<閑話>クリスの失敗1
クララ・ベルハムは、最初雑用担当として宰相室に出入りしていた経理部の文官だった。
記憶力が良く資料を揃えたりまとめるのが得意だと言う事で、宰相室に転属させた。
部下は兄弟で所属している者も居る事から、全員名前で呼び捨てている。僕はそこで間違えた。
そこから、クララは仄かな期待を寄せていたらしい。
宰相室には女性の文官がクララしか居ない。僕は忙しくて城に居て屋敷に帰らない日もある。そんな日の夜遅い時間でも、クララが城に居て茶をだしていた事を、特に評価していなかった。
控えている従僕を呼べば茶を淹れてくれるのだ。従僕の淹れるものより味が落ちるし……文官の仕事ではない。嬉しいとは思わなかった。
体調を崩されても困るから、用がないなら居残るなと言った事もある。しかし、僕の言い分は他の部下から冷たいと判断された。彼女が「健気」だからだ。
僕の日常を観察していたクララは、メイフィーは単に公爵家を継ぐのに必要だから連れて来ただけのお人形だと判断した。……つまり僕を奪えると思ったのだ。
僕を冷たいと言った宰相室の者達もおかしい事に気付き、彼女に縁談を持ってきたが断り続け、婚期を逃していた。
弟が家督を継ぐまで家の借金を返しているのだと大半は思っていたが、調べてみれば弟は婚約者も決まっていて、家の方は既にその婚約者の支援で借金も無く安定している事が分かった。
……近すぎる距離感、いらぬ気遣い、すぐに同行する動き。縋る様な目線。
周囲が最初に庇ったから、僕も注意出来ないまま歳月が流れて常態化している。
仕事では助かるが、助かれば助かるだけ見返りを……それも給金や昇進以外で求められている感覚が鬱陶しい。
最初に庇ってしまった文官達からは、既に謝罪を受けている。……職分以外の事をやる場合には理由が必要で、僕がその線引きをしようとしたのに邪魔したから、クララが増長した。
彼らはクララをさり気なく僕から引き離そうとしてくれるのだが、上手く行かない。彼女の仕事は数字関連の並ぶ書類の整理や修正が大半で、僕達程忙しくないのだ。
クララをどうしたらいいのか分からないままになった。
このままクララを放り出す訳にはいかないし、縁談も受け付けない。移動させるにも、栄転ではなく左遷になってしまう。仕事で瑕疵はないのだ。
その日はいつも来ていたメイフィーの手紙が来なかった。
代わりに王太子となったオスカーとその婚約者であるロザミア嬢から呼び出された。何故かクララも一緒だ。やけに嬉しそうにしているクララが、都合の良い事を期待しているのが分かった。
頬を染め、腕を組みそうな距離で歩くクララに、少し気が重くなる。
指定された応接室に行くと、二人共にこやかにしつつ……かなり怒っているのが分かった。
僕に対してロザミア嬢の眼力が半端なく強い。オスカーがそれを止めないからだ。クララはそんな事にも気づいていない。
応接室では既に茶が用意されていて、俺は一人席に座らされ、三人掛けのソファーにはオスカーとロザミア嬢が並んで座り、対面にクララが座らされた。そこで初めてクララが戸惑った顔をした。
メイフィーに何かあったのだと悟った。それも、間違いなくクララ絡みだ。
「今日わざわざ来てもらったのは……長年宰相室に勤めてくれた優秀なベルハム嬢に合う相手が居てね。縁を取り持つ事にしたからなんだ。君の上司であるクリス・ロゼライトにも見届けてもらう」
オスカーの言葉にクララはぽかんとしている。
「お相手は法務大臣をしている、エルリック・モートン侯爵令息だ」
エルリック・モートンは天才と呼ばれる類で、十年前から女性の散財が国を傾けると予見して訴えていた男だ。
切れ者だが、その頭脳に嫉妬した者達がかつて夜会で酷い行いをした事で、以後彼は城へ登城しても仕事絡みでない限り、他者と殆ど会話をしない。
今は麻薬を取り締まる為の法案にかかりきりになっている。根は優しく国に忠誠心を持つ立派な男だが、不器用なのだ。
クララが文官になったきっかけ……実家の借金も、あり得ない利子がついていた事が分かっている。法が整備されていれば、金貸しが罰せられたのだ。そういう意味では彼の伴侶に向いている。
エルリックは、夜会の会場で美しい令嬢に誘い出され、庭園で複数人による暴力を振るわれて命の危機に陥りました。
主犯格は罰せられましたが、誘い出した令嬢も暴力に加担した令息達も、親から王への陳情で数か月の謹慎だけで済まされました。
法が整備されていればこんな事にならなかったと思っている状態が、今のエルリックです。




