38.愛されている
レオシス様と婚約をしてからというもの、なんだか……すべてが上手く回っている気がする。
人の前に出る時にはやっぱり緊張するけれど、それでも以前のように焦ってしまうようなことが減った。
人の好意を素直に受け取れるようになった。
自分の好きなもの、素敵だと思ったものを堂々と選べるようになった。
「レオシス様は魔法が得意と聞きました。もしかして、わたしにも何か魔法をかけて下さったのではないかと、そんな夢物語のようなことを考えてしまうのです」
あまりにも最近のわたしが、以前と違うものだから、そんなことを口にしてしまった。
ローヴァイン公爵家で開かれた、レオシス様とのお茶会の席。
わたしの向かいに座っているレオシス様は、紅茶を飲もうと持ち上げたカップを途中で止めて、目を丸くしてわたしを見ている。
「なにそれ、可愛いな」
くつくつと低く笑ったレオシス様は、紅茶を飲まずにカップをソーサーに戻した。
笑われたことで、おかしなことを言ってしまったとのだと気付いたけれど……でも、あながち間違っていないのではないかと思うのだ。
「まず、エミリアが堂々と振舞えるようになったのは、礼儀作法を改めて学び直しているからでしょ。自信がついたことが大きい」
「はい。礼儀作法の先生にも褒めていただけるようになりました」
「人の好意に気付けるのは、自分もそれを認めてあげられているから。……前よりも自分に自信がついたんじゃないかな」
「そうですね……そうかもしれません」
レオシス様は立ち上がり、わたしの隣へ自分の椅子を移動させた。
先程までより距離が近付いて、少し恥ずかしく思ってしまう。
「好きなものを選べるようになったのも、自信がついたからだと思う」
「以前は、わたしが選んだものが周りにどう見られるかばかり、考えていたかもしれません」
「だからさ、全部エミリアが自分に自信をつけることが出来たからなんだよ。たくさん学んで、身に着けた自信がエミリアの盾でもあり剣でもある。全部エミリアが努力して、自分で頑張ってきた成果だね」
そう言って優しく笑ったレオシス様は、ケーキスタンドからチョコレートをひとつ摘まんだ。
艶々で、金の粉がまぶされた夜空みたいに綺麗なチョコレート。
唇に押し付けられて、わたしは口を開いてチョコレートを口に含んだ。
甘くて、美味しい。体温で溶けたチョコレートの中からは、とろりと甘酸っぱいベリーのジャムが溢れてくる。
レオシス様が手ずからお菓子を食べさせようとしてくるのは、いまに始まったことじゃない。
最初は恥ずかしかったけれど、それを告げてもやめてくれないものだから、いつしかわたしが折れてしまった。今では口にに寄せられると反射で口を開いてしまうのだから、慣れとは恐ろしいものだと思っている。
礼儀作法の先生が見たら、卒倒してしまうかもしれない。
だからこれは、わたしとレオシス様だけの秘密だ。
わたしは口の中のチョコレートから、先程の話へと意識を戻す。
レオシス様はわたしに起こった変化を、わたしが努力した結果だと言ってくださった。
「でも……やっぱりレオシス様のおかげだと思うのです。レオシス様にふさわしくありたいと、隣に堂々と立ちたいと思って、努力を重ねているのですから」
きっかけがなければ、わたしは努力することもしなかった。
「それに、レオシス様がたくさん褒めてくださるから。初めてお会いした時も、そのあともずっと。お手紙でも、こうして顔を合わせても、たくさん褒めて……気持ちを伝えてくださるじゃないですか。だからもっと頑張ろうって思えるんです」
「……君のことを閉じ込めたほうが、世の為じゃないかと思ってきた」
「ええ?」
いきなりの物騒な発言に、目を瞬く。
レオシス様はいつもは冷静で穏やかなのに、時々こうして突拍子もないことを言い出すのだ。
「可愛くて誰の目にも見せたくない。あーあ、早く結婚出来る年になればいいのに」
「あと六年の辛抱ですわ」
「もう公爵家に住んじゃう? いや、でもそれはフューラー家からの心証が悪くなっちゃうな。じゃあ俺が侯爵家に住めばいいのでは?」
「レオシス様を奪ったと、ローヴァイン家からのわたしへの心証が悪くなってしまわないかしら」
「あの二人は俺よりも君の方が可愛いから大丈夫」
軽口が楽しくて、笑みが零れる。
こんな風に気を遣わない楽しいお喋りが出来るなんて、思っていなかった。
わたしが笑うと、レオシス様が嬉しそうに目を細める。
そんな時のレオシス様の瞳は、琥珀色というよりも、どろりと甘い蜂蜜みたいにも見えるから不思議だ。
「ねぇエミリア」
