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暗躍する救済と断罪3

 闇の中に居た。

 どこを見渡しても、世界の欠片はおろか自分の姿さえも見つけられない。


 ――誰かが泣いている声が聞こえる。


 首を左右に動かし、その姿を見つけようとするがやはり見つける事は出来ない。

 嗚呼、大切な誰かであるはずなのにその姿も、誰であるかも認識できないなんて。


 心に重く圧し掛かる感覚を振り払う事が出来ない。隣に居るのなら、手を伸ばしてその頭を撫でてやりたい。


『――御姉様…御姉様ぁ。』


 声がはっきりと聞こえた、そう思った。

 その途端体の感覚を認識出来た、そこに確かにある己の体。

 視界が閉ざされているのは闇の中に居るからではない、自らが瞼を閉じているからだ。だが、その手を無意識に伸ばすと求めていた感触に触れられた事を感じる。


 まだ、全てを失ったわけではない。


 少女はその意志に従い、現実に戻る事を決意した。閉じこもっているのは、簡単なのだから。


*******************


「御姉様っ!」


 視界情報が流れ込む中で、まず真っ先に耳に届いた声は怯えるような縋るような、弱弱しくも震えた声。金色の頭部が眼前を埋め尽くすように映っていて、何やら首元が息苦しい。どうやら抱き着かれているらしいと自覚する。意識が戻ったばかりだからか、どうにも頭が重い。


「……、パメラ?」


 勢いよく挙がった頭部。その表情は涙でくしゃくしゃになり、歯を食い縛ってどうにか泣き声を抑えようとしている、愛おしい妹の姿があった。目の周りは赤く腫れ、暫く泣き続けていた事が良く分かり、何を考えるよりも早くその頭に左手を伸ばして優しく頭を撫ぜていた。


「ニナ…、良かった、姉様…!!」


 枯れた声で名を自分の名を呼んでくれた妹は震える両手で再び強く己の体を抱きしめた。ニナは無意志にに柔らかく微笑むと、その背をゆっくりと撫で降ろした。


 ――思い出されるのは、この場所に連れてこられてからの話。

 全てを奪われ、生きる為の戦いが始まった、最初の発現と誓いと。


*******************


「ようこそ、『救済と断罪の一派』へ。歓迎致しますわ、可愛らしいお二人。」


 連れてこられた教会で目を覚まさせられ、連れてこられたのは巨大な協会の内部。村を襲ったものと同じような黒い覆面、黒いローブを纏った信徒らしき者達が歓迎すると告げたシスターと、連れてこられた姉妹の間を開けるように左右に広がり整列している。


「御姉様……」


「大丈夫。」


 震える手の感触に自らの手を添えて、黒いセミロング髪の少女は真っ直ぐ正面を睨み付けた。するとシスターは途中で足を止め、僅かに首を傾げながら柔らかな微笑みを浮かべている。


「あら、怯えていらっしゃるのかしら。心配しなくても大丈夫、此処の信徒達も私達も、とても優しいわ。」


 まるで彼女は自分の信徒が何をしたのか知らないかのような口振り。それは金色短髪の少女、妹のパメラには恐怖を植え付け、ニナには強い警戒心を抱かせる事に他ならない。


「お父様とお母様、それに村人の人達は……どこ?」


 一歩引く二人に対して尚も不思議そうに瞬きをするシスターに、ニナは苛立ちを覚える。

何も知らないというのか、二人をこんな物々しい場所に連れて来ておいて。そう食って掛かろうとしたニナに対し、別の方向から声を掛ける者が居た。


「あなた達のお父様なら無事だよ。ただ――彼は罪を犯した。今は地下で大人しくしてもらっているけれど、いずれ裁きを受けなければならない。規則を破ったからね。」


 オレンジ色のツインテールの髪を揺らす白いベレー帽子を被った少女。片手で開いて持った本を開き、ページを捲りながら聞き捨てならない言葉を耳にした。


――お父様が無事で、裁きを受ける…?


