074 殿下に嫌われる方法2
麗しのエメル殿下がお目覚めになってしまった。しかも困惑した表情で、「なぜここで寝ているのか」と、執拗に私にたずねてきた。
その質問は、私が殿下に投げかけるのが正しい使用法だと思う。
だってここは、私の部屋なのだから。
しかし、必死に理由を探ろうとこちらを見つめる殿下の真摯的な視線に、私は状況説明の必要性を感じたため、口を開く。
「覚えてませんか?酔っ払った殿下が私をここまで運んできたんですよ?」
私がそう告げると、殿下の顔がみるみる青ざめていく。この様子だと、どうやら昨日の事は全く覚えていないようだ。
「その、君と俺は……」
エメル殿下は言い辛そうに口ごもる。
その時ふと私は閃いた。
「殿下と私は大人の関係になりました。嫌だと言う私を無理やり殿下が」
本当は殿下の唇を奪ったのは私の方だけれど‥‥などと心で懺悔をしつつ、私はシクシクと泣き真似を加える。
「は!?嘘だろ」
「嘘じゃないです。もう婚約破棄します。ごめんなさい。陛下にもよろしくお伝え下さい」
ベッドの上で座り込んだまま、布団を被り枕に顔を埋めるように倒れ込む。それから泣いているフリを続行した。
我ながらずるい手ではあるが、これで婚約破棄は確定事項となったはず。つまりニア様が私のムフフな写真を新聞社にリークすることはなくなったという訳だ。
泣き真似をしながら、全て解決したと密かに安堵していると、いきなり布団がめくられた。
「うわ、寒っ」
思わず枕から顔を離し、私は芋虫のように体を縮こませる。
「嘘をつくな」
殿下は何故かシーツに視線を這わせ、怒っている。
「嘘じゃないです」
私は起き上がり、真顔で告げる。するとエメル殿下の瞳に怒りの炎が宿った。
「俺をからかうのはいい加減にしろ」
「からかってません。昨晩私にしたことを覚えてないんですか?」
勢いのまま伝えると、エメル殿下が困惑した表情になった。
「どうして嘘をつくんだ」
「嘘じゃないです」
「流石に何もなかった事くらいわかる」
「でも殿下は酔ってました」
「それでもだ」
何を根拠に私の嘘を見抜いたのかはわからない。けれど、私だって後には引けない状況だ。
「こ、これは責任をとっていただかなくてはなりませんね。だからもう、迅速な感じで婚約破棄をお願いします」
私がわざとらしくふふっと悪い笑顔で笑うと、エメル殿下が私の肩を両手でガシッと掴んだ。
「だったら喜んで責任をとろう。今すぐ結婚だ」
まさかの回答に私は拍子抜けする。
「ちょっと待って下さい。私が願い出ているのは婚約破棄ですよ」
「婚約破棄などするわけないだろう。一体どうした。何かあったのか?」
私の肩を掴む手を離した殿下は、こんどは気遣う表情でこちらを見つめてきた。
「君が嘘をついたのには、理由があるんだろう?」
殿下に優しく問われ、私は俯く。
「ティアリス、俺と君はこの先、共に生きる事を決めたんだ。何か困った事があるならば、俺にきちんと話して欲しい」
そう言って、殿下はポンと私の頭に大きな手のひらを乗せた。それからその手をずらし、俯く私の頬にかかる髪を指で優しく払うと、そのまま耳にかけてくれる。
「君が理由を話したくないのなら無理には聞かない」
私はおそるおそる顔を上げ、殿下を見つめる。そこには真剣な眼差しで私を心配するエメル殿下の姿があった。
その表情を見た瞬間、やっぱり婚約破棄をするなんて絶対に嫌だと心が叫ぶ。私の目から涙がポロポロとこぼれ落ちていく。それはもはや自分の意志では止まらず、次々と溢れ出し、頬を伝いポタポタと滴り落ちていく。
「ティアリス?」
様子のおかしい私にエメル殿下が動揺しているのがわかる。
私は一生懸命声を押し殺し泣くのをこらえる。けれどうまくいかず、ついには嗚咽を漏らしながら泣いてしまう。
「ゆっくりでいいから理由を話して欲しい」
私が落ち着くまでずっと待ってくれていた殿下は、そっと私の背中をさする。その優しい手つきにまた泣きそうになるけれど、ぐっと我慢して口をひらいた。
「ごめんなさい……嘘なんです」
殿下は何も言わず、私の言葉を待ってくれた。
きちんと伝えなければと、私は寝間着の袖口で乱暴に涙を拭き取る。
「昨日、ニア様にデミアン君と撮った写真を新聞社にリークされたくなければ、殿下と婚約破棄をしろと脅されたんです。そうしないと殿下が後ろ指をさされるし、陛下にもご迷惑がかかるって言われて、それで嘘をつきました」
私は俯いたまま全てを告白する。すると今まで心を縛り付けていた鎖がパリンと解けたように、スッと心が軽くなった。
「ニア?それはサザランド男爵家の君に酷い事をした者のことか?一体なぜ宮殿に入れたんだ?」
「ステファニー様が舞踏会で着る予定だったドレスに不具合があったらしいです。それで代わりにダンスの先生として、ニナ様がいらしたみたいで」
「きな臭いな」
殿下の言葉に私も頷く。
「私も殿下の仰る通り、ニナ様がわざと仕組んだ気がします。でも証拠はないし、何より彼女は私が淫らな女性であると勘違いできるような、ムフフな写真を今でも所持しています」
私は現状を報告する。
「一度ネットに上がったものは簡単には消せないからな。写真を消せ、印刷したものをよこせと言った所で、何の解決にもならないだろう。ふむ」
殿下は腕を組み考え込んでしまった。
