プレゼンテーションです!
「い、以上が、この街の現状です……」
賢者がおどおどと話し終えた。先日、老人の家で褐色娘が言っていた内容だ。大きな図面などを使ってわかりやすくしている。
場所は街で一番大きな酒場だ。中央に一段高くなった舞台が設置されていて、昔はそこで踊り子が踊ったりちょっとした演劇が行われたりしていたようだ。賢者が話しているのはその舞台の上だった。
褐色娘は隅のほうからそれを見守っていた。ここしばらく、賢者はずっとこの街の再建計画を考えていた。褐色娘も相談を受けたり一緒に考えたりしていた。だから賢者がどれだけ頑張っていたかを一番よく知っていた。
酒場の中には何十人もの人間があつまっていた。この街のどこにこんなに人がいたのだろうか。大勢の人たちが深刻な顔をして賢者の話を聞いていた。
老人が街の住人に呼びかけて人を集めてくれたのだ。老人は権力者というわけではないが、古くからこの街に住んでいるためにいろいろなところに顔がきくようだった。さらに、賢者自身も街の名士たちに頼み込んだ。なにかと残念な人物であるものの、あれでも一応『救世の賢者』なのだ。こういったときには名前の力が役に立つ。話は二の次に街を訪れた英雄さまをひと目見ようという人間も多かった。
集まりの趣旨を細かく説明しなかったのもあって、最初はほんとうに『賢者様を囲む会』といった雰囲気でなごやかに始まった。テーブルには賢者が自腹で用意した食べ物や酒が並べられていった。勇者一行がこの街にたちよったことは街の人間にはもう語りぐさになっていたようだ。最初に賢者が壇上でそのことについて礼を述べると、会場はいっせいに盛り上がりを見せた。
だが、賢者が話を始めると少しずつ、少しずつ人々の顔が暗くなっていった。
この街の現状分析である。なぜ人が来なくなったのか。どうしてモノが集まらなくなったのか。いかにこの街が宿場町として終わっているか。そういうことを切々と賢者は語り続けた。
街の者たちのなかにも理解していた者はいたようだった。とくに、町長や商会の番頭など名士と呼ばれるような人物は諦めたような表情で聞いていた。今、この街にまだ残っているのは土地や家屋、身分や仕事などがあり離れたくても離れられない人間か、底抜けの間抜けのどちらかだ。土地や財産があるような人間は世の中の動きにも敏感だ。ちょっと賢い商人の小娘が気づいたことなどとっくに理解している。ただ、背負っている物が多い人間はそれだけ身動きもしにくい。
褐色娘が気分で賢者についてこれるのも、何も持っているものがないからだ。褐色娘がこの街の商人だったらとっくに別の街に行っているだろう。身軽にどこにでもいけるのは褐色娘が若く幼いからだ。責任と過去のある大人は気軽には動けるものではない。
救われないのが間抜けたちの方だった。街に人がこなくなったのを一時的なことだと思っていた者たち。冬の寒さや夏の日照りと同様に、そのうち通りすぎていくものだと信じていた者たち。青ざめたり赤くなったりとそれぞれに複雑な表情をして賢者の話を聞いている。老人と同じように農業をやりながら民宿をやっている者。酒場や商店の主。そこで働いている丁稚たち。
彼らは別に悪くはない。無能でもない。怠惰でもないだろう。世の中の動きに鈍感だというだけだ。それは別に罪ではない。山間の宿場町でほそぼそと生計を立てていくのには、それほど必要のないことなのだ。
褐色娘は行商人として長く生きてきたし、傭兵団という多様な人間が集まる場所で働いていた。だから、この世界が常に流動している不安定なものだと知っている。その流れを見極めるのが世の中をうまく渡っていくコツだと理解している。それは商人や傭兵のような浮き草稼業でこそ必要なものだ。半農で宿屋をやっているような堅い地盤の上にいる人間にはそれほど必要がない。
だが、これからはそうは言っていられない。今は魔王が倒れたことで世界中の流れが大きく変化している。この街はその激流のなかで取り残された小石のようなものだ。このままでは流されるままに消えていくしかない。
「そ、それでは、ここからが本題です。私はこの街に対して一つの提案があります」
