旅に出ます
何杯目かのグラスを飲み干す。店内は昼間だというのに薄暗い。わずかに差し込む陽の光を嫌うように、私は店のカウンターの隅に佇んでいた。
酒はすべての痛みを忘れさせる万能の薬である。どんなに魔法を極めようとも科学が進もうとも、これに勝るものはない。昼間から酒に溺れていると自分が失恋の傷から膿んでいくような気分になってくる。これではいけないと思いつつも、今はまだこのまどろむような退廃の中に浸っていたかった。
「マスター。失恋に効くお酒を一杯」
「出ていけ! このダメ賢者!」
良い気分でいたところを突然罵声を浴びせられた。酒場のマスターの女性がカウンター越しに蔑むような視線でこちらを見ている。
「なな……な、なんですって!? この救世の大賢者を捕まえて」
「あんたみたいなのが昼間っからグダグダと酒飲んでられたら商売迷惑なんだよ! ここはいろんな連中が集まって話すための場所だ。一人でクダまきたいなら別の店に行きな!」
「う、ううう~……」
故郷にある冒険者の酒場だった。いろんな人達が仕事や護衛を探したりするのに使われる酒場である。初めて勇者様や仲間たちと出会ったのもこの店であった。昨日から2日続けて私はここにやってきていた。
そっと横目で店内を見回す、数少ない客たちが目を合わさないようにさっと顔をそらすのがわかった。
「……お、お金はあります! 国から年金がたくさん出ましたからね! 私はお客さんですよ!」
「こんなほとんど水みたいな水割りいくら飲まれても金にならないんだよ! 飲むならもっとがっつり飲みな」
「わ、私お酒強くないんですぅ……、あんまり飲むとあたま痛くなるし」
「じゃあ薄酒で長時間いても怒られないような店に行きな。ウチにゃもうあんたに飲ませる酒はないよ」
「む、無理ですぅ。ここのほかのお酒屋さんって一人で入ったことないから怖いんです。ここ追い出されたらどこいけばいいんですかぁ」
「ガキかあんたは! 地上最強の賢者のクセして」
グラスを抱え込むように小さくなっていると、マスターが深くため息をついた。カウンターから出てきて私のとなりに座る。
「まぁ……、失恋なんかぱぁっと遊んで忘れちまうのがいいさ。じめじめと引きずるのが一番よくないよ。あんた、勇者くらいしか同年代の男を見てないだろ? もっといろんな男を見てみるのもいいもんだよ」
「な、なぜ誰も知らないはずの私の心のうちを?」
「アンタが延々と酒飲みながらブツブツ独りごと言ってたからだろうが」
「う、うう~……」
涙がぼろぼろとこぼれてきた。なれないお酒のせいかもしれない。ずっと一人で抱えていたあれこれを涙と鼻水まじりで延々とぶちまけていった。
「うう、あうあうあー、ひっぐ、あうう、ひぐ、ええあ、うええん、あうう」
「勇者と? 女戦士が? ずっとくっついてたのに気づかなかった? あのときまで? ……ああ、ほんっとに鈍いんだねえ」
「ぶええええええ~……」
「そんなに好きなら今からでも横からかっさらうとかしてみたらどうだい?」
「む、無理ですぅ……、女戦士さん綺麗だし、大人っぽいし、私みたいにちびじゃあ全然だめですうう……、そっそれに、女戦士さんいつも私にやさしくしてくれたんです。勇者様とすごく幸せそうなのにそんなことできません~……」
「じゃあさ、駄目もとで告白だけしてきなさい。想いだけ伝えるの。あの子だったらあとに残らないちゃんとした振り方してくれるでしょ? それだけでもずいぶんすっきりすると思うよ?」
「い、いやですぅ。そんなのダメですぅ……」
軽くしか飲んでいないはずの酒がぐるぐると回ってくる。自分で言っていても自分が情けなく思う。こんなダメ賢者を勇者様がえらぶはずがない。
「ま、マスター。私、飲みます! そうです。飲むにしたってぱーっと飲むべきです! 女戦士さんも飲むときはすごくいい飲みっぷりでした!」
そう言うと、カウンターに置いてあった酒瓶を一本掴みとった。グラスも使わずに直で瓶のまま口にもっていく。
「あっ、馬鹿……」
マスターがなにやら言っているのが聞こえたのを最後に、私の意識は飛んだ。
「う、うう……」
私が目を覚ますと、酒場のなかはめちゃくちゃになっていた。テーブルや椅子が散乱し、酒瓶はほとんどがカラ。グラスは割れていないものを見つけるのが難しいくらいだ。瓦礫にまぎれて何人も人が倒れていて、まるで夜襲にでもあったあとのようだった。
