保健室までの道(翔太視点)
「翔太、ちょっと肩貸せー。歩けるけど、めんどい」
藍が当然のように俺の肩に手を置いてきた。
膝を打ったとはいえ、歩けないほどじゃない。
けど、あいつは迷いなく俺に体重を預けてくる。
軽い。
けど、しっかりとした重みがある。
汗ばんだ制服の袖が、俺の腕に触れて、なんとなく意識してしまう。
さっきまでの熱気が嘘みたいに、廊下は静かで、ひんやりしてる。
さっきのざわめきが、まだ耳に残ってる。
「ドラマじゃん」とか「少女漫画かよ」とか、あの声たちが、頭の中でリフレインしてる。
藍はというと、まったく気にしてない様子だ。
俺の肩に手を置いたまま、普通に歩いてる。
さっきのこと、倒れ込んだことも、距離の近さも、周りの反応も、全部スルー。
あいつの中では、もう終わった話なんだろう。
「なあ、さっきの……」
言いかけて、やめた。
何を言いたいのか、自分でもよくわからなかった。
藍がこっちを見たけど、「ん?」と首をかしげるだけで、特に深くは聞いてこなかった。
「……いや、なんでもない」
「そ。てかさ、あのスリー、マジで気持ちよかったわ。あれ、翔太のパスがドンピシャだったからな」
「お前が決めたからだろ」
「ふふん、まあな。……あ、でも膝ちょっと痛いかも。保健室で冷やしてもらお」
「先生に言われる前に行くとか、珍しいな」
「だって、あとでまた言われんのめんどいし。翔太が付き添ってくれるなら、まあいいかなって」
「お前な……」
俺が何か言う前に、藍はもう歩き出していた。
俺はその隣で、黙って歩くしかなかった。
さっきの距離の近さ、周囲の視線、ざわめき――全部、まだ胸の奥でくすぶってる。
昨日のことも、思い出してしまう。
あのとき、藍は俺にしがみついて、泣いてた。
あんな藍、初めて見た。
けど、今日の藍は、まるで何もなかったみたいに、笑ってる。
保健室の前に着いて、ノックをすると、中から先生の声が返ってきた。
中に入ると、いつもの白いベッドと、薬品の匂い。
さっきまでの喧騒が嘘みたいに静かで、心臓の音がやけに大きく聞こえる。
「どうしたの?」
「ちょっと膝打っただけっす。たいしたことないっすよ」
藍はそう言って、ベッドに腰を下ろし、裾をまくる。
膝に赤い擦り傷ができていて、先生が「またやったの?」と呆れたように言いながら消毒を始めた。
藍は「いってー」とか言いながらも、どこか楽しそうだった。
俺はその横で、なんとなく立っていた。
何か言うべきか、黙ってるべきか、わからなかった。
藍の横顔を見ながら、昨日のことが、ふと頭をよぎる。
あのときの涙、震える声、抱きついてきた腕の強さ。
あれは、なんだったんだろう。
今の藍からは、まるで想像もできない。
「翔太、マジで助かったわ。あのままいってたら、鼻ぺちゃんこだったかも」
「……ああ」
「てか、あのときの反応、すごかったな。なんか、ヒーローみたいだったぞ」
「ヒーローって……」
「いや、マジで。あれ、見てたやつら、絶対盛り上がってたろ。『ドラマじゃん!』とか言ってたし」
「お前、気づいてたのかよ」
「ん? なんか言ってたなーってくらい。なんであんな騒いでたんだろな?」
「……さあな」
藍は首をかしげて、絆創膏を貼られた膝を見下ろしている。
俺の方は、なんかもう、いろいろと落ち着かない。
距離が近すぎたせいか、周りの反応のせいか、それとも――昨日のことを、まだちゃんと聞けてないからか。
「なあ、藍」
「ん?」
「昨日のこと、さ……」
藍が顔を上げた。
けど、その目はまっすぐで、何も構えていない。
俺の言葉を、ただの会話として受け取ってる目だった。
「昨日のことって?」
「……いや、なんでもない」
「そっか。ま、いっか。俺的には、もう終わった話だし」
「……」
「それより、購買に間に合うかな。今日メロンパン入荷日なんだよな〜。翔太、走って買ってきてくんね?」
「は?」
「だって、俺、足負傷してるし、さっきたすけてくれたからさ」
「お前が言うんかよ、それ」
「え、ダメ? じゃんけんする?」
「……わかったよ。買ってくる」
「よっしゃ! ついでに牛乳もお願い!」
藍はベッドの上で、笑った。
俺はその笑顔を見て、何も言えなくなった。
昨日の涙も、さっきの距離も、全部なかったことみたいに、あいつは笑ってる。
俺だけが、立ち止まってるみたいだった。




