4.ささやかな願い
帰宅したわたしを玄関ホールで出迎えてくれたのは、弟のキールだった。
わたしの姿を見て、ほっとしたように表情を和らげるから、何かあったのかと首を傾げた。
「おかえりなさい、姉さん」
「ただいま。何かあった?」
「ううん、無事に帰ってきてくれて安心しただけ」
わたしよりも二歳年下の弟、キールはまだ学園入学前にも関わらずすっかりと大人びてきたように思う。優しくていい子に育ってくれたように見えるのは、姉の贔屓目かもしれない。
ついこないだまで、わたしを見上げていたはずなのに。
今では視線の高さが同じなのだから、この分では近いうちに身長も抜かされてしまうだろう。
「なんか姉さん、甘い匂いがする」
「カフェに寄っていたせいかしら。今度一緒に行く?」
「姉さんの行くお店なら、とても可愛い場所なんでしょ。ちょっと気後れしちゃうな」
「ふふ、否定はしないけれど。キールが行きやすそうなお店をグレーテに聞いておくわね」
頭を撫でると、わたしと同じ金髪が揺れる。
少し頭を出すようにして大人しく撫でられている姿は、まだ幼い頃の面影が見えた。懐かしくて笑みが浮かんでしまう。もう少しだけその手触りを堪能してから、手を下ろした。
「またあとでね」
「うん。今日は姉さんの好きなベリーのタルトがデザートに出るらしいよ」
「嬉しい。着替えたら食堂に向かうわ」
キールと別れ、自室に向かう。
肩越しに振り返ってその背中を目で追いかけると、足取り軽く厨房へと向かうようだった。タルトでわたしが喜んでいたと、それを伝えに行くのだろう。
きっと夕食の用意も、もう少しで出来るはずだ、遅れないようにしなければ。
家族だけの食事だと、うちでは晩餐室を使わない。
四人で囲み、料理が並べばいっぱいになるほどのテーブルで食事をいただくのが常なのだ。
距離が近いと話も弾む。お互いの瞳の奥に潜む何かも読み取ることが出来る。
食事の場は、わたし達にとって交流の一つでもあった。
父が口を開いたのは、デザートのタルトにフォークを入れた時だった。
「隣国との国境付近に盗賊団が現れているそうだ」
「まぁ、なんてこと……」
父の言葉に、母が眉を下げて溜息をもらす。
わたしのタルトにはフォークが入ったまま、動かせないでいた。
「ローヴァイン公爵領に近い場所ですか?」
レオシス様のローヴァイン公爵領も隣国との国境に近い。
国境を接するのは辺境伯家の領地だけれど、公爵領は辺境伯領に隣接している。
「いや、被害は国境周り。隣国と辺境伯領にまたがっているようだ。公爵領からも騎士団が出征したとは聞いているが」
「そう、ですか……」
「辺境伯の防衛軍と公爵領の騎士団が協力している。盗賊団もすぐに捕縛されるだろう」
辺境伯領も公爵領も、軍備が手厚く治安のいい場所だ。
きっと事件もすぐに解決するだろう。それは分かっているのに、なんだか胸の奥に燻る不安は消えてくれなかった。
「それでだ。王都の情勢不安があるわけではないが、お前たちの護衛も増やすことにする。出掛ける時にはそれとなくついて行かせるから、決して撒いたりしないように」
「僕たち、そんなことしたことないでしょ」
「念のためだ。それから今までと同じように、出掛ける際には必ず行先を告げていくようにな」
「分かったわ」
「はぁい」
父が心配しているのは分かるし、それを無碍にするつもりもない。
わたしもキールも大人しく頷くと、満足そうに父は頷いた。
***
自室に戻り、湯浴みも済ませたわたしはソファーに座って深い溜息をついた。
なんだか少し疲れているようだ。
今日のパウラさんの件が尾を引いているのかもしれない。それと……レオシス様と一緒に過ごす時間が減っているのが辛い。
もう少しの辛抱だと分かっているのに。
また零れそうになった溜息は、ノックの音に驚いたことで飲み込んだ。
応えると、入室してきたのは母だった。後ろには母の侍女がティーワゴンを押している。
