本を売ります
宿を取るとさっそく体を清めて服を着替えた。もう今日は何もしたくないと思ったが、財布を見るとかなり手持ちが心もとなくなっている。盗まれたカバンの方にお金をたくさん入れておいたのがまずかった。商会でお金を下ろすにしろ身分証が必要になるが、それもカバンのなかだ。身分証を再発行してもらうにしても当座のお金は必要である。手っ取り早く現金を手に入れなければならない。
『転移』の魔法で王国に帰れば楽なのだろうけど、手紙だけ書きおいて出てきた手前それもかっこう悪い。一人旅をしたらすぐに盗人にあったなど、女戦士にまた子供扱いされてしまう。
無事だった荷物のなかを何か金になるものはないかとさぐる。見事に金目のものばかり入ったカバンを持っていかれていた。別にお金や身分証などはどうとでもなるが、数少ない貴重品はなんとかして取り戻したかった。東方の国に行ったときに仲間たちとそろいで贈られた小物だ。旅の最中、武器や魔導書以外のもので、思い出らしい思い出の品といえばあれくらいなのだ。荷物の中身を確認しながら、自分のうかつさを呪う。
「これくらい、かな」
とりあえず、手持ちの荷物でお金になりそうなのは書物くらいだった。もう読み終わっているし、この際だから売ってしまうことにする。
私は自分の家屋敷らしいものがないので、基本的に持ち物がすくない。本も基本的には読んだら手放してしまう。賢者といえば高い塔の中で書物に埋もれているようなイメージを持っている人も多い。だが、つい一年ほど前に賢者になったニワカ賢者では塔などを構えているはずもない。いつもならば近くの図書館に寄贈するのだが、今回ばかりは背に腹は代えられなかった。
宿の主人に尋ねると、心得たもので本を専門に買い取ってくれる店をすぐに教えてくれた。汚いなりで飛び込んできた客が、金を作りたいと言うのは主人としても歓迎するところなのだろう。
教えてもらった店は大通りからは少し外れた落ち着いた雰囲気の区画にあった。大きな木の扉を開いて中に入る。古い紙のにおいと、羊皮紙の補修用に使われる膠の匂いが漂っていた。店内は天井までの本棚にびっしりと本が詰め込まれ、足元や本棚の間にも所狭しと本が置かれている。
本と本の間を縫うようにして奥に進むと、本の間にぴったりとはまるように一人の男性が座っていた。神経質そうな痩せぎすのその男が、じろりとこちらをにらみつける。
「店主さん、でしょうか?」
「そうだが。なんの用かね、お嬢さん。見ない顔だが」
「はい。買取をお願いしたいのですが。よろしいですか?」
店主は何も言わずに机の上をあけて、手だけで催促してきた。私はそこに持ってきた本をどさりと置く。分厚い本を四冊。
店主は本を一冊づつぱらぱらと確認する。
「今、他の買取の査定の最中でね。少し時間がかかるが……」
突然、店主が顔をしかめる。
「どうされました?」
「あんた……この本はあんたのかい?」
「ええ。旅の最中なんですけれど、お恥ずかしいことに手持ちが心もとなくなったので手放そうと」
「ふむ……これを全部読んだのかな? 最新の学術書ばかりだが」
「……? はい。どれも面白かったですが、私はその数論の本が好きですね」
「『数の賢者』マーフェス・ワイザの最新刊か。ワシは数学には疎いが評判はよく聞くよ」
「まぁ……よくも悪くも一番有名な賢者ですよね」
変人ぞろいの賢者のなかでも、この『数の賢者』はとびきりの変人で、かつ積極的に実社会に関わるのが好きな賢者だ。賢者は知の探求が目的でそれ以外には興味がないという人物が多い。己が見出した真実を世に発表しようという気すらない者ばかりだ。そんな中でこの『数の賢者』マーフェス・ワイザは定期的に著作を刊行するという珍しい賢者である。
だからといってこの人物は世の為に自分の知識を役立てようというような殊勝な人物では決してない。六年に一度数論や定理についての本を出すのだが、常に証明や答えが書かれていない状態で出されるのだ。回答集を出すのはその二十八年後で、己の半生をかけて出した証明を全否定されて自殺した数学者もいる。さらに、著作のページ数や文字数すらも謎かけになっていると言われ、この本が出るたびに数学界は大騒ぎになるものだった。
性格の悪い賢者ではあるが、彼のおかげで数学の時間は加速したのはたしかだ。他分野でも、星から船の位置を割り出す方法や古文書の解読に彼の知識が使われている。
「はは。『賢者の書』は滅多に出るものではないから、本屋としては良い賢者様だがね」
