7.怒っていたのは
穏やかな雰囲気を壊したのは、パウラさんの甲高い悲鳴だった。
わたしは改めてパウラさん達に向き直り、薄く微笑みを浮かべて見せた。
「エミリア様、ひどいわ! そうやっていつもあたしを苛める!」
「苛めた覚えはありません。この時も、今までもずっと。わたしは事実を述べたまでです」
「スヴェン様、あたしもう耐えられない……! エミリア様をどうにかして!」
「そ、そうだな。エミリア嬢、パウラに謝罪を」
「何に対しての謝罪でしょう。わたしがパウラさんより美しい事ですか?」
「あはは! エミリア、もう本当に勘弁して。笑い死にする」
息を荒げてレオシス様が笑うけれど、笑い事ではないというのを分かっているのだろうか。
わたしは小さく息をつくと、笑い過ぎて咳き込んでいるレオシス様の腕をそっと叩いた。
レオシス様はわたしを腕の中から解放してくれるけれど、今度は腰に手を回して抱き寄せてくる。笑い過ぎて琥珀の瞳には涙が浮かんでいた。
「エミリア様が意地悪な事についての謝罪に決まっているでしょう!」
「あら、わたしが意地悪?」
声を荒げるパウラ様からは、先程までの可憐な雰囲気が消え去っている。スヴェン殿下も戸惑っているようだけど、それでもパウラ様を咎めるような事はしないようだ。
それにしても、わたしが意地悪なら……パウラさんはどうなのかしら。
雲が厚くなって陽が陰る。今にも雨が降りそうな程に暗くなった回廊に、明かりが灯った。回廊の天井に等間隔に設置された明かりが、パウラさんの髪を照らし出す。
「ねぇパウラさん、素敵な髪留めをしているのね」
わたしの言葉に、パウラさんは怪訝そうな顔をする。
まだ伯爵家の養女になっていないパウラさんの身分は平民だ。いまは神殿預かりとなっていて、神殿は清貧を尊んでいる。パウラさんに髪飾りを贈る事はないだろう。
では、誰から?
婚約者のいないパウラさんが、誰から髪飾りを貰うと言うのだろう。宝石がたっぷり使われた金細工の美しい、高価なものを。
「これは……」
「誰からの贈り物かしら」
「私だ。何か問題があるというのか」
むっとした顔で答えたのはスヴェン殿下だ。その言葉にわたしの後ろで友人達が小さな悲鳴を上げた。ちらりと後ろを振り返ると、いつの間にか人が集まっていたらしく、友人以外の人達も驚いた様子でスヴェン様を見つめている。
「問題しかございませんわ。何を思って髪飾りを贈りましたの?」
「何を……? パウラが欲しいと言ったものを贈って何が悪い」
「その髪飾り、とても高価なものですわね。パウラさんは宝石の目利きが出来ないからと苛められたなんて仰っていましたが、充分目利きは出来ていましてよ」
そう言いながらわたしは自分の髪を彩る髪飾りに触れた。可愛らしい花はピンクトパーズで出来ている。これはレオシス様からの贈り物。
「この国で髪飾りを贈るという事が、どんな意味を持つかご存知でしょう?」
我が国では昔から、髪飾りに想いを込める。
家族から髪飾りを贈られるのは子どもの時だけ。成長すれば髪飾りを贈る事が出来るのは、想いを重ねた者だけだ。
それは王族も、貴族も、平民も同じ。
だから「知らなかった」なんて事はありえない。
「ましてやスヴェン殿下には婚約者がいらっしゃるではありませんか」
「スヴェン様は悪くないわ! あたしが、あたしが……綺麗だから欲しいって、そう言っちゃっただけなの……」
わっと泣き出したパウラさんは両手で顔を覆っている。そんな彼女を慰める為か、スヴェン殿下はパウラさんの肩をそっと抱いている。
後ろに控える側近候補の令息達もパウラさんに心配そうな眼差しを向けていたり、わたしを睨みつけたりと忙しい。
「パウラさんのそれって、意地悪ではないかしら」
「……は?」
わたしの声に、パウラさんが顔を上げる。目尻が濡れているけれど、その目にはわたしへの怒りが宿っていた。
ぱたぱたと、回廊の屋根に雨の当たる音が聞こえた。先程よりも分厚くて黒い雲がとうとう雨を落とし始めたみたいだ。
雨脚は一気に強くなり、さあっという音を響かせている。
「婚約者のいる男性に髪飾りを強請るのは良い事? 婚約者の方から見たら、意地悪をされているみたいじゃなくて?」
「意地悪なんかじゃ……」
「婚約者を奪おうとしているのは意地悪い事ではないの?」
「あたしは、そんなつもりじゃ……」
「エミリア嬢、そのくらいにしてくれ。パウラはまだ慣れていないんだ。この髪飾りも邪な想いがあってのものじゃない。日々を頑張っている彼女への労いだ」
さすがに分の悪さを感じ取ってか、スヴェン殿下の物言いにも先程までの勢いはない。