賢者はそれからこの街を救おうと、彼女なりの計画を立ててきた。
「この街に宿場街としての魅力がもうないということはご理解いただけたかと思います。私が呪文で山をふっ飛ばしでもしないかぎりもう、商人さんたちはこの街道をすすんで使おうとは思わないでしょう」
「じゃあどうしろってんだ!」
つきつけられた現実に、たまりかねた町人のひとりが声を荒げた。すぐに周囲から諌められていたが、酒場の空気は変わらなかった。それは、勇者たちの活躍のせいでこうなったという事実が作っていたのかもしれない。
「こほん。そ、それでは続けます。これまで、この街が発展してきたのは宿場町としてです。この街に来ていたお客さんは、この街そのものに用があったというよりは他の場所に向かう『経由地』として訪れていたのです。お客さんが来なくなったのは、もっと便利な道が他にできたからですね」
賢者は聴衆の反応に驚いて言葉を選んで話しているようだった。褐色娘はしばらく行動を共にしたからわかってきたが、あの賢者は博識で世界中を旅しているはずなのになぜか人見知りで世間知らずなところがある。こういった場所で話すのはあまり好きではないようだ。
今回も話すのは他の人間にまかせてもいいのではと話したのだが、賢者は自分がやると言い切った。あの賢者はヘタレだが責任感はあるのだ。
「逆転の発想です。この街を『目的地』にしてしまいましょう。どこかに行く中継地点じゃなく、ここに来るために街道を使うようにしてやればいいんです。この街自体に魅力があれば、あとはなんとかなります。街道はしっかり整備されています。道を作るのにはけっこう時間もお金もかかるものです。それに人は減りましたけど建物なんかの設備は残っています。人が戻ってくるのに時間はかからないとおもいます」
「で、では賢者さま。どのようなお考えがあるのでしょうか?」
「はい。それじゃあ本題です。この街は昔は農村だったと聞いています。今も宿屋をやりながら畑をやっている方も多いみたいですね。周りにはまだ畑にできそうな土地がたくさんあります。
私は、農業での町おこしを提案します!」
これが賢者の考えだった。もともとは農村だった街だ。このまま人が少なくなれば元通りの農村に戻るだろう。それを大規模なものにするだけだ。
「食べ物がたくさん出来れば、それを買い付けに来る商人さんは絶対に来ます。これからの時代は魔物や怪物が少なくなって世界的に人口が多くなるでしょう。食べ物がどんどん必要になるはずです」
「な、なるほど。もっともなお話です」
「もうすでにいろんな商会の事務所がこの街にはあります。商人さんが集まるようになれば自然と経済も活発になるはずです。ゼロから作るよりも絶対にこの街は復活するのが早いはずです」
褐色娘は大きく頷いた。父親もそうだったが、行商人は空の馬車を何よりも嫌う。移動中の馬車の餌代はしっかりかかるし、時は金なりという格言は世界中の商人が愛する言葉だ。買い付けにいくときだろうが巡礼に行くときだろうが、何か売れるものを積み込んで売ろうとするのが正しいありかただ。農作物を買いに来る商人は何か別のものを積んでやってきて、ここで売りさばいて農作物を積んで帰るようになるだろう。
賢者の話はまだ続く。どうやら話しているうちにノってきたようだ。知識人は自分の知識を聴かせるのが好きなものである。
「農業を主産業にする利点はほかにもあります。この街からなんでこんなにいっきに人が減ったかわかりますか? それはですね、宿場町だからです。ここには建物はたくさんありますが、利用していたのは旅人さんや商人さん、あとは傭兵のみなさんなんかがほとんどだったでしょう? その人たちにとってここは通過点であって住む場所じゃあありません。その人たちが来なくなって、この街の純粋な住人だけになっちゃったからです。宿場町は一見すると人がたくさんいるように見えますが、実際の人口となると以外と少ないんです。
農業を盛んにすればこうはなりません。畑には人手が必要ですからね。定住人口が増えます。人口が増えればそれだけ街として活発になります。何かあっても、今回のように一気に廃れるということがなくなるのです」
