067 助けて、シャローゼ様
執務室から逃げ出した私は、現在シャローゼ様と、帝都の中心部シティ・オブ・インペリアルに位置するカフェに足を運んだところだ。
店内は洗練されたインテリアで装飾され、明るい雰囲気が漂っていた。広々とした窓からは街の喧騒が見渡せ、外の光が心地よく店内を照らしている。
周囲には流行に敏感そうなお洒落な客たちがお茶を楽しんでおり、カフェ全体がキラキラと輝いている。
私は店内の空気に圧倒されつつも、ゆったりとしたソファに座り、手には香り高いコーヒーが入ったカップ……ではなくエーテルフォンを握りしめている。
「おめでとう、ティアリス様」
わざとらしく私に声をかけるシャローゼ様の表情には、意地悪が浮かんでいる。
一連の大事件を全てを告白した上でその表情とは、一体味方なのか敵なのか。いまいち判断しかねるところだ。
「おめでとうじゃないですよ。封印の塔にひきこもった時以上のピンチなんです。助けて下さい。うわ、またメッセージが飛んできた」
私は恐る恐る、エーテルフォンの画面を見つめる。するとそこにはデミアン君から何通ものメッセージが届いていた。
『早退するだなんて、一体どうしたんだ?と殿下がソワソワしています』
『ティアリス先輩の机を見て、ニヤニヤしています。キモイです、至急帰還せよ』
『何だか土偶を眺め、切なそうです。キモさが増してきました。助けてください』
『おい、いい加減に返事をしろください』
デミアン君からのメッセージは、どれも殿下の様子を知らせるものだった。
私はその文面を見て、ますます追い詰められる気分になる。殿下に心配させてしまうのは申し訳ないと思う。しかし今回ばかりは殿下に合わせる顔がない。
「あの……シャローゼ様、私はとんでもない勘違いをしていただけなんです」
私はおずおずとシャローゼ様に声をかける。すると彼女は優雅にカップを持ち、私を一瞥した。
「そうだとしても、もはや手遅れ。諦めるしかないわ。それに喜んで指輪を受け取ったんでしょ?」
私は左手の薬指にぴたりとはまる指輪に目を落とす。殿下の瞳と同じ、小さなアメジストがついた可愛らしい指輪だ。
確かにこれをはめてもらった時は嬉しかった。
でも嬉しいという意味合いが、一般的に婚約指輪を受け取った女性が感じる気持ちとは明らかに違う。
「どうしよう……」
途方に暮れる私。
「エメルがその指にはめるのを許したなら、つべこべ悩んでも仕方ないじゃない。諦めなさい」
シャローゼ様は心底呆れた表情を浮かべながら私に告げた。
「でも、まさかたかだか指の位置に、そういう深い意味があるなんて知らなかったんですよぉ」
私は涙目になりながら、指輪を眺める。
そもそも百五十年前は、婚約指輪という風習は庶民に馴染みのないものだった。なぜなら上流階級や裕福な家庭のみの風習であり、一般的ではなかったからだ。さらに言えば、婚約指輪を指定の指にはめるという習慣自体なかった。だから庶民の私が知らないのは、仕方がないというものだ。
「そもそも、私なんかが受け取っても良いんですか? 殿下なら他にもっと相応しい方が……」
「ティアったら何をいってるの?本気で怒るわよ?」
シャローゼ様は私を睨みつけながら、カップを置いた。
「大聖堂の屋上で、花火をバックにプロポーズだなんてロマンチックだわ。エメルがティアを喜ばそうと相当頑張った証拠じゃない。私はあいつの努力を断然支持するわ」
シャローゼ様はキリリと私に鋭い視線を向けた。
彼女は今回、完全に殿下に味方するようだ。
「でも、殿下は私を好きだとか、結婚して欲しいとか、そういった事は言わなかったんですよ?」
「そこは減点ポイントだけど、相手はあのエメルなのよ?ティアに指輪を渡せたって事自体、私は奇跡だと驚いてるんだから」
「まぁ、そうなんですけど」
思い返せば屋上で花火を見た時、エメル殿下は何度も何かを言いかけて、遠回りして、結局諦めて、私に察して欲しい気持ち全開だった。
最後に私を「美しい」と言ってくれたのが、彼が頑張れる、せめてもの愛の言葉だったのだろう。
「でも、殿下は本当に私を好きなんですかね?」
「出会ってから一貫して、分かりやすく好きだったと思うわよ」
シャローゼ様は即答する。
「でもそれは、私が過去を知る人間だから、研究対象としてですよね?」
私は鋭く指摘する。
優しくしてくれるのは、私に興味があるから。それは本人も公言しているし、間違いない。けれど、その理由は私が過去を知る人間だからだ。
現に、家出のキッカケになったデミアン君にお弁当を指摘された事件の時、付き合っている事にしようと血迷う殿下の口から、「研究対象として見ている」と言われた。
「でも待てよ」
パトーラで一緒に入った英雄の酒場では、私についてあれこれ考察するマニアの人達の前で、「普通の女の子」だとも口にしていた。
だとすると、殿下の中で私は普通の女の子として好きだと思う気持ちになってきた。そう信じていいのだろうか。
その割に……。いや、粗探しのような事はやめておこう。
