066 だって、そんな風習は、百五十年前にはなかった
パトーラから帰宅した私は、殿下と共に一日だけお休みを頂いた。
翌日、完全にリフレッシュした私達は、デミアン君へのお土産を持って古代魔法研究へいつも通り仲良く一緒に出勤した。
因みに仲良くと言うのは、リフレッシュ効果もあり殿下がやたら上機嫌で私に優しいからだ。
出来ればずっとこのまま、穏やかな殿下でいて欲しい。そのために、たまに息抜きのために、彼に旅行を勧めるのはアリかも知れない。
そんな事を思いながら、職場である殿下の執務室に到着してすぐ。
「悪い。俺はちょっと父さ……陛下の所に午前中は行くから。君は一人で大丈夫だよな?」
殿下は陛下へのお土産を片手に、ソワソワとした様子で私に告げた。
「大丈夫です」
「何かあれば、すぐエーテルリンクで連絡を」
「了解です」
「じゃ、行ってくる。留守番を頼む」
ポンと私の頭に手を置いて、殿下はニコリと微笑んだ。
私もつられて笑顔になり、殿下を見送る。
一人残された私は、早速机に向かう。
「よし、指輪の分も頑張るぞ!」
いつもより軽快な気分で古文書の翻訳作業に勤しむ。指輪の効果は絶大なようで、私はかつてない速度で翻訳をしていく。
「あぁ、最悪だ。僕は小間使いじゃないんですけど」
デミアン君が殿下の執務室に、逃げ込んできた。
「お疲れさま。あと少ししたら配属先が決まるだろうって、殿下はそう言ってたよ。だからファイト」
「絶対殿下のところがいい。それより二人で旅行なんて水臭いじゃないですか。何で僕も誘ってくれなかったんですか?」
デミアン君は不貞腐れた顔で、かつて自分の席として使用していた椅子に座る。
「急に決まったから。あ、そうだ。お土産買ってきたよ」
私はカバンの中から、ゴソゴソとお土産を出し、一つ一つ並べて行く。
「これは先端がボールペンになった玩具のウイッチワンド。振ってもエーテル管理局が来ないから、安心安全よ」
「あざーっす」
「次はこれ。ポストカード。どうぞ」
デミアン君にパトーラの景色が印刷されたもの数枚と、ティアリス生誕祭を祝う期間限定販売だというポストカードを手渡す。
「え、これ誰?」
「みんなの想像するティアリス様よ」
「実物とは随分かけ離れているような」
こちらを見てニヤリと意地悪く笑う、デミアン君。
実の所、デミアン君には私が百五十年前の人間だとすでにカミングアウト済み。
だからこそ彼は私に、意地悪な笑みを向けてくるのである。
「そりゃそうよ。だってそれは私じゃないから」
私は心で「でも殿下に美人だって言われたし」と付け加え、ニヒニヒと笑う。
「これだけですか?僕を置いていったのに」
デミアン君による不服の申し立てにより、ハッと我に返る。
「まだあるよ。でも次は殿下チョイスのやつ。パトーラの歴史みたいな本と、建築家ブルーノ様が建てた孤児院の写真集」
「流石殿下。わかってるなぁ」
今まで出したお土産の中で、一番喜ぶデミアン君。
全く可愛げのない後輩だ。
「最後は缶入りのクッキーに、タペストリーも。はい、どうぞ」
私はお土産を持った手をデミアン君にヌッと伸ばす。
「ティアリス先輩って洋服だけじゃなく、お土産のセンスも悪いんですね」
最近私に敬意を払い「先輩」と呼んでくれるから、可愛い後輩くらいに思っていた。しかしどうやらデミアン君は、相変わらずなようだ。
「じゃ、返して」
「やだ」
デミアン君はヒョイと私が伸ばした手を避ける。
「あれ、その指輪」
デミアン君が私の左手を掴み、薬指にはまる指輪を凝視したのち、目をパチクリさせた。
「ふふ、気付いた?殿下がくれたの。お誕生日プレゼントにって」