「はい」
レオシス様がわたしの手を握る。
指を絡めると、わたしよりも高いレオシス様の温度が伝わってくるのが分かる。
「ラナ・ペルーシュが君を傷つけようとしても、君の価値は傷つかないって分かっていてね。俺も、君の友人も、君の家族も……みんな、君のことを愛しているよ」
「……はい」
わたしがラナに言われたことを零してからというもの、レオシス様はよくこういったことを伝えてくれる。
ラナはわたしに嫉妬していて、傷つけたいのだと。
その刃がわたしの本質を傷つけることはないのだと。そう何度も繰り返して。
「でも君の価値が傷つかないとはいえ、君を傷つけるための刃を俺は許しておけない。それは、俺だけじゃなくて君の家族だって強く思っていることだ。だから……」
そう、このまま家族にラナのことを黙っているわけにはいかない。
「わたし、話します。まずは……母に」
「うん。君はさ、【刃を向けられた自分】という存在で、他の誰かが傷つくことを恐れている。そして刃さえも守ろうとしている。でも、俺達はやっぱり君が傷つけられているのが一番悲しいんだよ」
「……はい」
俯いたわたしの肩を、レオシス様が抱いてくれる。
寄り添うと、ふわりとコロンの香りがした。
母のことを傷つけたくなかった。
わたしが傷つけられていると知ったら、きっと母は悲しむもの。
それにラナやペルーシュ夫人の言葉は、母のことも傷つける。
わたしが飲み込めば、すべて丸くおさまるとおもっていた。でも、それではいけないのだ。
***
その日の夜、わたしは母の私室を訪ねていた。
湯浴みも済ませて、髪をおろした母は娘のわたしから見ても美しいと思う。
そんな母によく似ていると言われても、わたしはそれに頷けないでいた。
でもいまは誇らしいと思えるし、母はいつだってわたしの憧れなのだ。
「なにかあった?」
ソファーに母と並んで座る。
問いかけてくれる母の声はひどく優しい。その声はわたしへの愛と気遣いに溢れている。
どうしてそれを素直に受け止められなかったのか。
「あの、ね……お母様に相談があって」
「なんでも言ってちょうだい」
優しい瞳に見つめられて、泣きそう……と思った時には遅かった。
溢れる涙が、頬を伝っていく。母は驚いたように目を瞬いてから、わたしの目元をハンカチでそっとおさえてくれた。
「あ、あの……あのね──」
わたしは今までラナとペルーシュ夫人に言われてきたことを全て母に話した。
ずっと……落ちこぼれで、不出来だと蔑まれてきたこと。
わたしのことは誰も愛していなくて、疎ましがっているということ。
本当はペルーシュ夫人とお父様が結婚するはずで、ラナが侯爵令嬢だったということ。
ラナを養女にして、レオシス様との婚約を譲るよう言われていること。
全部、伝えた。
嗚咽交じりで支離滅裂で、言葉をうまく紡ぐことが出来なくても、お母様は急いたりしなかった。
呆れることもなく、わたしの背を優しく撫でながら、静かに話を聞いてくれた。
「……話してくれてありがとう。勇気のいったことでしょう」
「わ、わたしが……そんな風に蔑まれてるって知ったら、お母様も……情けなく思ってしまうんじゃないかって、悲しいんじゃないかって……っ」
「悲しくなるのは当然よ。大事な娘が蔑ろにされて、悲しまないわけがない。でもそれ以上に感じるのは、あなたが傷つけられたことに対しての怒りよ」
そう言ってお母様はわたしのことを抱きしめてくれた。
こうやってお母様の胸に飛び込むのは、いつぶりだろう。いつだってお母様はわたしを甘やかそうとしてくれていたのに、壁を作っていたのはわたしの方だ。
みなに疎ましがられているというラナの言葉が、ずっとわたしの心に棘となって残っていた。
そんなわたしが甘えて、迷惑がられるのが怖かった。
お母様はいつだってわたしを愛してくれているのに。
お母様に抱きしめられて、わたしは子どものようにわんわんと泣いた。
息が苦しくなって、目の奥が痛くなって、声がかすれてしまうくらいに。
泣き疲れて眠りに落ちるわたしの頭を撫でながら、お母様が笑ってくれたのは覚えている。
「エミリア、あなたはわたしの自慢の娘よ。あなたのことを愛してる」
優しい声に安心して、わたしは意識を手放した。
その夜に見た夢は、幼い頃のものだった。
父と母とキールとわたし。
何でもない日に、みんなでぎゅうぎゅうに抱きしめ合って、それがおかしくてみんなで笑っていた幼い日。
確かにわたしは……愛されていたのだ。
それは今も、変わらない。
わたしは、愛されている。
自信を持って、そう言える。