今は面倒な事が片付いたとばかり浮かれる殿下に、指輪の意味を知らなかった。その事をどう伝えるのが最適なのかを探るのが先だ。
出来たら怒られたくないし、傷つけたくもない。
「そもそもティアはエメルをどう思っているの?」
ぐるぐると思考を巡らせる私に、シャローゼ様が根本的な質問を投げかけた。
「色々よくしてくれるし嫌いじゃないですけど、それが恋愛的な意味かと聞かれると、よくわかりません」
エリオドア様に抱いていたような、ドキドキは今のところあまり感じないし、かといって嫌いではないし、無関心でもない。
「嫌いじゃないって事は、好きって事でしょ?それが今は恋愛的かどうか分からなくても、いずれ恋愛的なものなる可能性は残されているってことじゃないの?」
「確かに……」
嫌いの反対は好き。だから見方を変えたら、意識が変わる。
その意見は建設的だし、逃げ惑う事が難しい現状では最善な気もする。
「エメルの口から好きって言葉を引き出せたら安心って訳じゃないし、先ずは自分の気持ちに向き合うべきよ」
シャローゼ様の意見に私はもっともだと頷く。
「そもそも、ティアは恋愛経験どのくらいあるの?」
突如、シャローゼ様からセンシティブな質問が投げかけられた。
「か、片想いを一回ほど……」
流石に恥ずかしいので、囁き声で回答する。
「それはどういったタイプの人?」
私は記憶の中にいるエリオドア様を脳裏に浮かべる。
「えーと、キラキラしていて、優しくて……とてもキラキラしていました」
「それ、エメルじゃないの?あいつ見た目だけはいいし」
「違います、殿下じゃありません!」
全力で否定する私を見て、シャローゼ様が笑う。
「冗談よ。でも初恋って独特で、憧れの感情に近いのよね。だとすると、ティアは恋愛経験が限りなくゼロに近いと」
シャローゼ様はまるで恋愛マスターかのように、得意げに語る。
普段なら茶々を入れ、シャローゼ様の恋愛遍歴を根掘り葉掘り聞きたいところだ。しかし現在切羽詰まった状況のため、私は少なくとも自分より経験豊富そうな彼女の話に、静かに耳を傾ける事に決めた。
「ティアが恋を自覚するには、まず自分の好みを知ることから始めるべきね」
「好みですか」
「見た目がいい。それは誰しもがそうだから置いといて、もっと自分だけの萌えポイントを意識すればいいと思う」
「もえポイントって何ですか?」
初めて耳にする言葉だ。
「理由無く、「あっ、いい」みたいな感じで、心を掴まれるものかな。例えば私の場合、眼鏡男子は外せないし、ネクタイ引っ張りからのキスとか、嫉妬からの抱きしめとか、後は可愛い系男子の拗ねた顔も大好物よ……コホン。まぁそういった感じよ」
シャローゼ様はつい熱が入った自分を誤魔化すように、コーヒーカップを手に取った。
「つまり特定の人物に対するものではなく、仕草とか、行動とか、シチュエーションとかで「いいな、今の」みたいに思うって事ですね」
「その通り。ただ今は緊急を要する訳だし、ひとまずエメルの萌えポイントを探す事に全力を出してみるといいと思うわ。萌えポイントがキッカケで意識し始めるって事もあるし」
「確かに、その説は一理あると思います」
今まで殿下を恋愛対象として見ていなかった。そのせいで見落とした萌えポイントがあるかも知れない。
そもそも婚約指輪を受け取ってしまった以上、みんなの言う通り、簡単に後戻り出来ないのも事実だ。だとしたら、殿下を恋愛的に好きになれれば、まるっと解決な気がしてきた。
「心がキュンとなったら、もう後は坂道を転げ落ちるようにエメルにどっぷりハマるかも知れないわよ。頑張ってね」
シャローゼ様がニヤニヤと私を見る。
「何だかそうなったらなったで恐ろしいような……」
私は苦笑いを返す。
自分が恋に溺れるような事はないと信じたい。
けれどシャローゼ様曰く、私は恋愛経験ゼロとの事。だから恋心を抱き、自分がどうなってしまうのか分からない。それはちょっと不安だ。
「とにかく一度良くエメルと話し合ってみたら?そもそもあなた達にはそこが一番足りない気がするわ」
ふうとため息を一つ吐き出すシャローゼ様。
「あと、ティアがエメルの持つ肩書きに気後れしちゃうのはしょうがないけど、彼も普通の人間と同じ。幸せになる権利が十分にある。そこはわかってあげて欲しいかな」
シャローゼ様は、まるで小さな子どもに言い聞かせるように優しく語る。
普通の人と同じ。幸せになる権利がある。
殿下にも私にも。その通りで間違いない。
けれど今の私には蔦でぐるぐる締め付けられるような言葉に聞こえる。なぜなら殿下が皇子だから、簡単に無理だと断る事が出来ないということだから。
「わかりました、萌えポイントを探す方向で頑張ります」
私が前向きな発言をした瞬間、私のエーテルフォンがブルリと震えた。
「うわっ、またメッセージだ」
またデミアン君からの苦情だろうかと、私は恐る恐る画面を見て青ざめる。
メッセージの送信者はエメル殿下と表示されており、
『今どこにいる』
実に簡潔で、今の私にとっては大変恐ろしいメッセージを目にしてしまったからだ。