自分が何をしたのかは分かっているのだろう。でもきっと、ここまで大事になるとは思っていなかったのだ。その甘さで婚約者を失う事になるのだと、きっとまだ理解していない。
スヴェン殿下の婚約者である公爵令嬢を思い浮かべる。優秀で妃教育だってほとんど終わっているあの人が、いつまでもスヴェン殿下の婚約者で居続けるわけがない。あの人は王太子妃になる人だもの。
「いつになったら慣れるんですの? 貴族としての責任や振る舞いについて学ぶ気持ちがあるのなら、もっと真面目に学ぶ姿勢を見せても良いはずです。それに……労いだと仰いますが、あえて髪飾りを選ぶ理由が分かりませんわ」
「別にいいじゃない。だって綺麗だったんだもの」
「パウラさんの性根が曲がっているというのは理解しました」
「なっ……! ひどいわ!」
隣でレオシス様が噎せている。拳を口元に押し当てて笑い声を堪えているようだけど、それは意味を成していない。
「レオ様、今の言葉は意地悪だったわね」
「いや、本当の事だから意地悪じゃないよ」
意地悪な言い方をした自覚はあるけれど、わたしの事を意地悪だと言ったのはパウラさんだからまぁいいだろう。
「レオシス、君もいい加減にしてくれ。今日の事は不問にするから、パウラの元に戻るように」
「いえ、お断りします」
深く息を吐いて呼吸を整えたレオシス様は、いつものように温和な笑みを浮かべたままできっぱりと言いきった。
まさか断られると思っていなかったのだろうスヴェン殿下は、愕然としてレオシス様を見つめている。
「世話係というのも本当は断ったんです。陛下が条件をつけて下さったので受け入れたまでで」
「なに……?」
「パウラ嬢に学ぶ気がないのなら、世話係をやめていいと。二週間が経っても学院に慣れず、真面目に授業を受ける様子もない。もう解放されてもいいでしょう」
「では私が再度命じよう」
「いえ、お断りします」
「レオシス! 不敬だぞ!」
スヴェン殿下が顔を赤くして叫ぶけれど、レオシス様は何も気にしていないようで表情を変える事はなかった。
殿下の後ろに控える令息達も、何やら喚いているけれどそれもレオシス様に響く事はないようだ。
「不敬を働いた俺達は、殿下の前から消えましょう。俺を側近にという話もなくして下さって結構です。パウラ嬢をうちの分家で引き取るという話もなかった事に」
「えっ⁉ あたしは関係ないでしょう!」
「今までの話をちゃんと聞いてた? 醜聞の種にしかならない君をうちで受け入れるのは勘弁だね。君が問題を起こすようなら養女の話も無かった事にするって、もう話はついているんだ。それは君にも説明されていたけれど、聞いてなかった?」
「あたしは問題なんて起こしてないわ。髪飾りの件は申し訳なかったと思うけれど、でもそれだけでしょう。これからはちゃんと真面目に貴族としてやっていける」
「うん、そういうのはもういいんだ。君が何を言おうとも、もう信用は出来ない。信用出来ない者をうちに入れるわけにいかないからね」
顔色を悪くしたパウラさんが縋るけれど、それもレオシス様には届かない。
今になって焦り出しても、もう遅いのに。
「レオシス、側近にならないというのはどういう事だ」
「言葉のままです。また不敬をはたらいてしまうと思うので、辞退します」
「そんな事は罷り通らない!」
「いえ。元々公爵家は中立でどこの派閥にも属していないですし。年が同じというだけで側近候補に入れられていただけです」
「しかし……!」
スヴェン殿下が焦るのも当然だろうと、わたしはもう他人事のように見ていた。
レオシス様がスヴェン殿下の側近になれば、ローヴァイン公爵家は第一王子の派閥に入る事になる。それは公爵家本家だけでなく、それに連なる家も同じく。
そして婚約を結んでいる我が侯爵家も追随する事になる。
でもスヴェン殿下は、その後ろ盾を失ったのだ。このままでは立太子する事は不可能だろう。きっと殿下の婚約者も離れるもの。
「では俺達は失礼します」
恭しく頭を下げるレオシス様に倣って、わたしも膝を曲げた。後ろで見守ってくれていた友人達も同じようにしているのが衣擦れの音で伝わってくる。
「レオシス! 待ってくれ!」
「レオシス様! エミリア様も! 申し訳ありませんでした!」
スヴェン殿下もパウラさんも慌てたようにわたし達を呼び止める。
わたしはもう掛ける言葉もなかったのだけど、レオシス様はわたしの腰をしっかりと抱いたままで彼らへと振り返った。
「俺の可愛い婚約者を貶しておいて、俺がそちらの味方をするとでも?」
いつもは穏やかに凪いでいる琥珀色の瞳が、凍てつく程に冷たい光を放っていた。
刃を思い浮かばせるような表情に恐れをなしたのか、もう呼び止められる事はなかった。




