9.留学生
窓から見える空は、夏の始まりを感じさせるものだった。
色の濃い青空に、眩い日差し。暑いのは得意じゃないけれど、なんだか心が浮足立つ気がする。
朝の教室は、明るいざわめきに満ちている。
窓側の一番後ろの席で、わたしは本を読んでいた。【魔力の最適解】という新しい魔力理論の本だ。
わたしは魔力が多いからか、繊細な使い方が苦手である。色んな本を読み、レオ様や先生方に教えを乞うて、何とか形にはなっているけれど……それでも、まだ足りないと思う。
もっとたくさん本を読んで理論を理解して、更にそれを実践して自分の身に定着させる。その繰り返しだ。
レオ様はわたしよりも魔力が多いのに、魔力操作も難なくこなしてしまう。羨ましくないといったら嘘になるけれど、それよりもそんなレオ様の凄さに憧れているのだ。
「おはよう、エミリア」
掛けられた声に顔を上げる。
わたしの前の席に腰を下ろしたのはグレーテだ。
わたしの読んでいる本に目を向けた彼女は、眉間に皺を寄せながら肩を竦めた。
「朝から読む本じゃないわね」
「あら、いつならいいの?」
「眠れない夜にぴったりだと思うわ」
「それって眠りに就くためでしょう」
「枕にするにもちょうどいい高さだと思うけど」
冗談めかして笑う様子に、つられて私も笑ってしまった。
栞を挟んだ本を机の中にしまうと、グレーテが身を乗り出してくる。
何か話したいことがあるのだろうと、先を促すよう首を傾げて見せた。
「留学生の話、聞いた?」
「公爵令嬢がいらっしゃるとだけ。どんな方なの?」
隣国からの留学生が来るというのは聞いていた。
毎年の恒例になっている、二か月の短期交換留学だ。こちらから留学した学生は、領地経営科の才女だったと思う。
わたしはそれくらいしか知らないけれど、グレーテは違うのだろう。
そう思って情報通の親友に尋ねると、彼女はどこか得意げに微笑みながら口を開いた。
「いらっしゃるのは、ティアナ・アルドリッジ公爵令嬢。魔法が得意で、この魔法学科で学ぶ事になるそうだけど、お世話係がエレオノーレ様になったから、そちらのクラスに入るみたい」
「エレオノーレ様がお側にいるのなら、ティアナ様もきっと安心出来るわね」
エレオノーレ様は、オリヴァ公爵家の次女だ。
双子の姉であるアンネリーゼ様は、以前までスヴェン殿下の婚約者だったけれど、先日の騒動で婚約は破棄されている。
いま、アンネリーゼ様は第二王子殿下の婚約者となっているけれど、真面目で優秀な第二王子殿下とは相性がいいらしく、とても仲睦まじく過ごしているのだとか。
オリヴァ公爵家の後継者であるエレオノーレ様もとても優秀で、魔法学科での成績はいつも首位争いにお名前が挙がっている。
温和で公平を重んじるエレオノーレ様はとても優しい方だから、留学されるティアナ様も楽しく過ごすことが出来るだろう。
「留学生の話?」
掛けられた声に振り返る。
わたしのすぐ傍に立っていたのは、レオ様だ。
高い場所で結われたピンク色の髪が、夏の日差しを受けて煌めいているのがとても綺麗。
登校する時の馬車も一緒で、たくさんお喋りをしていたのに、こうしてまた校内で会えるとどうしても口元が綻んでしまう。
「ええ。アルドリッジ公爵家のご令嬢がいらっしゃるって、レオ様は知ってらした?」
「聞いた覚えもあるけど、あんまり興味がないな」
「あんまり? “まったく”の言い間違いじゃないかしら。レオシス様が興味を持つのは、エミリアのことだけでしょう」
「それは否定しない」
からかうようなグレーテの言葉が少し恥ずかしい。でもレオ様は当然とばかりに頷くから思わず笑ってしまう。
「あなたたちは“真実の愛”って知っている?」
「真実の愛?」
「そう。隣国でいますごく流行っているんですって」
「真実の愛が、流行る?」
グレーテの言葉がなんだかよく分からなくて、首を傾げて問い直してしまった。
肩に触れるレオ様の手が、下ろしたままのわたしの髪先を指に絡めて解くことを繰り返す。レオ様を見上げると、彼も同じように首を傾げている。
「それを題材とした小説とか、歌劇が流行っているんですって」
「ああ。あれってそういう意味なんだ」
理解したようにレオ様が頷くけれど、わたしにはまだ分からない。
「恋人との関係を解消しないで浮気したのに、それは“真実の愛”を貫いたものだから浮気じゃないって声高に叫ぶやつだよ」
「うーん、合っているのになんだか微妙ね」
レオ様の説明にグレーテは苦笑いだ。
まぁでも、今の話でなんとなく分かる。レオ様の説明には悪意がこもっているけれど、まぁそれも事実だろう。それを柔らかい言葉や舞台装置で装飾したら、流行りものになるのかもしれない。
「レオ様ってどこからそういう知識を得ているの?」
「こないだ読んだ恋愛小説が、それを題材にしていたかも」
「レオ様ってよく本を読むけれど、そこには恋愛ものも含まれるのね」
「うん、たまに読むと面白いからね」
「エミリアも読んでみたらいいのに。私のおすすめを貸すわよ」
グレーテが、机の上に置いたままの本を指で叩く。
タイトルをなぞるその指先は「こんな固い本じゃなくて」と言っているみたいだ。
でも、それもいいかもしれない。
小説は古典文学ばかり嗜んできたけれど、最近の流行っているものに興味がないわけじゃない。
そう思って二人の顔を順番に見る。
「読んでみようかしら。おすすめを教えてくれる?」
「明日早速持ってくるわね。私のおすすめは“花園シリーズ”なんだけど……」
「それよりも“果実と月の禁断”がいいんじゃないか」
「レオシス様のそれってどろどろの愛憎劇でしょう。もっと甘いお話の方がいいわよ」
わたしを挟んで飛び出してくる、小説のタイトル達が聞きなれないものばかりで、なんだか目が回ってしまいそうだ。
それよりも、グレーテはともかくレオ様はどうしてそんなに詳しいのか。
それがなんだかおかしくて、扇を開くのも忘れて笑ってしまっていた。