 裁きとは何だろうか。しかしながら、燃え盛る村の光景を目にした以上、何を意味しているのかは想像出来てしまう。パメラを後ろに下げたまま抑えた手がその恐怖に怯え震える。その様子を悟ったパメラは、同じくらい怯えた声色で「お姉様、お父様、達は…?」と問い掛けて来るものだから、余計にその表情を強張らせた。大丈夫だと言って安心させたいのに、言葉が出てこない。


「ボク達『救済と断罪の一派』は、咎人の罪を聞き、断罪し、救済を行う一団。貴女達の父親も例外ではない。そしてそんな娘である君達もまた――」


 オレンジ髪の少女が言葉を終えるより前に背筋に悪寒が走る。それは得たいのしれないものだ、今までに感じたことのない、ただただ暗い、恐ろしい闇の感触。

 パメラもまたその感覚を共有したらしく、背後で「ひっ」という短い悲鳴を零したのを聞いた。


(……どうしたら。お父様から授かった力を使う?ダメ、約束を破る事になってしまう。)


 頬に冷や汗を浮かばせ、一歩後ろに下がりながらもパメラだけは守ろうとするように真っ直ぐオレンジ色の少女を見据えた。


「良い目だ。ボクは救済と断罪の一派、審問官担当コンヴィンツィオーネ・プレスティ。」


「私は教祖という立場を頂いております、サルヴァツィオーネ・プレスティ。」


 コンヴィツィオーネはツインテールの少女が名乗り、サルヴァツィオーネはシスターの女性が名乗りを挙げた。優雅に腕を前に回し、上体を折り曲げて見せる二人の仕草だが、それは安心するどころか、危機感を強めるばかりだった。


「さあ、君達の罪を聞こう。審判の時間――」


「お待ちいただこう、審問官殿。」


 狂気のような笑みを浮かびかけた、コンヴィツィオーネの表情が時間が止まったように固まった。それは本当に、予想もしていない方向からの声だったらしく、徐々にその表情は狂気から戸惑いに染まっていくのが目に見えてわかる。

 足音を立てて、数歩前に出るのは信徒の黒いローブを纏った者だった。他の信徒と違うのは、怪しげな黒い覆面を被らず、白髪で年老いた男性の顔立ち。片手には真っ黒な本を抱え、静かに口元を緩ませて瞼を細めたまま一度ニナとパメラに視線を送ってから振り返り、コンヴィツィオーネとサルヴァツィオーネに視線を向けて腕を前に回し、一礼してから言葉を紡ぎ始めた。


「突然の申し出、失礼致しました。――彼女達の断罪と救済はお待ち頂きたい。」


 優し気な声色で語る年老いた男性。その両腕を大袈裟に広げながら、まるで二人を守るように仁王立ちをする男性。そんな彼にコンヴィツィオーネはいつしか心の底から嫌そうな表情を浮かべ、サルヴァツィオーネは柔らかな微笑みを浮かべたまま微かに首を傾げて見せていた。

 ニナはそんな彼の背を見ても、決して安心感は抱けず見据え続ける。助けようとしてくれた、確かにそう見えなくもないが本質は全く異なるものだと、直感が思考へ警告を訴え続けている。


「……聞こうか、司祭ペンシェロ・マーレ。」


 心の底から嫌そうに、コンヴィツィオーネは本を閉じ、脇に抱え直すとペンシェロと呼んだ男に視線を向けた。それは威圧的というよりも、敵意。彼女達の間に何かがあったのかわからないが、少なくとも彼の登場を喜んでいない事は確かだ。


「お言葉に甘えましょう、審問官殿。――彼女達はそもそもにおいて罪を犯した訳ではありません。聞くところによればこの二人は母親に連れられてかの父親と共に暮らしていたのだとか。」


 脇に抱えていた本を広げると、ペンシェロはどこで知ったのか記録らしきものを読み上げ始める。嘘はない、事実その通りである。尤も、父親が罪を犯して追われている身なのだとニナもパメラもついさっき、初めて知ったのだが。

 そんな二人に振り返る事無く彼は感情をわざとらしく載せるような口調で語らう。


「彼女達は謂わば被害者!咎人を匿っていた村人の反撃に遭い、多くの血が流れてしまいましたがこの二人は関係などありません。巻き込まれただけです、我々はそんな彼女達を保護した立場であり、裁く理由がどこにありましょう?」


 気付くとパメラは震えを止めて彼の言葉を聞いていた。ニナは、それはダメだ、と口にしたかったがそれは逆に反感を買う事になりかねず、さらにパメラを戸惑わせる事になる。鵜呑みにしてはならない、他人を無条件で信じてはならないと認識しているニナと他人を、多少でも良い雰囲気を見せれば信じてしまうパメラでは認識が大きく異なっていた。