「だ、誰がこんなことを……」
「あんただ、あんた」
振り向くとマスターがホウキ片手に目を尖らせていた。
「え、ええ?」
「一人で飲んで潰れるならいいよ。そういう酒が欲しい時もあるだろうさ。でもヤケになって酒あおって誰彼かまわず絡むなんて最低の酒だよ。泣くわわめくわ暴れるわ。昨日も言ったけどね、もうこの店には出入り禁止! しばらく顔みせるな!」
言われてみれば息がとても酒臭い。ガンガンと痛む頭でなんとか思い出してみると、酒瓶片手に店の客につぎつぎと絡んでいる記憶が再生される。
「そ、そんなぁ……」
私は返す言葉もなく、お財布の中身を全部置いて店を出た。
数日ぶりに明るいうちにお外を歩くと、街はもうお祭り気分もぬけ、いつもの日常にもどっていた。いや、正確にはいつもの日常ではない、「大魔王のいなくなった日常」を送り始めているのだ。
魔物や魔獣が以前とくらべおとなしくなったからであろう。街の入り口にいる衛兵たちの表情も柔らかく、門から出ていく旅行者や商人もどことなく嬉しそうだ。盛大に宴を開き祝われるのも悪くなかったが、何気ない生活の風景を見るほうが自分のやってきたことを誇れる気分になった。
だが、日常の風景は同時に私に現実を突きつけるものでもあった。街の人たちだけでなく、仲間たちも新しい日々に向かっている。
勇者様と女戦士さんは開拓民として生きていくつもりらしい。開拓団に参加するそうだが、勇者様が参加するとあって希望者がものすごく増えたらしい。武闘家さんはもと居た武術の道場に戻り師範代としてやっていくそうだ。忌々しいことにその道場の娘さんとは結婚の約束をしていたという。
私だけが、日常に戻れないでいた。私は元は僧侶だったのだが、賢者となった今は教会に戻るわけにもいかない。賢者とは空間と時と魂の関係を解き明かした超越者である。宗派にもよるが、教会とは距離を取るのが普通だった。もともと孤児だったので家族らしいものもいない。戻るべき日常というのは私にはないのだ。
思えば、仲間たちと旅をしているときが私にとって唯一家族らしいつながりがもてた時間だったかもしれない。家族を持たない私にはわからないが、同じものを食べ、同じ時を過ごし、同じ目的を追い求めた日々は厳しくも充実した日々だった。
もちろん、あの日々に戻りたいなどとは思わない。大魔王が倒れたこの世界の幸福と比べれば、私個人の悩みなどなんの価値もないものだ。ただ、長い長い旅を終えて、次がみつからないというだけの話だった。
長い、とても長い旅だった。
仲間との生活だけでなく、旅そのものも私を魅了した。書物でしかしらなかった北方の黒い森、南海の碧さ、砂漠の溶けるような熱さ。そこに生きる人々の多様な文化。それらを間近で見るたびに強い興奮を覚えたものだ。
「旅……か」
何気なく口にしたその言葉が、私の心にすっと入ってきた。
そう、旅だ。
今の私にはそれがふさわしい。
平和なった世界の日常を見て回るのだ。
新世界を見て回ることで、何かやりたいことが見つかるかもしれない。どこか、私が落ち着ける場所があるかもしれない。今はまだそんな気分にはならないが、新しい恋とかも見つかるかもしれない。
「……お酒を飲む場所もなくなってしまいましたし。うん。旅に出ましょう。それがいいです」
ひとつところに留まっているよりは、あてどもない旅をしている方が私には合っているのだ。行ったことのないお店に入るのは怖いけど、旅という日常のなかで他の土地に行くのは私にとって普通のことだ。
そうと決めると、行動は早かった。酒浸りの頭の痛みも忘れて、旅の準備をしようと宿屋の部屋へ足を向けた。手早く荷物をまとめると、手紙を一筆書いて机の上においた。
「うげえええええ」
酒の勢いとその場の気分で商船に飛び乗った私は、出港から数時間で後悔のどん底にいた。寝不足と酒がたたって船酔いでのた打ち回ることになったのだ。
大賢者たる私には、別に船などという交通手段を使わなくても、一瞬で目的地まで行く方法もあった。『転移』の呪文は一度行ったことのある土地に一瞬で行くことのできる魔法だ。別に特別な呪文でもなくて、ちょっと気の利いた魔法使いなら簡単に使えるものだ。そして、勇者様と一緒に世界中を旅した私には行けない場所などどこにもない。
