35.変わりたい
わたしはレオ様に、侯爵家のお庭を案内することになった。
うちの庭には、大きな噴水がある。そこから流れる水路は庭の奥の池に繋がっていて、水路には小さな橋も架かっている。
「すごいね、大きな噴水だ。水路もあるのは珍しいな」
「噴水は祖父が、水路は父が作らせました。わたし達に水遊びをさせるために」
「それはいいね。遊んでる?」
「はい。弟と葉っぱで作った小舟を競争させたりしています」
「楽しそう。次は僕も混ぜてくれると嬉しいんだけど」
「ぜひご一緒ください」
にこにこと楽しそうに笑うレオシス様に、わたしの胸は高鳴るばかりだ。
輝く琥珀の瞳を見ていたいのに、視線が重なると恥ずかしくなって目を伏せてしまう。さっきからずっと頬が熱い。自分の顔がどんな色をしているのか、鏡を見なくても想像がついてしまうほどに。
わたしは何だか落ち着かなくなってしまって、噴水近くのベンチへとレオシス様を誘った。
快諾してくれたレオシス様と、隣合って座る。立っている時と同じくらいの距離感なのに、近付いてしまった気がする。
「……エミリア嬢は、僕との婚約をどう思う?」
レオシス様の言葉に、わたしは目を瞬いた。
こちらを見るレオシス様は、どこか不安そうにも見える。緊張しているのか、膝の上で拳をぎゅっと握った。
「とても、光栄なことだと思います。ですが……」
不安を零していいのだろうか。
レオシス様と一緒に居たい。でも、自分じゃレオシス様を支えることが出来ないかもしれない。
「気になることがあったら、言ってほしいんだ。といっても……言いにくいよね。じゃあ、僕から話してもいい?」
きっと、わたしが話せる準備が出来るまで待っていて下さるのだ。
その気遣いを有難く思いながら、頷いた。
「僕が君を初めて見たのは、メルディン伯爵家でのお茶会なんだ」
「グレーテ様の……」
「そう。僕は令息達の集まりに居たから、君と話せるチャンスはなかったんだけど。でも……君の居るテーブルだけが落ち着いていたのは分かったんだ」
落ち着いていた?
ちょっと思い当たる節はなくて首を傾げると、レオシス様は目を細めて笑った。
「他のテーブルはなんていうか、ちょっとぎすぎすした雰囲気があってさ。その中で君達のところだけ違ったから、何があるんだろうって気にして見てたんだ」
見ていたと言われて、また顔が赤くなったのが分かった。
だってあのお茶会で、わたしは失敗ばかりしていたから。
折角話しかけてくれても上手く返せなくて、聞いているだけの方が多くて……お話を聞くのは楽しかったけど、愛想笑いばかりしているって思われていて……。
ラナの言葉を思い出して、胸の奥が苦しくなる。
恥ずかしくなってしまって、わたしは俯いてしまった。
「君がみんなの話を、穏やかに聞いているのが分かった。君が聞いてくれるから、みんな緊張が解れて話しやすかったんだと思う。話している令嬢たちも楽しそうで……一番ご機嫌だったのはグレーテ嬢だったけど」
予想外の言葉に、はっと顔を上げた。
その時のことを思い出しているレオシス様は楽しそうに笑っている。
「君はあの時、楽しくなかった?」
「みなさんのお話を聞くのは、とても楽しかったです。わたしの知らないことや好きなものを教えてくださって、嬉しいと思いました。でも……わたしは、うまくお返事が出来なくて、みなさんのように上手なお話も出来なかったので……」
「そうかな。人の話をちゃんと聞いて、楽しめるっていうのは凄いことだと思うけど」
いま、褒めてくださった……?