「裁く理由はあるよ。そもそも考えてみたまえ、ペンシェロ。彼女達は罪を犯した彼の、仮とは言え娘だったのだ。知っている、知っていないの問題ではない。その関係を受け入れていた事が問題なんだ。罪の穢れは彼女達を侵食している、その穢れを落とす事こそがボク達の使命だという事を忘れたのかい。」


 苛立つように協会の床を踏み付け一歩前に出るコンヴィツィオーネ。それが全てであり、その存在意義を否定されたことに怒りを覚えたかのように、声調も強く両腕を震わせているように見えた。だがそんな彼女の様子を意に介さない様子でペンシェロは首を傾け、こう続ける。


「それは彼女達の信仰にて補う、という形はどうでしょう?」


 途端、食って掛かろうとしていたコンヴィツィオーネの動きが止まり、今まで口を開いていなかったサルヴァツィオーネをも息を呑ませた。


「元々罪のない者を裁いたところで、カラヴェルナ様はお喜びにはなられないでしょう。いつも精々普段やっている事を代用品で行ったと思われるに過ぎません。――でしたら、彼女達には信仰を示して頂き、その信仰の度合い次第では彼女等の父親の罪を不問とする、というのは。つまり――罪の清算を肩代わりしてもらうのです。彼女達も自らの父親が救われるのであれば本望なのではありませんか、な?」


 不意に振り返り、柔らかな笑みを張り付けた男が視線を向けてきた。――コンヴィツィオーネの審判をするという言葉を聞いた時以上の悪寒。その理由がわからないが、受け入れてしまえば何か取り返しのつかない事になるような、そんな感覚がニナを襲っている。だが、その感覚は、横から顔を出したパメラの言葉に一瞬にして霧散した。


「………、私達が頑張れば、お父様達を解放してくれるという、事ですか?」


 止める間も無い。

 彼女の言葉に、ペンシェロは一瞬歪んだ笑みを浮かべたのを、ニナは見逃さなかったが――それ以上、何かの行動を起こす事も出来なかった。


「勝手に話を進めるんじゃない、ペンシェロ。信仰を示すというならば手段が必要だ、どうやって信仰を示させる?それが無いなら、」


「ありますとも。」


 否定はさせまいというように、ペンシェロは言葉を挟み込んだ。


「断罪と救済の一派……残念ながら、全ての信徒が正しく信仰を示しているわけではなく、各地に外道へ落ちた者達が存在します。その全てをこの場に連れ戻し、審判し断罪する事など叶いません。――そこで、彼女達には執行者となって頂き、我らの手が届かない咎人を断罪していただくのです。」


 姉妹から目を離すとコンヴィツィオーネに視線を向け、尚も笑みを深めるペンシェロ。尚も彼女は表情を引き攣らせたまま僅かに首を傾げ疑う視線を続け、


「私達に代わって断罪……?そのようなことは……」


 納得がいかない。そんな様子だった。だがその言葉に力が無い、意志が折られたというよりは、


「それでいいのか、ですかな?確かに『救済』に至るには過程が必要ですが、それは『救済』されるべき者達にだけ適用される事ですし、咎人達はその仮定を途中で放棄した罪深き者達です。そんな者達を正式な儀式の元カラヴェルナ様の元へ送ったところで受け入れて等いただけませんよ。」


 先程から出るカラヴェルナという名前は、彼らが信仰する神か何かなのだろう。ニナは、いやパメラもその話にはついていけておらず、得体の知れない会話が進められていると知っている。知っているが、対して彼女達が口を挟む隙は、そこにはない。


「…………仮に、仮にそうだとして。執行者などという者を世に放つという事は今まで以上にこの一派に向けられる目が厳しい物になるという事でしょう。事を荒立てずそのような事を行える、そんな技量がそんな少女達にあるとでも?」


