18 恋心と涙
クララ様の噂が、耳に入ってくるようになっていた。
優しくて頭が良く、苦労を笑顔で乗り切る女性文官。……文官の試験は男性でも落ちる。だからやっかまれて悪評を立てられていたそうだが、今はそんな事をする人もいない。彼女はクリス様の補佐としてすぐに名が挙がる。
私はクリス様の話す理屈は分かっても、実際に実行可能な法に整えたり大勢の大臣達と話し合うような能力を持っていない。
クリス様は、とても能力が高い。それを自覚していないから、周囲はついていくのが大変だと聞いた。そんなクリス様の要求に応えるだけの能力を持っているクララ様が、有能な文官で人気なのは分かる。
きっと、悪い所を探しても見つからないし、そんな事をすればするだけ惨めになるだろう。
分かっていても、クリス様が心変わりしてしまうかも知れない。いや、もうしているかも。
その考えが離れてくれない。怖くて落ち着かない。
(私の願いを捨てて諦めてしまえばいいのよ。その方がきっと国の為になるし、皆も幸せになれるわ)
母国に置いて来た筈の過去の自分の声がした。
学園で事務仕事を終えて、庭を散策してベンチに座る。
「副学長様、さようなら~」
笑顔で手を振って帰っていく令嬢達に手を振り返したら、令嬢達が驚いた顔をして近づいて来た。
「お加減が悪いのですか?」
「何かお困りですか?」
彼女達があまりに心配するので、大丈夫だと言おうとして気が付いた。
……作り笑いすら出来ない。
可愛くて元気なロザミア様、凛としているのに乙女なエリーゼ様、一緒に居るだけでこの国ではちゃんと笑えていたのに、笑顔が作れなくなっていたのだ。
「心配させてごめんなさい。学園の事ではないから安心して頂戴」
二人は心配そうにしていたが去って行った。
(……どうしよう)
国を出て四年近く経過している。すっかり忘れていたあの息苦しい感覚が襲ってくる。
クリス様の良心になるのは私だと信じていた。けれど……私でなくても良いのだとしたら?
私には……クリス様しか居ないのに。
毎日書いている手紙に返事が無い事は、最初から分かっていた。だから日記を書くように毎日楽しく書いていた。クリス様には何でも知っていて欲しかった。たまに返事があると嬉しくて……それだけだった。
そうして過ごしている間、クララ様はずっと同じ執務室でクリス様と直接話したり、時には食事をとったりしていたのだ。そう思うと手紙もうまく書ける気がしない。
逃げたい。けれどどこに?
こんな居心地のいい場所はもう作れないだろう。それを与えてくれたクリス様に感謝しなければいけないのに、今は会いたくない。
頬に触れて笑ってくれたのがいつだったのか思い出せない。
私は、クリス様の事をずっと好きだ。このままだと思っていたのは私だけだったのかも知れない。
そこに、凄い形相でエリーゼ様が走って来た。
「メイフィーア様!お加減が悪いとお聞きしました」
そして私の顔を見てエリーゼ様が大きく目を見開く。そしてハンカチを出すと隣に座った。
「そんな顔で泣くなんて……何があったのですか?」
「そんな顔?」
「とても苦しそうなお顔です」
もう我慢できなくて、私はエリーゼ様に抱き着いてわんわん泣き出していた。
もう無表情だった頃にも戻れない。私は愚かな恋心で全て疑って手放してしまうのだ。
箱庭の異物として私を嫌ったお姉様。……私は今同じことをクララ様にしようとしているのだ。それも、一言も言葉を交わした事がない人に。何て醜いのだろう。
「どうして泣いているのか分かりませんが、メイフィーア様は悪くありません」
エリーゼ様はそう言ってくれたが、私はそうは思えなかった。
こんな自分は大嫌いだ。消えてしまいたい。そう言いながら泣いてしまった。
見ると、エリーゼ様まで泣いていた。
「あなたがこの国に来てくれなかったら、私の人生は全く違うものになっていました。私が苦しい時に救ってくださったのは、あなたです。だから、そんな事を言わないで下さい!」
かつて、カイルに心配されても心を動かさなかったのに……あの頃より年を重ねたと言うのに、涙が止まらなかった。