わたしを見つめるレオシス様は、とても優しい顔をしている。琥珀色に見つめられたらドキドキするのに、もう目を離せない。
「自分のお喋りが、上手に出来なくても……?」
「君のテーブルで、誰も不快な思いはしなかった。君は上手じゃないって思っているかもしれないけれど、みんなが楽しく過ごせたんだからその自己評価は訂正したほうがいいかもね。もちろん、次はもっとこうしようっていう意欲になるのはいいと思うけれど」
失敗したと思っていた。
だけどレオシス様の言葉を受けて、改めてあの時のことを思い返してみると……誰も、怒った顔はしていなかった。もちろん、本心は分からない。
でも、あの時のみなさんの笑顔も、お話も……疑いたくないと思った。
「わたし……あの、いつもこうなんです。何も上手に出来なくて、人に疎ましく思われるばかりで……。ですので、この婚約のお話もすごく嬉しいのですが……レオシス様にご迷惑をおかけしてしまうのではないかと、それが怖いのです」
「それ、誰が言った?」
低い声に、肩が跳ねた。
先程までの優しい表情は消え失せて、レオシス様はまっすぐにわたしを見つめている。
それがひどく恐ろしくて、わたしは息を飲んだ。
自分の意識とは関係なく、手が震える。
怒っている。
その怒りに当てられて、息が上手く吸えない。
「ああ、ごめん! エミリア嬢を責めたいわけじゃないんだ。でも、君は可愛くて気遣いも出来る素敵な人なのに……どうしてそんなに自己評価が低いんだろうと思ってさ」
わたしの様子に気付いたレオシス様は慌てた様子で、わたしの背を撫でてくれる。
その温もりと、柔らかな声色にわたしはゆっくりと息を吐くことができた。
「ねぇ、エミリア嬢。僕はね、一緒に過ごすなら君のような人がいいと思ったんだ。さっきのお茶会のテーブルだけの話じゃなくてさ、君があのお茶会で困っている令嬢に手を貸していたのも知ってる。それをさりげなく出来るような気遣いも、優しさも、素敵だなと思ったんだ。それから……」
レオシス様はわたしの背に手を当てたまま、恥ずかしそうに笑った。
目を細めたその笑顔は、先程までよりも少し幼く見えた。
「さっき、応接室に入って君を見た時に……好きだなって思った」
わたしは瞬きさえ忘れてレオシス様を見つめてしまった。
だって、わたしも……同じ気持ちだったから。
その言葉が嬉しくて、わたしは思わず口を開いていた。
「わ、わたしも……レオシス様をお慕いしています。あの、目が合った時から……わたしは、レオシス様に恋をしてしまうと思っていました……」
内緒にしようと思っていた気持ち。
諦めなければならないと思っていたのに、気付けば想いが口から溢れていた。
わたしの言葉を聞いたレオシス様は、驚いたように目を瞠ってから嬉しそうに笑った。
「じゃあ両思いだ。エミリア嬢、僕だって完璧な人間じゃない。君に迷惑をかけてしまうこともたくさんあるし、困らせることも泣かせることもあるかもしれない。でも……それ以上に、君を幸せにしたいってそう思うんだ」
わたしを真っ直ぐに見つめながら、レオシス様が想いを紡いでくれる。
その声はお砂糖みたいに甘くて、わたしへの気持ちに溢れているようだった。
レオシス様と一緒にいたい。この気持ちだけを持っていたい。
「わたし……レオシス様の隣に自信を持って立てるよう、努力します。落ちこぼれなわたしだけど、レオシス様のことはわたしが幸せにしたいと……そう思うのです」
自信がないなら、自信を持てるように努力をしよう。
迷惑をかけているのなら、それ以上に役にたてるようになろう。
レオシス様を諦めたくない。
だから、わたしが変わらなくちゃいけないんだ。
そう想いを告げると、レオシス様は嬉しそうに笑ってくれた。
でも、次の瞬間──琥珀の瞳に昏い影が落ちた。
「ありがとう。でも……落ちこぼれなんて誰に言われたのかは、ちゃんと教えてね」
言ってしまったら、大変なことになるかもしれない。
わたしはきゅっと唇を引き結んだのだけど……その強い視線に抗うことが出来なかった。