「う……」
自分もさっさと本でも書けと言われている気がして少し苦笑いをする。別にそういう意味で言ってるのではないだろうが、なりたての賢者としては気にしてしまうのだ。
それからしばらく数学の話をしていると、表のドアが開く音が聞こえた。
「おーい、オッサン。そろそろ値段ついたかー?」
ぱたぱたと小さな足音とともにそんな声が聞こえてくる。声は若い、幼いといってもいいような少女のものだった。どこかで聞いた声だな。そう思って声の方を見る。
本棚の間から顔を出したのは、十二・三歳くらいの少女だった。黒髪に浅黒い肌の、異国の香りがする娘だ。
私はその娘をどこかで見たような気がしていた。とくに声は絶対に聞き覚えがある。そう思ってついまじまじと娘の顔を見ていると、娘がさあっと顔色を変えた。
「うげっ……、ゲロ女…」
言ってから、娘ははっと口を抑えた。その言葉で、私の頭のなかでもやもやしていたものがようやく繋がる。あのときに私の荷物を漁っていた娘だったのだ。
娘は脱兎のごとく本の山を崩しながら逃げ出そうとした。だが、私がパチンと指を鳴らすと娘の足はまるで縫い付けられたように動かなくなる。魔法で金縛りにかけたのだ。娘がなんとか逃げ出そうともがいているのを横目に、店主に向き直る。
「やはりか」
「気づいていたんですか?」
「見慣れん小娘が二人も続けて分厚い専門書を売りに来れば何かあると普通は思う」
「こ、こむす……」
そりゃあこの年代の人から見れば私もこの褐色娘も同じようなものなのだろう。
「一人ならそういうこともあるだろうと思ったが二人続くとな。何かあると思ったが、二人目は明らかに『本物』だ。しばらく待たせておいて一人目と合わせれば何かわかるだろうと思ったまでだ」
「この子が持ち込んだ本はガジスの注釈付きの『マテーマタ』ですね?」
店主は何も言わずに机の影からその本を出す。手にとって調べると、やはり私の蔵書印が最後のページに押されていた。
「どうするね? 察するにそこの盗人のせいで金欠になったのだろうが。こうして捕まえることもできたのだ。やめておくかね」
「いえ。やはり買取をお願いします。私はもともと、ものはあまり手元に残さないものですから。特に本は一度読むと内容を忘れないので。他の必要な方の元にある方が本にとっても良いでしょう」
私は一度みた本は映像的に全て記憶することができる。置く場所がないのもあるが、これが私が蔵書を持たない一番の理由である。それに、この子に取られたお金が戻ったところで財布が軽いのはそれほど変わらないのだ。
「……なら、これくらいの額でどうかね?」
「え? そ、そんなに頂いていいんですか?」
店主が提示した額は私が思っていたのよりもかなり高いものだった。というよりも、あきらかに私が買ったときの値段よりも高い。何かの間違いではないかと確認するが、やはりその値段でいいのだという。
「どれも、このあたりではまだ出回っていない本だ。このくらいの値段はつく」
「それでもちょっと高すぎのような……」
「いいかね。お嬢さん。本というのは紙とインクの塊を売っているのではなく、中に書いてある内容を売っているのだ。内容が新鮮で重要なことならそれだけ値段は上がる。飢饉のときに麦の値段が高騰するのと同じようなものだと思いたまえ」
「へぇー……、すごいですねえ」
私は店主の話に感心しきりだった。
「それじゃあ大昔の本なのに今でも読まれている『マテーマタ』はとっても重要な内容だってことですねえ」
「そういうことだな」
私の返しが店主には心地よいものだったようだ。厳しい顔を歪めてにやりと笑う。
「ためになるお話でした。それじゃあ、この本たちも必要としてくれる人に売ってあげてください」
満足して本を買い取ってもらおうとすると、横合いから割り込んでくる声があった。
「まちな! ちょっと待て! おい、ゲロ女!」
パチン、と指を弾くと背後から褐色娘がもごもごと何事かうめきだす。魔法で口を塞いだのだ。振り向いて、相手を見下ろしながら言う。
「人のことをゲロ女よばわりしないのなら口を自由にしてあげましょう」
褐色娘が何度もうなづいたのを確認してから、もう一度指を弾く。とたんに娘は口を開けて激しく咳き込む。彼女が落ち着くのを待って私は話しかけた。
「それで、なんですか。娘さん? この本は私の本ですよ」
「そりゃあそうさ。でも、モノが安く買い叩かれるのは黙って見ていられない性分でね。おい、オッサン! その本がそれっぽっちの値段のはずがないだろ!」