「それについては――」


 コンヴィツィオーネの問いに対してペンシェロが答えようとした途端。不意に協会のどこかの扉が乱暴に開かれる音が聞こえた。

 皆が一斉に振り返ると、その音の主は正門たる出入り口ではない。協会の脇にある、柱の影に隠れていた扉のようだった。何者かが扉を開いて出てきたのだ。


 その人物は体中に血を滲ませ、瞳孔は開き、荒い吐息を零しながら覚束ない足取りで協会の祭壇への道へと立ち、止まった。


「………。」


 正気ではない。誰もがこの時、それを理解し、危険性を感じ取ったのではないだろうか。咄嗟にニナはパメラの前に立ち、男の視界から妹の姿を隠す。


「ペンシェロ、まさか君は。」


「はて何の事でしょう。――然し、彼女達の力を見るには絶好の機会かと?」


 背後で交わされる会話。何の事か全くわからない、一体何を試そうと言うのだろう。


「姉様、ダメです!危ないですよ…っ!」


 さすがのパメラも状況を理解したらしく、逃げようと服の袖と掴んで引っ張ってくる。言われるまでもなく危ないという事は、ニナであってもよくわかる。だからこそどうしたらいいのか思考を巡らせているし、大前提として妹だけは守りたいという気持ちに抗えない。


「うう、うううう………!」


 血に濡れた両手に力が入るのが見える。目が確実に、ニナ達の姿を捉えた。

 周囲に立っている信徒達は淡々とその姿を見ているだけ。まるで、儀式か何かでも見るかのように。助けなど、ここには無いのだ。


(司祭の人が言ってた。――力を、見る?あの人は私達の力を知っているの?どうして、お父様とお母様しか知らない筈の秘密を、どうして。)


 思考が混濁する。わからない事だらけだ。そして今、あの司祭がやらせようとしているのは己の力を使わせる事だと、認識出来た。

 しかし使えない。あの力だけは、使ってはいけない。父との約束は絶対だ、破る事など出来るものか。


 そんな行動を躊躇ったニナは。直後に動き出して人外染みた足取りで距離を詰め己の首を掴もうとしていた狂気の男に反応が遅れ、目を見開いた。

 己の首が掴まれ、へし折られる。そんな光景を想像した。

一向に、その光景が来る事は無く。代わりに別の誰かが、親しい者の誰かが、妹が。


 その首を掴まれ、宙に持ち上げられている光景が広がっていた。


「……ぁ、ぐ……」


「ぱ、め……ら?」


 気付けばニナは床に引き倒され、尻餅を着く形で座り込んでいた。何が起きたのか即座に理解できず、硬直していた。首を掴まれ、男の手を引き剥がそうと必死にもがいている妹を前に、――何を躊躇っているのか。


(――ごめんなさいお父様、約束を守れそうにありません。)


 気配が変わったと司祭は気付く。

 目付きが変わったと信徒達は見た。


 弱弱しい動きながら立ち上がった黒い少女はその死神を思わせる漆黒の瞳は男だけを見据え、光を寄せ付けない黒い髪はさらに黒く染まりあがり、青色の肩出しをした長袖シャツに黒い魔力が宿り、その力が僅かな風を引き起こして黒いスカートを靡かせ、黒い影が両足に履いたニーソックスに絡みつき、やがて。

後方に降ろした右手の平に黒い影が収束。刀のような形を形成し、それが完成するよりも早くニナは地を蹴った。

 黒い眼光が走り、男の側面へと駆った彼女の動きを、信徒達は追えない。男も追えておらず、遅れて視線を向けるがそれは遅すぎる。黒刀を右下から振り上げるようにして妹の首を掴む腕に黒を走らせる。血が流れ落ち、妹が崩れ落ちるよりも早くその動きのままに懐に入り込んだニナは刃を滑らせるように男の胴へと横薙ぎに切り付け、留まらない。

 黒い一閃が足の付け根に走り、斜めに左に構えた刀で胴を斜め右上へと切り上げ、さらに右後方へろ振り下ろした勢いで右下から左上へと斬り付ける。

 そこで漸く、男の体に異常が生じる。


 切り裂かれた手首は切断され、血を撒き散らすだろうと思われた。その血が二人を汚すものだと思われた。だが手首が切断された途端男の体は後方に大きくバランスを崩し、吹き飛び、その左足を失ってニナ達から離れた場所で仰向けに倒れた。


「ご……ぁあああ……!?」


 激痛に、何が起きたかもわからない驚愕に男は悲鳴をあげ、どうにか立ち上がって逃れようとでもしたのか身を捩った。だが、それで彼の行動は終わる。それ以上、動けずにいる。


「はぁ、はぁ………あ?私、私、は?」


 直後、ニナは我に返る。足元には切断した男の手首。力尽きて地に倒れ伏している妹。

眼前には血を流し、苦しみ呻く男、足と手首を失い痛みと共に満足に動けない男の姿。

 恐ろしい事をしたと気付くのに時間は要らなかった。無意識に手放した黒い刀は消滅し、表情を恐怖に引き攣らせたニナは自らの顔を抑え、何とか崩れ落ちそうになるのを堪えるが、足が痙攣するように震えている。