利用客に頼った宿場町では、今回のように廃れるのも早い。だが、別の基幹となる産業があれば街としての強度が上がる。
ここまでは褐色娘も噛んでいたアイディアだった。いや、褐色娘にはこれだけの計画を練る知識はない。褐色娘にあるのはあくまでその場を凌ぐ知恵であって体系化された知識には乏しいのだ。知識はあるが実践的な知恵が足りない賢者の、文字通り知恵袋としてたまに意見を聞かれたくらいのものだった。
「えー、皆さんのテーブルの上にある料理をご覧ください」
賢者は唐突にそんなことを言い出した。褐色娘は自分の出番がきたとあわてて準備をする。大きなカゴを持って賢者のいる舞台に後ろ手から上がる。
会場のテーブルの上には何種類もの料理の皿が並べられていた。焼いたイモ。豆とトマトのスープ。平焼きのパイのようなもの。ワインなども並べられていた。
「見慣れない料理に驚かれた方も多いかもしれませんね。お味はどうでしたか?」
住人たちの反応はまずまずといったところだった。宿場町という、人や物が行き交う場所柄もあるだろう。閉鎖的な土地ではいくら美味だから、安いからといっても見たこともない食べ物や料理は受け付けないことも多い。文化的に特定のモノを食べないという人種もいる。褐色娘のいた傭兵隊には、東の騎馬民族の戦士がいた。彼の部族では魚を神と崇めているそうで、どんなことがあっても魚だけは口にしようとしなかった。いろんな文化の入ってくる土地ではそういうことも少ない。
褐色娘は賢者にカゴを差し出した。賢者は、カゴのなかから幾つかの野菜を取り出す。
「はい。個人的には私はおイモさんが好きです。それはそうとして、今日の料理に使った野菜には共通点があります。それはですね、荒地や痩せた土地でも育ちやすいということです」
住人たち、特に農業をやっている者たちがおぉと声を上げた。
「この街は山に囲まれているというだけあって、周囲には畑に適した土地よりは荒地のような土地が多いです。こういう土地柄でも十分に育つ作物を、私が世界中から集めてきました」
計画がだいたい決まってから、賢者は《転移》の魔法で世界中を飛び回っていた。各地で荒地に強い作物を片っ端から集めてきたのだ。褐色娘もそれについていったが、本当に世界中だった。それなりに世間をしっていると思っていたのだが、自分が知っている世界などたかが知れていると思い知らされた。
これは完全に賢者一人のアイディアだった。この賢者はとにかく新しいもの好きで珍しいものも大好きだ。せっかく新しく農業を興すのならば、世界中からいろんな作物をかき集めてくればきっと新しい料理が生まれるに違いないと力説していた。
それはそうとして新しいものや珍しいものを作るのは褐色娘も賛成だった。新しいものも珍しいものもうまく捌けば金になる。この街が独自の強みを得るのには役に立つはずだ。
「まずおイモですね。これは最近よく流通しているので知っている方も多いとおもいます。栽培が容易で痩せた土地でも育つそうで、西の国では国をあげて作っているようです。赤い色をした甘いのもおイモです。種類は違いますが、これも同じように栽培が容易だそうです。こちらは南の大陸で見つけてきました」
ジャガイモはすでに普通に出回っている作物だ。とにかく寒かろうが痩せた土地だろうが育つ。このあたりではまだ栽培が一般的ではないようだが、西の国では麦畑をつぶしてまで作っているところもある。赤いイモ-サツマイモは褐色娘も初めて見た。ジャガイモと違ってほのかに甘みのようなものがあり、賢者も褐色娘もこちらのイモのほうが好みであった。
「次は豆です。これもお馴染みですね。今もつくっておられる方もいると聞いています。これは必要ないかとも思いましたが、ついでにいろんな豆を買い集めて来ました。適当に全部スープにしてもらったんですけど、意外とイケるもんですね」
豆はとにかく世界中でいろんな種類のものがあった。褐色娘が知っていたのはレンズ豆とエンドウ、あとはヒヨコ豆くらいだったが、賢者の《転移》で飛んでいくたびに違う種類の豆と出会うくらいだった。食べ方も様々で、極東の国では豆を発酵させて調味料を作ったり、絞ってミルクのようなものを飲んだり、腐った豆そのものを食べたりしていた。
