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VS チャンプア──あらなた感情の芽生え

「ラウンドワン!」


 リングアナウンサーの声が、巨大な会場の隅々まで響き渡った。


 その直後、けたたましいゴングの音が響き、静寂に包まれた観客の緊張を一気に高める。


 俺は静かに、リング中央まですり足で進んだ。


 構えはスタンスを広く取り、重心を後ろに置く。


 俺がかつて体育館で未惟奈と対戦した時と同じ構え、「後屈立ち」の「前羽の構え」だ。


 今の競技カラテでは、こんな型でしかお目にかからないような構えをとる選手はまずいない。


 かつての鵜飼貞夫以外には。


 春崎はそれだけで俺とじいさんの関係を見抜いた。


 でもこの会場にいる観客のほとんどは「失笑」したに違いない。


「おいおい、あれで戦えるのかよ?」という感じに。


 対するチャンプアは、かつてビデオで数百回と分析した通り、一切の隙がないムエタイ独特の構えだ。


 そして、彼はアップライトなムエタイスタイルにしては、重心が異様に低い。


 ビデオを見ていた時には気づかなかったが、さっき控室で話した「過去」の話から察するに、それは「気のコントロール」と無関係ではないのかもしれないと想像できた。


 リングの中心で、俺とチャンプアの距離が近づく。


 距離は、お互いの攻撃がギリギリ届かない、絶妙なロングの間合い。


 スキのない両者の立ち合いでは、ほんの僅かな予備動作の読み合いがつづき膠着状態になる。


 チャンプアは、明らかに俺を警戒していた。


 彼の代名詞とも言える電光石火の先制攻撃を、彼は仕掛けてこない。


 だから、俺は先に動いた。


 仕掛けたと言っても、チャンプアとの距離をすり足でたった5cmほど縮めたに過ぎない。


 つま先から膝、腰までが連動した僅かな寄り。


 レベルによっては反応すらしないほどの、極めて小さな動きだ。


 しかし、この小さな動きは、「攻撃の起動」を意味する。


 チャンプアなら、この寸分の変化に必ず反応する。


 果たして──チャンプアも俺につられて動いた。


 スキのない相手同士の戦いでは、先に動いた方が、意識の集中や重心移動のわずかな偏りから、どうしても「一瞬のスキ」を作ってしまう。


 チャンプアは、そのスキを「持っていた」。


 彼は、俺の微細な踏み込みを、自身の攻撃への移行の合図と判断し、攻撃の体勢に入った。


 そこからのチャンプアの攻撃は、怒涛の10連打として炸裂した。


 こんなにも切れ目なく、しかも一切の隙も作らずに10連打を繰り出せるのは、今この世界でチャンプアを置いて他にいない。


 ロングの間合いからの左ミドルキック。


 その着地と同時に、体幹のバネを使って繰り出される右ハイキック。


 間髪入れずに踏み込み、ショートレンジからの左右の強烈な膝蹴り連打。


 切れ目なく、ただリズムを切り替えてのワンツー、肘打ちからのローキック。


 ただの連続技ではない。


 それぞれの技のタイミングが微妙に、しかし意図的にずらされている。


 同じリズムで防御しようとすれば、必ずどこかで被弾する。


 その「ずらし」によって、リズムを簡単にとらせてくれない。


 さらに、チャンプアの連続攻撃のスピードは、「思考の速さ」を完全に超えている。


 これは、頭で反応することを許さないということ。


 脳が指令を出せばこちらの反応が負ける。


 しかし、むろん、そんなことは想定内だ。


 俺は、頭で考えるのではなく、この身体に組み込まれた「自動制御システム」によって動く。


 この制御は世界最速の未惟奈を相手に鍛えられた。


 だからチャンプアのスピードでも身体はしっかり反応して見せる。


 しかも、俺は「捌くだけ」では終わらない。


 チャンプアの攻撃が身体に触れる寸前、あるいは流した直後に、必ずリターンを返した。


 むろん、俺の返したリターン全てを、チャンプアもまた寸分違わず凌いだ。


 あの常人では視認すら困難な連続攻撃のさなか、俺のカウンターへの反応までしているということは、今の彼のスピードも、まだ最大ではないという恐るべき事実を意味していた。


 俺とチャンプアの攻撃が、リング中央で激しく交錯した時間。


 わずか数秒のことだ。


 その数秒の間、会場には、「バン」「バン」「バン」……という、腕と脚の交錯音だけが、会場に響き渡った。


 その数秒のあまりに激しい攻防が、会場の数万の観客を一瞬で黙らせた。


 チャンプアの攻撃ターンが終わり、二人はまた、互いに距離を取り、向かい合う。


 驚くべきことに、二人は元の位置から寸分違わないところに戻っていた。


 それはつまり、あの凄まじいラッシュとカウンターの応酬の最中も、お互いが相手の体勢と自分の体勢を完全に把握し、繊細な距離のコントロールを続けていたということに他ならない。


 チャンプアと視線が合った。


 次の瞬間、お互いが同じタイミングで「ニヤリ」と笑った。


 チャンプアが放った全ての攻撃は、俺を一撃で倒すための、一切の妥協のない本気の攻撃だった。


 そして俺は、その攻撃をすべて「易々と」捌き、全てにリターンを返した。


 チャンプアと俺の、この笑顔の背後にあった言葉は、きっと同じであったに違いない。


(やるな)


 二人の笑顔を見た会場からは、押し殺されていた感情が一気に解放されたかのような「うぉ~」という、抑えきれないどよめきが起こった。


 さすがに会場も理解したはずだ。


 チャンプアが、目の前の「普通の高校生」相手に、手加減をする気が一切ないということを。


 さんざん解説動画で流れていた「チャンプは全力を出さない。短期決着で余裕の勝利だろう」という予想は、このファーストコンタクトの数秒で、すでに完全に破られたのだ。


 俺とチャンプアの戦い。


 俺は新たな感覚が芽生えていることを感じた。


 なんか──とてつもなく楽しい。

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