 人を斬った。それも、何の迷いも無く。


「素晴らしい、素晴らしいではありませんか。ねえ、コンヴィ様?」


 意識の遠くで歓喜を隠しきれない男の声が響く。いつしか呼び方まで変わっていたが、ニナはその声の変化に気付けない。気付いていても、反応する余裕もない。思考が真っ白に染まり、震えて、震えていて、動けない。


「誰がその名で呼ぶことを許可した。……あの力はなんだい、ペンシェロ。ボクはあんな力は知らないぞ。」


 怒りを押し殺した震える声を発しながら、コンヴィと呼ばれたコンヴィツィオーネは鋭い視線をペンシェロに向けたまま問いを投げかけた。

満足げにペンシェロは笑みを浮かべながら身を翻し、地に伏した妹と、立ち尽くしたまま動かない姉を見据えて答えを発す。


「詳しい事は私には何も。しかし古き書物において――黒き魔の力と呼ばれる物が存在します。外道魔術の類ですが、過去には武器を所持せず武器を所有出来る事から暗殺術として用いられた事があるそうです。通称では影の魔法と呼ばれ、体に纏わりつかせる事で身体能力を大幅に高めるのだとか。……まさに、まさにその名の通りの力ですねえ。素人の実力とは思えません。」


 黒き魔の力。その概要を語って再びコンヴィへと振り返ると狂気的な笑みを浮かべるペンシェロ。


「何の技術も持たない子供がこれだけの実力を持つのです。頼り甲斐ならばあると思いませんか?」


「……ち。」


 舌打ちをしてコンヴィはついに身を引こうとするが、彼女の視界で動いた影に「おい!」と声を挙げる。戻された意識の中で、震える両手に目を落としていたニナが徐に顔を挙げると。


 地を這い、片腕だけで身を引き、血の流れる手足を引き摺ってニナに迫ろうとしている信徒だった男が居た。その目は相変わらず生気が無く、吐き出す声にも人らしい意識が感じられない。

だが、わかる。彼は恨んでいるのだ。己を切り刻んだこの娘を――ニナ自身を。


「あ……や、だ……。」


 先程のような勢いなど、戦意などもう出てこない。刀の生み出し方を、イメージする事が出来ない。

 表情は恐怖に強張っている。もう気丈を振る舞う事も出来ない。


「ペンシェロ、早く彼女を――ペンシェロ?」


「ふ、ふふふ……このまま抵抗できないならばそれまでです。妹に深い悔恨を抱かせて絶望のまま死ぬ魂というのも…くふ。」


 小さな声色だ。回りの信徒にも聞こえないように、わざと声量を落としている。悪意を包み隠さず発している彼を睨み、コンヴィはそれ以上の言葉を発する事が出来なかった。


 手が伸ばされる。

 ニナの足を掴もうと伸びて来る。咄嗟に逃れようと後退するとバランスを崩して尻餅を着いた。

 狂気に満ちた男の手がニナの細い首へと延びていく。もう、逃れられない。


(――私が、力を使ったから。ああ、私のせい、これは、私の)


「ニナに触るなァ――――ッッ!!」


 不意に。

 黒い雨のようなものが眼前に降り注いだ。

 それは閃光。ニナが刀を使って放った黒い一閃と、全く同じ輝き。男の伸びた手が細切れになり血を飛び散らして爆ぜた。

 反射的に瞼を閉じたお陰で視界を閉ざされる事は無かったが、腕を突然消失させられた男はうめき声とも悲鳴ともわからない声を挙げながら身を逸らしし、歯を何度も叩き付けて痛みに耐えようとしていたが、その男に飛び掛かるように影が飛び出し、黒い大きな棒のようなものが横薙ぎに振るわれ、男の頭を打ち付けて大きく後方へと弾き飛ばされていった。


「……ぁ。」


「ニナは……お姉様は私が守る…守ります!」


 正面に立ち、大きな棒を振り下ろして身構えた金色髪の少女、パメラ。紫色のケープを肩に掛け、白いセーターは倒れたりした影響で少々薄汚れている。紺のロングズボンも所々傷んでいる様子で泥だらけであるが、それ故に彼女の両手に握る黒い大きな鎌は、一層彼女を浮き立たせる。


