093 殿下の誕生日
なんだかんだ、二日目の『魔法使いの館』の営業は無事終了した。
最初こそざわついていたものの、キラキラ女子達の襲来以降は、静かなものだった。みんなも手際よくなってきていたし、何とか大きな問題もなく乗り切る事ができた。
帰宅して、湯浴みを済ませた私は殿下といつも通り、屋敷のサロンにいた。
「お疲れ様。今日は本当に疲れたな」
昨日と同じ。殿下はソファーの肘掛けにクッションを置き、そこに背を預け、長い足を伸ばしリラックスしている。
その隣に座る私は落ち着かない。
なぜなら、お誕生日プレゼントをこれから渡そうと考えているからだ。
「お疲れ様です。それと、お誕生日おめでとうございます!」
私は背後に隠しておいた、小さな箱を殿下に差し出す。
「すっかり忘れていた。そうか今日はメレデルク様の誕生日だった」
しまったと言う表情の後、顔に手を当てる殿下。
どんだけメレデレクが好きなのよと、かつての仲間に嫉妬した。
「メレデレクもおめでとうだけど、殿下の誕生日でもあるんですよ?だからどうぞ」
私は殿下のお腹の上に、プレゼントを置いた。
「ありがとう」
照れくさいのか、驚いたのか。しばらくお腹の上に乗った小さなプレゼントと見つめ合う殿下。それから恐る恐る箱を手にし、ソファーに座り直した。
「それ、時限爆弾とか、呪いじゃないですから」
中身の心配をしているのかと思った私は、安全である事をアピールする。
「わかってる。ただ、嬉しくて。開けていいのか?」
今度は私が殿下の言葉に嬉しくて、恥ずかしくなる。
私は「どうぞ」と小さな声で何とか告げた。
そうか嬉しいのか。嬉しがってくれたのかと、その事実をじんわりと幸せな気持ちで噛み締める。
「意外に軽いな」
「殿下が欲しいものを言ってくれないから、悩んだ末のものです」
「俺には君がいるからな。他に欲しいものなんてない」
殿下はサラリと甘い言葉を口にする。
昨日が塩対応過ぎて、今日は糖度高め。その温度差についていけず、私はまるで高い山の頂上にいるみたいに、心臓がドキドキする。
さらに右側に殿下の体がピタリと張り付いた状態で、落ち着かない。
出来たら拳一個分くらいは、開けて座って欲しいものだ。
しかしまた何か口にすればどろどろの甘さを、殿下は私に吐き出しそうな気がする。だから私はムッと口を結び、殿下が包装紙を丁寧に解くのを眺める事に集中した。
「まさか指輪じゃないだろうな。でも俺は、誰かと違い勘違いしないけどな」
包みから現れた、赤いベルベットの箱を見て、殿下はニヤリと意地悪く微笑む。
「まさかそんな高価な物は買えませんし」
「確かに、俺の君への想いはいくら出しても買えないからな」
「酔ってます?」
思わず酔っ払いかと疑う。
今日は帰宅が遅かったせいで、夕食は軽く済ませただけだ。その時殿下は飲んでいなかったような気がする。
けれど今日の殿下はいつにも増して、私に甘いのも確かだ。
目を細め、疑いの視線を殿下に向ける。
「酔ってない。嬉しいだけだ」
頭をワサワサと撫でられ、そのくすぐったさに体がすくむ。そうこうしているうちに、殿下はパカリと箱を開けた。
「琥珀か」
さすが、古いものが大好きな殿下だ。
「でも何で琥珀なんだ?」
「それはただの琥珀じゃないんです。なんと私が掘ったんです、この手でしかと握ったアイスピックで!」
ようやく言えたと嬉しくなった私は、二の腕をもりっとさせ、アピールする。
「君が掘ったのか……あーなるほど。全て理解した気がする」
殿下は一人笑みを漏らす。
「どうですか?」
「ああ、とても嬉しいよ。ありがとう」
目を細めて笑う殿下は、まさに幸せそうだ。
その顔を見て私はホッとする。
「殿下にどうしても大きいのをあげたくて、一日頑張ったんですよ」
「そうか。じゃあ毎日眺めるよ」
そう言うと、殿下は私の腰に手を回し、ギュッと引き寄せて抱きしめた。そして私の頭に口付けを落とす。
このまま甘いムードに流されそうになるも、私は殿下を両手で押しのける。
「ダメですよ、まだ話足りないんですから。この琥珀にはドラマが詰まっていまして――」
私は今まで自分で口止めしていた分、タガが外れたように、シャーローゼ様とジュディを誘って採掘体験センターに行ったこと。それからユアン様との事、ついでに陽気な採掘マスターのおじさん達の事を面白おかしく殿下に伝えた。
夢中になって一気に話し終えると、殿下は楽しそうに私を見て笑っていた。
「君は気付いていないかも知れないが、周囲を笑顔にする不思議な力があるよな」
「ないですよ。でもみんなが助けてくれるんです。だから得してるかも」
自分ではそんな自覚はない。けれど、私は誰かに助けられて生きている。
その事はこの一年で嫌というほど実感した。
「それに塔にいる時より、ずっと楽しいです」
一人が楽。そう思っていた時もあったけれど、今は違う。もちろん面倒な時もあるけれど……。
「そういえば、昨日の殿下は疲れていただけですよね?」
私はふと「あぁ、そうだな」を繰り返す人形になっていた殿下を思い出したずねた。
