第五章:動き出す歯車
リリィを雇い入れたことで、アレックスは「ミストナイトクラブ」の営業再開に向け、ようやく具体的な一歩を踏み出すことができた。彼女は早朝に花屋の配達を終えてから娼館に来て、夕方まで働くという形になった。
まず、客が当面利用するであろうエントランス、接待室、そして三等客室の清掃に重点を置いた。リリィの手際の良さには、アレックスも感服するばかりだった。彼女は指示された場所だけでなく、埃の積もった隅々まで丁寧に拭き上げ、薄汚れた床を磨き、蜘蛛の巣を取り除いていった。荒廃しきっていた空間に、少しずつではあるが、清潔感が取り戻されていくのが見て取れた。
12時を回り、清掃作業に集中していたアレックスの耳に、突然、玄関が扉が開かれる音が響いた。振り返ると、そこに立っていたのはジェームズだった。彼はアレックスを見て、安堵の表情を浮かべた。
「おはようさん、夜逃げはしとらんみたいやな」
ジェームズの言葉に、アレックスは作業の手を止めた。
「ええ、見ての通りです。再建に向けて準備を進めています」
アレックスの返答と、以前より格段に綺麗になった娼館の様子に、ジェームズは満足げな様子だった。彼の顔には、いつもの胡散臭い笑みが戻っていた。
「そうか、そらよかったわ。実はな、昨日伝え忘れてたことがあったんや」
ジェームズはそう言うと、上質な紙で作られた一枚の招待状を手渡した。
「ガーデンローには娼館組合があってな。その定例会があんねん。アンタ、『ミストナイトクラブ』の後継者やさかい、出席してもらわなあかんのや」
アレックスは驚いた。娼館組合など、全く聞いていなかった。招待状を確認する、開催日は今日の午後だ。
「 ……今からですか?」
「せや、もう時間がないさかい、すぐ乗ってや」
アレックスはリリィに残りの仕事を託し、身なりを整える間もなくジェームズの蒸気馬車に乗り込んだ。馬車が動き出すと、ジェームズは組合の歴史を話し始めた。
「娼館組合は、娼館の秩序と娼婦のねーちゃん達の待遇を守るために、クローブはんが音頭を取って結成した寄合や。一時期はガーデンロー周辺の娼館も束ねてブイブイ言わせとったんやで。せやけど、『ミストナイトクラブ』が休業してからは、クローブはんが座っとった組合長の席は空いたままや。そんで、今は有力なオーナー連中がその座を巡ってしのぎを削っとる状態や。まあ、今のミストナイトクラブじゃあ、関係ない話やろうけどな」
ジェームズの言葉に、アレックスは思わず唾を飲み込んだ。そんな大きな存在だったとはと、改めて叔父の偉大さを感じた。
そんな話をしながら、蒸気馬車はガーデンローの中心地へと進んでいく。そして、今日の会場である娼館「アメリア」の前に到着した。
アレックスはその建物を見上げて息を呑んだ。目の前にそびえ立つ「アメリア」は、彼の記憶の中にある、かつての華やかな「ミストナイトクラブ」と瓜二つの外装をしていたのだ。豪華な装飾、活気に満ちた賑わい、そして白く輝く玄関階段。廃墟と化した今の娼館とはあまりにも対照的で、まるで過去にタイムスリップしてしまったように感じた。
玄関前には、一人の女性が出迎えに立っていた。煌びやかなドレスを身に纏い、見るものを引き付ける魔性の魅力を感じる。ふと彼女の視線が、車内のアレックスに向けられ、思わず硬直してしまった。娼館の再建に向け、新たな局面が動き出そうとしていた。




