6.正気とは思えない
「何の騒ぎだ!」
大きな声に、またひとつ深い溜息が漏れた。わたしの肩に頭を乗せたままのレオシス様も同じように溜息をついているから、なんだかおかしくなって少し笑った。
回廊の向こうからやってきた一団。その先頭を歩くのは第一王子のスヴェン殿下だった。その後ろには彼の側近候補の令息達が付き従っている。
レオシス様もスヴェン殿下の側近候補であるのだけど、学院内で侍る事は少ない。今はパウラさんのお世話係をしているし、その前はいつも、わたしの傍に居てくれていたから。
「スヴェン様!」
パウラさんはスヴェン様へ駆け寄ると、その腕にぎゅっと抱き着いた。
その様子にわたしの友人達が騒めくけれど、まぁこれもいつもの事だ。
「どうしたパウラ、泣いているではないか」
泣いていたかしら。
そう不思議に思うと、レオシス様も同じ事を考えていたらしい。わたしを腕に抱いたまま首を傾げている。
「えっと、なんでも……ないんです」
そう言って微笑んで見せるパウラさん。確かに庇護欲を誘い、健気な雰囲気に見えるのだろう。
何かあったのは間違いないのに、それを押し隠して気丈に微笑む美少女。彼女の演じる役割はそんなところか。
それに対峙するわたしは──さながら悪役令嬢だ。最近の恋愛小説には定番のお約束。
「無理をしているのだろう。おいレオシス、お前はパウラの世話係だろう。どうしてパウラの側に居てやらない」
「もう世話係もいいのではないかと思いまして」
「命令を放棄するつもりか。学院に不慣れなパウラが可哀想だと思わないのか」
スヴェン殿下は苛立ちを隠さずに語気も強くレオシス様を睨みつける。側近候補の令息達もみな同じような表情をしていた。
スヴェン殿下だけでなく、彼らも篭絡されているのか。
「入学してからもう二週間です。世話係もお役御免でしょう」
「まだ二週間だ! パウラがまだ馴染めていないのは、見ればわかるだろう」
淡々としたレオシス様の声はどこまでも冷静だった。
語気を荒げるスヴェン殿下とは対照的だ。
「スヴェン殿下、よろしいでしょうか」
わたしは扇を閉じてから、片手を挙げて発言の許可を求めた。学院内では本来、話しかけるのに許可を取る事は必要ないとされているのだけど……スヴェン殿下はそういった事に細かいのだ。
「なんだ」
「パウラさんは学園に馴染もうとされているのでしょうか。貴族としての振る舞い、常識を学びに来ているのに、全く身についていないご様子。わたし達の考え方も古いと言われてしまっては、本当に貴族として生きる覚悟があるのかと疑問に思ってしまいますわ」
「ふん、パウラの可憐さが君達にとっては面白くないかもしれんな」
可憐? 奔放の間違いではなくて?
わたしとスヴェン殿下の見ているものは違うようだ。漏れそうになる溜息を呑み込むと、それに気付いたのかレオシス様が吐息交じりに笑みを零した。
「エミリア嬢、パウラが泣いている理由を君は知っているのだろう。その原因によっては私も黙っていられないぞ」
「あら、泣いているとは存じ上げませんでした。先程までは元気に囀ってらしたので」
微笑を浮かべながらそう口にすると、スヴェン殿下に抱き着いたままのパウラさんが怒りの形相でわたしを睨む。スヴェン殿下も側近候補の彼らも気付かない位置で。随分と器用な事だ。
「苦言を申し上げる事はいたしました。婚約者の居る男性に触れる事は控えるようにと。それから……レオシス様がパウラさんの事を慕っていると勘違いなさっているようなので、それも正しました」
「はっ、醜い嫉妬か!」
悪態をついたのはスヴェン殿下ではなく、側近候補の一人だった。わたしを指差し、蔑むような表情は醜悪に見える。
小さな舌打ちにレオシス様を見ると、いつもの笑みは消えていた。わたしの為に怒る彼を宥めるよう、腕をそっと撫でやった。
「嫉妬ではなく事実を申し上げております」
「まったく可愛げがないな」
「少しはパウラを見習ったらどうだ」
「その通りだな。君達令嬢はパウラに比べて醜いんだ。その性根が表情に出ているぞ」
「エミリア嬢、レオシスがパウラに惹かれているのは仕方がない。こんなにもパウラは美しいのだから」
「みんな……そんな事言ったら、エミリア様達が可哀想よ」
側近候補達が口々に文句を言い、それに対してパウラさんははにかんだように笑う。
スヴェン殿下も同意するように、うんうんと大きく頷いている。それを見て呆れ果てたのはわたしだけではないだろう。
それよりも、聞き捨てならない事がある。
「皆様、正気ですの? わたしが醜いとおっしゃいました?」
こんなにも美しい、わたしの事を?
これは自意識が過剰なわけでなく、事実だ。
金の髪は蜂蜜のように艶めいているし、青い瞳は宝石のように煌めいている。
肌艶もよく、スタイルだって良いと自負している。これらは毎日私を磨いてくれている侍女達のおかげだけれど。
絶世の美女である母によく似ているわたしを見て、醜いと言えるだなんて……この人達に必要なのは教育ではなくて医者かもしれない。
「パウラ様とわたし、どう見てもわたしの方が美しいでしょう。確かにパウラ様は整ったお顔立ちをされていますが、それでもわたしの方が美しいのは事実です」
「あはははは!」
わたしがきっぱり言い切ると、レオシス様が楽しそうに笑い声をあげた。堪えられないとばかりにわたしをぎゅうぎゅうに抱き締めて、うなじに顔を擦りつけてくる。
「美しい者にレオシス様が想いを寄せるなら、それはわたし以外にありえません。わたしはそれを充分に理解していますので、嫉妬する事もございません」
パウラさんは顔を真っ赤にして、何か言いたげに口を開いては閉じる事を繰り返している。スヴェン殿下も側近候補の令息達も、言葉を探しているようだ。
「皆様、わたしが美しくないと本気で仰いますの?」
「いや、たしかに……エミリア嬢は美しいが……」
「そうでしょう。わたしの事がお嫌いでも、それは事実ですのでお認めになるしかありませんわね」
とりあえずは満足した。
本題から随分ずれてしまったけれど、ここは譲れないのだから仕方ない。
わたしが満足げに頷くと、わたしを抱き締めたままのレオシス様が深い息を吐いた。漸く笑いも収まったらしい。笑う所なんてあっただろうかと思うけれど。
「本当に、俺の婚約者は最高だね」
「わたしは事実を述べているだけですわ。否定はなさらないでしょう?」
「もちろん。エミリアが一番綺麗だ」
「ふふ、分かっていますわ」
わたしを見つめる琥珀色の瞳に熱が宿っている。甘えるように髪に頬を擦り寄せてくるから、笑みが零れた。
「……相変わらずね、この二人は」
「まぁまぁ。やっと見慣れた風景ですわ」
「エミリア様が元気になって、わたくしも嬉しいです」
背後でグレーテが溜息をついている。
わたしは肩越しに振り返り、グレーテに向かって片目を閉じて見せた。
グレーテも友人達も、穏やかな表情でわたし達を見つめてくれていた。




