崩すという技
俺はマンチャイからの執拗な反撃を必死に「捌き」ながら、おおよそマンチャイの驚異的な「強さ」の秘密が分かってきた。
「手足が触角」
だな。
なんのこっちゃ?と思われると思うが、マンチャイはひたすらしつこつ俺のバランスを崩しにかかる。
なるほど『ムエタイルールでは「相手を完全にコントロールしている」「相手に何もさせないでいる」という状態が高く評価される』と春崎が言っていたことがようやく理解できた。
ただ空手だって同じような技はあるし、ましてや俺は相手のバランスを崩すような「地味な技」は得意中の得意だ。地味な男だけに。
そんな地味な?俺を大慌てさせるほどにマンチャイはしつこく、しつこく俺のバランスを崩そうとした。
その際に、俺の体勢であるとか、軸であるとか、重心であるとか……そんな俺の状態をマンチャイは攻撃する「手足」を使って探ってきた。手足がまさに「触角」のようなのだ。
マンチャイの「足払い」とか「首相撲」といった「直接的な」バランスを崩すテクニックは言わずもがな。
マンチャイが凄いのはパンチ、肘打ち、蹴りといった「打撃」においてすら常に俺のバランスを失わせて俺の力が発揮できない状態に持ち込もうとする意図が感じられた。
つまりだ。たとえそれが「打撃」であろうとその手足が俺の身体に触れると「その触角」で、俺に何をすれば俺が崩れるのかを一瞬で理解して次の動作に繋げているようだったのだ。
だからどうやらマンチャイの「打撃」はダメージを与える「だけ」ではなく、プラスして「バランスを崩して」結果として「俺の攻撃そのもの全てを封じる」というところまで計算されつくしているようだった。
これはとんでもない技術だと俺は閉口した。
マンチャイはきっと物心ついたころからムエタイを始めて、少年時代からすでに試合をしていたのだろうと想像した。400戦もの実績があるということは、そういうことだ。
つまり未惟奈のような「圧倒的な才能」で勝負するタイプとは真逆にいるのがマンチャイというレジェンドなのだ。
「触れただけで相手のバランスが手に取るように分かる」
これはきっと400戦、つまりは400人のデータがマンチャイの頭の中にストックされているからこそできる芸当なんだろうと思った。試合経験のない俺にどうしろと?
タイのムエタイ選手というのはきっと同じバイオグラフィーを持っているであろうことは想像に難くない。だから俺と対戦するチャンプアにしても400戦とまではいかずとも多くの試合経験はあるはずだ。
「きっと同じことをしてくる」
俺は直感的にそう思った。
ましてやチャンプは経験だけでなく天賦の才能がずば抜けていると聞く。
触れただけで、すべてを見抜いてくるような相手にどう対抗したらいいのか?
幸いに俺にはこれ関しては「手立て」があった。
「触れる前に感じればいい」のだ。
ここで芹沢薫子から仕込まれた大成拳の「スキル」が生きた。
途中で俺はマンチャイの攻撃を手足を使って「受ける」ことを止めた。つまりマンチャイに触れることをやめた。
ムエタイの技術、幼少期から生活の一部にまでなっているだろうトレーニング。そして膨大な試合経験。どれも日本の空手にはまねのできない要素だ。ただムエタイの歴史は500年。中国武術の歴史は2000年は超える。だから「気」という現代科学では理解できないような、そして近代格闘技ではまねのできない「技」が存在した。
俺は目を開けてはいるが「視覚」を意識的にシャットダウンさせる。わずかに感じる「気の気配」に集中するためだ。俺は「気の動き」だけを頼りにマンチャイの攻撃をさばいた。
俺のこの作戦で、今まで盤石のバランスを誇っていたマンチャイに僅かながらの「歪み」が生じた。
どの武道・格闘技でも同じだ。当たることを想定して出した攻撃が空振りすると僅かながらに身体のバランスが崩れる。
俺はそれを逃す程甘くない。
そう、マンチャイが僅かに崩したバランスを逃さず、練り足で素早くマンチャイの懐に飛び込んで身体を震わせるように至近距離で肘をボディーに突き上げた。
マンチャイははじかれたように半回転しながら後方に飛ばされた。
俺はマンチャイの「バランス」を崩し、ムエタイが最も重視する「相手をコントロールする」ということを一瞬でやり返すことに成功した。
マンチャイがリングの中央で大の字に倒れている姿を見たほとんどのジム生は驚愕の顔で注目していた。
ジム内はただただシンと静まり返っていた。
* * *
俺と未惟奈、そして引率の春崎須美は仙台の「ドラゴンタイガージム」を後にした。
「あなたたちただのバカップルかと思えば、ホント恐ろしい二人よね……今回ばかりは寒気がしたわ」
冗談交じりにそう語った春崎須美の顔が、少し青ざめ引きつっていたのがなんとも印象的だった。