「次々いきますよー。このスープの赤いのはこれです。この赤い実の色です。トマトといいましてこれも南の大陸からもってきました。もともと高原の植物のようでこれはきっとこの土地にあっていますね」
トマトをカゴに戻すと次は別の作物を手に取る。白い花のついた雑草のようにも見える草だ。
「えー、これはソバといいまして東の国ではよく食べられている穀物です。小麦と同じように実を粉にして加工するものですね。今日皆さんにお出しした平焼きのパイはこれで焼いてみました。風味は少し違いますが十分美味しいですよね。これも荒地に強いんですが、さらにすごいことに。このソバさんは早いものだと三ヶ月ほどで収穫ができるそうです。この凄さは私よりも農家の方のほうがよく理解できるかもしれませんね」
どうやらそのとおりのようで、農家の集まっているテーブルではこれまでで一番大きい反応をしめしていた。
「ワイン! お酒です。私も大好きです。前に飲み過ぎでエライ目に会いました。このワインですけど、蔵の人に聞いたら痩せた土地で作ったブドウのほうが美味しいワインになるそうなんです。ここに向いているかもしれません。お酒の力はすごいですからね。ワインで一発当てれば人もお金も集まってくると思って提案してみました。作るのに知識や技術が必要でしょうけど、よそからスカウトするとかでなんとかしてみましょう」
「ああ、船室でゲロまみれだったの船酔いに二日酔いのダブルだったとか言ってたな」
「そういうことを人前でいわないでください!」
そんな調子でいくつも作物を紹介していった。しまいには野菜から砂糖を作り出す実験を成功させた学者の話までしだした。褐色娘がそれとなく、やりすぎだと横から注意しなければならなかった。
「えー、こんなところでしょうか。もちろん、植物には気候や地質などによって向き不向きがあるでしょう。これだけ種類があれば、きっとこの土地に合う作物もあるはずです。それを育てることでこの街に独自の料理がうまれると嬉しいです」
「いや、嬉しいですじゃねえよ。願望だろそれ」
「いーんです! 独自の料理だってきっと人が来る理由になります!」
賢者の説明が終わり、まばらに拍手が起こる。農家の者たちの反応は上々だったが、それ以外の者の反応が鈍かった。長い間持論を展開して興奮状態にある賢者は気がついていないようだったが、不安げな空気は会場からは消えていない。
褐色娘は顔をしかめた。悪い予感はしていたのだ。世の中には、正しいことを善意から言っても受け入れられないときがあるのだ。
「あのう……賢者さま」
「はい! はいどうぞ! 質問はどんどんしちゃってください」
一人の男がおそるおそるといったふうに手を上げる。年は三十ほどだろうか。
「その、俺らは結局何をすればええんでしょう? 俺はずっと宿のことしかやってないんで、いきなりクワをもてと言われても……」
当然といえば当然の意見である。新しいことをはじめるということは、それまでやってきたことを一旦捨てるということだ。長年宿屋をやってきた者が急に農業に従事しようと思っても、技術的にも気分的にもすぐに出来るものではない。
酒場のなかから同じような視線が賢者に向けていっせいに集まる。無言で同じことを言っているのだ。
「あ、はい。若い方はできれば畑をやって欲しいんですけど、そう簡単にできない人もいるでしょう。向き不向きってものはあります。だからですね、よそから畑をやる人を連れてこようと思っているのです」
「よ、よそからですかい?」
住人たちが驚きの声を上げる。
「大丈夫です。怪物が減ったことによって傭兵などの仕事が最近とても少なくなっています。戦働きをやめて新しい仕事をしたいという人はきっと多いはずです。傭兵をやっていたような人なら体力もありますし、農業には向いているでしょう。そういう人たちに宿屋の部屋を提供してあげて欲しいのです。もちろんタダとは言いません。そのあたりの細かいことは今後詰めていきましょう」