「見たでしょう、聖女様、審判官様。これほどの力なのです、この二人は裁きの力に選ばれている!この力で罪に逃れた者達を断罪出来たなら、カラヴェルナ様も信仰をお認めになる事でしょう!」


 彼の声に賛同するかのように、周囲に下がっていた信徒達も歓喜の声を挙げている。

そこで漸く我に返ったらしいパメラは鎌から手を放して慌てて振り返り、ニナへと飛びついた。


「パメラ……っ?」


「無事ですか、お姉様無事なんですか?無事なら、無事なら良かったです…よかったですよ…!」


 男に留めを刺す事はせず、ニナを抱きしめ涙声を零すパメラ。そこでニナも、意識を引き戻す事が出来た。

 怖がって動けなくなったのはニナだけではない。震えているパメラの体を抱きしめながら、遅ればせながらも気付く事が出来、震えが止まった。守られているわけにはいかない、私が妹を守らなければ――そう思って前を向くと。


 もはや致命傷の男は再び這い、背後からパメラへと迫ろうとしていた。

 その気配に気付き振り返った彼女は表情を凍り付かせ、声にならない悲鳴をあげようとして息を零し、迫る男が彼女の右足を噛み砕こうと――


「遅くなってしまってごめんなさい。もう貴方は贖罪を終えていたのですね――今、救って差し上げますわ。」


 そんな二人の間に。

緩やかに踏み入り、男が噛み付こうとした首に腕を回し、優しく抱き締めるシスターの姿があった。

 彼女は青白い不気味な輝きを宿す長髪を黒いベールの下から溢れさせ、靡かせている。紫色の瞳は死神を想像させるが、優しく慈愛に満ちた視線で男を見据えている。黒い修道服姿 首元から胸上にかけて白い色で染まっており、その上に赤い血のような色で鎖のようなものが襟の形に添って刺繡された姿。そんな彼女の両手は優しく男性を抱きしめ続け、何かが凍り付くような音と共に男性の体の動きが鈍くなってゆく。


「………。」


「これ、って。」


 パメラはそんなサルヴァツィオーネに魅入っていて、ニナはその光景にただ驚愕している。


「それが『救済』。贖罪を終えた信徒だけに与えられる救いです。安らかに眠り、カラヴェルナ様の元へ送られる。」


 やがて、サルヴァツィオーネに抱かれた男性は事切れ、動かなくなる。暫く抱きしめていた彼女は男をゆっくりと地へと寝かせ、小さく吐息を零して振り返った。


「最後にはこのように救いを受ける者も居ます。ですが、自らの罪に向き合えず逃げ出してしまう信徒だったものもまた、居るのです。私はそんな者達を救いに行く事が出来ません。」


 浮かべる柔らかな微笑みの中に悔しさを滲ませるサルヴァツィオーネ。そんな彼女に同情したい気持ちが微かに芽生えたが、ニナはそれに違和感を感じる。そもそも、彼らには誰を連れていかれた。


「え、とえと。聖女様。………パメラ達は、お力になれる、ですか?」


「パメラ!?」


 咄嗟に名を呼ぶが、パメラはニナの方を向かない。――向いてくれない。


「勿論。貴女達には素晴らしいお力がある様子。まるで、カラヴェルナ様が私達の苦悩に気付き手を差し伸べてくれたかのよう。……貴女達さえ良ければ、私達の執行者として信仰を紡いでくださいませんか?」


 その、狂気のある筈の――天使のような笑みに、パメラもつられて微笑み、ニナもまた、渋々に頷いていた。


「お任せくださいっ、パメラと姉様、二人が居れば不可能なんてありません!」


「……そうね、お父様達を助けるにも、結局頑張らなければならないのだものね。」


 そうだ、仕方のないことだとニナは納得した。違和感なんてあるとしても、選択する項目はそもそも一つしかない、選べない。ならば彼女に協力して、少しでも父を救う為に尽力するべきなのだ。