「はぁ? あなたねえ……モノを知らないにもほどがありますよ。これでも私が買ったときよりも高いくらいなんですから」
私は金縛りにしたままの娘の頭をぽんぽんと撫でる。
「あんたなぁ、あれだろ? 最近うわさの『救世の賢者』だ」
いきなり、褐色娘が私の正体を言い当てた。ちょっと驚くが、考えてみればあのカバンのなかには私の身分証なども入っていたのだから当たり前といえば当たり前だ。
「ええ、そうですよ」
ちょっと反応が気になって店主の方を見る。こちらも別に驚いた様子もなく私を見ていた。
「そのあんたの本なんだ。『賢者の書』ってことで高値になるに決まってるだろー! さっきの値段の3倍でだって買う人間はいる。違わねえだろ、おっさん」
「……まぁ、そうだな」
店主が苦虫を噛み潰したような顔でいった。
「そ、そうなんですか?」
三倍、という値段に驚き、思わず店主に尋ねる。
店主は私の本を手に取り、蔵書印を押してあるページを開いてみせた。
「蔵書票や蔵書印のついた本を嫌う者もいる。まぁ、普通は自分以外の者の蔵書印などは邪魔なだけだろうな。だが、逆に有名人の蔵書票がついた本は本来の値段よりも高額で取引されることがある。特に、知恵の象徴である『賢者』の蔵書だった本は縁起物として人気がある。失礼だが、賢者殿。あなたは自分の価値をご存知ありませんな」
「え、ああ、うう……」
いちおう、私のほうが立場は強いはずなのだが、なぜか未熟者と叱られているようでたじろいでしまう。
蔵書票というのは本に貼り付ける所有者を示すカードのことだ。図書館の本にはすべてその図書館の蔵書票が貼られているし、個人の蒐集家もコレクションに自らの蔵書票を貼り付ける。私は本を集める趣味はないが、図書館に本を寄贈するときに寄贈者として名前を書くことが多いため、その代わりとして蔵書印を使っていた。私の蔵書印は東洋で記念品にと作ってもらったスタンプである。賢者になったときに授かった紋章を彫ってもらったものだ。これで旅の途中でも簡単に蔵書印をつけることができていた。
今日持ち込んだ本にもすべて私の蔵書印が押してある。私の紋章は世界中に知られているし、知らなくてもちょっと紋章学をかじっていれば『賢者』の紋章だとわかるだろう。店主だけでなく、どうやら褐色娘も私の本の価値に気がついていたようだ。
自分がものすごい世間知らずな気がしてきて、私は縮こまってしまった。
「あ、あの……、じゃあ。おいくらくらいが妥当なんでしょう」
「そうですな……ではこれくらいでは?」
「おいおい! そりゃあボッタクリすぎってもんだろ」
私を挟んでなぜか店主と褐色娘で値段交渉がはじまってしまった。
結局、最初の値段よりも5割増といった程度でおちついた。褐色娘はまだ粘ろうとしていたが、私は自分の印章だけでそんなにモノの値段が上がるのが怖くなってしまい、その値段でいいといってしまったのだ。
私が代金を数えていると、褐色娘がニヤニヤしながらこっちを見ている。
「あたしの取り分は1割でいいよ」
「はぁあ? なに盗人猛々しいこと言ってるんですか?」
「当然の権利だろー! 最初の値段との差額もらったっていいくらいだ!」
「馬鹿いわないでください。そもそもあなたが私の荷物盗んだのが悪いんです。今から憲兵さんに突き出してあげますからね」
「じゃーいいよーだ。あんたの紋章印ガンガン本に押して儲けることにするから」
「あ、そうだ! 私の紋章印かえしなさい! どこに持っているんですか!」
金縛りにしたままの褐色娘の懐をさぐるが、それらしいものは見つからなかった。
「へへん。今はもってないよ。あたしにしかわかんない場所に隠してある。たった一割で戻ってくるんだからお手頃だと思うけどなー?」
「ぐ、ぬぬぬうう……」
金縛りにしている上に正しいのは私のはずなのに、完全に褐色娘の手玉に取られているのがわかった。
「それに、授業料だと考えてみれば? あんたみたいな世間知らず、今回みたいなことなかったら絶対に誰かに騙されていいように使われてたと思うよ?」
そこで完全に反論できなくなった。私が頭を抱えてうずくまると、店主が大声で笑いだした。
「賢者殿の負けだな。まぁ、これに懲りずに要らない本があればまた売りにきてくだされ」
「わ、わかりましたよ! もうっ!」
私がしぶしぶ了承すると、褐色娘が満面の笑みを浮かべた。
「毎度ありー!」
くそう。なんでこうなるんだろう。