褐色娘には、賢者と住人の間の意識の差がはっきりと見えた。住人たちは、街に「よそ者」を入れることに戸惑っている。賢者も住人たちの戸惑いは感じているだろうが、それを「街によその人が来てくれるかどうか」のものだと思っているのだ。
確かに言っていることは正しい。傭兵稼業の仕事は少なくなっている。褐色娘だってそれで仕事をなくしたのだ。職にあぶれ、新しい仕事や住む場所を欲している人に両方を与えるといえば多少不便な土地でも来る者は多いだろう。
だが、賢者の正論と住人の感情はまったく別の問題だ。自分たちの街に、客人としてではなく新しい住人として、どこの馬の骨ともわからないよそ者を迎える。しかも傭兵くずれを連れてくるというではないか。何をするか分かったものではない。
そういうことをやんわりと言われて、さすがの賢者も勢いが落ちた。
「あ……はい。そうですね……。連れてくる人に関しては、考えます」
「考えるというと?」
「えっと、あの……」
問い詰められてしどろもどろになる賢者に、褐色娘は小声で助け舟を出す。
(傭兵団とかに所属してた身元のはっきりしてる奴だけとかどうだ。特にここに出入りしてた業者なら信用されるだろ。それ以外に希望者がいたら住人で面接でもさせろ)
「……そうですね。近隣の傭兵団などから希望者を募集するというのはどうでしょう? 港湾都市やこの街と懇意にしていた傭兵団の方なら身元もしっかりしているでしょう。他にここに住みたいという人がいれば、こちらの住人の方で面接をしてみるのもいいかもしれません。数が多い場合は紹介状などの条件をつけて絞りましょう」
褐色娘の意見を聞いてすぐに自分の考えも混ぜて発言する。こういう頭の回転は賢者は早い。
だが、それでも一度変わってしまった空気はもとには戻らなかった。
「こんな作物が本当に売れるのか」
「いろいろと理屈をならべていたがまた客がもとのように来るかもしれないだろう」
「余計なことをしてこれ以上、街がおかしくなるのではないか」
「よそ者がくるとろくなことがない」
次々と否定的な意見が出てくる。
一応、賢者はこれでも救世の賢者という世界的な英雄だ。住人たちも言葉を選んではいたが、やはりところどころでトゲが見え隠れしている。賢者は、すべての意見に根気よく答えようとしていた。
そのやりとりを見ている褐色娘には、住人たちの本音がよく分かっていた。
結局、住人たちは街おこしなど望んでいないのだ。彼らが望んでいるのは、賢者の智慧によって明日にでも旅人や商人たちがもどってくる都合のいい奇跡だ。人を増やし畑をつくって新しい作物を育てるような、地味で手間のかかることではない。
街が衰退するのは困る。だが、新しいことは何もしたくない。そんな我がままを言っているのだ。
むかむかした。
自分が、変化の多い環境でそだってきたからもあるだろう。世の中の流れにのって生きるのが自然の魚だとするなら、ここの住人たちは水槽や池で飼われている養殖魚だ。上をむいて、口をパクパクさせていれば餌がふってくると思っている。
それに、横で涙目になっている女は。この賢者は。こんなふうに責められるいわれはないのだ。ここしばらくというもの、世界中を飛び回り、自腹を切ってこの街のためにいろんなものを買い付けてきたのだ。
「あーあーあーあぁ! テメエら! 黙って聞いてりゃいい気になりやがって! あれは嫌だこれは嫌だってガキかお前らは」
気がついたら、大声で叫んでいた。いやみったらしくちくちく文句を言っていた住人たちが一斉に黙る。
「だいたいなぁ、ここの連中はずっと怪物が少ないからってだけで甘い汁吸ってきたんだろうが。その間ずーーっと他所の連中は苦しい思いしてきたんだぞ。あたしだって積荷全部すてて命からがら逃げたことある。それに比べたらお前らが言ってるような話なんか子供のワガママだろうが! こんどはちっとはてめえらが苦労する番なんだよ!」
一息に言い切る。賢者のおまけだと思っていたような子供がいきなり大声で罵声をあびせてきたのだ。住人たちはぽかんと間の抜けた顔でこちらを見ていた。
