◇とある先輩令嬢の憂鬱 ④
そこから更に、二週間後の話である。
「これは最終確認なのだけれど、貴女、本当にあの男を生涯の伴侶に望むのかしら?」
「やっぱり、ミシュリーヌ様も、止めた方がいいと思いますか?」
あれから少しして事情を伝えたシェリーにも、つい先日同じ事を聞かれたばかりだったので、思わず質問に質問で返してしまった私に、ミシュリーヌ様は片眉を上げるのみで反応を示した。
思うまま答えなさい、の意だと察して、慌てて言葉を紡ぐ。
「アリオンが良いです。私……自分で自身を磨いてみて、彼がどれ程の努力をして、あの美貌を保っていたのか実感したんです。道楽だって笑う人もいますけど、彼があの状況でよりよい相手を掴むことを考えたら、見目を磨くだろうとは思います」
単純に、アリオンは自分の美貌を磨く方面にしか興味が持てない、ということかもしれないけれど。
結局のところ、人は積み上げたものでしか己を形作れないのだから、彼が美しい相貌を保っているのであれば、あれはあれで、彼の努力の結晶である。人格が伴っていないのは、まあ、彼の性格からして致し方ないことだ。
私は確かに傷つけられた。思いも寄らない程のひどい言葉で。その精算を、これからの人生全てをかけてしてほしい、と望むのだから、私も私で、結構ひどい女なのではないだろうか、と思う。
「そう。なら、余計な根回しはしないでおこうかしら。収まる場所に収まるだけの話だものね」
「ただ、その……アリオンの名誉を守ったままでは、ミシュリーヌ様の目的は達成されないのでは……と思っているのですが……」
今回ミシュリーヌ様が私に手を貸してくださったのは、カレリア・ウィシャス伯爵令嬢への報復を目的としたからである。
それはつまり、今までは綺麗に精算できていた遊び相手の中で唯一、火種となりそうなアリオンを利用して彼女を追い詰めるつもりだったのではないだろうか。
このところ目を向けていた学内派閥の動きからしても、誤った予想ではないと思う。
中等部からの信頼も含めて長々と丁寧に作り上げられたカレリア嬢の遊び場は、急速に崩壊しつつあった。
その留めに使われるのが、アリオンである筈だった。
恐る恐る口にした私に、ミシュリーヌ様はなんだか不思議なことを聞かれた、と示すための仕草として少しだけ眉を上げると、からりとした声音で告げた。
「あら、流石の貴女も、名誉が保たれていないままの男は相手にはしたくないかしら?」
「…………お、お手柔らかにお願いいたします……」
にっこりと、笑顔のままに告げられた言葉に、私はごく自然に、膝を折るようにして淑女の礼を取っていた。懇願を込めてのものだが、別段、通じると思っての振る舞いではない。単に、自身の精神の平穏を得るための、身についた所作である。
ミシュリーヌ様もそれは分かっているのか、あっさりとした声音で「嫌よ」とだけ返ってきた。
思うままに使える手駒がいるのなら、手心を加える必要などない。それはそうだ。当たり前の話である。羽虫の気持ちを慮るなど、それこそ愚か者の振る舞いである。
幸いにも、私もアリオンも、そしてカレリア嬢も、まだ学生の身だ。大抵の――という扱いで済むかは知らないが――瑕疵ならば、若い頃の過ちとして、笑いものになる程度で済むだろう。
ふと、ミシュリーヌ様が窓の外へと目を向ける。話を切り上げるつもりの仕草だった。
そういえば、今日はいつも連れている彼は一緒ではないのだ、とその時になって気づいた。
どうにも彼は、存在感というものが薄い。輝かんばかりの存在感を持つミシュリーヌ様の傍らに立っていると、更に薄くなる。
実際、学園内で回る噂は傍若無人な彼女の振るまいばかりだ。彼の存在が挙げられるのはそれこそ、ミシュリーヌ・シュペルヴィエルの〝従者〟としてか、あるいは、〝犬〟などという心ない呼称として、である。