 ニナはそれにこうも思う。パメラさえ居れば、恐れるものなど何もないのだと。


「ふふ、あは。とても嬉しい……なんて幸運な日なのでしょう。あなた達との出会いに、カラヴェルナ様に感謝を――。」


 こうして、救済と断罪の一派に新たな姉妹が混ざり込んだ。――以降、彼女達は執行姉妹として逃れた信徒への救済を下す者となった。


*******************


「――ペンシェロ、彼女達に『強制信仰』を付与したね?」


 今や執行姉妹と姉であるサルヴァツィオーネは互いに共感し合い、抱きしめ合っている。その光景を微笑ましくなど見て居られず、コンヴィは腕を組み未だに不気味に笑い続けるペンシェロに視線を向けていた。


「物事を円滑に進ませる為ですよ、審判官様。これで外部に逃れた裏切者達の処分も円滑に進む事でしょう。――私の『強制信仰』は他者への害意等あらゆる違和感を持つ事柄を有耶無耶にする力がございます。彼女達に要求するには人格ではなく力、そうでしょう?」


「下種。」


 ペンシェロの回答に短く評価を下して視線を逸らしその場を立ち去ろうとするコンヴィ。だがその後ろ髪を引くように、


「お待ちください。まだ報告せねばならない事があります。――此方の方が重要ですので、よろしければ耳を傾けて頂きたいのですが。」


 その言葉を無視して立ち去れる程、コンヴィは彼の言葉を軽視していない。故に足を止め、背を向けたまま「報告を。」と再度短く告げた。


「では。――カラヴェルナ様と酷似した力を持った者と信徒の一部が接触。戦闘した信徒は全滅致しました。無論、『知覚』の力を用いた上ででございます。」


 瞬間、コンヴィは反射的な程に素早く振り返り、数歩近寄ってからその表情を引き攣らせ、ペンシェロを睨み付けた。

彼に対して信頼しているとは言えない。しかしながら、彼がつく嘘にも種類があるものと認識している。それ故、彼の今発した言葉は嘘かのように思いはした。だが、彼は微笑んではいるものの、その瞳は決して穏やかなものではない事に気付き――嘘だと断じる事を止めた。


「……、報告はそれだけ?」


「いいえ。その接触した存在にもう一人、魔力的関与を及ぼした存在が居るようです。その正体までは掴めませんが……恐らく、偽フィアンマの一部とはまた別の、同族かと。」


 続いた言葉にコンヴィは表情をさらに引きつらせるものの、それは怒りだとか悲しみだとかの感情ではない。焦りだ、それらの存在がまだ別にもこの世に現れているという可能性への、焦り。


「まさか、本物だなんて事は」


「在り得ません。似たような力があったとしてもそれは偽物、まやかしです。――ただ、強大な力を発揮する恐れがある事も事実。既に『黒き魔の者』にその存在の気配を追わせています。」


 ペンシェロが言葉を否定しつつも、続けた言葉を聞くとコンヴィはその表情を和らげた。『黒き魔の者』という存在は、ある意味そう言った存在に対抗する為の存在である。帝国より秘密裏に、ペンシェロが開発させていた対魔法生命体用に作られた、ただ一匹の成功体。その存在は――かつて最初に接触した偽フィアンマの名乗っていた『魔女』を狩る存在であらゆる魔法的攻撃を吸収し、魔法生命体を取り込み、力を蓄えるが意志が無いので忠実な怪物。

 それが追っているということは、偽フィアンマは愚か偽カラヴェルナであろうと敵ではない。


「ただ……ここ暫くそういった存在の出現の観測がされる事が多い。出来れば偽カラヴェルナ様の方は確保したいところですね。」


「それは許されない事だ。お前が、例え姉様の命を握っていたとしてもだ。」


 声を張り上げる事はせず、ペンシェロの意見を一蹴する。

 姉の命を握っていようとも――その言葉を聞いてペンシェロは満足気に、不気味に笑みを浮かべた。


「わかっていますよ、少なくとも私は新たな『贄』を得る手段を得ています。これ以上望むのは傲慢というもの。今は退散しますが……いずれ、その存在を知っておく事は、いつか来る未来への糸口になるやもしれませんよ?」


 それを最後に、瞬きとした途端ペンシェロの姿は消失した。それ以上の問答を続ける気はないという事なのだろう。コンヴィは「勝手な奴だね、本当に」と溜息を零しながら、再び姉妹と、己の姉へ視線を向けて物思いを浮かべた。


「……いつか来る未来。ボクは姉様を。」


 コンヴィはそれ以上の言葉を紡ぐ事はなかった。

 だが、ただ。ペンシェロの残した最後の言葉が胸の奥底でくすぶっている事を――今はただ、誤魔化していた。

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