掲示板に掲載された写真は、事件の後消去するよう掲示板の管理者に殿下が働きかけてくれていた。けれどニナ様はその写真を自分のエーテルフォンに保存していた。そして同じような事をしているのはニナ様だけとは限らない。
結局のところ個人的に所持されてしまっているものを、全て消すというのはもはや不可能だ。
私は今まで便利だと思っていたエーテルフォンが、人を傷つける武器にもなり得るのだと初めて気付く。
個々で端末を管理するエーテルフォンは、使用者側のモラルに委ねる事でしか取り締まる事が出来ない。それはある意味魔物より厄介だ。いやむしろ、封印したはずの高濃度エーテル結晶体が現代に新たに生み出した、魔導具という名を借りた魔物なのかも知れない。
この時代の魔物にどう立ち向かうべきか。その解決策が思い浮かばない。そんな自分を悔しく思い、私は寝間着をギュッと強く握りしめた。
「公表させるのが一番いいか。そしてその後の処理として……いや、それは後でじっくり練ろう。ティアリス」
殿下に名前を呼ばれ、私はこわごわ顔をあげる。
「俺の事を思って、嘘をついたのだな」
殿下は優しく微笑むと、そっと私の頬に片手を添えた。それから親指の腹で私の涙の後を優しく拭う。
「君が俺を大切に思ってくれているのと同じように、俺も君の事を何よりも大切に思っている。だからこそ、嘘はなしだ」
私は殿下の言葉にコクリと頷く。
「俺を信じて、これからも側にいて欲しい」
殿下は言い終えると、私を抱き寄せた。
強く引かれた拍子に、私は殿下ごとベッドにダイブする羽目になる。
「これからは何があっても婚約破棄をするなんて言うなよな」
頭を撫でられながら、弱々しく告げられた私の顔は、見る間に赤く染まる。
「俺の大事な人を傷つけた者には、それ相応の罰を与えなければ」
殿下は私を抱く腕に力を込めた。どうやら相当怒っているようだ。
まるで自分の事のように怒りを感じてくれている。その事実に私の心はキュンとなる。
自分で巻いた種なのだから、自らで解決しなければとは思う。けれど今回ばかりは上手くいきそうもない。むしろ自分で解決しようとして、大事な人を傷つけた。
殿下を悲しませるくらいなら、最初から彼を頼るべきだったのかも知れない。
誰かを信じて頼る事。それは百五十年前。一緒に旅をし、魔物との戦いを通して学んだはずの事だった。
どうやら私は塔での一人暮らし生活で、大事な事をすっかり忘れてしまっていたようだ。
「ありがとうございます」
自然に感謝の気持ちが漏れる。だけど。
「お気持ちは嬉しいですが、ちょっと苦しいです」
私が窒息死の可能性を示唆すると、フッと殿下が腕を緩める。
私は今がチャンスと、コロンと殿下の上からベッドに戻る。それから私は殿下に体を向ける。
「あと一つ。実はご報告が」
「ん、どうした?」
殿下がゴロリと寝返りを打ち、私の方に体を向けた。
「昨日、あまりに寝顔が可愛くて、私は殿下についうっかりキスをしちゃいました。寝込みを襲ってごめんなさい」
私は思い切って自分の罪を告白する。すると殿下は目をぱちくりさせた後、肩を震わせて笑い出した。
「君は本当に可愛いな」
ひとしきり笑った後、殿下は私の頭をまた撫でた。
「君になら襲われても悪くない」
優しく微笑む殿下は、私に手を伸ばし、ギュツと自分の方に抱き寄せた。それから、額にそっと唇を落とす。
「じゃ、今度は本気で襲いますよ?」
何だか余裕な態度に悔しくて、殿下を煽るような言葉をかけてしまう。
「襲わせない」
そう言って、今度は瞼に優しく殿下の口づけが落ちる。
「く、くすぐったい」
悶える私を見て、殿下がクスリと笑みを漏らす。
「困った事に俺は君を前にすると、理性的な人間ではいられなくなるようだ」
殿下は正面から私を見つめた。その真剣な眼差しに、私は瞬きができなくなる。
「それはすでに周知の事実なような……」
私は思わず指摘する。すると殿下はフッと微笑んだ。
「俺も一つ、報告がある」
「何ですか?」
できれば嬉しいのがいいと願いながらたずねる。
「今すぐ君にキスをしたい」
「え、朝ですよ?」
私の問いかけに答える代わりに、殿下はまた私の額に口づけを落とした。そしてゆっくりと唇が下りてきて、私の唇に柔らかく重なる。その唇は一瞬で離れてしまったけれど、突然の感触に私の心拍数は急上昇していく。
「好きだ」
殿下の囁く声が耳をくすぐる。そのままギューッと強く抱きしめられた私は、身動きが取れない状態になってしまう。
恥ずかしくて死にそうだ。しかもまだ一日が始まったばかりなのにと、理性的に思う自分がいる。それなのに殿下の体温は温かくて、彼の腕の中はとても居心地良く感じてしまい、結局の所、離れがたい気持ちが勝ってしまう。
そして、殿下のしわくちゃになったシャツに顔を埋めながら私は思う。
やり返したら、自分の価値を落とす事になる。
それは今までずっと守ってきた、クラリス様の教えだ。
けれど今回ばかりは反撃しなければ、大事な人をもっと傷つける事になる。
そして私も一番の宝物を奪われてしまう。そんなの嫌だ。
私はこのぬくもりを手放したりしない。だから殿下と婚約破棄をするつもりも毛頭ない。
これはもはや戦争だ。ならばやるしかない。
私はどんな手を使っても、絶対にニア様に勝利する。
殿下に抱きしめられながら、私は密かに決意するのであった。