私はデミアン君に掴まれた手を引っこ抜き、「じゃじゃーん」とドラマチックに左手の甲をデミアン君に向けた。
「こんな高価そうな物をもらっちゃったし、益々仕事を頑張らなきゃって感じなんだけどね」
私は指輪を眺めながら、受けた恩はしっかり返そうと改めて誓いを立てる。
「もしかしてだけど、そこの指に指輪をはめる意味を、知らないとかないですよね?」
「え、意味?殿下がはめてくれたままだけど」
突然デミアン君は「あちゃー」と天を仰いだ。
「まずいの?まさか不健康の呪いとか?よくコケる呪いとか?」
私は何だか心配になりつつも指輪に変な呪いがかけられていないか、目視で確認する。
「ちなみに、殿下は今どこへ?」
「陛下に旅行のご報告だって」
何気なく答えると、デミアン君はまたもや天を仰いだ。
鼻血でも出やすい日なのだろうか。
私は心配になり、机の上に置いた文明の力の代表作、その名もティッシュをするりと一枚箱から抜いた。
「大丈夫?良かったらどうぞ」
デミアン君は苦笑いしながら、小さく首を振る。
「ご婚約おめでとうございます」
デミアン君が笑顔で告げる。
「え、何のこと?ついでに聞くけど誰と誰が婚約したの?」
私の知る人だろうかと首を傾げる。
「ティアリス先輩、現代では左手の薬指に指輪をはめる行為は、恋人や婚約者、もしくは既婚者となる相手が自分には、存在するという証なんです」
「え、そうなの?」
「しかもその高価そうな指輪は間違いなく婚約指輪です。つまりティアリス先輩には、間違いなく婚約者がいるということです」
私は自分の左手の指輪を確認する。確かに指輪がはめられているのは薬指で間違いない。
「え、でも殿下が」
はめてくれたし、婚約以前に、好意を伝えられていない。しかしすぐにその考えは、エメル殿下に当てはまらないと気付く。
そもそも彼は、結婚をシステマチックに決めて欲しいと願う人だ。
愛など必要ないのである。よって愛の言葉も必要ないわけで。
「殿下もわりと酷いけど、ティアリス先輩って、鈍感って言われません?」
デミアン君は私の左手を見ながら続ける。
「言われたことないと思うけど……あっ」
最近フリッツ様に遠回しに言われたような。それに殿下にも同じ意味を含む感じで言われた気がする。
「私はまさか鈍感なの?」
驚く私を見て、デミアン君は深く息を吐き出す。
「とにかく、その指輪は婚約者がいるという証です。それに殿下は今陛下の所に行っているとなると、まぁ婚約の報告だと考えるのが妥当ですね」
「えっ、陛下に報告!?」
段々と自分の身にとんでもない事が現在進行形で起きていることに気付く。
「だめだ、殿下を止めなきゃ」
私は慌てて部屋を飛び出そうとする。
「もう無理だと思いますし、殿下の気持ちを考えたら、そのままでいいんじゃないですか?」
「私の気持ちが、追いついてないんだけど」
「でも、受け取っちゃったんでしょ?」
「むしろはめてもらっちゃった……」
私はハッとする。
パトーラから帰る私達を見送っていたフリッツ様が、やたら上機嫌で「お幸せに」と口にしていたこと。それから、ここ数日殿下が私にやたら優しいこと。
それらが、デミアン君が明かした事実とリンクして行く。
どうやら殿下は本気で私と婚約したと思っていて、周囲にそれを報告しているようだ。
「ま、まずい。これは緊急事態だわ」
私は思わず机に手をつく。
「遅かれ早かれそうなるってみんな思ってましたよ。気付かないのは本人達だけだったし。諦めましょう。運命だと思って」
デミアン君が私を諭すように言う。
「無理だよ」
私は青ざめ固まる。
「と、とりあえず早退させてもらう。冷静な意見を聞かなくちゃ。ってことで、殿下によろしく!」
私は逃げるように、部屋を後にしたのであった。