不躾な呼称が、彼が首元につけている魔導具を揶揄したものであることは理解していた。高慢な振る舞いの公爵令嬢が連れ回す、従順な犬、である。傍目には。
「あの」
「何かしら」
「ウィシャス伯爵令嬢は、一体、彼にどんな言葉を?」
彼という存在を知れば知るほど、その存在感のなさがおかしく思えてならなかった。
ミシュリーヌ様の膨大な魔力を込めた魔導具を身につけておきながら、あの存在感ということは有り得ないのだ。
彼のあの独特の空気感は、何か魔法的な干渉によって引き起こされているものだと思われる。
あとは恐らく、彼自身の性格によって。
ミシュリーヌ様は、先ほどまでの、此方に見せるための分かりやすい仕草ではなく、ほんの僅かに、唇の端を持ち上げるだけの笑みを浮かべた。
「やっぱり貴女、とても目が良いのね。お父様も褒めていらしたわ」
ただ、と言葉が続く。
「私にそれを言わせようとする話運びはよろしくないわね。そういうところよ、貴女」
揶揄い混じりに紡がれた言葉に、私は再度、淑女の礼を取った。
◇
さて。
それからどうなったのか、と言えば。
アリオンは見事に起爆剤としての役目を果たし、その名は瞬く間に学園内に広まった。
詳細は伏せておこう。シェリーには呆れ果てた目で見られるし、「ほら、あれが例の……」とすれ違う令嬢からは不躾な視線を送られているし、あまり、愉快な話ではない。
ただ、ウィシャス伯爵令嬢は、卒業を待たずに南方へ療養のために立ってしまったので、この噂話もそう長くは続かないだろう。
父も母も、近頃は大層忙しくしている。アリオンに対する怒りは収まってはいないようだし、愚かにも程がある醜聞に母は額を押さえていたが、大口の仕事が入ったために、気を回す余裕もなくなっているようだった。
何より、私が婚約者はアリオンのままで構わないと断言したのだから、あとは全てを任せてくれるつもりなのだろう。
ある日の放課後。私はアリオンを、いつかの階段の踊り場に呼び出した。
無視されるかもしれない、と考えていたけれど、彼は思っていたよりも素直に応じてくれた。
野暮ったくみすぼらしい婚約者から解放してくれる筈のお姫様は、もはや物理的にも手の届かないくらいに離れてしまった訳で。彼にはもう、さほど多くの選択肢は残っていない。
もっと上手く遊んでいたのなら、もしかしたら、別のご令嬢が手を差し伸べてくれたかもしれないけれど。
「ねえ、アリオン。どうかしら?」
「……どうって?」
本題に入る気配のない私に、アリオンは以前と同じ――という仕草に努めた様子で、顔をしかめてみせた。
そうすれば、私が勝手に萎縮して、機嫌を取るようにして話を終わらせると知っているのだ。もちろん、私も知っている。今の私はそうはならない、ということを。
「私、今なら貴方に釣り合うと思うわ」
「…………は?」
アリオンは、呆気に取られたように私を見つめた。
何を言われたのか、理解がまるきり追いついていない――というように、その美しい顔を間の抜けた表情に固めている。
アリオンはあんなことがあった後も、変わらず美しいままだった。美貌に翳りを見せることもなければ、授業に欠席することもない。流石のアリオンも状況を理解していない、という訳ではないようだったから、彼の図太さは筋金入りだったということだろう。
その点に関しては、ミシュリーヌ様も、冗談交じりに再評価しているようだった。決して、褒めてはいない。
「それで、貴方はどうするの? 私の予想だと、もう、学生の内にあの方よりも条件のよい方と巡り会える機会はなさそうだけれど」
「…………」
「私で手を打っておくのが一番、いいんじゃないかしら」