まだ言い足りない。そう思って声を出そうとしたとき。頭上でパチンと指を弾く音が聞こえた。
「むぐっ……」
口を塞がれたのと、賢者が謝罪の言葉を言ったのはほぼ同時だった。
「申し訳ございません、私の連れが失礼しました。……今日の私の話は以上です。私はしばらくこの街にいると思うので、なにかあればそちらの御老の宿までお越しください。……では」
賢者は褐色娘の手を引いて舞台袖から足早に出ていった。
酒場から出たあとも、賢者は手を引いたまま歩き続けた。途中で口の封が解かれているとも気がついたが、なかなか声をかけることができなかった。
そのまま街のはずれまでやってきてしまった。そこでようやく、賢者が口を開いた。
「だめですね。私は」
ぽつり、と。寂しそうな声だった。
「人の気持ちがわからないんです。人の感情とか、機微とか、そういうのが理解できないんです。ちょっと考えれば、街の人たちが嫌がるかもってわかるはずなのに、それが想像できなかったんです。……ずっといっしょにいた仲間のことすらわかってなかったんです」
最後の方の声は消え入るように小さかった。
「いや……あたしも、分かってなかったし。でも賢者はすげえと思うよ。あたしはこんなことやろうとも思わない。考え付きもしない。自分以外のやつらのことなんかに、そこまで一生懸命になれない。人の気持ちがわからない人が、こんなことしないよ」
「……ありがとう。怒ってくれて」
賢者がしゃがみこんで頭を撫でてくる。
こんなふうに、泣かされていいやつじゃない。世界を救ったすごいやつなんだ。自分のような、ちょっと地頭がいいのを鼻にかけた小娘とは格が違うのだ。
たしかに世間知らずで間抜けなやつだ。でも、今回の計画だって成功すればみんなが幸せになれるものだったはずなんだ。
「順番を間違えただけだよ。だっておまえ、暴走して小難しい話しだすしさ。そりゃ頭のかたいオッサンは怪しんでくいつかねーって」
「う……それについては反省しています。この前読んだ論文にのっててすごく画期的だと思ったので……」
「地道にいこーぜ。ちょっとづつ珍しい食い物作って売りに行ってさ。そしたらこっちに買いに来る連中も出てくるだろ。それ見たらマネするやつも出てくるって」
「あぁ、ですねえ。そのほうが現実的ですよねえ。ちょっと勇み足すぎたのかもしれません」
「そうそう。実際に金が動いてるの見ればあいつらだってすぐに飛びついてくるって」
「みんながみんな、一斉に回れ右みたいに変わったり従ったりしてくれるはずがないんですよね。全体を変えるにはまずひとりひとりを変えて行かないといけないんですよね」
なんとか立ち直ったのか、賢者は一人でぶつぶつと納得していた。
やれやれ、と褐色娘が肩をすくめていると、二人のほうに向かって駆け寄ってくる人影があった。
数は二十人ほどだろうか。全員が若い。十代か二十代の若者ばかりだった。若者たちは二人を囲むように立ち止まると、年長者らしい背の低い男がひとり前に出た。
「賢者さま」
「な、何でしょう」
いつのまにか賢者は褐色娘の肩を抱いていた。その手が少し震えている。
「先ほどのお話ですが、俺たちにやらせてはいただけないでしょうか! お願いします!」
「え? あ……」
「お願いします!」
他の者たちも一斉に頼み込んでくる。彼らの目は真剣そのものだ。
話を聞いてみると、全員が半農の宿屋の息子たちだった。このまま故郷が衰退していくのを見ているよりは、なにかに挑戦してみたいというのだ。狭い田舎でしか生きていなかった彼らにとって、賢者の語る『世界』の話はまさに夢物語だった。しかもそれを語っているのが実物の英雄なのである。
若者たちは賢者の話に『夢』をみたのだ。まだ見ぬ世界の夢を。自分たちの手で故郷を再生させるという夢を。老人たちには見ることのできない夢を。
褐色娘は、賢者の手が震えているのを感じた。それは、さっきまでの震えとは違うものだとわかった。
「もちろんですとも! 一緒においしいおイモを作りましょう! みなさん!」
ほんのわず僅かな人数からだが。ともあれ街おこしの第一歩は始まったのだった。