「エミリア、お茶にしない?」
「……お茶?」
「ええ。美味しいハーブティーを教えてもらったの。よく眠れるらしいから、飲みながらすこしお喋りしましょう」
小さく頷くと、母はわたしの隣に腰を下ろした。
ほぼ準備を済ませていたらしく、侍女はあっという間にわたしと母の前にハーブティーを用意する。蜂蜜の入ったガラス瓶をテーブルに置いて、侍女は部屋を後にした。
ガラスのティーカップには美しい金色のお茶が満たされている。
早速カップを持ち上げると、林檎のような甘くて優しい香りがした。飲んでみると苦みはなく、後味はどことなくフルーティーだ。
「……飲みやすい」
「甘さが欲しかったら、蜂蜜もあるわよ」
母は蜂蜜を少しだけ垂らしているようだ。それも美味しそうだと思った。
「それで、わたくしの可愛いエミリアは何を悩んでいるのかしら?」
カップをソーサーに戻した母は、わたしの方へと体を向けて問いかける。
わたしと同じ瑠璃色の瞳が優しく細められて、それを見ると……胸の奥からぐっと感情が込み上げてくる。
「……今日ね──」
わたしはぽつぽつと、今日の出来事を話し始めた。
今日の件だけではなく、今までのパウラさんの振る舞いにも話は飛ぶ。それから、レオシス様が側にいない寂しさのことも。
話が散らかっているにも関わらず、母はただ静かに、わたしの話を聞いてくれた。
「……そう。それは大変な思いをしたわね」
「でも、本当に大変なのはレオシス様だわ。それから、アンネリーゼ様も」
「アンネリーゼ嬢のことは大丈夫よ。あなたも知っているでしょう」
母の言葉に、第二王子殿下が帰国したことを思い出す。
頷くと、母はわたしの肩をそっと抱いた。甘えるように頭を預けると、母の香水の匂いがした。華やかだけど、息苦しくない。大好きな香り。
「レオシス殿もきっと、あなたと一緒に居られなくて歯痒い思いをしているでしょうね」
「ええ、きっとそうね。彼は……わたしを大事に想ってくれているから」
レオシス様の想いを疑ったことなんてない。
どれだけ距離が離れても、一緒に過ごす時間が減ってしまっても、彼の気持ちはわたしに伝わっているから。目が合った時に深まる瞳の色も、わたしの名を呼ぶ優しい声も、想いを乗せているから。
「それでも、寂しい気持ちは別問題よ。想いが通じ合っているから余計に寂しい気持ちが募るのかもしれないわね」
「……わたし、パウラさんにヤキモチを妬いているんだわ。わたしは側に居られないのに、彼女はレオシス様の隣にいるんだもの。彼女の振る舞いに口を出す理由は、嫉妬しているからかもしれない」
「それは嫉妬だってしてしまうでしょう。その気持ちを無理やり飲み込むことはないわ。あなたがそのパウラさんに指摘していることは、私情を含んでいない真っ当なものよ。あなたはちゃんと、その二つを切り離している。えらいわ」
「……ありがとう」
なんだか泣いてしまいそうで、わたしは母から離れてカップを手にした。
先程よりも少し温くなったハーブティーは飲みやすいけれど、これ以上冷めたら苦みが出てしまうかもしれない。
「久しぶりに、こんなに気落ちしたかもしれないわ」
「レオシス殿と一緒に過ごすようになって、あなたは変わったものね」
引っ込み思案で大人しかったわたしを、レオシス様が引き上げてくれた。
明るい場所に連れ出してくれた。その時を思い出すと、心が温かくなる。
「またいつだって話を聞くから、あまり思いつめちゃだめよ。それに……きっともうすぐ、以前のように楽しく過ごせるようになるわ」
わたしの頭を撫でてから、予言めいた言葉を残して母は部屋をあとにした。
今日ずっと燻っていたもやもやとした気持ちが、消えているのが分かった。
自分ひとりで抱え込まないで、母と話せたのが大きいみたいだ。
「でも……やっぱり側にいたいわ」
ぽつりと零した言葉は、恋の色に染まっている。
そんな自分を少し笑って、わたしはハーブティーを飲み干した。