「手を打つって……そんな言い方はないだろ」
おかしなことに、アリオンの方が、私を庇うような言葉を吐いていた。そんな言い方はない、と本気で思っているからこそ出た言葉なのだろう。少し前までの私に対しては向けられることのなかった言葉だ。
要するに彼は、真実、正当な評価として、私と自分は釣り合わないという結論に達し、それを突きつけたに過ぎないのだ。本当に、愚かな人である。
「もしも貴方が心から謝ってくれるなら、私はお父様に婚約の継続をお願いしてあげるわ。貴方が良いって伝えてあるもの。でも、此処で謝ってくれないのなら、やっぱり無理だったと泣きつくことにするわ」
困惑しているアリオンを前に、私は、あくまでも笑顔のままで告げた。
「ねえ、アリオン。私たち、もっと話し合いを――いえ、違うわね……そう、喧嘩をするべきだったのよ。お父様とお母様みたいに。私にとって貴方は、たった一度の馬鹿げた過ちで切り捨てる程、小さな存在じゃないのだもの」
アリオンは少しの沈黙の後、やや戸惑ったように眉を寄せた。
「君は一体、僕の何処がそんなに好きなんだ?」
「えっ、か、顔……?」
「顔」
「……顔、です」
初めて言った、と思う。貴方の顔が何より大好きなのだ、と。
だって言いづらい。顔しか見てない女だと思われるのだって、なんだか恥ずかしい気がしていたから。
でも、私が〝綺麗〟になってから、私を見つめる人が増えたように、美しさには価値があるのだ。
真実、存在する価値を前に遠慮などする方が、よほど恥ずかしいのではないだろうか。
「美しく保たれた貴方が好きなの。尊敬すら覚える程にね」
「……じゃあ、僕の美貌が損なわれたら、君は僕に見切りをつけるということか」
「そうね。だからアリオンは、これからずっと頑張らないといけないと思うわ」
「…………君に飽きられないように?」
「そう」
「そんなの、不公平じゃないか」
「あら、私も頑張るのよ。今以上に」
アリオンにとっての私の価値は、ナーウィング家からの資金援助だけだったのだもの。
だから、みすぼらしくて野暮ったい婚約者なんて、それ以上のご令嬢が現れれば捨てても良いと思えたのだ。
彼の中での私は、手放しても構わないと思わせる程度の価値しかなかった。それが怒りを覚えても構わないことだと、許しがたいことなのだと、以前の私は意識も出来ていなかったのだ。
こんな心構えで、一体どんな関係を築くつもりだったというのだろう、私は。
「だって私、貴方との子供が欲しいのだもの」
あけすけな物言いをした私に、アリオンはとうとう、瞬きもしないまま固まってしまった。
この先の一生を捧げるというのはそういうことだ。母は父を支えるために己の時間を捧げることを愛としていたし、父は母の愛に応えるために、己が持つ技術を磨き続けた。
私も愛する人のためにはそうありたいと願っていたけれど、ずっと勇気が出なかった。
けれども、一度その道を歩むと決めたのだから、アリオンにもそうあってほしい。
「釣り合い続けるために、努力を惜しまないと約束するわ。だから貴方も、私以外の女の人に声をかけたりしないで。私たち、婚約者なのよ。貴方は私のものだし、私だって貴方のものだわ」
もしも今の私があの日に戻れたなら、私は即座にアリオンをひっぱたいてやったことだろう。自信も無く、俯いてばかりの私だからこそ侮られた訳で、意味の無い仮定ではあるけれど。
アリオンは、なんだか全てに参ったような顔をして、降参を示すように両手を緩く挙げて見せた。
「…………クロエ、君、なんというか……綺麗になったな」
「そう? ありがとう、とても嬉しいわ」
そうして、謝罪を口にしたアリオンは、私を突き飛ばしたのと同じ位置で、今度は私を抱きしめた。




