39.刃はもう届かない
数日後、ラナが遊びに来ることになった。
もちろんペルーシュ夫人も一緒だ。
都合伺いの手紙へは「両親が外出するけれど、それでも良ければ」と返事をしてある。
二人がわたしに何を話すためにやってくるのか、簡単に想像がついてしまって溜息が出た。
***
そして迎えた当日。
今日のデイドレスも、髪型も、アクセサリーも全部自分で選んだ。
今までは自分のセンスに自信がなかったけれど、皆が褒めてくれることを素直に受け止められるようになっている。
今日の装いは、わたしの鎧だ。
わたしを傷つけるためのラナの言葉から、自分を守るための鎧。
自分の好きな装いで、自信を持って彼女と会いたいと思って選んだものだ。
自分によく似合っていると分かっているけれど、母が褒めてくれたから安心してしまったのは顔に出ていたかもしれない。
「ねぇ、いつになったら私を養女に迎えてくれるの」
お茶の準備を終えた侍女が応接室を出た瞬間、ラナはそう切り出した。
ラナの隣に座るペルーシュ夫人は、すまし顔で紅茶を飲んでいる。
わたしは細くて長い息を吐き、それから深く吸い込んだ。
ラナを真っ直ぐに見つめて、口を開く。思えば……こうしてラナを真正面から見つめるのは久しぶりかもしれない。
「養女に迎える必要はないわ。フューラー侯爵家にはわたしがいるもの。レオシス様との婚約をあなたに譲るつもりもない」
「はぁ!? 自分がレオシス様に相応しいと思っているの?」
「相応しくありたいと思っているわ。レオシス様もわたしがいいと言ってくれているの。だからあなたが侯爵家に養子に来る必要もないのよ」
心臓がドキドキと騒がしい。
間違ったことを言っていないのは分かっているのに、こうして反論をすることなんてなかったから緊張してしまう。
口の中が渇いて、わたしはカップを手に取った。紅茶を一口飲み、音を立てずにソーサーに戻す。何度も繰り返し練習してきたお作法は、わたしの心を映さない。緊張しているなんて、ラナ達には分からないだろう。
「出来損ないのくせに! おじ様だって私が娘になった方がいいに決まっているわ」
「あなたはいつもそうやってわたしを蔑むけれど、それが出来るほど優秀なのかしら」
「……は?」
「礼儀作法も言葉遣いもわたしの方が綺麗だし、お勉強だってあなたよりも進んでいるわ。魔法の練習だって欠かしていないし、見た目にだって気を遣っているの。侯爵家に相応しいように、レオシス様の婚約者として恥ずかしくないように努力をしているのよ、わたし」
言い返されると思っていなかったのだろう。
ラナは唖然としている。ペルーシュ夫人は不快だとばかりに眉を寄せ、扇を開いた。
「エミリアさん、それはラナに失礼よ」
「失礼なことを言っているのはラナの方だわ。わたしに出来損ないって言って、怒鳴ったんですもの」
「だってあなたが出来損ないだというのは、本当のことでしょう?」
「たとえば、どんなところが? わたしは出来損ないではないって、そうならないように努力しているって言いきれるもの」
心底分からないというように、小首を傾げて見せた。
きっと彼女達が苛立つだろうというのは理解しながら。
「エミリアのくせに! なんで今日はそんなに生意気なの!」
「今までがおかしかったのよ。そう気付いたの」
ペルーシュ夫人の持つ扇が、パキパキと鳴っているのが聞こえた。
怒りに力が籠っているのだろうけれど、感情を隠せていない時点で扇の使い方がなっていないわ。
「エミリアさん、あなたの居る場所は元々ラナの物だったって分かっている?」
「それが分からないのよ、ペルーシュ夫人。夫人とお父様が結婚するはずだったっていうお話も信じていないのだけど、もしそうだったとして。その場合にラナが生まれることはないでしょう?」
「私がお従兄様と結婚しても、ラナは生まれているわ」
「ごめんなさい、ちょっと意味が分からないわ」
本気で言っているらしいペルーシュ夫人の様子に、眩暈がしてくる。
十二歳のわたしだって、分かることなのに。分かっていても、それを理解したくないだけだろう。
「ごちゃごちゃ言っていないで、私に返しなさいよ!」
勢いよく立ち上がったラナが、わたしを指差して叫ぶ。
わたしは困ったように眉を下げ、頬に手をあてながら溜息をついて見せた。
正直なところ、怖くないと言えば嘘になる。
自分に自信がついてきたとはいえ、ずっと長い間、ラナに刃を向けられてきたのだ。
彼女に責められると、弱い自分に戻りそうになってしまう。
でも、それではだめなのだ。
いつまで経っても変われない。
堂々と皆の優しさを、愛を、受け止められる自分になりたいのだから。
「返せと言われても。あなたのものだった事なんて、一度もないのよ」
「うるさいうるさいうるさい!! ずるいじゃない! あんたは最初から全部持ってて! 裕福な暮らしも、侯爵令嬢としての地位も! ずるいのよ! ひとつくらい分けてくれたっていいじゃない! 私にも寄越しなさいよ!!」
地団太を踏むラナの姿に、呆気に取られてしまった。
彼女がわたしを羨んでいたのも、妬ましいと思っていたことも分かったけれど……だからといって、わたしの持っているものを譲るわけにはいかないのだ。
「レオシス様を頂戴! ひとつくらいいいじゃない! ずるいずるいずるい!!」
「だめよ。絶対に譲らない」
わたしはラナから奪ったわけじゃない。
妬ましく思うのは勝手だけど、わたしだって大切なものを譲るわけにはいかないのだ。
「エミリアさん、聞き分けの悪いことを言わないで。やっぱりあなたはあの女の娘だわ。図々しくて憎らしいところなんて、そっくりだもの! 私からお従兄様を奪ったあの女みたいに、あなたもラナから全部奪っていくのね!」
ペルーシュ夫人が扇を床に投げ捨てる。
憎々し気に吐かれた言葉に、かあっと体に熱が籠るのが分かった。
どうしてそんなことを言われなくてはならないのか。
お母様だって奪っていない。どうして手が届かないものを妬んで、引きずり落とそうとするの。
「もういい加減にしてください! あなた達の被害者意識にはうんざりだわ」
そう言った瞬間、ラナが紅茶のカップを手にするのが見えた。
まだ熱い紅茶で満たされたカップがわたしに向かって投げつけられる。
カップから溢れた紅茶が放物線を描くのが、時間の流れが変わったかのようにゆっくりと見えた。
ぶつかる。
そう思った瞬間、わたしの目の前に光の壁が現れた。
光の壁に弾かれたカップは、まるで操作されているかのようにラナに向かって戻っていく。
避ける間もなく、ラナにカップがぶつかった。
「痛い!」
幸い、紅茶は全てテーブル上に零れていたから火傷はしなかったみたいだけど。
顔を押さえながら、ラナが憎らし気にわたしを睨む。ラナの肩を抱いた夫人も、同じ表情をしている。
二人はそっくりな顔をしていると、改めて思った。
「俺の婚約者を傷つけるな」
扉が開き、入ってきたのはレオシス様だった。
その後ろには、わたしの両親も続いている。
三人の姿を見て、先程までの怒りはどこにいったのか──ラナとペルーシュ夫人は揃って顔を青くしていた。