すると殿下は、私の頬にかかる髪を後ろに流し、耳にかけてくれる。
「疲れていたのは確かだが、あれは……」
珍しく殿下が言い淀む。その反応で私はピンときた。
「アヘンか何か」
次の瞬間、殿下にデコピンされた。
「いたい」
「アヘンじゃない。あれは俺が自分の中に湧く、どす黒い感情と戦っていたからだ」
殿下は恥ずかしそうに、片手で顔を覆った。
「どす黒い感情?どうしてですか?」
私は殿下の言っている意味がわからない。すると、殿下は一度立ち上がりソファーに座り直した。そして私にもっと側に座るよう、ポンポンと座面を叩く。
少し考えてから、私はお尻をずらしおずおずと殿下との隙間を埋める。自然とピッタリ寄り添う形になった。
「元に戻っただけでは?」
「いいから」
殿下は私の手を取り、指を絡めてきた。もはや意味がわからない。
「昨日君が採掘の先輩だというユアンという男と話していただろう?」
「はい」
「とても仲良さそうに」
「はい、喧嘩してる訳じゃないですから」
むしろ私はユアンさんを友人として普通に好きだ。
「勿論、君は彼に友人以上の気持ちを抱いてはいない。それはわかっているのだが」
殿下は苦しげな表情で口を閉じてしまった。そんな顔をする彼が珍しくて私は思わず聞き返す。
「だが?」
「端的に言えば、嫉妬したんだ。あのユアンという者に」
殿下は絡めた指に力を込める。
嫉妬、確かにそう聞けば納得できる気がした。
「最近君は有給を取り、その日何をしたかについて敢えて触れないし、レイモンに聞いても首を振るばかりで話さない。いつもはおしゃべりな君が言い出せないなんて、何かあったのだろうかと」
殿下は繋がれた手を見つめながら、ゆっくりと話しを続ける。
「色々と不安を感じていた所に、昨日君が彼と仲良く話していた場面を見た。しかも「また行きたい」と君が告げ、彼は「連絡する」と答えていた。それを目の当たりにしたら、君と彼への怒りが湧いてきた。だから口を開けば文句を言ってしまいそうで、黙っていようかと」
殿下は「はぁ」と小さくため息を付く。
「すまない。大人気なかったな」
謝罪を口にした殿下はまたもや、握った手に力を込めた。
確かに殿下の口から聞くと、疑われても仕方がなかった状況だった気がしてきた。
私としてはサプライズをしようとしていただけだ。けれどサプライズにこだわるあまり、一番大事な人を傷つけてしまうのは、本末転倒だと言える。
それに私も今日、殿下がセンスが良くて、可愛らしい女の子達に囲まれているのを見てイライラした。しかも営業スマイルだとわかっていながら、殿下が他の子に微笑むのはとても嫌な気持ちだった。たぶんこれが嫉妬なのだろう。
「殿下、誤解させるような行動をしちゃってごめんなさい」
「いや、俺が……違うな。過ぎた事を考えるのはよそう。今度からは疑わしい行動だとおもったら、君に直接たずねる事にする」
「賛成です。私も殿下の浮気を疑ったら、すぐに問い詰める事にします」
私も決意を口にして伝える。
「いや、俺に限ってそれはないだろう」
「私だってないです。でも殿下は意外とモテるんですよ?それに人の感情の機微に敏感で優しいから。ご自分がどれだけいい人か、人気があるか気付いてます?」
昼間女の子達に対して向ける、殿下のキラキラした笑顔を見た時から密かに心配していた。殿下にその気がなくたって、あんなふうに笑顔を向けられたら、誰だってコロッと行くものだ。
職務上、笑顔にならなければいけないのは仕方ない。だとしても、殿下は人に好かれる危険をもっと知っておくべきだ。
だから私は「自覚しろ」と強めにくぎを刺すつもりで忠告したのである。
「もしかして……」
殿下は意外そうな表情を浮かべ私を見つめる。
「不安なのか?」
「当たり前です」
「俺はわりと君に、気持ちを伝えていると思うが」
「そうだとしても、殿下がずっと側にいてくれる保証はないですから」
心の叫びを口にし、私は恥ずかしくなり殿下の肩口に顔を埋めた。
封印の塔に入る時も無理やり出された時も、あの時は一人でも平気だと思っていた。でも今はエメル殿下がいない世界で私は生きていける自信がない。だから出来たらずっと側にいて欲しい。
「そうか。君もそう思ってくれているんだな」
殿下は私の背中を優しく撫でてくれた。思わず甘えるようにぐりぐりと頭を押し付けてみると、殿下がクスリと笑う。
「まるで猫みたいだな」
その言葉に顔を上げ、私は殿下と至近距離で見つめ合う。それから、どちらともなくキスをした。何度も角度を変え、優しい口付けを繰り返す。私は離れがたいと思いながらも、殿下から唇を離す。
「お誕生日、おめでとうございます、エメル殿下。あなたが生まれてきてくれたこと、私を選んでくれたことに感謝します」
私はそう伝え、エメル殿下の首に手を回す。
「ありがとう。ティアリス。偶然だな。後半部分は、俺も全く同じ気持ちだ」
そう言って私を抱きしめてくれた殿下は、再び私の唇に甘い口付けを落としたのであった。




