5.寄り添う二人
薄曇りの、春の午後。
昨日までの麗らかな陽射しはどこに行ってしまったのか。風も冷たくて、最近の陽気で咲いた花達が揺れているのも、寒いと身を震わせているように見えた。
春にしては冷える日だった。
そんな寒さを感じる貴族学院の回廊で、わたしは少し前を歩く二人組をぼんやりと見つめていた。自分の髪を彩る、花を模した髪飾りに触れながら。
パウラさんのよく手入れされた黒髪には繊細で美しい髪留めが飾られているのが見えた。
そのパウラさんの隣に居るのはレオシス様。スヴェン殿下はいない。
殿下がいたらある意味では賑やかになるから、近寄りたくはないのだけど……でも、この二人で歩いているのなら、殿下もいてくれたらよかったのになんて思ってしまう。
二人は仲睦まじげに笑いながら歩いている。パウラさんの頬は薔薇色に染まっていた。それを見ているだけのわたしは、傍から見たら滑稽に見えるのだろうか。
そんな事を考えていたら、不意に強い風が吹いた。
風にバランスを崩したのか、高い悲鳴をあげながら、パウラさんがレオシス様の腕に抱き着いた。その拍子にレオシス様の顎辺りまであるピンクの髪がさらりと揺れる。
頬を染めてレオシス様を見上げるパウラさんは、恋する乙女の顔をしていた。
「エミリア様、そろそろお声掛けをしたほうが……」
わたしと共に回廊を歩いていた友人達が非難の声をあげはじめた。
「エミリア、我慢することはないのよ」
グレーテも心配そうに声をかけてくれる。
広がる騒めきに、わたしは片手をすっと上げる。それだけでこの空間は静まり返った。
後ろでわたしが見ていることにも気づかずに、パウラさんはレオシス様にくっついたままお喋りをしている。鈴の鳴るような可愛らしい声は、わたしの元にもよく届いた。
「ねぇレオシス様、今日は一緒にお出掛けしてください。宝石の目利きが出来ない事でちょっと苛められちゃって……本物を見たら少しは分かるかなって思うんです」
彼が何かを答えるよりも早く、わたしは持っていた扇を閉じた。パチン、と強い音が回廊に響く。
その音に気付いた二人が、わたしの方へと振り返った。
「エミリア」
「……きゃっ!」
レオシス様はわたしを見て、嬉しそうに微笑んでいる。わたしが好きな、穏やかな笑み。
パウラ様は悲鳴をあげて、レオシス様の後ろに隠れてしまった。レオシス様の制服をぎゅっと掴み、わたしへと怯えるような視線を向けてくる。
まだ何も言っていないのだけど。
そう思ったのはわたしだけじゃないようで、グレーテをはじめとした友人達から怒気が上がるのが分かった。
「レオシス様、パウラさん、ごきげんよう」
閉じた扇を持ったままで二人に歩み寄ると、パウラさんがまた悲鳴を上げた。
「パウラさん、以前からお話をしているのだけど……お耳に入っていないのかしら」
「そんな言い方、ひどいです!」
「ではわざと聞き入れていないのね。何度でも言うけれど、婚約者の居る男性に触れる事は控えた方が宜しいわ。今まではそれも許されたかもしれないけれど、ここは学院。貴族子女としての振る舞いのお話よ」
「えっ、でもこれくらい全然普通じゃないですか? 皆さんの考え方が古いっていうか……」
いつの間にかレオシス様がわたしの隣に移動してきている。
パウラさんはそれに気付いて少しだけ眉をひそめるも、すぐに泣き出しそうに表情を歪めた。庇護欲をそそるんだと、クラスで誰かが言っていたっけ。
「あなたは貴族としての振る舞いを学ぶ為に、ここに来ているのでしょう。あなたの行動がそれに相応しいものなのか、今一度振り返ってみたらいかがかしら」
「そんな言い方ひどいです! そんな意地悪だからレオシス様に嫌われちゃうんですよ!」
パウラさんの甲高い声が耳に響いて不快だった。
それはわたしだけじゃなかったようで、隣に立つレオシス様の機嫌が急降下していくのが分かる。ちらりとその表情を窺い見ると、いつものように微笑んではいるけれど……目が笑っていない。
わたしの視線に気付いたレオシス様が、わたしを見下ろしてにこにこと笑う。わたしの大好きな表情だった。
「パウラさん、レオ様がわたしを嫌うわけないのよ」
「はぁ⁉」
「見たら分かるでしょう。こんなにもわたしの事が好きだって、そういう顔をしているのが」
レオシス様がわたしを嫌いになるなんてありえない。
わたしは彼に愛されてきた自信があるもの。わたしの気持ちだって、レオシス様には真っ直ぐに届いている。
パウラさんは憎々し気にわたしの事を睨んでいる。先程までの可憐な様子は一切ないけれど、いいのだろうか。
レオシス様はわたしの事を背中から抱き締めて、機嫌よく笑う。先程までは風が冷たかったのに、いまはもう寒くなかった。
「俺の婚約者が超絶可愛い」
「どこでそんな言葉を覚えてくるんです?」
「いま流行りの恋愛小説」
「そんなセリフあったかしら」
大袈裟に溜息をついて見せると、レオシス様が低く笑った。吐息が首筋にかかって擽ったい。
「待って、レオシス様……あたしの事が好きなんじゃ……。あたしとずっと一緒に居てくれたのに……」
パウラさんはわたしを睨みつけたまま、小さな声でそんな事を口にする。
わたしを抱き締めるレオシス様の腕に、力が籠もった。
「レオ様があなたと一緒に居たのは、あなたの世話係に任命されたからでしょう」
「そう、王命だから断れなかった」
「嘘よ、そんなの。だってあたし達の関係は命令されたものじゃなくて……」
「命令よ。勘違いも程々になさいな」
「いつだってあたしに笑いかけてくれたわ!」
「レオ様はいつだって微笑んでいるけれど。わたしに向ける笑みと違うのなんて見たらわかるでしょうに」
ゆっくりと開いた扇で口元を隠し、溜息をつく。
これで自分の振る舞いを正してくれるといいのだけど。別に彼女を苛めたいわけではないのだ。
貴族として生きていくのなら、それ相応の術を身に付けた方がいい。貴族には果たさなければならない責任があるのだから。
また繰り返しになってしまうけれど、貴族としての在り方を説かなければならない。
彼女が聞き入れないとしても。




