨木がいないと血抜きも捌くこともできないでしょ」


 言葉に詰まる。タマの言う通りだった。


 その時、扉が、再び叩かれる。


 「……来たか」


 ドゥールが視線を向け、アウレオンが扉を開けると、そこにいたのはレオンだった。


 「遅くなった」

 「本当にいいのか?」


 ドゥールが目を軽く細め、確かめるように聞く。


 「ああ、大丈夫だ」


 レオンが手にした大きな袋を掲げてみせた。


 タマの表情が一気に明るくなり、テーブルに両手をつきながら立ち上がる。


 「……お肉?」

 「魚もある」

 「……甘いのは?」


 レオンは胸を張るようにして、少しだけ誇らしげに言った。


 「ある」


 次の瞬間、タマがレオンに抱きついた。


 「レオンさん、大好き!!」

 「ち、ちょ……」


 慌てるレオンを見て、ドゥールが呆れたように笑う。


 「……命の危機から、随分と平和になったな」


 俺は盃を手に取った。


 「こういう時間も、必要だ」


 *


 夜は、思ったより静かだった。


 テーブルの上には酒瓶が並び、レオンが運んできた肉と魚、それに甘い菓子の皿もある。


 「……ふふ、甘い」


 タマはぽつりと呟いたあと、目に見えて表情を緩めた。


 珍しいな。


 酒を飲むと、だいたい途中で止めるのに、今日は頬が赤い。


 ドゥールがレオンに小声で何か話しかけ、レオンが苦笑する。


 アウレオンは壁際で、静かに木の実をつまんでいた。


 「甘いのがあると、こうなるんだな」

 「今日は特別」


 俺は盃を見た。


 いつもの盃だ。


 この世界に来て、割れもせず、欠けもせず、ここまで来た。


 ふと、囲炉裏の火と薬草の匂いがよぎり、ほんのわずかだけ、瞼の裏にあいつの顔が視えた……気がした。


 遠い昔の、懐かしい記憶。


 「なあ」


 声をかけると、全員がこちらを見る。


 「飲むか」


 盃を、テーブルの真ん中に置いた。


 少しの間、誰も動かない。


 ただ、心地のいい空気が身体を包むように、そこにあった。


 最初に手を伸ばしたのは、ドゥールだ。


 「……いいのか?」


 「駄目なら出さない」


 俺は盃にそっと酒を注ぐと、ドゥールはフッと口角を上げ、盃を口に当てた。


 一口飲んで、レオンへ渡す。レオンは黙って受け取り、口につけて少し目を細めた。


 アウレオンは壁から離れてこちらに近づき、受け取った盃をしばらく眺めてから、静かに傾ける。


 盃が、タマに回ってくる。


 彼女はそれを、両手で包むように持ちじっと見つめる。


 指先が、少しだけ震えている。


 「……なんか、懐かしいね……」


 それだけ言って、飲む。


 盃が俺に戻ってくる頃には、全員の手を経た酒は、注いだときとは少しだけ温度が違っていた。


 しばらく、誰も喋らないが、それは悪い沈黙ではなかった。


 ただ、酒が身体に馴染むのを待っているような時間。


 酒と料理と、建物の木の匂いが混じり合って、じわりと沁みていく。


 タマが、ふと思い出したように口を開いた。


 「……ねぇ」

 「ん?」

 「宿屋で、置き手紙」

 「……ああ」

 「……真っ白な紙、置いてったよね」


 声は、穏やかだった。


 酒の勢いで、ずっと胸にあったものが自然と滑り出てきた、という感じだった。


 「置いた」

 「あれ、どういう意味?」


 ドゥールとレオンが、何の話だという顔でこちらを見る。


 「特に意味はない」


 俺は正直に答えた。


 レオンの目が見開かれる。


 「時間がなかったから、書かずに置いていった」


 森の風が窓を叩き、カタッと小さく揺らした。


 「…………それだけ?」


 「その方が雰囲気が出るだろう?」


 俺は顎を少し上げ、胸を張って答えた。


 場が固まった。


 タマの瞳が、わずかに潤み、ドゥールが眉を寄せる。


 「待て。白紙を? 何も書かずに?」 

 

 ドゥールが額を押さえ、レオンが天を仰ぐ。


 アウレオンは木の実を口へ運ぶことで、意見を述べるのを放棄する。


 「大将、雰囲気で白紙は一番困る」


 ドゥールが静かに、しかしはっきりと言う。


 「タマがどれだけ心配したと思ってるんだ。心配する側の身にもなれ!」


 レオンが続けて、俺を責めた。


 俺は盃を傾ける。


 「まぁ、生きているんだから問題ないだろう」


 タマは、何も言わずに、少しだけ視線を落としている。


 「……あの紙」


 声が、さっきよりも小さい。なんとか聞き取れる大きさ。


 「裏も表も、何度もひっくり返した」


 テーブルの上で、その指先が盃の縁を静かになぞっている。


 「透かしたら何か書いてあるかもって、窓に当ててみたりもした」


 ドゥールとレオンは、もう何も言わなかった。


 「……何もなくて」


 タマは、少しだけ笑った。


 「……ばか、って思った」


 あの夜の不安が、そのまま声になって、今ようやく俺の耳へ届いている。


 「……そうか。それは、すまなかった」


 タマは深く息を吐き、それから、俺の直垂の袖を、軽く掴む。


 「……でも」


 声を落とす。


 「逃げなかったのは、嬉しかった」


 それだけ言って、また酒を飲んだ。甘い酒の香りが、夜に馴染んでいく。


 森は、静かだった。


 「……明日も、飲もう」


 森の奥で、風が一つ、鳴った。


 最後までお読みいただきありがとうございます。


 おかげさまで累計500PVを突破することができました。

 また、身に余る評価ポイントもいただき、執筆の大きな励みになっております。

 こうして読んでくださる方々と繋がれることに、深い喜びを感じています。


 ゲドーマルとタマの旅はこれからさらに加速していきます。

 この世界の理を今後とも共に見届けていただければ幸いです。


 次回は金曜日22時に更新予定です。


 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

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