わざわざ船室をとってまで船旅にしたのは旅行気分を味わいたかったからだ。『傷心旅行』という言葉の響きに浮かれていたところもある。波音と潮風で傷心を癒す物憂げな女……と悦に浸りながらかっこうつけて本を読んでいたらこのザマである。
(そ、そういえば私、乗り物弱いんでした……)
冒険をしていたときは薬草を飲んだり、武闘家に酔い止めのツボを押してもらったりしていたのだった。初めてみんなで船に乗ったときに、一人船酔いで倒れたときのことを思い出す。勇者様が薬をもらってきてくれ、女戦士が介抱してくれた。船に乗るたびにみんなにそのことをからかわれたけれど、あれはあれで良い思い出だ。少なくとも、船室でひとりさみしく船酔いでもがき苦しんでいるよりは。
「うう……ぐす……ひっく……」
なんでこんなことになってしまったんだろうか。がんばって世界を救ったのになぜこんな目に合わなければならないのだろう。涙と鼻水と嘔吐物にまみれながら私の意識は途絶えていった。
「うえ。きったねえ、なんだこの女」
船酔いか二日酔いかよくわからない状態でそんな声が聞こえた。うっすらと目を開けると、誰かが私の部屋で荷物をあさっているのが見えた。小さな女の子のようだった。
夢かどうかもわからない状態でぼんやりとそれを見ていた。すると、女の子は私の体を起こして懐の中身を探り始めた。急に体の向きを変えられて、私は思わず溜め込んでいたものをぶちまける。
「うぷげ」
「ぎゃあああ、こいつ吐きはがった!」
その声で私の頭がわずかに覚醒した。ぱちり、と目を開くと、部屋にいた影は慌ててドアから出ていってしまった。
「……?」
気になりはしたが、それよりも吐き気のほうが勝った。床に胃液をぶちまけると、私は再び眠りに落ちていった。
「盗まれた、と言ってもねえ……。もう少し早く言ってくれないと」
目が覚めて、荷物が盗まれたことに気づいたときはもう次の街についてからずいぶんとたっていた。懐にいれておいた財布は無事だったが、机の上においておいた鞄がきれいになくなっている。
すぐに船長に取り次いでもらったのだが、すでに他の客はほとんど降りたあとだ。誰が盗んだのかなど調べようもない。
船長は困り顔だったが、同時に船室のベッドが嘔吐物まみれなのにかなり機嫌をそこねているようだった。ツン、とすえるような匂いがただよう室内に入ると明らかに顔をしかめた。
「あ……、じゃあ、その、もういいです。あの、これ少ないですけど」
船長にいくらかの銀貨を渡すと、私はそそくさと残っていた手荷物を持って船から降りた。
降りた街は南海と陸地をつなぐ船旅の拠点として栄えている街だった。街並みは内陸と比べると明るく色濃いものだ。各地から船がやってくるだけあって、多種多様な人たちが行き交っている。異国風の衣装を着た女性。褐色の肌にふしぎな髪型の男性。彫りの深い顔つきの一団は北からの旅人だろう。
もとより活発な港町であったが、私が前に冒険でやってきたときはもっと物々しい雰囲気が強かったものだ。海は重要な交通路だったが、同時に多くの海魔がうごめく危険な場所でもあった。そのため、港町には船の護衛のための傭兵や軍人がたくさんいたのだ。
人が多いだけあって、今もそういった人たちはよく目につく。だが、以前と比べると確実に街の空気は平和なものになっていた。
いきなり盗みにあってへこんでいたが、街の様子を見ているとだんだんと気分がよくなってきた。この平和は私たちが勝ち取ったのだ。そう思い胸を張る。
「……ん?」
盗まれた旅道具の代わりを買い揃えようと歩いていると、街の人たちの視線が自分に集まっているのに気がつく。
(大賢者だとバレたのかな……前に来たことあるんだし、誰かが顔を覚えていたのかも)
ちょっと照れくさいなと思っていると、数人の子供たちがこっちを見て大声でさわいでいた。私がいぶかしげにそちらを見ると、指を指して笑い出す。
「やーい! ゲロ女ー!」
「な、何ぃ?」
そう言われてようやく自分の状態に気がついた。丸一日ほど嘔吐物まみれでもんどりうっていたのだ。服はもちろん髪までどろどろに汚れ、体からは異臭が漂っている。完全になれきっていたので気が付かなかったが、これでは街の人の注目を集めるのも当たり前だった。
(……とりあえず。どこかでお風呂とお洋服を調達しましょう)
ふたたびがっくりと肩を落とし、身を隠すようにして私は歩き始めた。




